山本淳子のレビュー一覧
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面白くて、読みかけの他の本をすっ飛ばして先に読んだ。
この本で印象に残ったこといくつか。
藤壺は本気で光源氏を拒否してるということ。
なんとなく、「嫌よいやよも好きのうち」という、気持ち悪い男目線で藤壺を見ていた自分が恥ずかしい。きちんと読めば、本当に光源氏を避けてるのに。そういう見方を自分に許していたことに反省。
宇治十帖の浮舟について。
あまり魅力を感じなかった浮舟の印象が変わった!「蜻蛉」において、浮舟が苦しんで姿を消しても、男たちは決して結局何も変わらなかったことを書いていると、山本さんは言う。その一つも変わらなかった男たちの男の愚かさを「蜻蛉」で書いておいて、その後の「手習」で -
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目から鱗、というけれど、まさにそういう読書体験だった。
源氏物語は丸谷才一、瀬戸内寂聴、田辺聖子など色々な方が口語訳しているが、角田光代は初めて敬語を用いず、現代の小説の語り口で翻訳をした。
平安文学研究者の山本淳子さんは、物語がドラマとして現代に受け入れられやすくなったのは画期的なことだという。
これまでの口語訳では、男性の視点からであったり、恋愛や性愛を基準に解釈されたり、作家によって個性が現れるようだ。
さらに「源氏物語」を現代の女性の立場から読むと、視点や論点が違う解釈も生まれているし、道長からの依頼説など、今のところ否定されていない説も生まれている。
(でもそれが定着するとしたら、 -
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遠い昔、学校で、定子と彰子2人が後宮で寵を競い、その手段の一つが文学だった、定子サロンは清少納言と枕草子、彰子サロンは紫式部と源氏物語、と教わった気がするけど、「源氏物語の世界」や「道長ものがたり」を読んで、実はこの2人、ほとんど時代が被っていないこと、定子が死ぬまで圧倒的に愛されていたことを知った。
そう知って、不遇の定子を気持ち的に支えたであろう清少納言そして枕草子、と知ると、まったく違う物語がみえてくる。
清少納言は、紫式部日記の影響もあってか、枕草子に書かれた内容がそうだからか、とかく「軽い人」と見てしまいがちだけど、この軽やかなエッセーの背景にある史実に思いを馳せながら、じんわりと -
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ビギナーズクラシック「紫式部日記」を買った時近くにあった。冒頭を読むと、~それにしても私の人生とは、なんとまあ次々と大切な人を喪い続けた人生だったろうか。思えば、この悲しみから目をそらすまいと決めたことが、私を『源氏の物語』の作者、紫式部にしたのだ。・・
「姉君」の話をしよう。あれは長徳元(995)年、私がまだ若い娘で、父や弟と一緒に京の邸に暮らしていた頃のことだった・・ と始まる。
そう、これは山本氏が残された史料をもとに、想像を駆使して描いた『紫式部』の人生の独白なのだった。これがめっぽうおもしろい! ずんずん読み進めて一気に読んでしまった。
・・私は後になって書いた『源氏の物語』で -
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ネタバレ枕草子は悲運で救われない定子の在りし日の幸せな姿を
①本人に思い出させ②他の人に思い出させるため語り続
ける鎮魂の物語
それは中関白家の悲劇が生んだ
道隆の死が切っ掛け、道長が藤の長者となり、花山法王
を伊周が襲撃・・・中宮定子の出家・・・定子が率いて
いた知的で機知に富んだサロンは崩壊した
道長に尻尾を振る貴族(斉信)との仲を根拠に、清少納
言は主(定子)に仇成す存在と疑われて距離を置くが…
伊周が定子に紙の束(草子)を渡し「何か書けば?」と
言うのに清少納言が「枕にしたいわ」とウィット溢れる
やり取りを覚えていて、実家で籠る清少納言は華やかな
サロンで繰り広げられた幸せな日々を書き連ね -
購入済み
清少納言の側面や一部しか知らない人物像。定子との深い関係性と絆、信頼理想の皇后・定子の姿を描き続けた清少納言の定子への想いや平安時代の社会背景に目配せしつつ、枕草子を紐解く構成。文学の偉大さを改めて思い知らされた。
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大河ドラマ「光る君へ」に触発されて読みだした本。紫式部って源氏物語の作者であることは知っているもののそれ以外のことは意外と知らなかった。
源氏物語を書きだしたきっかけは、夫、藤原宣孝が突然になくなり、その後、物語を書くという作業を通じて、自らを昇華させていったという所なのかな。
初めは、雨夜の品定めといった一編を収録している「箒木」、「空蝉」、「夕顔」の三帖から物語は始まったそうだ。その後、「桐壺」の巻やいろいろな物語を書き足していって源氏物語が完成していく。その間、物語の成立には、藤原道長などの援助もあったようだ。
読んでいていると、結構他の女房達の批評が乗っているが、特に清少納言な -
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清少納言曰く「派手好きな旦那」を持ち、華麗なる宮廷ロマンス文学を執筆した紫式部のことだから、見た目も性格も男女関係もさぞかし華やかな人物だろうと想像していた。紫式部日記を読むまでは。
イマイチ乗り気じゃない宮仕えが、やがて自分の得意分野(物語執筆活動や出産時の記録係、彰子への漢文講義等)を活かして宮中に居場所を見つけるとともに、知識をひけらかすことなく周囲とも波風立てず穏やかな人物を装うことで時の権力者・藤原道長にも一目置かれるような唯一無二の存在となった処世術は、現代人の我々にも参考になりそうだ。
「マウント女子」とは対極的な紫式部。かと言って容易く周囲に流されるような頼りない性格でも