朝井まかてのレビュー一覧
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明治天皇の崩御にともなって、明治神宮が出来る。
神聖な人口の森(杜)を作る為の、ストーリーが楽しめる。
日本という国が、江戸という共和国からから脱却して一つの国になった。
その初代元首の苦悩と人となりが軸となり、本書が進んでいくのが良く分かる。
自分自身、どんな元首になるべきなのかに一人で悩み、考え、口を出さず、態度と詞華でもって政治に接し、明るかった人となりが、日露戦争を境に寡黙になっていく。
自身のことを二の次にして、国務に精励する。
日本をひとつにし、世界と対等になる為に駆け抜けたのが明治時代。
伝統と風習を守りつつ、欧州の近代国家を目指すという、ジェットコースターな統治。
模倣す -
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篠山十兵衛景義と対面した時、清太郎を助けた知里の口上がカッコよかった。
後家であること、奉公先の若旦那には恋仲の芸妓がいること、そもそも若旦那がすかたんであること、、
そんな理由から知り合うに連れて湧き出る清太郎への恋心を畳んでくるんでしまい込もうとする。
夫婦を語るときにこんな話を聞いたことがある。
長年連れ添うとその人を好きになった理由こそ、嫌いなところになる
向こう見ずで危なっかしい、でも周囲に好かれる清太郎。いつか知里はそんなところが嫌になるのかな、と思った。
河内屋のお家さん、志乃の言葉。
仕事いうもんは片付けるもんとちゃいます。どない小さなことでも、取り組んだ物事の質をちょっと -
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この著者の時代劇小説はどれを読んでもおもしろくて、飽きない。
生物、特に植物に詳しく博識なので、いろんな知識が得られる。
大阪出身の人なので、一度はお目にかかりたいかたである。
昔も変わらないお役所仕事、窓際族の典型の武家さん達が松茸の偽装や産地偽装して、お上にごますり、忖度、手柄横取り、横領、していてるバブル世代と右にならえの上司たち。このままではいけないと 藩政改革をすることになったその御松茸同心に命じられた今時の次世代部下が松茸の知識も何もないまま松茸山を舞台に奮闘する、松茸をよみがえらせ里山を循環させた物語り。歳月をかけて松茸の生態を勉強してちゃんと松茸が育つ環境に戻して里山資本主義 -
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ネタバレ西鶴の盲目の娘「おあい」からの視点で描いた井原西鶴。
最初の部分は、「おあい」は父親の西鶴の人となりに対して、常に嫌悪感をいだき、それが読者にも伝播し、途中で読むのを止めようかなと思ったほどだった。
人を集めてはお山の大将になり、ひときわ騒がしく、人間の欲望の厭らしさを凝縮したような西鶴が、時を経るに従い、特に俳諧で身を立てようとした西鶴が、草双紙の戯作者へと変貌する当りから、娘の「おあい」は、血の通った情の厚い父親として見直していく。
同時代に活躍した俳諧の西山宗因、其角、芭蕉や、浄瑠璃作者の近松門左衛門などが登場し、この時代に興味をそそられる。
特に、芭蕉は西鶴を厳しく批判し、「点者と -
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おあいが父、西鶴の本音というか気持ちに、少しずつ気づいていく様子がとても良かった。
おあいの目線なので、読んでいる方も最初は西鶴のことをうとましく思い、理解不能だと感じるように引っ張られている。
それが、辰彌、それから荒砥屋、そしてお玉らの言葉によって、父の内面、知ろうとしなかった気持ちに気づかされる。
見えていれば、もしかしたら、言葉と表情が違うことがもっと早く分かったかもしれない。でも、おあいには口に出された言葉が全てだった。でもでも逆に言えば、言葉がしっかりしていればなんだって伝わるってことなのかも。
西鶴の造形もなかなか興味深かった。けしていい父親ではなかったけれど、 -
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井原西鶴とその娘おあいの物語。
亡き母親から炊事洗濯を仕込まれた盲目の娘おあい。
見栄っ張りで威勢だけはよく、娘の気持ちを忖度しない父西鶴を嫌っているのだが――。
日常の音や匂い、人の声、季節の気配を繊細にとらえるおあいの一人称で書かれているため、あらゆる描写が新鮮に感じられます。
かたくななおあいの心。
近くにいるのに互いに伝わらない父と娘の気持ち。
物語が進むにつれて変わっていく様子が、温かくも切ない。
すべて読み終えて、帯にある「お父はんのお蔭で、私はすこぶる面白かった」という言葉を見ると、ぐっとくるものがあります。
大阪弁の会話、ってなんかいい。
感情とか情感が加味されて、表現と