朝井まかてのレビュー一覧
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素晴らしかった。
ほんとに素晴らしい本だった。
心にくるものがすごく深く、また大きすぎて、
【素晴らしい】という言葉しか思い浮かばない。
あの描写がよかった、あそこの表現に感動した、
などという、巧い文章にできない。
そういうところは、言葉より音楽を愛していた、
幼い頃の私が出てきてしまう。
文章で表したいのに、言葉にすると、いま感じていることの、とても細かい部分を取りこぼしてしまいそうになってしまい、どうしたらいいのか、私は分からなくなる。
そんなことを発しても、芸術をも愛していた森類氏は、わかってくれるだろうか?
想像してみるのも、また面白く、きっといつか、再度読みたい、森家の人間の人生を垣間見たい、と思うのだろう。
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Posted by ブクログ
朝井まかてさんの時代もの、400頁近くあるが、ほぼ一気読み。長崎に実在した油屋の豪商、大浦屋の女主人お希以(おけい、のちに慶と名乗る)の波瀾万丈の物語だったので、先へ先へと読まされた。
いつもながら、登場人物たちの個性が際立つ描き方が素晴らしく、名前があればすぐに「ああ、あの」と浮かぶので、長編の中でも迷子にならない。歴史に名を残した人たちよりも、友助やおよし、弥右衛門などの使用人たち、茶葉に関わるおみつや茂作たち、茶葉の輸出のきっかけを作ってくれるテキストル、市井の人たちの方が魅力的に描かれている。
それにしても、幕末にすごい商人がいたものだ。
朝井まかてさんの『朝星夜星』の自由軒もちょこっと登場する。同じ時代なので、合わせ読むと面白いかも。 -
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牧野富太郎のような生き方は楽しいだろう。自由奔放に生き、自分の追求したい探究したい物事を率先して、暮らしも人間関係もそこそこにしていく。おそらく、「何かを手にする者は捨てる覚悟がある者」という言葉があるならば、牧野富太郎は、生活と人間を捨てたのだと思う。
話は明るかった。牧野富太郎自身も、周りの人間たちも。翳りなどにわかにも感じさせない。ただそこにあるのは、違和感だった。牧野富太郎から見た社会への違和感と、社会から見た牧野富太郎への違和感。積み上げられるだけ積み上げた違和感は、発展途上国に捨てられた先進国の産業廃棄物のように、往々に横たわる。やがて、それをついばむ輩が現れる。牧野富太郎を引きずり下ろすために。
けれど、牧野富太郎への違和感をおくびにも出さない人が、彼を支えてくれた。
「ボタニカ」を読んで私が思ったのは、牧野富太郎の人間性は、忌憚なく言えばクズだろう。正妻がいながら、公認の上で別所において嫁と子をもおけるなど、クズのやることだ。それ以外にしても、彼のクズっぷりはとてつもないものがあるが、彼はそれらが事実として傍らにあったとしても、むしろ修飾にさえ見える偉業を達成した。
日本の固有種の発見。
雨季の長い国柄、花粉が濡れて落ちないよう、空ではなく大地を向く日本の固有種。花弁が大きく、産毛が生え、子種を意地でも守ろうとする花々。病気には強いが、環境の変化に弱く、水質が変わると途端に育たなくなる。か弱く、心許ない存在。
牧野富太郎のことを認めた人たちがそうであったように。牧野富太郎という大地をただ見続け、直向きに寄り添い続けた人たち。牧野富太郎が花々を見つけたように、彼らも牧野富太郎を見つけた。守るべき人だ。彼を守ろう。死ぬまで、と。
愛されるクズの話。そんな印象を受けた。 -
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読み初めから、朝井まかての繰り出す言葉の巧みさに引き込まれてしまった。手に取るようにその絵が浮かんでくる。緊張感も伝わってくる。声に出したら講談の語りのようだろうか、いや、文学を語る言葉だなどと思い巡らしながら、言葉の間や、リズムも楽しんだ。
設定は架空の里であるが、江戸時代の初期頃にリアルに存在する。そう思わせるのは、そこに住む人々や、暮らしの描写が豊かだからだ。暮らしが満たされているからこそ、人間臭く、好奇心旺盛で、金勘定もしっかりしている。各自がいろいろな「芸」を持ってこの里で暮らし、外部と交易して経済生活をしている。彼らは自由に外に行くことができるが、自分たちの暮らしを守るため、決してこの里のことを外のものには語らない。
そんな里に迷い込んだのが、武士の杜宇。武士のいざこざから里を出奔したが、里の警備をする朔に捕えられ、青姫の命で米作りを始める。さらにもう1人の男が迷い込んだことから、里の運命が大きく変わっていく・・・。
中島京子さんの『かたづの!』や万城目学さんの『とっぴんぱらりの風太郎』を思い出した。これもファンタジーではない。作家の想像力が作り上げた、作家の生み出した「時代劇」だからユニークなのだ。 -
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江戸の介護を描いた時代小説。帯によると「隠れた逸品」とあるが、そのとおり。江戸時代は平均寿命こそ短かったが、これは乳幼児死亡率が高かったためで、60才まで生き延びれば70才、あるいそれ以上生きたらしい。
お咲は嫁ぎ先から離縁され、「介抱人」として働いていた。お咲は母親の借金を返済するため、通常の女中奉公より給金のよい介抱人をしていた。口入屋を介しての今でいう派遣労働者である。
現代も江戸時代も介護の状況は変わらない。日常生活の介助や食事の世話、そして下の世話である。現代ならば介護保険もあり、要介護認定によっては施設入所も可能だ、しかし江戸時代では、儒教思想から親の介護は子の「孝」として考えられていた。そして手が足りない、追いつかない時は、介抱人を頼むというわけだ。
それとてお金がかかるので、一般庶民には無理。本書に出てくる依頼人も裕福な商家や旗本である。そしてお咲が暮らす長屋で菊職人をしながら、一人で老母を介護する庄助の話が出てくる。自分の母親は介護保険を利用して、デイサービスや施設入所ができたが、昔は本当に大変だったと思う。
表紙カバーのネコのイラストを見て買ったのだが、タイトルの「銀の猫」とは、嫁ぎ先の舅からもらった銀製のネコの根付のことである。また、長屋にくるネコのことも指しているのだろう。 -
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舞台は江戸時代、年寄の介抱を仕事としている主人公お咲と、彼女に関わる人々との物語です。
作中に出てくる解放される人達の振る舞いは、一見すると身勝手なように捉えられます。しかしお咲との関わりと通してその人達の背景が見えてくると、なぜこの振る舞いとなったのか分かるようになります。ーこの振る舞いとなったのは、その人が今まで生きてきた過程の中で根底に残る事柄があるのではないか?これは現代の介護の世界でも見受けられる光景や理解をする際に必要な視点なのではないかと感じました。
よく参考書や教科書などでは、行動の背景に何があるのか知ることが、その人らしさを尊重しつつ適切な援助が行えるようになる…といった事を書かれていますが、この作品では物語(主人公)を通してその気づきを得られるような感覚がありました。実践とまではいきませんが、具体的な例のようにすっと理解できる感じです。
また主人公の人との関わる姿勢が印象的です。戸惑いや理不尽なことに対する怒りなどの感情があっても、相手と正面から向き合い関わっていく姿が心強く思えました。
介護の場で思うことがあった時だけでなく、作品を通して人と向き合う姿勢を感じたいと思う際に読むのも良いかと思います。 -
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朝井まかてさんの小説は、最初の1文を読み始めた(聴き始め)途端、登場人物たちや景色が色彩を持って立ち上がってくる。長い話だったが面白かった。
日本で最初に洋食屋「自由亭」を長崎で開業し、その後大阪でホテル業を始めた草野丈吉とその妻ゆきさんのお話。
まだ駆け出しの料理人であった丈吉が小さな食堂を始めたころから、近所の亀山社中の志士たちへ出前をしたり、五代友厚さんが食事に来たり、その時代の様子が生き生きと描かれていた。私も小説の中に入り込んで坂本龍馬を見かけた気がして、なんだかワクワクとした。
これは妻のゆきさんの物語で、ゆきさんの目線を通して丈吉の姿が描かれる。丈吉が亡くなった後、ゆきさんが亡くなるまで、子供のことや孫のことまで描かれている。
いい年をした私としては、思うようには育たない子供や、子育て中の後悔などは共感の嵐だ。
丈吉の3人のお妾さん、松竹梅はいい味出てる!
物語りが、ゆきさんとこの3人で終わっているのは、なんか分かるなぁ。