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「紫式部」の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」「源氏物語 愛蔵版」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
★★
源氏物語と紫式部日記読んだけど、紫式部かっこよくて憧れるな。紫式部大好き。あんなに頭の良い女性はいないよ。
源氏物語好きな人は紫式部日記も好きだと思う
紫式部日記読んでたら、漢文を分かることは出しゃばりだから分からないふりをするみたいなのがあったんだけど、平安時代から日本人は外国語分からないふりするんだなと笑った。英語出来ませんは千年の日本人仕草なんだな。
日本の出しゃばりへの冷笑文化は平安時代からも凄い。怖い。日本では出しゃばりは罪だ。
紫式部は頭が良いし、日本古来のフェミニストかな?
「【寸評】 時は寛弘五年秋。『紫式部日記』は、藤原道長の豪邸・土御門殿の描写から始まります。この邸に、紫式部が仕える中宮・彰子が出産を控え滞在中だったのです。出産予定日は九月、陰暦では秋の最後の月です。ならば秋の気配の訪れとは、中宮の出産の季節がやってきた、「その日」がいよいよ迫ってきたということ。樹の葉や草むらが秋色に色づくのも、空が鮮やかな秋晴れや夕焼けに染まるのも、それを知らせているのです。 自然たちの応援に応えるように流れてくるのは「不断の御読経」。文字通り、とだえることなく続く読経の声です。十二人の僧が一人二時間ずつ、二十四時間体制で経を読み続けるのです。中宮の父にして最高権力者、藤原道長の命じたことです。祈るのはもちろん中宮の安産。こうして豪邸は、自然と人間が心を一つにし、中宮出産への期待と緊張を高めています。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「【寸評】 遠景で邸の庭を見渡してきたカメラが切り替わるように、場面は邸内の中宮彰子を捉えます。この人物こそが、これから綴られる晴れの出来事、親王出産の記録の主役です。臨月間近の身は身動きもままならず、苦しいに違いありません。でもそれを露わには見せない中宮。周囲に心配をかけたくないという心遣いなのでしょう。または、身体のことで騒ぐのははしたないという慎みなのでしょう。この健気さに、紫式部は胸がいっぱいになってしまいます。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「ところで、紫式部は自分について「辛い人生」や「沈みがち」という言葉を使っています。これはどういう意味なのでしょうか? 実は紫式部はこの日記の中で幾度か、これに似た気分を書き留めています。そこからは紫式部が決して心底から幸福ではないことが伝わってきます。それではなぜ、またどのように彼女が悩みや苦痛を抱いているのか。それについては、はっきりとは記されないのです。 ただ、そうした自分でも中宮のこの姿にはすべてを忘れるほど感動するのだと、紫式部は言います。そしてこの言葉は、単なる主人への追従ではありませんでした。中宮が表面上何事もないように秘する心の内実を、紫式部は知っていたのです。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「【コラム】 重圧の中の 9年間 中宮彰子は、長保元(九九九)年に、わずか十二歳で一条天皇に入内しました。それからこの寛弘五(一〇〇八)年まで、懐妊したことは一度もありませんでした。数え年二十一歳での初産は平安女性としてそう遅くはありませんが、九年間も懐妊しなかったことには理由があったと言えます(「紫式部日記関係年表」*参照)。 彰子が入内したばかりの頃、一条天皇には最愛の女性・定子がいました。清少納言が仕えて『枕草子』にも書きとどめる、明るく知的な中宮(当時)です。彰子の父・道長は様々の調度や書物を彰子の御殿に用意して天皇の気をひこうとし、それは確かに天皇を喜ばせましたが、彰子に寵愛を抱かせるまでにはなりませんでした。二十歳の天皇には十二歳の彰子は娘のように思えたのです(『栄華物語』輝やく藤壺)。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「【コラム】 藤原道長 中宮彰子の父、藤原道長(九六六 ~一〇二七)は、平安時代の貴族では最も有名な人物でしょう。彼の「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば(この世は私のものだと実感する。この空にかかる満月に欠けた所がないように、何一つ手に入らないものはないと思うと)」という歌などからも、その権力の大きさがうかがえます。ただ彼は、決して最初から権力の頂点を約束されていたわけではありませんでした。 道長は父藤原兼家の末っ子で、長兄の道隆(定子の父)とは十三歳の歳の差がありました。当然、兄たちのほうが早く出世し、一条天皇が即位した寛和二(九八六)年には兄たちが権大納言や権中納言であったのに比べ、道長はまだ公卿の仲間入りもしていませんでした。また、一条天皇が十一歳で元服した時、最初に娘を入内させたのも長兄の道隆でしたから、当初の道長は兄たちに大きく水をあけられていたのです。 しかしそんな間にも、道長は野心を温め、着々と準備を進めていました。そのひとつが、娘の彰子です。兄たちが受領階級や中級貴族の娘と結婚したのに対し、道長は皇室の血を引く源倫子を正妻に迎えました。自分がやがて持つ娘を道隆の娘定子よりも優れた后候補とするために、彼は高貴な妻を選んだのです。倫子は結婚の翌年はやくも女子を産みました。これが彰子です。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「【コラム】 摂関政治(外祖父摂政への道) ここで、道長が目指している「外祖父摂政」について説明しましょう。「摂政」とは、天皇が幼かったり病気だったりして政務を執ることができないときなどに、天皇に代わってそれを行う役職です。「摂関政治」と対にされる「関白」が天皇への助言者であるのに比べ、完全に自分の意志で政務を執ることができるという、最大の権限を持っていました。この役職がこれほどの権力を持つようになったのは、平安時代も初期の清和天皇の時でした。父の文徳天皇が亡くなり、清和天皇が跡を継いだもののまだ九歳と幼かったので、天皇になり代わって政治を行う人物が必要とされたのです。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「が、紫式部はいつまでもこうではありませんでした。『紫式部日記』には類似の場面が繰り返し描かれることがあって、この場面に対応するのは一年余り後、寛弘七年正月中の記事です。そこでは、祝賀行事の朝に小少将の君は依然としてのんびりした参上だったいっぽう、紫式部は気を付けて早朝からきちんと参上しています。この日記には紫式部が女房として成長する様も記されているのです。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「公任は実資と同じく藤原氏嫡流の家柄です。が、彼の特徴はなんと言っても諸芸の達人ということです。当時男性の文芸として最高の品格を誇った漢詩、女性の参加する文芸では最も重々しいとされた和歌、そして管弦の、すべてに彼は堪能でした。その彼の口から自分の『源氏物語』ヒロインの名が出たとき、紫式部はどんなに心躍ったことでしょうか。物語が品格の劣るサブカルチャーとみなされていた中で、『源氏物語』は文化の重鎮のお墨付きを得たのです。しかしそれで喜んで飛び出すのは、万事謙虚な紫式部の主義に反すること。ぐっとこらえてやり過ごし、しかし後でしっかりとこの日記に書きとどめたのです。なお、この「このわたりに」という言葉は中国の伝奇物語『遊仙窟』の一節を踏まえているという説があります。紫式部はその物語を典拠に「若紫」の巻を書いており、漢文に博学だった公任はそれを見抜いていてこのように呼びかけたのだという説です。とすれば紫式部はますます鮮明に、和漢の文芸に秀でた彼の姿を捉え、書きとどめていることになります。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「しかしこの本は、彼に「お土産です」といって渡される物ではなかったでしょう。研究者は、彰子が自分の手元に置いて「あなたのために作らせました。読みにいらっしゃいませんか」と天皇を誘う、そして二人で読み合うのだと推測しています。確かに彰子がそうしたひと時を心にかけていたとすれば、作業に傾けた熱意もなおのこと理解できます。大切な人と二人で一つの物語を読み合うことは、互いを理解し合う助けになり、親しさを深めるもの。一条天皇の悲しい恋の経緯もあり、自分自身の臆病な性格もあり、長い間夫の心に真に寄り添うことのできなかった彰子ですが、皇子を産んだことに勇気付けられたのでしょうか、ようやく彼への気持ちを表したいと思うようになったようですね。一番近くで作業にいそしむ紫式部には、彼女の気持ちはよくわかっていたことでしょう。いっぽうで道長も、この冊子が帝と娘の夫婦仲をよりむつまじくすると見たからこそ、力を込めて応援したのでしょう。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「しかしいつしかそんな人生も彩りを取り戻したと紫式部はいいます。「物語」のおかげです。紫式部の様子を見るに見かねた友人が、「気晴らしにこれでも読んでみたら?」と貸してでもくれたのが最初でしょう。悲しい現実を抱えた彼女に、物語という虚構は息を吹き込んでくれたのです。『源氏物語』はこの時起筆されたと考えられます。ですから、最初の読者は友人たちでした。夫亡きアマチュア作家紫式部は空想の翼を広げて新作物語を書き、あるいは習作を書き直し、書き継ぎ、友人たちとやりとりする中で力を伸ばしていったのでしょう。皆物語好きで話の合う人ばかり。そこでは何の気を遣うことも無く、紫式部は素の自分でいることが出来ました。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「平安貴族社会の女性は、家にいて人目に触れないことがよしとされていました。でも役割を与えられたからには、割り切って務めを果たさなくてはなりません。が、そう思って物慣れたように振る舞えば人々からはしたないと見られてしまいます。どこからを仕事と割り切り、どこまでは女らしさを保つべきか。この兼ね合いは、女性の社会進出が格段に進んだ現代でも、女性たちの頭を悩ませる問題ではないでしょうか。 紫式部は今、主婦感覚から女房感覚へと脱皮する瀬戸際にあるのです。あくまでも奥ゆかしく、男性の目を避け、おとなしく。そんな主婦感覚は世間の保守層に支持されていて、これを守っている限り後ろ指を差されることはありません。が、女房の身にはそれは通用しません。今日の童女や下仕えのように、仕事とあらばどんなに恥ずかしくても衆目に身をさらさなくてはならないのです。やがては羞恥心も麻痺し、女性らしいはじらいを失った図太い私になってしまうに違いない。それは今の紫式部にとって、目の前が暗くなってしまうほど怖いことなのでした。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「さて、紫式部はベテランではなく、左京の君の現役時代を知りません。したがってこうした憤りを感じる理由もありません。しかし彼女はたくらみに参加し、結局は左京の君をからかう和歌まで詠んでいます。またその前に、贈り物として蓬萊の絵の扇を選んだのも、紫式部と考えられます。不老不死の世界、蓬萊の絵の扇を選んだ理由を「あちらにわかるものですか」と言っているからです。この絵は単純に左京の君の老いを皮肉ったものではなく、白楽天の詩「海漫漫」のストーリー(蓬萊へ行こうとして船に乗った若者が船中で歳を取ってしまったこと)をふまえて「あなたはいつまでもお若いかと思ったけれどやはりお歳を取るのねえ」という意味と考えられます。漢文は高級な知識なのでどうせわかるまい、と紫式部は踏んでいますが、わかる人にとっては、この扇も歌も明らかな嫌みです。 紫式部は、自分の中には理由がないのに周りの女房の空気に流されて、いじめに加担しているのです。しかも、後日の日記では「ちょっとしたいたずらだった」と振り返っており、その言い方から考えても、紫式部自身にもほかの女房にも、罪の意識など無かったのでしょう。老いているにもかかわらず臨時で出仕した左京の君には、それなりに内心の辛さや恥ずかしさもあったかもしれないのに。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「清少納言の漢文に対する知識は、『枕草子』を見れば、それなりに十分なものでした。それなりにとは、お洒落な会話にちりばめる知的教養としてということです。定子も清少納言も周辺貴族たちも、漢文素養をアクセサリーのように身につけて、お互いに十分に楽しんでいました。ですからその限りにおいては「まだいと足らぬこと多かり」ではなかったのです。が、紫式部はそれを「不十分」と斬って捨てました。もちろんそう言うだけの理由はあります。紫式部にとっては、漢文素養を知的お洒落とする姿勢そのものが否定すべきことだったのでしょう。もしかしたら学問への冒瀆と感じていたのかもしれません。また清少納言に「知識不足のまがい物」というレッテルを貼ることは、そうした評価が下せる自分の方が優秀だと示すことでもあります。 さらには、独創性あふれる清少納言のことを「人と違いたがっているだけの人」と言い切ります。そんな人は最初こそ新鮮で人の気を引くものの、魅力はもの珍しさだけなので、だんだん見劣りがしてくるというのです。しかもそれを論じるために引き合いに出す「風流」の例は、まるで『枕草子』をほのめかすかのようです。『枕草子』は、定子が苦境にあった時期に書き始められたにもかかわらず、美意識と幸福感に貫かれています。そこに描かれた定子後宮のあり方は、逆境にあっても美とプライドを失わないことの気高さを感じさせ、読者の心を震わせます。でもそれは本当のことだったのでしょうか。「さるまじくあだなるさま」。「そんなはずがない」「上っ面だけ」という言葉は、もし紫式部が『枕草子』を念頭において語っているとすれば、この疑いに鋭くメスを入れるものと言えるでしょう。確かにリアリティーという面においては、最期までほとんど悲劇の片鱗を見せず美しく笑っている『枕草子』の定子像は表面的に過ぎず、美化だと言わざるを得ないからです。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「加えて、学問の素養は意識して隠してきた、と紫式部は言います。そのきっかけとなった言葉は「男ですら漢文の素養を鼻にかけた人は不遇になる」。「男ですら」の裏には「まして女は」というニュアンスがにじみます。「一」という文字も書かないという反応はいかにも大げさですね。が、大切なのは、紫式部が素養そのものではなく「ひけらかし」こそがいけないのだと肝に銘じたことです。こうして紫式部は、本格的な素養を内に秘めつつそれを外に表さないことを自分の主義とするに至ったのです。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
「紫式部は、幼い頃に母を亡くしたか、あるいは離別したと考えられています。思春期の頃には姉を亡くしました。その姉の代わりにと慕った親友も、家族とともに九州の地に下り亡くなってしまいました。が、それら相次ぐ死のあげくに更に大きな打撃を彼女に与えたのが、夫の死でした。夫藤原宣孝は『枕草子』「あはれなるもの」にも酔狂な性格の一端を記される人物ですが、紫式部とは親子ほどの年齢差がありました。また紫式部以前に数人の妻がありました。それでも結婚のときには「百年添い遂げよう」「行く末深い縁で結ばれているのだ」と歌を詠んでくれる優しい人でした。学問好きで気難しい父に比べ、舞が上手だったり世渡りにたけていたりという面もありました。その彼が、結婚後たった三年で亡くなってしまったのです。紫式部はその悲しみの中で、逃れ難い現実というもの、無常という宿命、それでも薄紙を剝ぐように回復してゆく心など、人という存在の深みを思い知ってゆきます。これらのことは皆、紫式部の和歌集『紫式部集』から見えてくることです。」
—『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』紫式部著
Posted by ブクログ
p373
源氏物語で光源氏が死ぬ時に『雲隠』って全く何も書かれてない章を作って死を暗示させる手法オシャレすぎん?びっくりした。ジョン・ケージ『4分33秒』の先を行ってない?
源氏物語の匂宮の薫の体臭ってワキガのことかな?平安時代、ワキガのにおいが良い匂いだった可能性もあるよね?ワキガってフェロモンじゃん。クレオパトラも強いワキガ説あるし。
一番好きな小説、源氏物語与謝野晶子訳になった。
与謝野源氏面白すぎたけど、解説書が面白いとは限らない所が苦しいな。なんか芸術作品って本物を分からなくてもいいから自分の中に大事に焼き付ける方がいいのかなと思った。解説書読んで分かった気になりたくないと思い始めた。芸術作品って決して分かる事がメインではなくて、実物に対峙して感じる事の方が大事だと思い始めた。
目次
★桐壺
★帚木ははきぎ
空蟬うつせみ
★夕顔
★若紫わかむらさき
★末摘花すえむつはな
紅葉賀もみじのが
花宴はなのえん
★ 葵あおい
榊さかき
花散里はなちるさと
与謝野源氏、和歌に解釈が無いのがダメって言われてるけど、和歌って音楽みたいなもんだし、そんな意味に執着するより音を楽しむ方がいいと思うから解釈入れなくても私はいいとは思った。話の流れの中でだいたいどんな歌なのか分かるし、解釈入れると物語→歌→物語のリズム崩す気がする。今与謝野源氏しか読んでないからまだ分からないけど。
「桐壺紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし(晶子) どの天皇〔*〕様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の焰を燃やさないわけもなかった。夜の御殿の宿直所から退る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜しがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよ帝はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。御聖徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなことにもなりかねない状態になった。高官たちも殿上役人たちも困って、御覚醒になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの御寵愛ぶりであった。唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の女の出現によって乱が醸されたなどと蔭ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩いだとされるに至った。馬嵬の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。父の大納言はもう故人であった。母の未亡人が生まれのよい見識のある女で、わが娘を現代に勢力のある派手な家の娘たちにひけをとらせないよき保護者たりえた。それでも大官の後援者を持たぬ更衣は、何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「桐壺紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし(晶子) どの天皇〔*〕様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の焰を燃やさないわけもなかった。夜の御殿の宿直所から退る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜しがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよ帝はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。御聖徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなことにもなりかねない状態になった。高官たちも殿上役人たちも困って、御覚醒になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの御寵愛ぶりであった。唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の女の出現によって乱が醸されたなどと蔭ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩いだとされるに至った。馬嵬の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。父の大納言はもう故人であった。母の未亡人が生まれのよい見識のある女で、わが娘を現代に勢力のある派手な家の娘たちにひけをとらせないよき保護者たりえた。それでも大官の後援者を持たぬ更衣は、何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「帝の深い愛を信じながらも、悪く言う者と、何かの欠点を捜し出そうとする者ばかりの宮中に、病身な、そして無力な家を背景としている心細い更衣は、愛されれば愛されるほど苦しみがふえるふうであった。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着の式が行なわれた。前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手な準備の費用が宮廷から支出された。それにつけても世間はいろいろに批評をしたが、成長されるこの皇子の美貌と聡明さとが類のないものであったから、だれも皇子を悪く思うことはできなかった。有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、こんな人も人間世界に生まれてくるものかと皆驚いていた。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「女も人間である以上、社会百般のことについてまったくの無知識なものはないわけです。わざわざ学問はしなくても、少し才のある人なら、耳からでも目からでもいろいろなことは覚えられていきます。自然男の知識に近い所へまでいっている女はつい漢字をたくさん書くことになって、女どうしで書く手紙にも半分以上漢字が混じっているのを見ると、いやなことだ、あの人にこの欠点がなければという気がします。書いた当人はそれほどの気で書いたのではなくても、読む時に音が強くて、言葉の舌ざわりがなめらかでなく嫌味になるものです。これは貴婦人もするまちがった趣味です。歌詠みだといわれている人が、あまりに歌にとらわれて、むずかしい故事なんかを歌の中へ入れておいて、そんな相手になっている暇のない時などに詠みかけてよこされるのはいやになってしまうことです、返歌をせねば礼儀でなし、またようしないでいては恥だし困ってしまいますね。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「「出来心のようにあなたは思うでしょう。もっともだけれど、私はそうじゃないのですよ。ずっと前からあなたを思っていたのです。それを聞いていただきたいのでこんな機会を待っていたのです。だからすべて皆前生の縁が導くのだと思ってください」」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「などとこぼしてみせたりしたが、このほかには最初夕顔の花を折りに行った随身と、それから源氏の召使であるともあまり顔を知られていない小侍だけを供にして行った。それから知れることになってはとの気づかいから、隣の家へ寄るようなこともしない。女のほうでも不思議でならない気がした。手紙の使いが来るとそっと人をつけてやったり、男の夜明けの帰りに道を窺わせたりしても、先方は心得ていてそれらをはぐらかしてしまった。しかも源氏の心は十分に惹かれて、一時的な関係にとどめられる気はしなかった。これを不名誉だと思う自尊心に悩みながらしばしば五条通いをした。恋愛問題ではまじめな人も過失をしがちなものであるが、この人だけはこれまで女のことで世間の批難を招くようなことをしなかったのに、夕顔の花に傾倒してしまった心だけは別だった。別れ行く間も昼の間もその人をかたわらに見がたい苦痛を強く感じた。源氏は自身で、気違いじみたことだ、それほどの価値がどこにある恋人かなどと反省もしてみるのである。驚くほど柔らかでおおような性質で、深味のあるような人でもない。若々しい一方の女であるが、処女であったわけでもない。貴婦人ではないようである。どこがそんなに自分を惹きつけるのであろうと不思議でならなかった。わざわざ平生の源氏に用のない狩衣などを着て変装した源氏は顔なども全然見せない。ずっと更けてから、人の寝静まったあとで行ったり、夜のうちに帰ったりするのであるから、女のほうでは昔の三輪の神の話のような気がして気味悪く思われないではなかった。しかしどんな人であるかは手の触覚からでもわかるものであるから、若い風流男以外な者に源氏を観察していない。やはり好色な隣の五位が導いて来た人に違いないと惟光を疑っているが、その人はまったく気がつかぬふうで相変わらず女房の所へ手紙を送って来たり、訪ねて来たりするので、どうしたことかと女のほうでも普通の恋の物思いとは違った煩悶をしていた。源氏もこんなに真実を隠し続ければ、自分も女のだれであるかを知りようがない、今の家が仮の住居であることは間違いのないことらしいから、どこかへ移って行ってしまった時に、自分は呆然とするばかりであろう。行くえを失ってもあきらめがすぐつくものならよいが、それは断然不可能である。世間をはばかって間を空ける夜などは堪えられない苦痛を覚えるのだと源氏は思って、世間へはだれとも知らせないで二条の院へ迎えよう、それを悪く言われても自分はそうなる前生の因縁だと思うほかはない、自分ながらもこれほど女に心を惹かれた経験が過去にないことを思うと、どうしても約束事と解釈するのが至当である、こんなふうに源氏は思って、「あなたもその気におなりなさい。私は気楽な家へあなたをつれて行って夫婦生活がしたい」こんなことを女に言い出した。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「壁の中で鳴くといわれて人間の居場所に最も近く鳴くものになっている蟋蟀でさえも源氏は遠くの声だけしか聞いていなかったが、ここではどの虫も耳のそばへとまって鳴くような風変わりな情趣だと源氏が思うのも、夕顔を深く愛する心が何事も悪くは思わせないのであろう。白い袷に柔らかい淡紫を重ねたはなやかな姿ではない、ほっそりとした人で、どこかきわだって非常によいというところはないが繊細な感じのする美人で、ものを言う様子に弱々しい可憐さが十分にあった。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「「つまらない隠し合いをしたものだ。私の本心ではそんなにまで隠そうとは思っていなかった。ああいった関係は私に経験のないことだったから、ばかに世間がこわかったのだ。御所の御注意もあるし、そのほかいろんな所に遠慮があってね。ちょっとした恋をしても、それを大問題のように扱われるうるさい私が、あの夕顔の花の白かった日の夕方から、むやみに私の心はあの人へ惹かれていくようになって、無理な関係を作るようになったのもしばらくしかない二人の縁だったからだと思われる。しかしまた恨めしくも思うよ。こんなに短い縁よりないのなら、あれほどにも私の心を惹いてくれなければよかったとね。まあ今でもよいから詳しく話してくれ、何も隠す必要はなかろう。七日七日に仏像を描かせて寺へ納めても、名を知らないではね。それを表に出さないでも、せめて心の中でだれの菩提のためにと思いたいじゃないか」 と源氏が言った。「お隠しなど決してしようとは思っておりません。ただ御自分のお口からお言いにならなかったことを、お亡れになってからおしゃべりするのは済まないような気がしただけでございます。御両親はずっと前にお亡くなりになったのでございます。殿様は三位中将でいらっしゃいました。非常にかわいがっていらっしゃいまして、それにつけても御自身の不遇をもどかしく思召したでしょうが、その上寿命にも恵まれていらっしゃいませんで、お若くてお亡くなりになりましたあとで、ちょっとしたことが初めで頭中将がまだ少将でいらっしったころに通っておいでになるようになったのでございます。三年間ほどは御愛情があるふうで御関係が続いていましたが、昨年の秋ごろに、あの方の奥様のお父様の右大臣の所からおどすようなことを言ってまいりましたのを、気の弱い方でございましたから、むやみに恐ろしがっておしまいになりまして、西の右京のほうに奥様の乳母が住んでおりました家へ隠れて行っていらっしゃいましたが、その家もかなりひどい家でございましたからお困りになって、郊外へ移ろうとお思いになりましたが、今年は方角が悪いので、方角避けにあの五条の小さい家へ行っておいでになりましたことから、あなた様がおいでになるようなことになりまして、あの家があの家でございますから侘しがっておいでになったようでございます。普通の人とはまるで違うほど内気で、物思いをしていると人から見られるだけでも恥ずかしくてならないようにお思いになりまして、どんな苦しいことも寂しいことも心に納めていらしったようでございます」」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「源氏は瘧病にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持も受けていたが効験がなくて、この病の特徴で発作的にたびたび起こってくるのをある人が、「北山の某という寺に非常に上手な修験僧がおります、去年の夏この病気がはやりました時など、まじないも効果がなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと癒りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」 こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。「老体になっておりまして、岩窟を一歩出ることもむずかしいのですから」 僧の返辞はこんなだった。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「源氏の君の夕顔を失った悲しみは、月がたち年が変わっても忘れることができなかった。左大臣家にいる夫人も、六条の貴女も強い思い上がりと源氏の他の愛人を寛大に許すことのできない気むずかしさがあって、扱いにくいことによっても、源氏はあの気楽な自由な気持ちを与えてくれた恋人ばかりが追慕されるのである。どうかしてたいそうな身分のない女で、可憐で、そして世間的にあまり恥ずかしくもないような恋人を見つけたいと懲りもせずに思っている。少しよいらしく言われる女にはすぐに源氏の好奇心は向く。さて接近して行こうと思うのにはまず短い手紙などを送るが、もうそれだけで女のほうからは好意を表してくる。冷淡な態度を取りうる者はあまりなさそうなのに源氏はかえって失望を覚えた。ある場合条件どおりなのがあっても、それは頭に欠陥のあるのとか、理智一方の女であって、源氏に対して一度は思い上がった態度に出ても、あまりにわが身知らずのようであるとか思い返してはつまらぬ男と結婚をしてしまったりするのもあったりして、話をかけたままになっている向きも多かった。空蟬が何かのおりおりに思い出されて敬服するに似た気持ちもおこるのであった。軒端の荻へは今も時々手紙が送られることと思われる。灯影に見た顔のきれいであったことを思い出しては情人としておいてよい気が源氏にするのである。源氏の君は一度でも関係を作った女を忘れて捨ててしまうようなことはなかった。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「体裁よく言って、次の室との間の襖子を命婦自身が確かに閉めて、隣室へ源氏の座の用意をしたのである。源氏は少し恥ずかしい気がした。人としてはじめて逢う女にはどんなことを言ってよいかを知らないが、命婦が世話をしてくれるであろうと決めて座についた。乳母のような役をする老女たちは部屋へはいって宵惑いの目を閉じているころである。若い二、三人の女房は有名な源氏の君の来訪に心をときめかせていた。よい服に着かえさせられながら女王自身は何の心の動揺もなさそうであった。男はもとよりの美貌を目だたぬように化粧して、今夜はことさら艶に見えた。美の価値のわかる人などのいない所だのにと命婦は気の毒に思った。命婦には女王がただおおようにしているに相違ない点だけが安心だと思われた。会話に出過ぎた失策をしそうには見えないからである。自分の責めのがれにしたことで、気の毒な女王をいっそう不幸にしないだろうかという不安はもっていた。源氏は相手の身柄を尊敬している心から利巧ぶりを見せる洒落気の多い女よりも、気の抜けたほどおおようなこんな人のほうが感じがよいと思っていたが、襖子の向こうで、女房たちに勧められて少し座を進めた時に、かすかな衣被香のにおいがしたので、自分の想像はまちがっていなかったと思い、長い間思い続けた恋であったことなどを上手に話しても、手紙の返事をしない人からはまた口ずからの返辞を受け取ることができなかった。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「二条の院へ帰って源氏の見た、半分だけ大人のような姿の若紫がかわいかった。紅い色の感じはこの人からも受け取れるが、こんなになつかしい紅もあるのだったと見えた。無地の桜色の細長を柔らかに着なした人の無邪気な身の取りなしが美しくかわいいのである。昔風の祖母の好みでまだ染めてなかった歯を黒くさせたことによって、美しい眉も引き立って見えた。自分のすることであるがなぜつまらぬいろいろな女を情人に持つのだろう、こんなに可憐な人とばかりいないでと源氏は思いながらいつものように雛遊びの仲間になった。紫の君は絵をかいて彩色したりもしていた。何をしても美しい性質がそれにあふれて見えるようである。源氏もいっしょに絵をかいた。髪の長い女をかいて、鼻に紅をつけて見た。絵でもそんなのは醜い。源氏はまた鏡に写る美しい自身の顔を見ながら、筆で鼻を赤く塗ってみると、どんな美貌にも赤い鼻の一つ混じっていることは見苦しく思われた。若紫が見て、おかしがって笑った。「私がこんな不具者になったらどうだろう」 と言うと、「いやでしょうね」 と言って、しみ込んでしまわないかと紫の君は心配していた。源氏は拭く真似だけをして見せて、「どうしても白くならない。ばかなことをしましたね。陛下はどうおっしゃるだろう」 まじめな顔をして言うと、かわいそうでならないように同情して、そばへ寄って硯の水入れの水を檀紙にしませて、若紫が鼻の紅を拭く。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「源氏は見馴れているせいか女官たちへはその意味の好意を見せることは皆無であったから、怪しがってわざわざその人たちが戯談を言いかけることがあっても、源氏はただ冷淡でない程度にあしらっていて、それ以上の交際をしようとしないのを物足らず思う者さえあった。よほど年のいった典侍で、いい家の出でもあり、才女でもあって、世間からは相当にえらく思われていながら、多情な性質であってその点では人を顰蹙させている女があった。源氏はなぜこう年がいっても浮気がやめられないのであろうと不思議な気がして、恋の戯談を言いかけてみると、不似合いにも思わず相手になってきた。あさましく思いながらも、さすがに風変わりな衝動を受けてつい源氏は関係を作ってしまった。噂されてもきまりの悪い不つりあいな老いた情人であったから、源氏は人に知らせまいとして、ことさら表面は冷淡にしているのを、女は常に恨んでいた。典侍は帝のお髪上げの役を勤めて、それが終わったので、帝はお召かえを奉仕する人をお呼びになって出てお行きになった部屋には、ほかの者がいないで、典侍が常よりも美しい感じの受け取れるふうで、頭の形などに艶な所も見え、服装も派手にきれいな物を着ているのを見て、いつまでも若作りをするものだと源氏は思いながらも、どう思っているだろうと知りたい心も動いて、後ろから裳の裾を引いてみた。はなやかな絵をかいた紙の扇で顔を隠すようにしながら見返った典侍の目は、瞼を張り切らせようと故意に引き伸ばしているが、黒くなって、深い筋のはいったものであった。妙に似合わない扇だと思って、自身のに替えて源典侍のを見ると、それは真赤な地に、青で厚く森の色が塗られたものである。横のほうに若々しくない字であるが上手に「森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし」という歌が書かれてある。厭味な恋歌などは書かずともよいのにと源氏は苦笑しながらも、「そうじゃありませんよ、『大荒木の森こそ夏のかげはしるけれ』で盛んな夏ですよ」」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「この七月に皇后の冊立があるはずであった。源氏は中将から参議に上った。帝が近く譲位をあそばしたい思召しがあって、藤壺の宮のお生みになった若宮を東宮にしたくお思いになったが将来御後援をするのに適当な人がない。母方の御伯父は皆親王で実際の政治に携わることのできないのも不文律になっていたから、母宮をだけでも后の位に据えて置くことが若宮の強味になるであろうと思召して藤壺の宮を中宮に擬しておいでになった。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「天子が新しくお立ちになり、時代の空気が変わってから、源氏は何にも興味が持てなくなっていた。官位の昇進した窮屈さもあって、忍び歩きももう軽々しくできないのである。あちらにもこちらにも待って訪われぬ恋人の悩みを作らせていた。そんな恨みの報いなのか源氏自身は中宮の御冷淡さを歎く苦しい涙ばかりを流していた。位をお退きになった院と中宮は普通の家の夫婦のように暮らしておいでになるのである。前の弘徽殿の女御である新皇太后はねたましく思召すのか、院へはおいでにならずに当帝の御所にばかり行っておいでになったから、いどみかかる競争者もなくて中宮はお気楽に見えた。おりおりは音楽の会などを世間の評判になるほど派手にあそばして、院の陛下の御生活はきわめて御幸福なものであった。ただ恋しく思召すのは内裏においでになる東宮だけである。御後見をする人のないことを御心配になって、源氏へそれをお命じになった。源氏はやましく思いながらもうれしかった。」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著
「この花は比較にならないものとあなた様のお目には見えるでございましょう。 こう挨拶をさせたのである。撫子にたとえられた幼児はほんとうに花のようであった。宮様の涙は風の音にも木の葉より早く散るころであるから、まして源氏の歌はお心を動かした。今も見てなかなか袖を濡らすかな垣ほあれにしやまと撫子 というお返辞があった。 源氏はまだつれづれさを紛らすことができなくて、朝顔の女王へ、情味のある性質の人は今日の自分を哀れに思ってくれるであろうという頼みがあって手紙を書いた。もう暗かったが使いを出したのである。親しい交際はないが、こんなふうに時たま手紙の来ることはもう古くからのことで馴れている女房はすぐに女王へ見せた。秋の夕べの空の色と同じ唐紙に、わきてこの暮こそ袖は露けけれ物思ふ秋はあまた経ぬれど」
—『全訳 源氏物語 一 新装版 (角川文庫)』紫式部, 與謝野 晶子著