新渡戸稲造のレビュー一覧
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現代人が武士と聞くと、まず思い浮かべるのは戦国時代の徳川家康家臣、蜻蛉切で有名な本多忠勝や真田幸村などを思い浮かべるかもしれない。古くは平安時代の源頼朝に仕えた弓の達人の那須与一、そして日本人の心を掴んで離さない楠木正成など、古今東西問わず未だ、誰が最強かといった議論が巻き起こる程に人気がある。武士といえば、自分の得意とする武器を巧みに扱い、戦場に出ては数千の敵を前にしても、恐れを知らずに敵を斃していく、そんな姿を思い浮かべるのではないか。徳川家康が天下を平定したのち、江戸時代は260年以上も続き、次第に世が平和になっていくと、武士が戦場を駆け回り活躍するような機会は減っていく。寧ろ平和な世に
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ネタバレ武士道とは何なのか?といわれたらどう答えるか。新渡戸稲造の武士道は日本人の精神のあり方を外国人に向けて体系的に説明した書物であるということ。
武士道は武士の精神であるどころか、日本人の振る舞いや考え方に深く影響している。ハラキリだけが武士道ではない。日本人の優しさや協調主義は武士道に根ざしている。日本は災害が起きても暴動が起きづらい。これは一意に他者を慮る精神があるからだ。
例えばアメリカでは贈り物をあげるとき、贈り物のすばらしさを説明する。日本では贈り物が受け取り手の価値よりも低いというやうに下げて説明する。
背景には仁、謙譲や礼といった価値観があるからだ。
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ネタバレ第6章 礼ー仁・義をもって型となす
「茶の湯は精神修行の実践様式」
目次をパラパラめくっていたら、この言葉に強く惹かれたため、最初に読んでみた。
友人の母が茶道を嗜んでいたため、私も幼い頃から茶道に触れる機会があった。
特に感銘を受けた言葉は、以下の通りである。(以下引用)
「茶の湯の基本である心の平静さ、感情の静謐さ、立ち居振る舞いの落ち着きと優雅さは、正しき思索とまっとうな感情の第一要件である。
騒がしい世俗の喧噪から離れた、塵ひとつない茶室の清潔さは、それだけで私たちの心から現実を忘れさせてくれる。」
「茶の湯は趣を極限まで洗練させることが目的であり、そのためにはいかなる虚飾も -
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今年2024年で、書かれたのは1899年(明治32年)。
125年前のこと、しかも38歳の時。
この時代に世界中の文学を勉強をし、そして日本の精神の根本にあるものは何であるのかを、実際にあったことに触れて、またヨーロッパの歴史や文学を引用して描き出されている。この本で日本人の精神道徳の成り立ちが世界的に一段と広まったのだろう。
あなたの宗教は何ですか? と問われたら
私は一応 仏教です、と答えるが、日本人の根本にあるのは、封建制度の武士道から裾にひろがった精神なんだと、改めて気が付いた。
桜を愛でる日本人で良かったな、と思う反面、果たして今の日本人は何処にいる? 何人いる?と探している。 -
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修養とは、教養であり、人を導くための指導者となるべき人間に書かれた書
身と心との健全なる発達を図るのが目的とあります。
気になったことは以下です。
・平素の修養があればこそ、非常の時の覚悟が定まる 「かかる時さこそ命の惜からめ、かねてなき身と思ひ捨てずば」
・いかに逆境に陥っても、その中に幸福を感じ、感謝の念をもって世を渡ろうとする。それが、僕のここに説かんとする修養法の目的である。
・青年ということは、先のまだ分からない、茫漠たる、青々と発芽した草葉の意味から生まれた言葉である。希望さえあれば、30になっても、60になっても、すなわち、青年というべきである。
・1の使命を果たせば、果た -
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約100年前に刊行された『修養』『自警』から、東日本大震災後に逆境に立ち向かう全ての人に向けて2011年に編集されていますが、現代でもその内容は少しも色褪せる事なく、多くの気づきを与えてくれます。
逆境は全ての人にある。得意の絶頂にある人にも大統領の地位にある人にも、必ず自分の思い通りにならないことがある。この自分の思い通りにならない事には二種類ある。つまり、天の授けるものと自分が作り出すものである。
前者は運命と称され、後者は自業自得と言われる。二種類の禍いのうち人生でどちらが多いかといえば、自ら作り出すものの方がはるかに多い。ただ人は普通、なぜ逆境に陥ったかを良く考えないから、天を怨んだ -
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武士道という日本国民に根づく思想を体系化した唯一の思想書。
武士道は日本人の中に深く根付いている考えであるが、教義もないため成文化されていない。権力を持っている者ほど質素に自分を律して生きなければならないという武士の考えが根底にある。
武士道の根幹を成すのは「義」である。これは過去の偉人である西郷隆盛や吉田松陰にも表れており、不合理だとしても正義を通すことである。自分への不都合や時には生命よりも自分に対する信念、正義を優先させる。これは切腹という文化にも表れている。
自分の利益よりも正義を優先する「義」が最も難しく、それを武士は常に守ることを要求されてきた。それにより育まれ、それを見 -
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この本は日清・日露戦争中、日本の武士道精神を西洋に紹介することで、日本の国際的地位向上を図ることが狙いで、いわば「広報」的な目的を持って書かれた本。
世界で日本といえば「サムライ」という言葉が出てきますが、この本によるものだったのですね。
なんならこの本によってルーズベルトが日本びいきになり、日露戦争の調停役になったというのだから胸熱。『武士道』の「その功績、三軍の将に匹敵する」と後書き解説にも書いてあります。そんな本をすっかり平和な時代の日本で読んでいる、というのも感慨深い。。。
ちなみに岡倉天心の『茶の本』も同じ時期に日本の文化や精神性を広めるために書かれている本です。日本が近代化を進め -
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新渡戸稲造氏が1900年に英語で出版したBushidoを、1938年に矢内原忠雄氏が日本語に訳したものですが、本書ほど欧米における日本理解を促進させた本はないのではないかと思われるほど重要な本だと思います。新渡戸氏は主要読者が英米国人ということ、かつ本人がキリスト教徒ということもあって、武士道の考え方をキリスト教との比較、あるいは古代ギリシャ、ローマ、あるいはシェイクスピアなど英米文学の巨匠の言葉を参照しながら解説しています。そのためか日本人であれば相当の高い教養がないと全文を理解するのは困難なのですが、本書を読んで腹におちるところが多々あり、武士道の思想は現代日本においても生きている、と断言
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義理の解説に納得するものです。
キリスト教文化圏の人が「愛」を動機として為すべき、と教えられ身に付けている家族や隣人への行為を、
日本人は、たとえ愛が不足している場合でも「義理」を感じて実践する事が出来る。
と、僕は理解しました。
逆に言うと、日本人に「愛」を求めるのには無理があると思いました。
例えば、「義理」として家族の看病をする日本人に、「愛」を以て看病をしろ。と求めると、少々酷なように思います。
義理として看病するにしろ、
愛情をもって看病をするにしろ、
実際のところは同じ事をしているのですから、あえて
「愛情を以て接しなさい。」
と言う必要は無いと思います。
アメリカのテレビ -
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武士道の定義。武者がその任務において、または日々の暮らしにおいても従うべき規範。
無形のものであるから一層強く武士の行動を拘束し、心に刻み込まれた。
戦いにフェアプレイ。やトム・ブラウンの決して小さな子をいじめもしなければ、大きな子に背を向けて逃げ出すこともしなかった。
武士道が過去の日本の一階級の文化でありながら、現代人にも理解、共感できるような精神的内容のものであること。また西洋社会においても騎士道という共通する性格の文化があったこと。つまり武士道の本質は決して歴史的、民族的に限定された特殊なものではなく、どんな時代、どんな民族にも通用するような普遍的なものであると言う新渡戸の基本的な考え -
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逆境を越えてゆく者へ
爪先立ちで明日を考える
著:新渡戸 稲造
編:実業之日本社
出版社:実業之日本社
「牛の歩みのように遅くてもいいから、一歩一歩と進み続ければやがて必ず千里の遠きに達することができる」 本書は、東日本大震災によせて復刊されたことを知る。平易で、わかりやすく、100年前に書かれたことに驚きを禁じ得ない。
目次
発刊に寄せて 東京女子大学学長 眞田雅子
第1章 逆境を越えてゆく者へ
第1節 そもそも逆境とは何か
第2節 逆境にある者が陥りやすい危険
第3節 どのように逆境に立ち向かってゆくか
第4節 逆境の善用で精神を鍛える
第2章 人生の危機は順境で起こる -
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この本は新戸部が、日本に宗教教育はないのに日本人はどのように道徳を学ぶのか問われたことに対して書いたもの
武士が当時の日本人の道徳的模範となっていた
知識は学んだものの心に同化して初めて真の知識
義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる
義理は正義の道理であり第二義的、礼儀作法は精神的規律の単なる外衣
→内側の魂の重要性
忠義は奴隷となることではなく、その良心に従って主君に仕えること
良心を積み重ねていった証が名誉であり、名誉を何より大事にしたのはその良心を保障するものであるから
当時の女と男の関係は、武士と主君の関係であり、決して奴隷関係ではない
当時は個人主義ではなく、家柄や家族は分かち