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Posted by ブクログ
Chivalry 武士道
Valor 勇気
rectitude 義
veracity 信
sincerity 誠
fortitude 忍耐
あまり触れない英単語で、これらが英語話者にしっくり来るんだと発見。
新渡戸稲造って、奥さんは米国人で、この本を英語で書いたのね。それは、シンプルに、すごい、そりゃお札の顔になるわ、とレベル低い感想から始めて恐縮。
サムライの刀が西洋人にはそんなに恐れ野蛮に思われていたのを知らなかった。その誤解を正そうと武士道を書いたと言うきっかけも初めて知った。
そしてその刀を用いた腹切りは、悪いことをしたから死をもって償うという意味はともかく、悲壮になることなく淡々と腹切りをしたということ、それは武士の精神もさることながら、人の命が今より軽く見られていたというのがショック。
武士道が最も重要視しなかった算術。金融経済は卑しいものとされ、商人に任せた。金儲けを考えるのは卑しいと考える日本人の気質はここから来てるかも。
反対に、金銭で測れない職業かある、と言うのはすごい深い考え方だ。教師、武士がそうだったと言う。その職、地位に就くのは高潔な人のみであり、そう言う人は金のために働かず清貧な暮らしを送り徳を積み尊敬される。
西洋からの近代経済が流れ込み、何でも金銭価値で測られるようになり、全く逆の価値観と相容れなくなった。
武士道は哲学だ。
Posted by ブクログ
2025/07/10
p.29
神道の自然崇拝は、国土を私たちにとって心の奥底からいとおしく思える存在にした。また神道の祖先崇拝は、次々と系譜をたどっていくことで、ついに天皇家を民族全体の起源とした。
おそらく神道は、中世のキリスト教の教会とは違って、信者に対してほとんどなんの信仰上の約束事も規定せず、そのかわりに、まっすぐで単純な行動基準の形式を与えたのである。
2026/01/27
p.77
第7章 信と誠
信すなわち誠がなければ、礼は茶番や見世物になってしまう。伊達政宗は、「礼が過ぎると嘘になる」と言う。「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」と言った歌人は、ボローニアスを凌駕している。
Posted by ブクログ
現代人が武士と聞くと、まず思い浮かべるのは戦国時代の徳川家康家臣、蜻蛉切で有名な本多忠勝や真田幸村などを思い浮かべるかもしれない。古くは平安時代の源頼朝に仕えた弓の達人の那須与一、そして日本人の心を掴んで離さない楠木正成など、古今東西問わず未だ、誰が最強かといった議論が巻き起こる程に人気がある。武士といえば、自分の得意とする武器を巧みに扱い、戦場に出ては数千の敵を前にしても、恐れを知らずに敵を斃していく、そんな姿を思い浮かべるのではないか。徳川家康が天下を平定したのち、江戸時代は260年以上も続き、次第に世が平和になっていくと、武士が戦場を駆け回り活躍するような機会は減っていく。寧ろ平和な世に物騒な日本刀を振り回されてはかなわない。徐々にその立ち位置を微妙なものにしつつも、失われずに残ったのが、武士としての立ち振る舞い、心構え、生き方にも通ずるであろう、武士の道としての「武士道」である。古くは佐賀藩士の山本常朝の話した内容を纏めた『葉隠』に既に「武士道」という言葉が登場し、その後も幕末の万延元年に山岡鉄舟が「武士道」を記し、そこでは「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎これを名付けて武士道と云ふ」と記されている。勿論、その武士のあるべき姿はずっと古くから、武士と呼ばれる者たちの心の中で連綿と受け継がれてきたものであり、体系的に纏められたりする事なく、武士の生き様として続いてきたものだ。
本書「武士道」は新渡戸稲造が自身の妻や海外の友人たちに、日本人が何から道徳を学ぶのかと尋ねられ、答えに窮した事から執筆されたものである。よって最初は海外向けに全て英語で記されていたが、その後日本人の手により日本語訳されるという逆輸入の形で入ってきた。そこには武士の魂の根底にある「義」をはじめとし、「仁」「礼」「信」などの説明、武士が何故に切腹という責任の取り方を用いるのかなど、武士道とは何か、そこから日本人が何を学び取り、どう生きているかを17章にわたり説明していく。海外の人からは理解し難い武士の切腹や、キリスト教国の「騎士道」との対比が武士の姿を克明に明らかにしていく。その記述は外国人向けということもあり、外国人がよく知る文献や宗教観との比較が多く用いられ、日本に古来から存在する武士が、西洋の文化と同レベル、若しくはそれ以上に優れた形で道徳として成立してきた事を説明している。当たり前ではあるが、決して外国の考え方を真っ向から否定したり、日本の考え方が優れていると大っぴらに言うものではない。その奥ゆかしさも武士道と言えばわかりやすい。
残念ながらその後の日本は軍国主義に振れ、太平洋戦争の特攻隊のように、喜んで死に向かう若者の姿に重ねられていく。なお特攻隊の名前である「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」は万葉集の「敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花」の歌からとられている。
本書の中でも取り分け興味深いのは、武士の死に対する考え方である。武士が刀を抜くときは、相手を殺すか、殺せば自身も罪を償うために死するか、さらには殺し損ねても武士としてあるまじきとして死ぬか。兎に角、刀を抜く事はすなわち武士にとって死を意味する。武士は名誉を重んじるから、それを傷つけられる事は死よりも屈辱的となる。だから名誉のためなら死を恐れる事はない。こうした考え方が、正に前述の特攻隊にとっては都合の良い受け止め方をされたのだろう。現実、死に直面した若者たちが、国の為、愛するものの為と次々と命を散らしていく姿は、武士道の中にある散る桜の美しさを思わせる。
日本人なら一度は読んで触れてみたい考え方である。エコノミックアニマルと呼ばれて久しい日本人の姿を、当時の武士たちがどのような目で見ているだろうか。その視点を知り、自分の生き方を正すきっかけになる一冊に違いない。
Posted by ブクログ
1900年に英語で出版された『武士道』は、日清戦争に勝利して国際的地位を上げようとしていた日本という国が、その文化と精神性が世界でほとんど理解されていなかったことを新渡戸が危機感をもち、世界に発信するこほを目的として出版されたものである。英題は”Bushido: The Soul of Japan”。1905年の日露戦争の講和条件についてのポーツマスでの交渉の前に、仲介役の米国に対して日本の道徳的に当時の先進国に劣るものではないことを示すためにもこの本は使われたと言われる。時は下って、セオドア・ルーズベルトやJ.F.ケネディといった米国大統領もこの本を読んだと言われており、代表的日本論としてその名が上がる『菊と刀』を書いたルース・ベネディクトもこの本の影響を受けたと言われている。ベネディクトの『菊と刀』における罪の文化と恥の文化の比較は、信や名誉を論じた『武士道』の章を読めばその影響は明らかであるように思われる。旧五千円札の肖像にも使われた新渡戸稲造だが、そのゆえんを示す本である。
なお、新渡戸は『代表的日本人』の内村鑑三と同じく札幌農学校に学び、キリスト者となった。序文にもある通り、この本を書くきっかけが、海外の学者に日本に宗教教育がないのにいかにして道徳教育が授けられるのかと問われたからだという。今でこそ無宗教であると言っても、おそらく少なくともビジネス社会では受け入れられるが、それこそ20年前のアメリカにおいては無宗教であることは道徳教育の観点からも何らかの説明が必要なことであったようだ。
『武士道』に書かれた規範が生まれたのは、太平の世が長く続いた江戸時代である。その意味でも、「武士道」の道徳や精神性は平時における日本人の精神性を表していると言える。「武士道」は、仏教や神道、孔子や孟子の思想、朱子学、陽明学などの精神をよく継承をしているが、どこかに明文化されているものではなく、それだけにいっそう日本人の内面に刻み込まれた規範として承知され行動を拘束するものであったとされる。
本書は全十七章から成り、「道徳体系としての武士道」「武士道の源泉」「義」「勇気」「仁」「礼」「信と誠」「名誉」「武士の教育」「克己」「切腹と敵討の精度」「刀、武士の魂」「女性の教育と地位」「武士道の影響」「武士道はまだ生きているか」「武士道の未来」といった章からなっている。各章の終わりには次の章のテーマが触れられており、そのため全体の流れもよく練られた感じを出すことに成功している。この本を非母国語である英語で書いたという事実は、明治期の知識人の行動と能力の高さを示すものであり、素直に感服するところである。
同時期に読んだマキャベリの『君主論』と比べるとよくわかるが、「武士道」の内容は為政者の戦略や思想としては、明らかにナイーブであり、性善説によって立ちすぎである。「敵に塩を送る」という諺のもとにもなった上杉謙信が敵である武田信玄に塩を送ったことを勇気や仁の心を示す高貴な模範であるということからも『君主論』の内容との明確な違いがよくわかる。また、「武士道」のロジックは、周りや相手も基本的には同じ考えを持ち、さらに周りとの関係性が継続することが前提である。このことから、同質性と閉鎖性がひとつの特徴でもあると言われる日本人の心性に思ったよりも影響を与えているのかもしれないとも思う。
また、武士道が金銭ひいては商業を卑しきものとして低く見ていたことも、武士階級自体にも悲惨な影響を及ぼしたし、日本人がビジネス上であっても他者との交渉が比較的苦手と言われることにも影響をしていると言える。新渡戸自身も「現代には、金権支配がなんと急速に蔓延してしまったのだろうか」と嘆くあたり、金銭から距離を置くことを嗜みとして美徳であるという感覚を共有していたことがわかる。近代においても倹約が美徳とされていたのは自分の子供の頃の教育環境として空気のようにそこにあった。このことは日本の国際競争力の観点からはあまり好ましくないようにも思われるのだ。
本書の内容のうち、海外においては特に、幼い兄弟の切腹の描写と家臣の子供が幼君主の身代わりとなったことを両親が誇りとする話が欧米からはグロテスクだと感じると言われるらしい。ときに忠義が生命よりも大事だとされたハラキリの文化を持つ国であるという認識は、新渡戸がそう意図しなかったにせよ、太平洋戦争終盤において米国が日本の徹底抗戦を想定し、結果として核兵器を使用する根拠にも使われたとも言われる。
新渡戸稲造は、当時において武士道の内容を海外に伝えるにおいて、その知性や語学力(奥さんがアメリカ人であった)からしてもっとも適切な人物であったと言えるが、日本文化研究者であったわけではなく、その内容についても批判されるところがあるという。しかしながら、その歴史的影響について考えると内容そのもの以上の意義があると思われる。もちろん、内容についても疑義がある箇所があるにせよ当時として十分に考慮されたものとなっており、日本人である自分にもいい意味でも悪い意味でも相当に当てはまるところがあると感じる。先の切腹や身代わりの話にしても、それが正当であるとは思わないが、そこには「わかる」という感想を持つことができる。日本以外で育った人にもどう感じるのか聞いてみたいものである。
たとえば、「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉がある。持っておきたい心意気でもある。
新渡戸は、「武士道の余命の日々はすでにカウントされている」と言う。それでも、「その力は、この地上から滅び去ることはないだろう」とも宣言する。どんなものでも同じことなのかもしれないが、武士道に関しても、場面によってまだまだ十分に規範とすべきものもあるだろうが、場面によっては当てはめるべきではないところもあるだろう。それにしても、江戸時代を通して明治期までの道徳・倫理を拘束していた規範は、想定しているよりも多くのところに影響を与えているかもしれない。その意味でもいまだ興味深く読むことができる本。古典も悪くない。
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