山本淳子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
面白かった。。。
この本の著者 山本淳子さんの『源氏物語の時代』一条天皇と后たちのものがたり を読むまでは歴史って本当の物語??ってかんじでまったく興味は無かった。
地球っこさんのレビューに魅せられて、源氏物語の時代を読んでびっくり。
登場人物が実にいきいきとして、歴史ってそれぞれが一生懸命に生きた証だったのだと気づかされた。
で、この「道長ものがたり」も焦点を道長にあわせ、実に生々しい。
「幸ひ」の人であったのであろうが、やれることはすべてやるという精神の強さがいちばん。
それゆえに恐怖もつきまとう。
詠まれた歌も背景を知ればなんと奥深いものか。
此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば
言の葉も 絶えぬべきかな 世の中に 頼む方なき もみぢ葉の身は
しびれます。。
そして壮絶な最期。
この本も絶対に手放せない、大切な一冊になりました。
是非是非おすすめの一冊です。 -
Posted by ブクログ
5年かけて全訳に挑んだ作家角田光代さんと平安文学研究者山本淳子さんが、「源氏物語」と紫式部、道長など、現代の視点で語り尽くす
ー本書の帯よりー
面白かった!
今まで何度か源氏物語に挑んだけれど、1〜2巻で挫折。
今NHKの大河ドラマが面白くて、書店でこの本を見つけた。
いよいよ、角田源氏を読んでみようと、今は意気込んでいる!
ドラマで人間関係を把握できたから、本書も面白く読めたかな。
山本淳子さんの著書「源氏物語の時代」は角田さんが大絶賛だったので、ポチッと買ってしまった。
果たして、全巻読めるのだろうか?
とりあえず、源氏物語の時代、を読んでから読み始めようと思う。
(ちなみに1巻だけ購入済みなのですが…) -
Posted by ブクログ
最高に面白かった。。。
これまで歴史にまったく興味がなかったのに、地球っこさんのレビュー
『源氏物語の時代』一条天皇と后たちのものがたり に魅せられて読んでみたら、これが衝撃的だった。
歴史上の人物もしっかりと生きた結果。
それぞれの人間模様がしっかりと描かれている。
歴史に対する考え方が変わってしまった、自分を変えた一冊でした。
そしてまた、地球っこさんのレビュー 角田光代さんと山本淳子さんの対談集「いま読む『源氏物語』 」をみて、これもまた絶対読まなきゃと購入。
角田さんは5年かけてご自分で訳した源氏物語 全8巻を出版されたとのこと。
このお二人のなんとも贅沢な一冊。
源氏物語の人間模様、そしてその解釈の仕方でこうも変わるのかという深さ。
源氏物語にハマってしまいそうです。
角田さんの「源氏物語」と山本さんの「道長ものがたり」は絶対読んでみたいと思います。
これまでの自分を変えてしまう本に出会えて感謝です。
地球っこさん ありがとうございます。 -
Posted by ブクログ
楽しかったわー。
源氏物語や紫式部日記、紫式部集はもちろん、小右記、御堂関白記、権記、栄花物語などから紫式部の「外側」を繋ぎ「内側」を想像する本。
登場するエピソードは有名なものが多く、話の筋が分かっているので読みやすいが、そのままでは終わらないのがいい。各エピソードをまるっと包んだ紫式部の「心境」は彼女の下級貴族出身の才媛ぶりを見事に想像したもので、眉根を顰めたり舌打ちしたり(しないだろうけど)するのが聞こえてきそうなほどに現実的。
定期的に差しこまれる和歌も補強資料であると同時に筆者のひとり語りなのか紫式部のひとり語りなのか分からなくさせる役目を持っていてグラデーション感が心地良い。
どれもイイんだけど読み終わって思い出すのは3つ。
1つめは夫を亡くして失意の日々だった紫式部が「身」と「心」について話す場面。
数ならぬ心に身をば任せねど身に従うは心なりけり
心だにいかなる身にか適ふらむ思ひ知れども思い知られず
筆者はこの二首を紫式部集から選び、ままならぬ現実はそのまま受けなきゃいけないけれど、まぁそれと心は別世界だし。心は勝手気ままにね。としている。
私の古い古い友人は私と同じく頭がおかしい人ではあるけれど、ピンポイントに平安の才女の考えを覗かせてくる。一つ目は「ブスに声をかけられるのが苦痛(声をかけてもいい、その程度だと思われているのが腹立たしい。自分の価値が下がった気がする。)」というもの。さてこれは清少納言の「身分の低い女性がやんごとなき男性の噂をするとその男性までもがなんだか価値が下がる気がする」というのに繋がる(と私は思う)。二つ目はまさにこの身と心で語られたものと似ていて、彼は昔から「自分がどう思おうと勝手なんだから心に任せられることは自分の思いたいように思えばいい。」と断言していた。人がどう言おうとも自分が純愛と思えばそれでいいと。(頭がおかしいのでね彼は)
若い私は「そんなアホな。世の中には決まりがあるし事実は変わらない。何でも思いようだって?ただの逃げだろ。目を逸らすな。自分なんて他人と他人の隙間であって自分自身に形なんてないのに。」と思って聞いていたがここでも彼の考え方は紫式部に共通している(と私は思う)。
ちなみに今は私も完全に紫式部サイドです。
2つめは
亡き人にかごとをかけて煩ふもおのが心の鬼にやはあらぬ
1000年前にこれよ。仏も憑物も全く信じて無さそうでかっこいい。21世紀にこれを読む私は「ちょw 紫式部w冷静すぎんだろw」とケタケタ笑っていられるけれど、1000年前の日本で神仏を信じきれなかった紫式部はそれはそれで辛い日々だったろうなぁ。
3つめは
暮れぬ間の身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつはかなしき
これいいですね。自分もすぐ死ぬ身だというのに他人の死を悲しんでいた。あはれなんて人間全体なのにね。と。
いや、ほんとそうなのよ。皆んな100年ぽっちで必ず死ぬんだもの。マジでやってらんないよね。何もかもが儚すぎて。
3つって言い切っちゃったからもう終わりにするけど弟の辞世の句が途中で止まってるなんてのも良かったなぁ。
山本淳子さんの他の本も読んでみよう。
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Posted by ブクログ
面白くて、読みかけの他の本をすっ飛ばして先に読んだ。
この本で印象に残ったこといくつか。
藤壺は本気で光源氏を拒否してるということ。
なんとなく、「嫌よいやよも好きのうち」という、気持ち悪い男目線で藤壺を見ていた自分が恥ずかしい。きちんと読めば、本当に光源氏を避けてるのに。そういう見方を自分に許していたことに反省。
宇治十帖の浮舟について。
あまり魅力を感じなかった浮舟の印象が変わった!「蜻蛉」において、浮舟が苦しんで姿を消しても、男たちは決して結局何も変わらなかったことを書いていると、山本さんは言う。その一つも変わらなかった男たちの男の愚かさを「蜻蛉」で書いておいて、その後の「手習」で死んだと思われていた浮舟が現れ、歌によって浮舟の内面の変化を表す。それによって「何も変わらなかった男たち」と、「一人になることで変わった女」と言う対比が強く印象付けられると言う。そういう見方もあるのかと目から鱗。
源氏物語は男性が女性を保護するように見せかけて、実は女性の精神性が上回って、男性たちを追い越していく物語だと言う。なるほど!
最後に山本さんが昭和的男性的な見方からの解放と言うことを提案されている。古典研究の大家の萩谷朴氏が、皇子の誕生五十日祝いの祝宴で席を立った倫子について、「更年期も近い女性心理の凄まじさが目に見えるようである」と書いているらしい。そういう古い男性的な見方について、山本さんは、女性の研究者が増えることでそういった思い込みというのが検証されて更新していけばいいと言う。
源氏物語も様々な多様な解釈がなされることで、どんどん紫式部の本質に迫っていけるのだろう。なんせ、紫式部は天才ですもん。昭和的な解釈の枠にはまるわけがない。
非常にスリリングで面白い本だった。
山本淳子さんの「源氏物語の時代」を再読したくなった。(この本のことは本書でも何度も触れられていたが、本当に面白く素晴らしい本なので、何度でも) -
Posted by ブクログ
目から鱗、というけれど、まさにそういう読書体験だった。
源氏物語は丸谷才一、瀬戸内寂聴、田辺聖子など色々な方が口語訳しているが、角田光代は初めて敬語を用いず、現代の小説の語り口で翻訳をした。
平安文学研究者の山本淳子さんは、物語がドラマとして現代に受け入れられやすくなったのは画期的なことだという。
これまでの口語訳では、男性の視点からであったり、恋愛や性愛を基準に解釈されたり、作家によって個性が現れるようだ。
さらに「源氏物語」を現代の女性の立場から読むと、視点や論点が違う解釈も生まれているし、道長からの依頼説など、今のところ否定されていない説も生まれている。
(でもそれが定着するとしたら、ゆうに50年はかかるであろうということ)
「源氏物語」はかくも時代ごとに、色々な形で受け入れられていく物語であったことに、改めて驚かされる。 -
Posted by ブクログ
ビギナーズクラシック「紫式部日記」を買った時近くにあった。冒頭を読むと、~それにしても私の人生とは、なんとまあ次々と大切な人を喪い続けた人生だったろうか。思えば、この悲しみから目をそらすまいと決めたことが、私を『源氏の物語』の作者、紫式部にしたのだ。・・
「姉君」の話をしよう。あれは長徳元(995)年、私がまだ若い娘で、父や弟と一緒に京の邸に暮らしていた頃のことだった・・ と始まる。
そう、これは山本氏が残された史料をもとに、想像を駆使して描いた『紫式部』の人生の独白なのだった。これがめっぽうおもしろい! ずんずん読み進めて一気に読んでしまった。
・・私は後になって書いた『源氏の物語』で、登場人物たちを次々に私と同じ目に遭わせた。光源氏は三歳で母を亡くし、六歳で祖母を亡くす・・
本文には独白の合間合間に「紫式部日記」、「紫式部集」の本文と読み下しが入る。独白の根拠を示している。これが私にはとてもしっくりきた。山本氏の解釈としての独白文が、なるほど、と真実味と凄みをもって迫ってきた。また歴史的出来事もはさんであるが、それらは「小右記」「権記」「御堂関白記」から「日本紀略」「今昔物語集」、また「枕草子」「蜻蛉日記」「古今和歌集」「栄花物語」などなどによって、心境を紡いだ。いやはや実に多くの史料を読み込んで書いてある。
私は和歌が苦手なのだが、当時は自分の心境を和歌によって現わしてしたのだ、ということがわかった。
「紫式部日記」では清少納言を悪しざまに書いている、と流布されているが、山本氏の解釈は少し違う。そこには清少納言と紫式部との漢詩への思い入れと解釈の深さの違いがあるのだ、とする。定子はじめ道隆一族、清少納言は、『香炉峰の雪は』の一文に見られるように漢文の素養があり、それが定子後宮を輝かしいものにしている。そして「枕草子」の存在で10年後の今になっても輝きが増している。それが『枕草子』の力だ。それに比べ彰子後宮は地味だ。彰子様もそれを分かっている。が、しかし定子後宮にとって、漢文とは風流な装飾品でしかなかった。漢文とはもっと自省的な深い意味を持つものなのだ、とする。
また、「紫式部日記」は4つの部分に分かれ、後段のつけたした部分は何故そうしたのか、その紫式部の真意を推理するのも日記を読む醍醐味です、とビギナーズクラシック「紫式部日記」で言っていたが、この「ひとり語り」では、娘の賢子のために書き足したとしている。賢子は父も早くに亡くし後ろ盾がない。あの子は女房になるしかない、と紫式部は考えていて、女房の心得をつけたしの部分で書いた、としている。
しかしこれを読む限り、紫式部と道長は、紫式部が『源氏物語』を書く以前には面識はなかった。大河はドラマなのであるが、ちょっと設定が大胆かなあ、という気もする。でも、倫子と紫式部は母方のはとこ同士、道長とは6代遡る冬嗣からの子孫。お互いの曽祖父の曽祖父が冬嗣なのだった。
単行本「私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り」角川書店2011.10 を文庫化したもの
2020.2.25初版 2022.11.25第7版 購入 -
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ネタバレ枕草子は悲運で救われない定子の在りし日の幸せな姿を
①本人に思い出させ②他の人に思い出させるため語り続
ける鎮魂の物語
それは中関白家の悲劇が生んだ
道隆の死が切っ掛け、道長が藤の長者となり、花山法王
を伊周が襲撃・・・中宮定子の出家・・・定子が率いて
いた知的で機知に富んだサロンは崩壊した
道長に尻尾を振る貴族(斉信)との仲を根拠に、清少納
言は主(定子)に仇成す存在と疑われて距離を置くが…
伊周が定子に紙の束(草子)を渡し「何か書けば?」と
言うのに清少納言が「枕にしたいわ」とウィット溢れる
やり取りを覚えていて、実家で籠る清少納言は華やかな
サロンで繰り広げられた幸せな日々を書き連ねて、絶望
・悲嘆にくれる定子の心を慰めるのだった
政治バランスが乱れた状況に鑑み、特定貴族を批判しない、子供(内親王・親王)の事に触れない、幸せで何気なおかしみダケを記したのである -
購入済み
清少納言の側面や一部しか知らない人物像。定子との深い関係性と絆、信頼理想の皇后・定子の姿を描き続けた清少納言の定子への想いや平安時代の社会背景に目配せしつつ、枕草子を紐解く構成。文学の偉大さを改めて思い知らされた。