あらすじ
「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」。こう述べる新渡戸(1862-1933)は、武士道の淵源・特質、民衆への感化を考察し、武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを説き明かす。「太平洋の懸橋」たらんと志した人にふさわしく、その論議は常に世界的コンテクストの中で展開される。
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Posted by ブクログ
宗教教育が公にほとんど行われない現代の日本において、なぜこれほどまでに規律や倫理観が保たれているのか——。この問いに対して、新渡戸稲造が1900年に『武士道(Bushido: The Soul of Japan)』を通じて世界に放った答えは、今なお色褪せない強烈な説得力を持っていますね。
武士道は単なる「戦いの技術」ではなく、日本の伝統的な精神の拠り所であり、西洋の「騎士道」や「キリスト教の倫理」に匹敵する、高度な道徳体系です。
武士道を作り上げた3つの源流
新渡戸は、武士道がゼロから降って湧いたものではなく、日本人の心に古くからあった3つの要素がミックスされて生まれたと説明しています。
仏教(運命を受け入れる心): 運命に身を委ねる平穏な心、生への執着を捨てる精神、不可避なものへの従順さを与えました。
神道(祖国愛と敬意): 祖先への崇拝、国や主君への忠誠心、そして「人間は本来、神聖で清らかなものである」という本源的な自己信頼を植え付けました。
儒教(人間関係の倫理): 5つの道徳関係(五倫:父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)を通じて、社会的な責任や上下関係、倫理的な行動規範を体系化しました。
これらが数百年におよぶ封建制という土壌の中で醸成され、特権階級である「武士」のプライド(高潔さへの義務)と結びついたものが武士道です。
7つの徳と「克己」「女性の武士道」の真髄
整理していただいた7つの徳とそれを取り巻く精神は、現代の私たちが日常で直面する葛藤にも明確な指針を与えてくれます。
1. 義(ぎ)
武士道の骨格であり、最も厳格な徳です。新渡戸はこれを「人の体に骨があるように、義がなければ首も正しく保てず、手も動かせない」と言い表しました。ずるさや打算を嫌い、人として「何が正しいか」という絶対的な物差し(軸)を持つことです。
2. 勇(ゆう)
ただ命を捨てることや、無謀に突っ込むことは「犬死に」であり、勇気とは呼びません。義(正義)のために行動すること、そして正しいことのために耐え忍ぶこと(忍耐)が本物の勇気です。お書きの通り「義を見てせざるは勇なきなり(正しいと知りながら行わないのは、勇気がないからだ)」という言葉がその核心です。
3. 仁(じん)
他者への慈しみ、憐れみの心です。力を持つ者が溺れることなく、弱者をいたわる心の広さであり、新渡戸はこれを「王者の最高徳目」と位置づけました。
4. 礼(れい)
礼儀とは、単なる形だけのマナー(作法)ではありません。「他者の気持ちに対する思いやりが、外側ににじみ出たもの」こそが本当の礼です。究極の礼は、相手を不快にさせないという深い優しさ(品格)から生まれます。
5. 誠(まこと)
文字通り「言ったことを成す」ことです。武士の言葉には重みがあり、契約書や証文がなくとも、言葉そのものが真実(至誠)でなければなりませんでした。嘘をつくことは名誉を失うことと同義だったのです。
6. 名誉(めいよ)
自己の尊厳であり、恥を知る心です。武士にとって「名誉ある死」とは、人生の最期にそれまでのすべての徳(義・勇・仁・礼・誠)が結実した瞬間を指します。自分の命よりも、人としての誇りを守ることを重んじました。
7. 忠義(ちゅうぎ)
自分勝手な利益のためではなく、公(主君、社会、国家)のために尽くすことです。ただし、盲従ではありません。主君が間違った道に進もうとしたとき、命を賭してそれを諫める(正す)ことも忠義に含まれていました。
克己(こっき)の重要性
これら7つの徳を支えるのが「克己(自分の感情や欲望に打ち勝つこと)」です。武士は、どんなに悲しくても、どんなに苦しくても、それを表に出して周囲を動揺させることを恥としました。常に平静でいること(心の平安)を保つための厳しいトレーニングが克己でした。
女性の武士道
新渡戸は女性の武士道についても一章を割いています。当時の女性は、表舞台に立つ武士を陰で支え、家を守り、子供に武士の精神を教育する役割を担っていました。自分のわがままや平穏を捨て、家族(ひいては社会)のために自己犠牲を厭わない姿勢は、男性の武士道に勝るとも劣らない気高き精神として賞賛されています。
宗教批判ではない:キリスト教との共通性
「決して宗教批判ではない」という点は、新渡戸がこの本を執筆した最大の動機でもあります。
熱心なクリスチャンであった新渡戸は、西洋の友人から「日本には宗教教育がないのに、どうやって道徳を教えているのか?」と聞かれ、答えに窮したことから本書を執筆しました。
新渡戸は、キリスト教の「愛」や「正義」といった普遍的な真理は、形を変えて日本の「武士道」の中にも息づいていると証明したかったのです。聖書の教えが西洋人の血肉となっているように、神道や仏教、儒教が溶け込んだ武士道は、日本人の血肉(侍魂)となっています。
形を変えたグローバル化や西洋文化の流入によって、外見や生活様式はどれだけ変わろうとも、私たちが災害時に暴動を起こさず秩序を守り、他者を思いやり、嘘を恥とする精神のバックボーンには、間違いなくこの「武士道」の遺伝子が流れています。
「武士道は、その象徴である桜の花のように、風が吹けば散ってしまうかもしれない。しかし、その香りは日本の空気に永久に漂い続け、人々を魅了するだろう」
—— 新渡戸稲造『武士道』より
Posted by ブクログ
武士道とは何なのか?といわれたらどう答えるか。新渡戸稲造の武士道は日本人の精神のあり方を外国人に向けて体系的に説明した書物であるということ。
武士道は武士の精神であるどころか、日本人の振る舞いや考え方に深く影響している。ハラキリだけが武士道ではない。日本人の優しさや協調主義は武士道に根ざしている。日本は災害が起きても暴動が起きづらい。これは一意に他者を慮る精神があるからだ。
例えばアメリカでは贈り物をあげるとき、贈り物のすばらしさを説明する。日本では贈り物が受け取り手の価値よりも低いというやうに下げて説明する。
背景には仁、謙譲や礼といった価値観があるからだ。
Posted by ブクログ
・・・「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を止め、「宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか?」
・・・私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだものは武士道であることをようやく見出したのである。
上記は本書第一版の序文からの引用ですが、著者(新渡戸稲造)と留学先の教授との会話の一幕です。これが、著者が本書を執筆したモチベーションだといって差し支えないと思います。
欧米においてはキリスト教が民衆の倫理観念の根底に位置するのに対し、日本においては武士道がその地位を占めることを、著者はあらゆる側面から詳述します。
上記経緯のためか、本書では武士道の諸特徴を聖書、ハムレットなどの文学、哲学(主にストア哲学)や古代ローマの逸話といった西洋思想との類似性に絡めて説明をします。この対比がとても面白いですし、西洋の価値観・倫理観との類似性を指摘することで日本人の振る舞いに共感を持ってもらおうとする著者の意図をひしひしと感じます。
またこの武士道の観念が日本人の行動でどのように発露されるのかを、実生活や(よく知られている)歴史の逸話をもとに語られるのでとても分かりやすいと感じました。
武士道の観念の歴史的な成り立ちについては『本当の武士道とは何か』(菅野覚明/PHP新書)を読んでおくとスッと入ってきます。
美徳(仁・義・忠など)や名誉、それらの葛藤の説明は『菊と刀』(ルース・ベネディクト)を読むとしっくりときます。
実生活における武士道に根差した振る舞いは、例えば『ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)』(石光真人編著/中公新書)を読むと、その厳格さをうかがい知ることができると思います。
関連する様々な書籍と組み合わせて読むのがおすすめだと感じました。
本書終盤で著者は、日本人の美徳の土台をなした武士道が近代化の流れの中で失われつつあることに慨嘆しつつも、「武士道は倫理の掟としては消ゆるかもしれない、・・・しかしその光明、その栄光は、・・・シンボルとする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう。」と締めくくります。
著者が今の日本を眺めたなら果たして何を思うだろうか、とちょっぴり考えましたね。
Posted by ブクログ
1938出版。文章も当時のままで書かれたものなので読みにくいのではあるが、あえて当時の文体で読むことで、武士道の当時の捉え方が伝わってくる。
新渡戸稲造が英文に→英語を 矢内原 忠雄が日本語に訳すと言う、ラウンドトリップなのであるが、太平洋戦争前なので、この武士道思想が日本の軍国主義に大きな影響を与えたのはやぶさかでないだろう。
切腹や仇討ちついての詳細な記述もあり、読んでいると時代劇のシーンはフィクションではなく、150年前ぐらいまではあのような切腹があったということで、そんなに前の話でもないのだな、とぞっとしてしまった。明らかに精神性は今の日本人と武家では異なっていたのだ。