あらすじ
日本人は、宗教なしに道徳をどう学ぶのか―こうした外国人の疑問を受け英文で書かれた本書は、世界的ベストセラーとなった。私たちの道徳観を支えている「武士道」の源泉を、神道、仏教、儒教のなかに探り、普遍性をもつ思想であることを鮮やかに示す。日本文化論の嚆矢たる一冊を清新かつ平明な現代語訳と解説で甦らせる。
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Posted by ブクログ
現代人が武士と聞くと、まず思い浮かべるのは戦国時代の徳川家康家臣、蜻蛉切で有名な本多忠勝や真田幸村などを思い浮かべるかもしれない。古くは平安時代の源頼朝に仕えた弓の達人の那須与一、そして日本人の心を掴んで離さない楠木正成など、古今東西問わず未だ、誰が最強かといった議論が巻き起こる程に人気がある。武士といえば、自分の得意とする武器を巧みに扱い、戦場に出ては数千の敵を前にしても、恐れを知らずに敵を斃していく、そんな姿を思い浮かべるのではないか。徳川家康が天下を平定したのち、江戸時代は260年以上も続き、次第に世が平和になっていくと、武士が戦場を駆け回り活躍するような機会は減っていく。寧ろ平和な世に物騒な日本刀を振り回されてはかなわない。徐々にその立ち位置を微妙なものにしつつも、失われずに残ったのが、武士としての立ち振る舞い、心構え、生き方にも通ずるであろう、武士の道としての「武士道」である。古くは佐賀藩士の山本常朝の話した内容を纏めた『葉隠』に既に「武士道」という言葉が登場し、その後も幕末の万延元年に山岡鉄舟が「武士道」を記し、そこでは「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎これを名付けて武士道と云ふ」と記されている。勿論、その武士のあるべき姿はずっと古くから、武士と呼ばれる者たちの心の中で連綿と受け継がれてきたものであり、体系的に纏められたりする事なく、武士の生き様として続いてきたものだ。
本書「武士道」は新渡戸稲造が自身の妻や海外の友人たちに、日本人が何から道徳を学ぶのかと尋ねられ、答えに窮した事から執筆されたものである。よって最初は海外向けに全て英語で記されていたが、その後日本人の手により日本語訳されるという逆輸入の形で入ってきた。そこには武士の魂の根底にある「義」をはじめとし、「仁」「礼」「信」などの説明、武士が何故に切腹という責任の取り方を用いるのかなど、武士道とは何か、そこから日本人が何を学び取り、どう生きているかを17章にわたり説明していく。海外の人からは理解し難い武士の切腹や、キリスト教国の「騎士道」との対比が武士の姿を克明に明らかにしていく。その記述は外国人向けということもあり、外国人がよく知る文献や宗教観との比較が多く用いられ、日本に古来から存在する武士が、西洋の文化と同レベル、若しくはそれ以上に優れた形で道徳として成立してきた事を説明している。当たり前ではあるが、決して外国の考え方を真っ向から否定したり、日本の考え方が優れていると大っぴらに言うものではない。その奥ゆかしさも武士道と言えばわかりやすい。
残念ながらその後の日本は軍国主義に振れ、太平洋戦争の特攻隊のように、喜んで死に向かう若者の姿に重ねられていく。なお特攻隊の名前である「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」は万葉集の「敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花」の歌からとられている。
本書の中でも取り分け興味深いのは、武士の死に対する考え方である。武士が刀を抜くときは、相手を殺すか、殺せば自身も罪を償うために死するか、さらには殺し損ねても武士としてあるまじきとして死ぬか。兎に角、刀を抜く事はすなわち武士にとって死を意味する。武士は名誉を重んじるから、それを傷つけられる事は死よりも屈辱的となる。だから名誉のためなら死を恐れる事はない。こうした考え方が、正に前述の特攻隊にとっては都合の良い受け止め方をされたのだろう。現実、死に直面した若者たちが、国の為、愛するものの為と次々と命を散らしていく姿は、武士道の中にある散る桜の美しさを思わせる。
日本人なら一度は読んで触れてみたい考え方である。エコノミックアニマルと呼ばれて久しい日本人の姿を、当時の武士たちがどのような目で見ているだろうか。その視点を知り、自分の生き方を正すきっかけになる一冊に違いない。
Posted by ブクログ
武士道とは、自分の名誉を考えることと読んだ。自分は・自分たちはやればできる、という思いが、自分たちを発展させる一方、自分はできる、の思いが、上手くいかないことに対して自分を苦しめていくのかと思った。期待に応える、応えたい、その精神性は、良いところ悪いところ、両方あるな。
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新渡戸稲造の『武士道』を読みやすくわかりやすい現代語に訳した本。
『武士道』は「日本では宗教教育なくして、どのように道徳教育をしたのか」という外国人の疑問に応える意味で書かれた、外国人に向けた日本文化論の本です。
Posted by ブクログ
古い日本語版武士道より読みやすく、古い日本語版を読んでいた事もあり理解し易かったです。
この現代語訳武士道の第1版が2010年に出版されたので、それまでは、古い日本語版しかなかった事を思うと、現代に生きる日本人にとって現代語訳版の方で多くの人に読まれると良いと思います。
本書の最後に書かれてる解説は、本書を解釈する助けになりました。
Posted by ブクログ
1900年に英語で出版された『武士道』は、日清戦争に勝利して国際的地位を上げようとしていた日本という国が、その文化と精神性が世界でほとんど理解されていなかったことを新渡戸が危機感をもち、世界に発信するこほを目的として出版されたものである。英題は”Bushido: The Soul of Japan”。1905年の日露戦争の講和条件についてのポーツマスでの交渉の前に、仲介役の米国に対して日本の道徳的に当時の先進国に劣るものではないことを示すためにもこの本は使われたと言われる。時は下って、セオドア・ルーズベルトやJ.F.ケネディといった米国大統領もこの本を読んだと言われており、代表的日本論としてその名が上がる『菊と刀』を書いたルース・ベネディクトもこの本の影響を受けたと言われている。ベネディクトの『菊と刀』における罪の文化と恥の文化の比較は、信や名誉を論じた『武士道』の章を読めばその影響は明らかであるように思われる。旧五千円札の肖像にも使われた新渡戸稲造だが、そのゆえんを示す本である。
なお、新渡戸は『代表的日本人』の内村鑑三と同じく札幌農学校に学び、キリスト者となった。序文にもある通り、この本を書くきっかけが、海外の学者に日本に宗教教育がないのにいかにして道徳教育が授けられるのかと問われたからだという。今でこそ無宗教であると言っても、おそらく少なくともビジネス社会では受け入れられるが、それこそ20年前のアメリカにおいては無宗教であることは道徳教育の観点からも何らかの説明が必要なことであったようだ。
『武士道』に書かれた規範が生まれたのは、太平の世が長く続いた江戸時代である。その意味でも、「武士道」の道徳や精神性は平時における日本人の精神性を表していると言える。「武士道」は、仏教や神道、孔子や孟子の思想、朱子学、陽明学などの精神をよく継承をしているが、どこかに明文化されているものではなく、それだけにいっそう日本人の内面に刻み込まれた規範として承知され行動を拘束するものであったとされる。
本書は全十七章から成り、「道徳体系としての武士道」「武士道の源泉」「義」「勇気」「仁」「礼」「信と誠」「名誉」「武士の教育」「克己」「切腹と敵討の精度」「刀、武士の魂」「女性の教育と地位」「武士道の影響」「武士道はまだ生きているか」「武士道の未来」といった章からなっている。各章の終わりには次の章のテーマが触れられており、そのため全体の流れもよく練られた感じを出すことに成功している。この本を非母国語である英語で書いたという事実は、明治期の知識人の行動と能力の高さを示すものであり、素直に感服するところである。
同時期に読んだマキャベリの『君主論』と比べるとよくわかるが、「武士道」の内容は為政者の戦略や思想としては、明らかにナイーブであり、性善説によって立ちすぎである。「敵に塩を送る」という諺のもとにもなった上杉謙信が敵である武田信玄に塩を送ったことを勇気や仁の心を示す高貴な模範であるということからも『君主論』の内容との明確な違いがよくわかる。また、「武士道」のロジックは、周りや相手も基本的には同じ考えを持ち、さらに周りとの関係性が継続することが前提である。このことから、同質性と閉鎖性がひとつの特徴でもあると言われる日本人の心性に思ったよりも影響を与えているのかもしれないとも思う。
また、武士道が金銭ひいては商業を卑しきものとして低く見ていたことも、武士階級自体にも悲惨な影響を及ぼしたし、日本人がビジネス上であっても他者との交渉が比較的苦手と言われることにも影響をしていると言える。新渡戸自身も「現代には、金権支配がなんと急速に蔓延してしまったのだろうか」と嘆くあたり、金銭から距離を置くことを嗜みとして美徳であるという感覚を共有していたことがわかる。近代においても倹約が美徳とされていたのは自分の子供の頃の教育環境として空気のようにそこにあった。このことは日本の国際競争力の観点からはあまり好ましくないようにも思われるのだ。
本書の内容のうち、海外においては特に、幼い兄弟の切腹の描写と家臣の子供が幼君主の身代わりとなったことを両親が誇りとする話が欧米からはグロテスクだと感じると言われるらしい。ときに忠義が生命よりも大事だとされたハラキリの文化を持つ国であるという認識は、新渡戸がそう意図しなかったにせよ、太平洋戦争終盤において米国が日本の徹底抗戦を想定し、結果として核兵器を使用する根拠にも使われたとも言われる。
新渡戸稲造は、当時において武士道の内容を海外に伝えるにおいて、その知性や語学力(奥さんがアメリカ人であった)からしてもっとも適切な人物であったと言えるが、日本文化研究者であったわけではなく、その内容についても批判されるところがあるという。しかしながら、その歴史的影響について考えると内容そのもの以上の意義があると思われる。もちろん、内容についても疑義がある箇所があるにせよ当時として十分に考慮されたものとなっており、日本人である自分にもいい意味でも悪い意味でも相当に当てはまるところがあると感じる。先の切腹や身代わりの話にしても、それが正当であるとは思わないが、そこには「わかる」という感想を持つことができる。日本以外で育った人にもどう感じるのか聞いてみたいものである。
たとえば、「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉がある。持っておきたい心意気でもある。
新渡戸は、「武士道の余命の日々はすでにカウントされている」と言う。それでも、「その力は、この地上から滅び去ることはないだろう」とも宣言する。どんなものでも同じことなのかもしれないが、武士道に関しても、場面によってまだまだ十分に規範とすべきものもあるだろうが、場面によっては当てはめるべきではないところもあるだろう。それにしても、江戸時代を通して明治期までの道徳・倫理を拘束していた規範は、想定しているよりも多くのところに影響を与えているかもしれない。その意味でもいまだ興味深く読むことができる本。古典も悪くない。
Posted by ブクログ
岩波文庫の武士道は昔(大学時代だったか?)に読んだことはあったが、久々に改めて読んでみようと思ったところ、この現代語訳がちくま新書から2010年に刊行されていたので購入してみた。
流石に読みやすい。岩波文庫は現代であまり使われない表現などがあり、なんとくで理解していたと思う。
最後に解説でもまとめられていて良い。
「武士道」は武士の考え方、というものよりは日本人の思想がまとめられたものと感じる。
新渡戸稲造が述べる「礼」について『長い苦難にも耐え忍び、新設で妬みの心も持たず、誇らず、驕らず、非礼を行わず、自分の利を求めず、慢心しない』は、武士道を読んだあとからよく思い出す一文である。
武士道は「義・勇・仁・礼・信(誠)・名誉・忠義」の7つで記述されているが、もっとも「礼」が心に残る。
それもあって、武士道のなかに登場する小笠原流の礼儀作法の本を何冊か読んだほど。
究極のところ「礼」とは『自分を顧みない相手への思いやりである』というのがわたしの理解。
新渡戸稲造が述べている「その最高の形においてはほとんど愛に近づく」というのも納得。
作法とは礼儀のための動作であるが、その作法を意味を理解すれば、それは相手への思いやりであることがわかる。剣道や柔道などの黙想も、何故それが必要かをはじめは理解できずに真似ているが、道を極めればその意味がわかるという。
因みに、うちの祖父はよく新渡戸稲造のことを口にしていた。その興味もあって最初に岩波文庫を手に取ったのだと思う。
今では何故、そんなに新渡戸稲造のことを口にしていたのかは聞くことはできないが、尊敬していたのかな、と思う。
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日本人の誠実さの原点を復習。
これからも守っていかなければならない日本民族の特質を再認識した。
キリスト教と類比している部分は少し違和感があるが、様々な文献も引用していて、さすが知識人です。
分かりやすい訳で読みやすい。
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恥ずかしながら、お札にまでなった新渡戸稲造がいったい何をした人なのか知らなかった。
日本人の道徳観を世界に向けて発信した本書は、武士道をキリスト教や西洋の文学、哲学などと比較しながら、決して野蛮なものではなく、欧米の道徳観と比べて勝るとも劣らないものである事を説く。
海外の人と付き合っていると、想像以上に日本への関心が高い事に驚く。経済的な力が衰えてもなお、文化的な側面への興味は尽きない。日本文化に対する尊敬の背景にあるのは過去の偉人の努力の賜物である、と改めて感じた。
開国の時代を生きた人の生の声、切腹を見た外国人による記録など、今を生きる日本人にとっても刺激的な内容が多い。
Posted by ブクログ
春に一気に咲き誇り、潔く散りゆく桜を見るたびに、読み返したくなるのではないかと思います。
本書を手に取ったきっかけは、本村凌二さんの『教養としての「世界史」の読み方』の中にあった「古代地中海世界に一〇〇〇以上あった都市国家の中で、なぜローマだけが大帝国になり得たのか。十九世紀後半、欧米列強が植民地化を進めるアジアで、なぜ日本だけが植民地支配を免れ独立を保つことができたのか。」という問いです。その問いに対する一つの仮説として「ローマでは「父祖の遺風」、日本では「武士道」という、精神の柱とでも言うべきものがあったからではないか」と提示されており、興味を持って手に取りました。
また、新渡戸稲造が本書執筆のきっかけともなった「宗教教育なくどのように道徳を授けるのか?」という問いも、問われてみれば確かに自分たちのことでありながら不思議なことだと感じ、読んでみた次第です。
欧米人向けに書かれた書物だけあり、野蛮で危険だと捉えられていたサムライたちの精神性や、刀や切腹の扱い方などについて、ヨーロッパの哲人や詩人たちの言葉なども豊富に引用しながら相手に理解しやすい概念として説明されています。
それにより、日本人である私もまた、読んでいて海外の思想や文化と比較・相対化しながら日本文化を捉えることができました。
新渡戸稲造は、本書の中で武士道は当時流行ったベンサム・ミルよ功利主義や唯物主義を重んじるデモクラシーの中で消える運命にあると書いています。名誉や道徳よりも金銭的利害が重きが置かれ始め、その流れは確かに止まることなく現在に続いていますが、私は自分自身や身近な家族の中に、知らず知らずのうちに武士道精神のようなものが行動原理として残っているのを感じます。
また、「このまま欧米流のやり方に則り続けて良いのだろうか?」という違和感が、実際に政治や会社経営、仕事観や人間観・組織観においても噴出し始めていますし、特に経営において今一度日本的経営のあり方が見直され始めているのは、脈々と私たちの精神に息づく武士道と無関係ではないのでしょう。
改めて私たちは何を大切に残していきたいのか深く考えながら、目の前の当たり前を疑い、日々の営みを見直していきたくなる一冊です。
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多様性とか言われている現代ではあるが日本人の美徳はこれだよなと感じる。さすがに武士道は究極な状況だが、名誉を高める観点は共感する。
また、外国人から見た日本人の奇妙さも捉えられるので、敢えて知った上で接するとコミュニケーションが上手く取れる印象。
Posted by ブクログ
日本人は宗教なしに道徳をどう学ぶのか。まずはこの一文にとてつもなく惹かれました。
もう散々使われた例えだと思いますが、日本人を桜に例えた語りが好きでした。
毎年桜が咲けばなんだかうれしい気持ちになって、毎年桜を見に行ってしまうよな〜と思いながら読んでいました。
武士道の美しいと思う部分、さすがに病的だと思う部分、どちらもありますが、現代にふさわしい武士道…的なものを持てるように頑張って生きようと思える一冊でした。
Posted by ブクログ
言葉にできない日本人の当たり前を、私たちの名誉を守る言葉遣いで丁寧に表現してくれていてそこがとても好き。「つまらないものですが〜」という言葉の真意を説明する件がとくに共感。筆者自身も言ってるこの本の特徴として、武士道精神を外国の似たようなものとひたすらに比較してるんだけど、一部に日本人特有の気質を除けば表に出る言動が異なるだけで、世界中の道徳概念は同じようなものなんだなと分かった。日本人をよく知ることは地球人をよく知ること。 正否は別として切腹の件は日本人全員に読んでほしい。
Posted by ブクログ
余談ではあるが、最近1860年前後に興味がある。
小松帯刀に興味を持ち始めたのがその発端である。
これについて書き始めると本書の感想から外れてしまうのでやめておくが、その中で文久2年(1862年)あたりに特に興味を持ち始めていたところで、新戸部がまさにその年に生まれたのだというところでさらに興味を増した。歴史というのはこの連鎖がたまらない。
閑話休題。
現代語訳者の山本氏が言うように、明治人である新渡戸の思想には確かに現代に馴染まない部分もあるのかもしれない。
ただ、自分としてはほぼほぼ共感以外の何物もなかったと言えるぐらい、すんなりと入ってきた。
歴史をどの時点で輪切りにしたとしても、必ずそこにはその前後での「差異」が存在していると思う。
差異の中身(本書で言えば武士道とデモクラシー)には時代性はあるとしても、差異そのものに対する感じ方には時代性はないのだと思える。
それが新渡戸が言う、生き続ける魂なのかもしれないが。
Posted by ブクログ
名著。
「日本の学校で宗教教育がない。それでは道徳教育はどうやって授けるのですか」。この質問に答えるべく書かれたのが本書だ。新渡戸稲造は、自分の正邪善悪の観念を形作る様々な要素を分析し、それらの観念は「武士道」に基づくものだと気がついた。
武士道には源泉がある。
・仏教
・神道
・儒学
いわゆる宗教であるとか、孟子・孔子の教えに連なる部分がおおいことが説明される。
そして、武士道を分解していくと、以下の項目に分けられる。
・義
・勇気
・仁
・礼
・信と誠
・名誉
・忠義
生命は主君につかえるための手段として考えられ、理想的ありかたは名誉におかれていた。
また武士において特筆すべきは、切腹と敵討ちだ。これの文化は海外においては説明を要する風習である。
現在、武士道というものは実用性を失っている。しかし、完全に滅びたわけではなく、この後の世界にも残っていくだろう。
Posted by ブクログ
昔の5千円札の新渡戸稲造さんの本。100年以上前に英語で書かれたものを日本人が翻訳している。明治時代にこれだけの内容の事を英語で外人に紹介できているのはすごい功績である。太平洋戦争の特攻隊も、この武士道の教えを曲げて正当化して解釈している部分もありそうだ。これを指示する支持しないは関係なしに、この武士道の考え方が古い日本人の根底にあることはよくわかった。
切腹のくだりなどは外国人から見ると、まったく理解不能、異星人並の扱いかもしれない。
Posted by ブクログ
日本人として生まれ育ったが、現代において日本人として自国の伝統、価値観は他者へ説明できない事に気付きこの本を読んでみた。
これまでの日本の発展を支えたのは、まさに武士道の精神が流れていた「人の力」だと思う。グローバル化が進む今こそ、この本を手に取り日本人としての価値観を考えるべきだと思う。
Posted by ブクログ
年下なのにしっかりしてるなー、と思ってた男の子の愛読書がこれと聞いて、何か関係あるのかな?と思い手に取ってみた。単なる武士の教えと言うよりは、日本人の美徳や倫理観について、日本文化を知らない人にもわかりやすいように書かれた本。西洋哲学や宗教を用いて日本人の“名誉”や“恥”と言ったものを巧みに表した新渡戸稲造氏の博識にひたすら頭を垂れる思いであった。儒学のことも歴代の武士のこともほとんど知らなかったのだけど、興味があった。あと、やっぱり和歌って美しい!
Posted by ブクログ
「武士道は、日本の標章である桜の花にまさるとも劣らない、わが国土に根差した花である」
冒頭にこう書かれています。
武士だけでなく、日本人全体に染み渡っていた文化と言ってもいいと思う。
現代でも武士道精神として日本人の心に息ずいているのでは…。
義、勇気、仁、礼、信(誠)、名誉、忠義の徳目による分析はとてもわかりやすく、切腹、敵討やまた刀を持つことの意味…またそれらの精神が武士のみならずそれ以外の人にも通じている様を分析している。
日本人として忘れてはならない本質が詰まっている。
Posted by ブクログ
武士道 新渡戸稲造
元々世界に向けて文徳と武徳からなる人としての道を極める古くからの慣わしであり
明治期における軍部とは一線を引く道徳観を著したモノである
この本は英文で書かれたモノを現代の日本語に訳したモノである
読みはじめて最初に武士道と武士とかサムライと言う意味合いが違うことを感じた
武士とかサムライと言う言葉は庶民にも根付いた文化であり
男女に共通する潔さとか内面に秘めた決意であり魂である
武士道は源平のころから起こったのであろうが社会と関わる中で作られた外付けの信頼関係であろう
徳川幕府の政治と共に育てあげられ
神道や天皇と深く関わる精神性であると同時に生活に根差した約束事である道徳の基本でもある
武士道は西洋の騎士道(ドンキホーテ)に通じるモノだろう
この本は西洋の文化やキリスト教と比較しながら紐解いているのが特徴と言えるだろう
ここで気になるのが「愛国心」と言う
権力側が作り上げた矛盾多き洗脳である
国家と言う時の権力組織に「情」を感じるのはありだけれど
「愛」と言う無限環境の言葉を持ち込むのは
とんでもない間違えだと気づくべきだ
国家だけではない神社組織や天皇という
現人神に対しても同様である
例えば「母子」の間でさえ情を省いて愛することは難しい問題だ
母性性に対しては客観性を持って向き合えるけれど
感情を秘めた母と言う肉体に対して
無心に愛せるかというと微妙だろう
母が子に対しても対等に愛せるかと言うと無理な話だ
一人の母に二人の兄弟がいたとしてどちらかを選ぶことはできても
エコ贔屓なく暮らせるとは思えない
それが男女の二卵性双生児だとして考えてみればわかりやすいかも知れない
封建制度であれ資本主義であれ共産主義であれ独裁であれ
為政者が無私で正直で義務を重んじ精力的で謙虚であるべきだとビスマルクが言っていると言う
しかし歴史を見る限り有史以来逆の流れが続いている中で
シリアのタガフィ大佐やウルグアイのムヒカ大統領やアメリカのジェファーソン大統領
日本で言えばかまどの煙で有名な仁徳天皇など多くの民主的政治家がいたのも事実だ
読めば読むほど武士道が権力側の洗脳装置であり
武士の魂とは真逆にあるモノだとの認識に至る
Posted by ブクログ
・武士道にとって最も大事なことは、義。つまり、卑怯な行動や不正な行為を憎む正義の概念。
・勇、はその義を実行すること。知識は実践することが重要であり、知識のための知識であってはいけない。
Posted by ブクログ
本書の持つ歴史的意義は、少なくとも2つある。1つは、サムライが往来で兇器となる刀を差しやみくもに人を斬る好戦的で野蛮だと思われていた当時の西洋人の誤解を解消したこと、そしてその武士道論を通じて日本的思考の枠組みを日本人として初めて英語で世界に問うた日本文化論だという点である。
新渡戸は、武士道の体系を義、勇、仁、礼、信(誠)、名誉、忠義の順で解説。各徳目の詳細は本書に譲るが、それぞれの関係性は、智仁勇が義を支え、信が礼を支え、義と礼が忠を支える構造となっており、徳目の最上位にくる忠は武士自身の名誉と恥を重視する他律的な行動規範が基本となる。
さらに本書では、武士の教育、切腹と仇討ち、刀、女性の教育と地位なども解説されており、初めて日本人に接した多くの外国人が、礼儀正しく貧乏でも幸せそうな民族と賞賛した理由が明かされる。
独自の規律と勤勉で形作られた当時の日本人の素晴らしさは、現代人から見てもさもありなんと納得。
敗戦後はグローバルスタンダードなどと闇雲に欧米を追従する癖がついてしまっているが、もっと自信を持って、日本民族らしい独自の美意識と価値観を守っていく選択肢も考慮すべきではと考えさせられた一冊でした。
Posted by ブクログ
こういう本だったかな、完全に忘れてました。
今となってはちょっとミスリードする表題という気がする、懐古の観点はほぼないと思いますし。
色々読んでいて感覚が違うところもあろうかと思いますが、義理とは義務という指摘は新鮮、かつ一番響く。
言い換えれば不義理は義務の無視・放棄とも言え。
不義理は本当にいけません。
Posted by ブクログ
禅、儒学と武士道の関係性をそれとなく理解。弓と禅、葉隠などとセットで読むと理解が深まる気がする。これきっかけに葉隠入門を読み直し、むしろそっちにハマった。
Posted by ブクログ
武士道について日本人が論じた有名な古典『武士道』。グローバル化が進む世界の中で、日本人の起源はどこにあるのか知りたくて読んでみた。
古典であるにもかかわらず現代語訳のおかげでスムーズに読み進められた。
この本を読んでみて、武士道が既に失われてしまったこと、日本人は武士道を取り戻すべきだという原理主義に陥ってはいけないこと、桜や侘び寂びを愛でる心には武士道の残り香が残っていることなどを学んだ。古来の文化は、外国の文化と同じように、今の日本の文化を相対化するために有用である。
Posted by ブクログ
武士道と生きてきた日本人たちのの実例集
日本人が何を大事にしてきたか、それらをどう発揮してきたかを実例を交えながら解説している。
西洋の文化から見ると異様な光景でも、東洋の考えではよくあることだし、
深く考え本質を探れば似た要素もある。
武士道の要素を解説する中で、いろんな西洋圏の人の本を持ち出しながら同じ感性を持つと伝えている。
そんな日本人紹介本
義:道理に従い、ためらわず決断する心
義理:厳しい監督者、ムチを手にして怠け者に役割を果たさせる存在
勇気:生きるべきときに生き、死ぬべきときにのみ死ぬ
義がすぎると硬直的となり、仁がすぎると弱さに溺れる
礼:他人の気持ちを思いやる心の現れ、物の道理を正しく尊重すること
儀礼とは目的に到達する最適法を長く考えた末に生まれた。
最良の道とは、効率的であるとともに優雅である。結局は労力
・時間が節約される
江戸時代では富と権力が分離されていた。
武士の教育とは、叡智・仁愛・勇気の三本からなる。
価値がないわけではなく、測れないからこそ、精神的な労務は金銭で報われるべきではない
日本人はこの時代感情的すぎて激しい性質だった。無礼な言葉に耐えられない