山本淳子のレビュー一覧
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ネタバレ大河ドラマ『光る君へ』の復習と予習を兼ねて。
ドラマの俳優さんを重ねて読むのでスイスイ読めた。
平安時代を代表する権力者・藤原道長の生涯を、順を追って読むことにより道長の本心を探る物語。
今まで断片的に知っていたことを、こうやって順序立てて読むのは初めてかも。
一家の末っ子ゆえ周囲から全く期待されていなかった(自分自身さえも期待していない)のに、棚から牡丹餅的に都の頂点に立った道長。
頂点に立つ岐路は幾つもあった。その一つ目はなんと言っても倫子を正妻に迎えたこと。大河ドラマでも賢い女性像で描かれているけれど、まさにこの正妻の力量あってこそ。お陰で棚から落ちてきた牡丹餅も上手いタイミングで受け止めることができた。
けれど全てが順調で怖いもの無しと思われた道長も、生涯に渡り病や精神的ストレス、罪悪感、孤独等様々な苦痛を強いられていたことに驚いた。栄華の輝かしい光と対極にある暗くて深い闇。昔も今も頂点に立つ人は大変だ。
道長の代表的な和歌「此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば」
政界の頂点に立ち我が世の春と浮かれた和歌と思われがちなこの和歌の裏で、怨霊に怯え病に苦しみ、身内の不幸に泣く、道長の人間らしい人となりが分かって、大河ドラマ『光る君へ』の後半戦がますます楽しみになってきた。柄本佑さんならきっと魅力的に演じてくれると信じてます。 -
Posted by ブクログ
ビギナーズ・クラシックス4冊目ともなると不思議と一冊目よりも原文が比較的すらすらと読めるようになってきました。もちろん詳しい解釈は出来ないので本書の「現代語訳」→『原文』→『解説』はスムーズな理解に大いに役に立ちました。
日記の作者紫式部は『枕草子』の清少納言が宮仕えしていた定子時代のあとの彰子時代に宮仕えし、本書はその彰子中宮の出産前後のエピソードから始まります。
なかなか理解しがたかった相関図や、当時の雰囲気がとても分かりやすくて、紫式部の目を通して中宮彰子や藤原道長、宮仕えの女房たち、さらには紫式部自身のこともしることができ、面白い構成や時々意地悪だったり辛辣だったりする紫式部のもの言いもとても面白かったです。
そのことには紫式部自身は触れていないとしても、なんとなく、紫式部、道長の愛人説も有り得たかもな、プライドの高い紫式部はズバリ言わずにほんのり匂わせているのかも、と思いを巡らせるのもまた楽しいものです。
宮仕え時代には清少納言と面識はなかったようですが、清少納言の存在が紫式部の作品をさらに上質にさせたのだろうな、と思うとオリジナルエピソードだらけの今放送されている大河ドラマも素直にとても楽しく見られます。 -
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こちらは同じ角川ソフィア文庫といっても、全文が原文と現代語訳で示されている。
脚注、補注、解説も充実している。
文庫の判型による制約はある。
読者からすれば、できれば原文と現代語訳が同じページにあるのがうれしい。
小学館の日本古典文学全集みたいなのが理想。
もちろん、それは文庫の大きさでは難しい。
しおりを複数使って、あちこちページを行き来して読むしかない。
それはともかく、紫式部日記。
前に一通り読むには読んだ。
なぜこの人はこんなに鬱屈しているのかと思いながら。
解説でかなりそのあたりの理解は深まった。
彰子に仕える女房には三種類あるという。
1女房層女房(いうなれば「プロ女房」か)
2零落女房(元お嬢様)
3才芸女房(才能を見込まれた人)
入内にあたって、道長が選んだのは、家柄の良い娘たち。
ところが、これがお嬢様然として、まともに応対もできない。
定子の女房達と比べ、あきらかにひけをとる。
そこで、巻き返しのために集められたのが「才芸女房」。
紫式部も、和泉式部もこの枠だ。
特に紫式部は、その嚆矢となる存在だったそうだ。
となると、明らかに彼女は彰子後宮の異分子。
敵は亡き定子の後宮を慕う宮廷人たちだけでない、ということだ。
さらに、若くはない年齢を気にして、華やかな宮殿で場違い感を持っていた。
そして、出仕前に親しくやり取りしていた友達とも、出仕を機に縁が切れていく。
なるほど、これではつらいはずだ。
千年前の、自分とはまったくかけ離れた世界なのに、何か目の前にいる人のような気が、はじめてした。 -
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ネタバレ現在、私は光源氏の晩年に差し掛かった部分を読んでいます。『若菜上』ですね。
古典を読むということと古典を学ぶということは全く違うことなのだなぁと改めて思いながら、こちらの著作を読ませていただいておりました。
古文の授業といえば、活用形を学んだことが一番意識に残っていて、『源氏物語』も一部しか扱うことはできませんから、平安時代の代表文学で『あわれ』の文学ということばかりが記憶に残っています。
一般常識を学んだという感じが今はしています。
実際、自分で読んでいくとわからないことは山のようにあり、光源氏は何故源氏なのか? 藤原道長が紫式部を愛娘の彰子の女房にしたのは何故なのか? 読んでいけばいくほど謎は多くて(;^_^A
目に鱗だったのが、源という姓が天皇の血族を意味するということ。そして、光源氏は藤壺更衣という身分の低い母親を持って生まれたために臣下となるのですが、その血の源が天皇にあるという意味での『源』であるというのが、そうだったのね と。
因みに現在大河で活躍中の源頼朝は清和天皇が始祖でそこから十代目に当たるそうです(もうほとんど他人という気もしますが)
光源氏は一代源氏となります。
他にも王氏と呼ばれるいう一族などもいたそうです(こちらは在原業平の血筋)
そして、紫式部は「源氏物語」を書いていたために藤原道長に見出されたというのも、この本で初めて知りました。
しかも、ヒロインである女性・藤壺更衣のモデルが中宮定子だったというのも、ああ、と思うところでありました。
定子は若くして亡くなりましたし、しかも彼女が亡くなった時は没落の身の上でしたものね。それでも一条帝は彼女を溺愛していましたし、そのことは知られていたことでしょうし、確かに藤壷更衣の立場などを考えれば、ヒロインのモデルといわれて納得です。
光源氏が多くの女性と恋愛をして、自ら理想の女性になるように若紫を育て、弘徽殿皇太后の思惑に嵌って流刑にされたり、光源氏の人生もまさに波乱万丈なのですが、それに多くの女性たちが哀切の形でかかわっていくのは、リアルでもあり、また末摘花のように醜くて貧しくても光源氏のような男性に出会うことができるというのは、当時の狭い社会の中で生きていくしかなかった女房達に人気が出たのはわかります。
私も当時生きていたら、今以上に夢中になって読んでいたのかなとかも思います。
家系図や当時の寝殿造りの図も掲載されていて、人物の整理ができましたし、読んでいて楽しかったです。内裏の図や衣装などもなかなかその手の本まで手が届かないのでうれしかったです)
宇治十帖まであと少し、そこまでくればゴールには近い♪
頑張って読むぞ! -
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大変貴重な史料だった。もちろん原本は残っていないし後年の写本ではあるものの…。この時代にこんなお手軽に読めることに感謝したい。
1000年も前に生きていた人たちの生々しい生活が垣間見える。いつの年代でも人間は本質的には変わらないんだなと(悪口言ったり意地悪する場面ね)
世の中には清少納言好きで紫式部は性格が悪いだの友達になりたくないだの、嫌なことを言う人が多く、編集者さんも同様の人だったらどうしようと不安であったが一切そのようなことはなく、客観的なコメントをされていて安心した。
確かに明るくはなく物憂げな感じではあるが本人としては世間に対し思うことはありながらも生き抜いたんだろうなと…。
どちらかというと紫式部よりの人間なので気持ちがわかる気がする。 -
Posted by ブクログ
みなさんのレビューで気になった本。小説以外の本はあまり読まないのだが、興味深い内容で楽しめた。
『枕草子』というと『春はあけぼの』など、幾つかの文章を遠い昔に授業で覚えただけの薄っぺらい知識しかない。イメージで気位の高い知識人のおばさま女房が宮中での日々を綴ったエッセイと思っていたが、この本を読んで変わった。
また作者・清少納言が仕えた中宮・定子についても後に入内する藤原道長の娘・彰子のライバルくらいの、これまた薄っぺらいイメージしかなかったのだが、この本を読むと何と波乱と悲劇の人生だったのかと驚く。
一条天皇に最初に嫁いだ后で父親は当時の権力者。帝との仲も睦まじく人生の絶頂期。しかし父親の急死により事態は一変。権力者は道長に取って代わり、后という立場は一気に揺らぐ。そこから更なる悲劇と変わらぬ帝の寵愛とに揺れ動く。
ざっくり書いただけでも映画やドラマになりそうなくらい波乱万丈だが、その定子に仕えた清少納言の立場もまた波乱続きだ。一時は出仕出来ないほど追い詰められ、その後も定子の境遇がどんどん侘しく辛いものになっていくのを目の当たりにするのだ。
『枕草子』は定子が辛い状況に陥った正にその頃に書かれ始め、定子亡き後も書かれ続けた。では『枕草子』は何のために書かれたのか。
『枕草子』では定子の辛い状況や道長への恨み言は殆ど書かれない。日々の徒然を面白おかしく、楽しいこと美しい瞬間、雅なエピソードで彩っている。『枕草子』の中での定子は嫁いだばかりの頃のように誰に憚ることなく帝と仲睦まじく過ごし、清少納言ら女房たちには優しくも時に知己や機転を鍛えさせてくれるよき主人であり、貴人と思えぬ積極性と茶目っ気を見せてくれる個性的で魅力的な女性だ。
紫式部の「絵空事ばっかり書いてるんじゃないわよ」という批判は当たっていたのだ。そこには切ないほど必死で健気な清少納言の思いがあった。
作者さんの解説を読むと、挿入される『枕草子』の数々の文章に清少納言の定子愛を感じる。それぞれのエピソードに清少納言の「こんな楽しいこと、面白いこと、幸せなことがありましたね」という定子への呼び掛けすら聞こえてきそうだ。
定子を楽しませるためなら清少納言は進んで道化の役もやるし恥ずかしいエピソードも披露する。定子の前では気位の高いオバサンではない。
こんな魅力的な定子という女性を描いた『枕草子』は、何故時の権力者・藤原道長に握りつぶされなかったのか。
その第二の問は言われるまで気付かなかった。まあ定子の境遇と『枕草子』が書かれた理由を知らなかったからなのだが。
だが言われてみれば確かにそうだ。長い歴史の中で、常に文書は後の権力者の都合に合わせて作られ、都合の悪いものは改竄され潰される。そこにも第一の問同様、清少納言の巧妙な「絵空事」戦術があった。
とは言え、娘の小馬命婦をちゃっかり彰子に仕えさせている辺り、親としての心情は別なのだなと思ったりする。
道長の世は当面続きそうだから彰子に仕えていれば娘は食いっぱぐれはなさそうだし、上手く行けば良い男を掴まえられるかも知れないし。なんて考えていそう。
凋落後は道長派からの露骨な嫌がらせを受け続け、周囲からも距離を置かれ不遇なままだった定子が、崩御後は手のひら返しで気の毒がられたり恐怖の対象になったりというのは、現代でも通じるところがあって興味深い。
そこにはこの時代ならではの、祟りや怨霊が本気で信じられていたという背景があったのかなと考えられる。だからこそ『枕草子』も守られたのではないかとも思う。
道長も晩年は多くの怨霊に悩まされていたと聞く。まぁ彼の場合、定子に限らず色んな恨み買っていそうだし。
これまた始めて知ったが『源氏物語』の桐壺の更衣は定子の境遇にそっくりとのこと。
紫式部が仕える彰子のライバル、定子をモデルにしたとしたならそこにはどんな思いがあったのだろう。立場を越えて、定子の境遇は紫式部の創作意欲を刺激するものだったのか。
それにしても作家さんは清少納言と定子が好きなのだな、と全編通じて感じた。まあどうしても悲劇的な方に肩入れしたくなるのは解る。 -
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ネタバレ私は紫式部にはかなり偏見を持っていた。単純に若い頃に枕草子を先に読み、手に入れて大事に読んでいたからなのだが(笑)
その後、紫式部日記等も学び、子供だった私には彼女はとてもいけすかない女性に思えた。
それから、私も当時よりたくさんの人間関係を経験し、母を亡くし、改めて、源氏物語を読んでみたいと思った。
谷崎潤一郎翻訳の源氏物語を読みながら、紫式部と清少納言の関係を見直してみたくなり、何冊かの本を選んだ。
その一冊である。
読み終えて、二人とも変わらない。会社に勤めて理不尽なことや人間関係に悩む女性。
才があるだけに宮廷暮らしは辛い事も多いことだったろう。
そう考えると日本の女性たちは変わらない環境の中で、今も頑張っているのだと胸が熱くなる。
さぁ、源氏の続きも読まなくては(^^) -
Posted by ブクログ
山本淳子さんの著書にはハズレがない!本作もやはり、とても分かりやすく面白かったです。
さらに、主題は主題でとても興味深かったのですがその前に、中関白家の家風が素敵過ぎると今更ながらあらためて思ってしまった。。
定子の、女房に対するリーダーシップといい、当時は男性のみが嗜む教養である漢詩文の素養を持ちそれを日常的に楽しんでる様といい、これはすべて中関白家の教育の賜物です。
積極性、自己主張、優雅な機知、そして庶民性を特徴とした最先端の後宮文化が定子の目指したサロンであり、そこに大御所道隆、貴公子伊周等が登場してしまうんだからうっとりせずにはいられません。清少納言の気持ちわかるなあ~
と、現代人の私でさえもうっとりしてしまう世界を描いた枕草子ですが、実はそれが集中的に書かれたのは、道隆が世を去り、伊周が流罪となり(長徳の政変)、文化の基盤たる中関白家が凋落した時であり、定子の文化は崩壊の危機にあったとは驚きでした。
それをふまえて作品を解釈すると、枕草子はただのエッセイではないことが分かってきます。
生前は定子の苦しみを和らげ慰め、死後は鎮魂のおもいを込めた作品なのです。
そもそも枕草子とは、花鳥風月から生活文化に至るまで、知性と革新性、明朗快活と当意即妙を旨とした定子の文化から生まれたものなので、清少納言は定子によって命を吹き込まれたといっても過言ではなく、本人もそれを自覚しているだけに、尊敬と感謝と忠誠心をもって最後まで定子に寄り添い、その結晶がこの作品なのです。。
また、後世まで定子の姿を残そうと、枕草子を廃棄されないよう題材と背景に配慮しつくす清少納言の強い意志には頭が下がりました。
結果、社会もこの作品を受け入れることになります。
定子を迫害した道長は罪悪感から怨霊に怯え、他の貴族も罪悪感の裏返しから同情を唱えるようになりました。また、若者たちは定子の死に無常感と無力感にかられて出家していきます。
そんななか、美しい定子の記憶だけをとどめる枕草子はむしろ、社会を癒す作品として存在するようになったそうです。
そんな「たくらみ」を清少納言は計ったのです。愛ですね。