あらすじ
「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」。こう述べる新渡戸(1862-1933)は、武士道の淵源・特質、民衆への感化を考察し、武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを説き明かす。「太平洋の懸橋」たらんと志した人にふさわしく、その論議は常に世界的コンテクストの中で展開される。
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武士道とは何なのか?といわれたらどう答えるか。新渡戸稲造の武士道は日本人の精神のあり方を外国人に向けて体系的に説明した書物であるということ。
武士道は武士の精神であるどころか、日本人の振る舞いや考え方に深く影響している。ハラキリだけが武士道ではない。日本人の優しさや協調主義は武士道に根ざしている。日本は災害が起きても暴動が起きづらい。これは一意に他者を慮る精神があるからだ。
例えばアメリカでは贈り物をあげるとき、贈り物のすばらしさを説明する。日本では贈り物が受け取り手の価値よりも低いというやうに下げて説明する。
背景には仁、謙譲や礼といった価値観があるからだ。
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今年2024年で、書かれたのは1899年(明治32年)。
125年前のこと、しかも38歳の時。
この時代に世界中の文学を勉強をし、そして日本の精神の根本にあるものは何であるのかを、実際にあったことに触れて、またヨーロッパの歴史や文学を引用して描き出されている。この本で日本人の精神道徳の成り立ちが世界的に一段と広まったのだろう。
あなたの宗教は何ですか? と問われたら
私は一応 仏教です、と答えるが、日本人の根本にあるのは、封建制度の武士道から裾にひろがった精神なんだと、改めて気が付いた。
桜を愛でる日本人で良かったな、と思う反面、果たして今の日本人は何処にいる? 何人いる?と探している。そして日常生活の中で傲慢になっている謙虚のなさをも反省もしている自分がいる。
新渡戸稲造さんの本 もっと探してみよう!
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新渡戸稲造氏が1900年に英語で出版したBushidoを、1938年に矢内原忠雄氏が日本語に訳したものですが、本書ほど欧米における日本理解を促進させた本はないのではないかと思われるほど重要な本だと思います。新渡戸氏は主要読者が英米国人ということ、かつ本人がキリスト教徒ということもあって、武士道の考え方をキリスト教との比較、あるいは古代ギリシャ、ローマ、あるいはシェイクスピアなど英米文学の巨匠の言葉を参照しながら解説しています。そのためか日本人であれば相当の高い教養がないと全文を理解するのは困難なのですが、本書を読んで腹におちるところが多々あり、武士道の思想は現代日本においても生きている、と断言できることも確かです。1回だけ読むのではなく、何度も読めば読むほど味が出て理解が深まる本です。
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義理の解説に納得するものです。
キリスト教文化圏の人が「愛」を動機として為すべき、と教えられ身に付けている家族や隣人への行為を、
日本人は、たとえ愛が不足している場合でも「義理」を感じて実践する事が出来る。
と、僕は理解しました。
逆に言うと、日本人に「愛」を求めるのには無理があると思いました。
例えば、「義理」として家族の看病をする日本人に、「愛」を以て看病をしろ。と求めると、少々酷なように思います。
義理として看病するにしろ、
愛情をもって看病をするにしろ、
実際のところは同じ事をしているのですから、あえて
「愛情を以て接しなさい。」
と言う必要は無いと思います。
アメリカのテレビドラマなどを観ていると、恋人同士は頻繁に言葉で愛情がある旨を発言し、確認しています。
本書を読むと、
「なるほど、キリスト教文化圏で育った人は、家族や近しい人へ接する際には、根拠として愛が必要で、それを表現する訓練をしながら育ち、平然と表現できるのだな。」
と理解出来ました。
ただし、これを日本人に求めるのは、やはり無理だと思います。
例えば、しばしば
「子供に愛情がわかず悩む」
と親の嘆きを耳にしますが、
僕はそんなときに
「日本人なら当然です。愛情が沸かずとも、義務として接してあげましょう。」
とアドバイスをするとずいぶんと楽にしてあげられるのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
家事や、家計のための収入を得るための仕事を、
義務として為しているときに、
もし愛情の裏付けに不安を持った時には、是非とも思い出したいものです。
「愛」の裏付けを必要とするのは、キリスト教の文化で育った人の考えで、
あらかじめそのように育てられた人にしか出来ないもので、
日本人は「義務」として世話をすれば良いのだ、と。
もし、「愛」があるのか?と疑問に思ったら、それはアメリカのテレビドラマの見過ぎだ、と気づきたいものです。
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この本は新戸部が、日本に宗教教育はないのに日本人はどのように道徳を学ぶのか問われたことに対して書いたもの
武士が当時の日本人の道徳的模範となっていた
知識は学んだものの心に同化して初めて真の知識
義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる
義理は正義の道理であり第二義的、礼儀作法は精神的規律の単なる外衣
→内側の魂の重要性
忠義は奴隷となることではなく、その良心に従って主君に仕えること
良心を積み重ねていった証が名誉であり、名誉を何より大事にしたのはその良心を保障するものであるから
当時の女と男の関係は、武士と主君の関係であり、決して奴隷関係ではない
当時は個人主義ではなく、家柄や家族は分かち難い一塊とみなされていた。だからこそ名誉を優先
ただ考えを押し付けるのではなく、その人、文化特有の背景を考慮した関わり方。この本も世界各国の文化的背景を踏まえて(様々な引用)武士道を普遍化し説明したからこそ、世界的な理解や評価を確立。
武士道は、無数の行動の選択肢の中から選択する軸となるもの
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まとめ&感想かいてみました
☆成り立ち
武士道は儒教思想や神道、仏教から忠臣愛国の精神や死を受け入れる諦観さ、長幼の序などの各思想の影響を受けていること
☆武士道の内容
義、忠、礼、勇など※それぞれの関係は整理できてない
☆武士道が与えた影響
→武家の女子。進んで自らの人生を自分の家庭に捧げる
→一般民衆にも義や忠、礼などの内容は受け入れられることになる。憧れでさえ
☆武士道の未来
盛者必衰の理。長くは続かないかも。
しかし、その精神はどこかに残り続けるだろう(?)
☆感想
鎌倉〜江戸時代の700年間日本の封建社会と共にあった武士道精神は、母たる封建社会制度を失いもはやその面影を探すのが難しい世の中になっていると思われる。
本書で、明治時代開国してまもなく武士道精神はもはや廃れている旨の記述を見かけた気がするが、大東亜戦争(太平洋戦争)で、勝てる見込みのないアメリカに対して開戦し、敗戦間際には特攻隊で尊い命を犠牲にしてまで国を守り明治天皇と日本の将来を守った当時の日本人の中にはこの精神はまだ残っていたのではないだろうか。
誇り高き日本の明るい未来を作るために私は働きたいです。日本、万歳!
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日本の道徳の規範はなんであったか?
その精神の源流に迫るという意味では、日本人として一読はしたい一冊。「緒言」を読むだけでも日本人であることに誇りを持てる。新渡戸が紙幣の顔になったことにも自然と頷ける。
ただここで注意したいのは、その精神はずーっと変わらず民族の中にあるのだと新渡戸は言う。
ここで思ったのが、昨今の日本が無理に西洋の個人主義思想に傾こうともがき苦しんでいるように見えること。組織から離れ、自由になり、個人として生きていく。YouTuberや脱サラ、フリーランスのワードが流行ってるのもその例だろう。しかし、日本人の源流である精神には合わないから、「なりたくてもなれない」→ 「なってる人がインフルエンサーとして支持を集める」構造が成立しているのだと思う。個人主義に無理に傾倒しなくてもいいんじゃないかなー。
閑話休題。
本文に入るとまず思うのが、比喩は美しければ、引用も的を得ているし、さらにそれを使いこなすだけの教養の広さが凄まじいということ。(専門家からはそこに批判があるようだが)
個人的な疑問として、無数の西洋古典から引用することで日本の道徳が普遍的なものであるであることと、日本固有の道徳があることを論じるところに矛盾を感じたのだが、僕の読解力が及ばなかったのかな…?
普遍的なものと、固有のものが両立しているって考え方なのか?
以下に面白いと思った点を列挙する。
・贈り物に対するアメリカ人と日本人の意識の差
・茶道は最も経済的な動きに美を見出すこと
・差し迫る危険の中で歌を吟ずること。勇気。
・ローマ帝国衰退の一因は貴族が商業に従事するようになったこと。士農工商に分けるのは合理的な考え方。
・日本は名誉のために死を厭わない。名誉心が特に強い民族なのでは?
・日本人は厳しい状況下で笑顔をつくる。笑は逆境に乱される心のバランスを保とうとすること。
・武士の自殺はソクラテスの自殺と原理は同じ。
・ヨーロッパ人は薔薇、日本人は桜。
「薔薇が甘美の下に刺を隠せること、その生命に執着すること強靭にして、時ならず散らんよりもむしろ枝上に朽つるを選び、あたかも死を嫌い恐るるがごとくであること (中略) 我が桜花はその美の下に刃をも毒をも潜めず、自然の召しのままに何時なりとも生を棄て、その色は華麗ならず、その香りは淡くして人を飽かさせない。」
最後の節での武士道の将来に対する新渡戸の語り口はなんだか寂しげであった。
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名著と呼ばれるから、読んでみた。
切腹の描写。
かがみの孤城を読んでいたから「知識でなく品性が、頭脳ではなく霊魂が琢磨啓発の素材として選ばれる時、教師の職業は神聖たる性質を帯びる」は、なるほどなと思った。
また「けだし女性の心の直感的な動きは男性の「算術的な悟性」の理解を超ゆるが故である、も、印象に残った。読んでおいてよかった。そして、大学生の時に読んだ方が良い本。
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いにしえのSAMURAI(武士)が残した日本の美しい文化(曖昧で不文律)を見事にまとめ上げたのがかの新渡戸稲造先生であった。武士とは何たるかを世界に示し、これを一つのきっかけにして、JAPANESE SAMURAIが世界に名を轟かすことになるのだと考えると非常に感慨深い。私も日本男児(などというと右翼臭いが)の一員として、この美しく儚い文化を後世に語り継いでいきたい。
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武士道を体系的に解説している。だいたい儒教の解説。現代でも大和魂・侍魂などと称されるものがこの武士道精神だと思う。
将来的に物質面での成功を求める功利主義と道徳はキリスト精神のみ生き残ると予想している。実際功利主義は完全に現代社会の大前提の思想となっている。キリスト教は力を徐々に失い無神論者が増えている。現代の道徳を担っているのはどこなのか自分は知らない。
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儒学の立場から武士道を確立。山鹿素行『武家時紀ぶけじき』1673
毎朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動し、いつも死身になっていれば、武道に自由を得、一生落度なく家職をまっとうすることができる。武士道というは死ぬこととみつけたり。山本常朝つねとも『葉隠』1716 ※佐賀藩士
武士道とは、戦士階級がもつ高貴な身分に伴う義務・戦士の掟である。卑怯や不正な行動ほど恥ずべきものはない。信実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。礼節をわきまえ、惻隠の情(同情心)を失わず、私心を捨てる。武士道が重んじるのは行動であり、知識ではない。新渡戸稲造『武士道』1899
※ベルギーの学者の疑問「日本の学校では、宗教なしに、どうして道徳を授けているのか」に答えるため。
※日清の後、日露の前。
「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いはば同じだといふことを「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと思つて仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。三島由紀夫『葉隠入門』1967
「あなたは無心になろうと努めている。 つまりあなたは故意に無心なのである。 それではこれ以上進むはずはない」こう言って先生は私を戒めた。オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』1982
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冒頭の教授との対話の中で「宗教なくして如何にして道徳を学べるのか」という価値観の違いに、なるほど日本固有の道徳観というものが語られるのだと悟る。
昔の武士と言えば、野蛮なイメージを持たれがち(特に当時の時代背景を踏まえ、その時代の外国の方から見れば尚更)と思うのだが、弁明するでなく堂々たる文体で描かれている本書は、日本人としては一度読んでおくべきと言われても納得
新戸部博士の思慮深さもよく伝わってくる。5千円札の人物は伊達じゃなかった()
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・・・「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を止め、「宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか?」
・・・私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだものは武士道であることをようやく見出したのである。
上記は本書第一版の序文からの引用ですが、著者(新渡戸稲造)と留学先の教授との会話の一幕です。これが、著者が本書を執筆したモチベーションだといって差し支えないと思います。
欧米においてはキリスト教が民衆の倫理観念の根底に位置するのに対し、日本においては武士道がその地位を占めることを、著者はあらゆる側面から詳述します。
上記経緯のためか、本書では武士道の諸特徴を聖書、ハムレットなどの文学、哲学(主にストア哲学)や古代ローマの逸話といった西洋思想との類似性に絡めて説明をします。この対比がとても面白いですし、西洋の価値観・倫理観との類似性を指摘することで日本人の振る舞いに共感を持ってもらおうとする著者の意図をひしひしと感じます。
またこの武士道の観念が日本人の行動でどのように発露されるのかを、実生活や(よく知られている)歴史の逸話をもとに語られるのでとても分かりやすいと感じました。
武士道の観念の歴史的な成り立ちについては『本当の武士道とは何か』(菅野覚明/PHP新書)を読んでおくとスッと入ってきます。
美徳(仁・義・忠など)や名誉、それらの葛藤の説明は『菊と刀』(ルース・ベネディクト)を読むとしっくりときます。
実生活における武士道に根差した振る舞いは、例えば『ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)』(石光真人編著/中公新書)を読むと、その厳格さをうかがい知ることができると思います。
関連する様々な書籍と組み合わせて読むのがおすすめだと感じました。
本書終盤で著者は、日本人の美徳の土台をなした武士道が近代化の流れの中で失われつつあることに慨嘆しつつも、「武士道は倫理の掟としては消ゆるかもしれない、・・・しかしその光明、その栄光は、・・・シンボルとする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう。」と締めくくります。
著者が今の日本を眺めたなら果たして何を思うだろうか、とちょっぴり考えましたね。
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日本人には宗教がないわけではなく、武士道という精神がある。武士という職は無くなったが武士によって培われた精神が現在も日本人の根底にあるということが分かった。日本文化についての気づきがある良書。
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日本人の精神の根底にあるものの一つが武士道なのかなと読んで思った。武士の生き方から武士が社会に与えた影響、今にもつながる武士道の教えが書かれていた。まだ消化しきれていないが、日本人の心の一部を改めて考えることができる本だった。
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以前現代語訳版で読んだが、今回はなかなかに理解するのが困難であった。言葉自体が難しい為、辞書と共に読み終えた。
しかし、こちらの方が現代語訳版よりもより著者の考えを感ずる事が出来るような気がした。
日本人の道徳感はどのように醸成されてきたのか。宗教教育のない日本で道徳はどう教育されるのか。
日本には武士道精神があり日本人には遺伝的にその道徳観念があると書かれている。
内容はよく理解出来たし、少なからずその思想は自分にもあるかと思うところもある。ただし、意識してそのような考え方行動をしているかと言うと難しい。
本書の全てを肯定するわけでもないが、日本人として外国に対し劣等感を持つ必要はないし、堂々と日本人であることを誇りに思うべきと感じた。
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義・勇・仁・誠・礼・忠義・克己など武士道として大切な事柄を、欧米に向けて古今東西の博識を披歴しつつ説いた名著。日本語訳を手掛けたのは敬虔なクリスチャンであった矢内原忠雄氏。現代日本において吹き飛んでしまったようにも思われるこれらの精神だが、きっとどこかのDNAには残っているはずで、私たちはこれらを呼び起こして、より住みやすい社会にしていかなければならないような気がする。
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かなり難解。海外の文学や哲学をかじっていないと完全に内容を理解するのは難しいと思います。(私も良くわかりませんでした)
新渡戸稲造の洞察力の鋭さと視野の広さは一読しただけで感じられると思います。
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英語で書かれた武士道の翻訳版。武士道がどのようにして生まれ、影響を及ぼしてきたかを解き明かす。キリスト教の代わりに日本には武士道が道徳・倫理の柱となっていた。武士以外の日本人の支柱は何だろう?
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とりあえず読みましたが個人的にあまり熱中しすぎず、一歩離れて読んだ方がいいのかなと思いました。作者の言葉がかなり強めなので油断しているとそのペースに完全に乗ってしまいます。割と極端なことも書いているので一歩離れて冷静になり、自分で取り入れたい精神や言葉を掻い摘みたいなと思いました。
ただ、ラストのクエイカーの詩がよすぎてこれを紹介してくれただけでめちゃくちゃありがたい本ではあります。
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武士道とは?武士の道徳、当時の感性を示した本。
正義の道理に重んじる生き方。
犬死には恥、命をかけるべき時にはかけ、むやみに命を捨てることはしない。
武士は名誉や忠義を大切にしており、名誉は命よりも重かった。
現代人の人生からは考えられないような内容だが、
当時の武士道の覚悟や品性は今の弱った日本に必要に感じる。
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1938出版。文章も当時のままで書かれたものなので読みにくいのではあるが、あえて当時の文体で読むことで、武士道の当時の捉え方が伝わってくる。
新渡戸稲造が英文に→英語を 矢内原 忠雄が日本語に訳すと言う、ラウンドトリップなのであるが、太平洋戦争前なので、この武士道思想が日本の軍国主義に大きな影響を与えたのはやぶさかでないだろう。
切腹や仇討ちついての詳細な記述もあり、読んでいると時代劇のシーンはフィクションではなく、150年前ぐらいまではあのような切腹があったということで、そんなに前の話でもないのだな、とぞっとしてしまった。明らかに精神性は今の日本人と武家では異なっていたのだ。
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高校生の時に文学で幕末を何度も駆け抜けたちょっとイタめな私は読んだと言うのですが、日常からの逃避を文学と映画と音楽で埋め尽くされて俗化した今の私はそうだったっけ?と言ってしまうぐらい内容は覚えてないし、だいぶ難しかった記憶だけあるのでスネが攣りそうなその背伸びも受け止めます。
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日本古来の武士道の精神を学ぶべく本書を手に取った。武士道は、仏教の禅の考えを基本としており、
武芸を超えた思想の領域を知るには、瞑想により達することを学んだ。
義、名誉、刀、礼などに関する考え方が武士道に通ずる項目として書かれていた。
切腹の作法も書かれており、表情を変えずに極度の冷静な死は、武士としての美しい死様のように感じた。
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大学の頃、憧れていた人から誕生日プレゼントとして鞄の中に隠されていた武士道。がんばって(授業中に)読んだけど当時はサッパリ分からなかった。けど、なんとなくかっこいいような気がした。
とりあえず外国で英語版を購入して、今度はその人の誕生日にプレゼントした、淡い思い出の作品(誕生日パーティの帰り、こっそり手紙付で鞄に忍ばし返したなぁ)。
Posted by ブクログ
うーん、、、難しい。仕事帰りの電車で読むたびに眠ってしまった笑
こういう本を読んで、味わえるような力をつけていきたい。
ただ、明治の時代に、この文章を英語で書いたことには感服である。
Posted by ブクログ
難しい!!眠くなる!!
でも、言いたい事は分かったので満足。
武士の精神やそれに伴う慣しは読んでて面白かった。
『東のエデン』のノブレスオブリージュはここからきてるのかなー、とか。
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(01)
奇妙さがあり面白い。それは不気味さといってもよいかもしれない。
キリスト教と近世以前に由来する日本の武士を無理にでもくっつけてみるとこうなるよ、という接合面に著者の際立つ個が示されている。つまり、著者が説明する武士の徳性からすれば本書を著す必然性はないし、著者が信ずるキリスト教からすれば、敢えて武士を理解する必要もない。
が、著者はそれを本書で見事に継ぎ合わせた。その手際の妙には明らかに近代精神(*02)が現れている。洋の東西を問わず武士道や騎士道がよって立つ中世のメンタリティや、キリスト教の古い部分だけでは、このアクロバティックは成り立たなかった。本書が国際的に読まれたとすれば、そのへんの妙な事情のエキゾチックもあってのことだろうと思う。
(02)
第14章は「婦人の教育および地位」である。著者の苦肉の章ともいえる。章立てとページ数をながめたとき、この章に最も多くの頁が割かれていることは看過すべきではないだろう。女子論でもあり、現代的なフェニミズムにおいて本書はどのような位置付けがなされるのか、興味ぶかいところではある。
また、本の構成という点では、巻末の人名索引が楽しい。キリスト、孔子、シェイクスピアへの言及はもちろん多いが、従来からの指摘があるように、社会進化論のスペンサーや近代神秘主義ともとれるエマソンからの強い影響が見られることを確認しておきたい。