朝井まかてのレビュー一覧
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牧野富太郎のような生き方は楽しいだろう。自由奔放に生き、自分の追求したい探究したい物事を率先して、暮らしも人間関係もそこそこにしていく。おそらく、「何かを手にする者は捨てる覚悟がある者」という言葉があるならば、牧野富太郎は、生活と人間を捨てたのだと思う。
話は明るかった。牧野富太郎自身も、周りの人間たちも。翳りなどにわかにも感じさせない。ただそこにあるのは、違和感だった。牧野富太郎から見た社会への違和感と、社会から見た牧野富太郎への違和感。積み上げられるだけ積み上げた違和感は、発展途上国に捨てられた先進国の産業廃棄物のように、往々に横たわる。やがて、それをついばむ輩が現れる。牧野富太郎を引き -
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読み初めから、朝井まかての繰り出す言葉の巧みさに引き込まれてしまった。手に取るようにその絵が浮かんでくる。緊張感も伝わってくる。声に出したら講談の語りのようだろうか、いや、文学を語る言葉だなどと思い巡らしながら、言葉の間や、リズムも楽しんだ。
設定は架空の里であるが、江戸時代の初期頃にリアルに存在する。そう思わせるのは、そこに住む人々や、暮らしの描写が豊かだからだ。暮らしが満たされているからこそ、人間臭く、好奇心旺盛で、金勘定もしっかりしている。各自がいろいろな「芸」を持ってこの里で暮らし、外部と交易して経済生活をしている。彼らは自由に外に行くことができるが、自分たちの暮らしを守るため、決し -
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江戸の介護を描いた時代小説。帯によると「隠れた逸品」とあるが、そのとおり。江戸時代は平均寿命こそ短かったが、これは乳幼児死亡率が高かったためで、60才まで生き延びれば70才、あるいそれ以上生きたらしい。
お咲は嫁ぎ先から離縁され、「介抱人」として働いていた。お咲は母親の借金を返済するため、通常の女中奉公より給金のよい介抱人をしていた。口入屋を介しての今でいう派遣労働者である。
現代も江戸時代も介護の状況は変わらない。日常生活の介助や食事の世話、そして下の世話である。現代ならば介護保険もあり、要介護認定によっては施設入所も可能だ、しかし江戸時代では、儒教思想から親の介護は子の「孝」とし -
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舞台は江戸時代、年寄の介抱を仕事としている主人公お咲と、彼女に関わる人々との物語です。
作中に出てくる解放される人達の振る舞いは、一見すると身勝手なように捉えられます。しかしお咲との関わりと通してその人達の背景が見えてくると、なぜこの振る舞いとなったのか分かるようになります。ーこの振る舞いとなったのは、その人が今まで生きてきた過程の中で根底に残る事柄があるのではないか?これは現代の介護の世界でも見受けられる光景や理解をする際に必要な視点なのではないかと感じました。
よく参考書や教科書などでは、行動の背景に何があるのか知ることが、その人らしさを尊重しつつ適切な援助が行えるようになる…といった事 -
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朝井まかてさんの小説は、最初の1文を読み始めた(聴き始め)途端、登場人物たちや景色が色彩を持って立ち上がってくる。長い話だったが面白かった。
日本で最初に洋食屋「自由亭」を長崎で開業し、その後大阪でホテル業を始めた草野丈吉とその妻ゆきさんのお話。
まだ駆け出しの料理人であった丈吉が小さな食堂を始めたころから、近所の亀山社中の志士たちへ出前をしたり、五代友厚さんが食事に来たり、その時代の様子が生き生きと描かれていた。私も小説の中に入り込んで坂本龍馬を見かけた気がして、なんだかワクワクとした。
これは妻のゆきさんの物語で、ゆきさんの目線を通して丈吉の姿が描かれる。丈吉が亡くなった後、ゆきさんが亡く -
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ネタバレ星6つにしたいほどの面白さ。
自分の境遇と重なる部分もあり、言語化できずにいた気持ちをふわりと示してくれる巧みさにも唸る。
25歳の介護人お咲は所謂シゴデキで、雇用主にひっきりなしに頼りにされる。自宅に於いても休む暇はなく働き詰めだ。別れた亭主に借金を返さねばならず、気持ちも沈むし時に苛立つ。妙な達観を見せず、自分事はぐずぐずと同じところに留まっているが、人の事となると心の機微に聡く核心をつく。そこがリアルで魅力だ。
今だと35歳位の感覚だろうか。中堅どころ。
傍から見れば仕事をそつなくこなせる頼れる人材だが、本人は時に「私は玄人」と自分を鼓舞しながら必死に仕事に食らいつく。その内面がと