新渡戸稲造のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
<読み始めた背景>
最近話題になったディズニー作品の『SHOUGUN 将軍』きっかけで、「武士道」とは何なのか。当時大事にされていた考え方や価値観はどのようなものなのか気になり読み始めました。
<内容>
本著は、1899年に新渡戸稲造が英文で出版したものを翻訳して出版された本です。
西欧の騎士道やキリスト教、儒教や陽明学など他の宗教の教義や行動規範とを比較しながら武士道の根源と封建制度との関わり、そして日本社会に及ぼした影響などが書かれています。
<特徴(少しネタバレ)>
この本は1世紀以上前に書かれた英語原文を翻訳しているため、少々古い言葉や難しい単語が使われています。それを調べながら読み進んでいく煩わしさは少しありますが、武士道が残っている時代の言葉を知ることのできる良い機会ともなりました。
この本を読んで一番印象的だった言葉は「知識のための知識を拒絶する」です。実行を重んじるということをよく表している言葉であると同時に、本を読んでいるだけでは当時の「武士道」を完全に理解したとはいえないということも突きつけられた一文でした。
<読んでから>
『SHOUGUN 将軍』きっかけで読み始めた本著ですが、結論「武士道」の本髄は理解できたとはいえないと思います。知識や情報がすぐ手に入る現代で、「知識のための知識を拒絶する」という言葉は戒めのように感じることができるからです。
本を読んで満足せず、これからの行動に活かし続けていきたいと思います。 -
Posted by ブクログ
序文で読んだ内容で刺さった箇所が僕には十分だった。ベルギーのラヴレー氏との会話が宗教の話題に及んだ。「あなた方の学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」と尋ねられた。私が「ありません」という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みをとめられた。そして容易に忘れがたい声で、「宗教がないとは。一体あなた方はどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返された。
これを読んで日本人である自分の大学で一単位だけ学んだキリスト教学の判定が良であったことを思い出した。
最近この国では宗教がさまざま現れて、寧ろ超えられないと感じる。
武士道からだ著者が学んだことをこれから暇暇に呼んでいこうと思う。序文だけで自分の気になっていたことが書かれていて感想文まで書いてしまった。再度読み終わったら書き直しするのかもしれないがここまで読んでくださりありがとうございます。 -
Posted by ブクログ
武士道とは何か、日本の武士道精神そのものと、それが日本人の心や動作に浸透してきた背景が理解できる。著者が明治維新後30年くらいで外国人向けに書いたという視点で意識して読むと良いと思った。
時代が違うので当然価値観も違うが、少なくとも今でも日本人の心に受け継がれてきているものもたくさんあり、またそれは武士道の元になっている神道や仏教、儒教から今に受け継がれているものも多い。そういった先人の教えを武士道の視点から学べることはためになる。
学びメモ
・知識というものは、これを学ぶものが心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識になる。知識はそれ自体が目的とはならず、あくまで知恵を得るための手段である。陽明学の知行合一。
・文づかいや声音になんの乱れも見せないことは、心の広さであり、余裕である。そうした人は慌てることも混乱することもなく、多くのものを受け入れる余地を持っている。
・礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、憤らず、恨みを抱かないもの。心がこもっていなければ礼と呼べない。
・負けるが勝ちという格言。これは、真の勝利は乱暴な敵にむやみに対抗しないという意味。
・武士道が浸透していく中で、日本全体の道徳律として提供されていき、大和魂が象徴する言葉になっていった。
・日本に変化をもたらした行動力の源泉は、劣等国として見下されることに耐えられない名誉心からきている。
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Posted by ブクログ
今日の会話の中で私たちは、「彼は侍だ」とか”大和魂”という言葉を使うことがある。しかし、それが何を示すのか明確な定義を教わることはなく、経典のようなものも少ない。だから、著者である新渡戸稲造はこれらを日本人に受け継がれる精神”武士道”として、まとめたのである。
孔子の教えである「五常の徳(仁・義・礼・智・信)」または「八つの徳(忠・孝・悌)」が武士道の基盤となっている。義は人の心、礼は礼儀作法・所作を指し、仁や義を型として表すことである。仁は人の良心、慈悲の心のことを言う。伊達政宗は「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる。」の言葉を遺している。仁義のバランスを取ることが大事であると説いている。
上記の特徴は、よく日本人に言われていることだが、その他にも特筆すべき点があった。これが名誉、忠義である。これらは、心の強さを指すものとして私は考える。名誉は、いかに恥を感じないようにするかと言い換えられる。自分の心に正直に生きることがより強い武士であった。忠義は、主君の義理に対する恩返しである。時には、家族よりも優先させるべき事であった。これらの名誉と忠義の強さが誠となると私は感じた。すなわち、誠とは面子を保つことである。
武士道は、強烈な覚悟と誇りによって成り立っている。その一つに克己心がある。敵前でもけっして怯まず殺される瞬間まで毅然とした態度で平静を保つのが立派な侍であった。また、切腹もこれらを表す姿勢である。切腹は罪状として存在していたそうだが、逃げることもできる状況下であった。それでも、切腹を受け入れるのはそれなりの責任を感じ、自らの腹の中が潔白であることの証明を示す行為だったそうだ。正直、この描写では常軌を逸していると思ってしまった。
本書では、ちょっと表現が強い場面があって、苦手な人もいると思った。それでも、今私たち日本人が持っている礼儀正しさがなぜ世界から称賛されているのか、外国と何が違うのか知ることができるので、一読すべきである。武士道は、一見誠実すぎて損をしてしまう考え方かもしれない。しかし、長期的に見たときに最後に笑うのは精神力、己の気持ちが強い者であると感じた。これからは、多様性の時代がやってくるが、武士道をどのように馴染ませていくのか考えていきたい。 -
Posted by ブクログ
儒学の立場から武士道を確立。山鹿素行『武家時紀ぶけじき』1673
毎朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動し、いつも死身になっていれば、武道に自由を得、一生落度なく家職をまっとうすることができる。武士道というは死ぬこととみつけたり。山本常朝つねとも『葉隠』1716 ※佐賀藩士
武士道とは、戦士階級がもつ高貴な身分に伴う義務・戦士の掟である。卑怯や不正な行動ほど恥ずべきものはない。信実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。礼節をわきまえ、惻隠の情(同情心)を失わず、私心を捨てる。武士道が重んじるのは行動であり、知識ではない。新渡戸稲造『武士道』1899
※ベルギーの学者の疑問「日本の学校では、宗教なしに、どうして道徳を授けているのか」に答えるため。
※日清の後、日露の前。
「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いはば同じだといふことを「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと思つて仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。三島由紀夫『葉隠入門』1967
「あなたは無心になろうと努めている。 つまりあなたは故意に無心なのである。 それではこれ以上進むはずはない」こう言って先生は私を戒めた。オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』1982 -
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ネタバレ仏教は、運命を受け入れ、危険や災難を目にしてもストイックに落ち着き、生に執着せず、死に親しむ心をもたらした。
サムライ"義“は、自分の身の処し方を、道理に従い、ためらわず決断する心をいう。
死すべき時に死に、討つべきときに討つこと
勇敢な人は優しい人
愛のある人は勇敢な人
礼は、長い苦難にも耐え忍び、親切で妬みの心を持たず、誇らず、おごらず、非礼を行わず、自分の利を求めず、憤らず、慢心しない
人を泥棒呼ばわりすれば、彼は泥棒となる
「つまらないものですが」は、つまらないものをあなたに贈る、という物目線の言葉ではなく、
「あなたはいい人だからどんなものであってもあなたにふさわしいといったら失礼にあたる」という気持ちを表している