紫式部研究者が病膏肓に入って遂に小説に手を染めたかと思いきや、著者によると、あくまで評伝であり、紫式部日記及び紫式部集という、式部が独白体で自らを語った資料に依拠するからには、「本書も、本人の独白の形をとらなくてはならないと考えた」とのこと(あとがき)。著者自ら「冒険的」な試みと述べているが、正直、フィクションでなく評伝なのであれば、1人称にしなかったほうがよいのではないかと思う箇所が結構あった。また、基本的に、結構年行ってから振り返る(後年にならないと得られない知見による記述があるため)という視点で叙述されているようだが(その時点は明示されていない)、若干揺らぎがあるように感じた。
・本書は、歌のやりとりが家集に残る「姉君」との交流で始まるが、この血のつながらない「姉君」が誰かは記されない。研究上、判明していないからだと思うが、1人称で語られる場合、なんとも不自然でもどかしい。また、「道長妾」の真相については口をつぐむのは、史料からは事実がわからないからだろうが、踏み込んだ内心を綴る独白体という形式からすると、白々しい印象を与える。
・漢学の才はろくでもない、それをひけらかす者には惨めな末路が待っているとして、高階成忠やその女婿一家である中関白家を謗っているが、1人称だと生々しすぎて、紫式部が悪口ばっか言うイヤな人間に感じられる(そう表現したくてそうしているのかもしれないが。プライド高いくせに(から?)うじうじ言っている、かなりメンドクサイ性格に描かれているので。中宮彰子に仕える者として、中関白家周辺への反感を隠さないのは、人口に膾炙するするとおりで、当然清少納言の悪口も言っているが、「清少納言と〔曾祖父は中納言であった〕私のことを、同じ受領階級に属するなどと、一緒にしないでほしいものだ。」(p.35)とか、また、漢学への屈折した思いを記しつつ、父為時に越前守をかっさらわれて失意の内に亡くなった源国盛について「だが父と違って漢文ができなかったのだもの、すまないが仕方がないと思うしかない。」(p.60)とか、相当感じ悪い)。
・基本的に紫式部視点で、式部が知りえなかったことは知らなかったこととして記述されるので、客観的にどうだったかが表現できない。例えば、長徳の変や寛弘の呪詛事件など、伊周の失脚に係る事件について、「道長殿にとっては、静観している間に敵が自滅してくれる(略)」(p.60)、「殿が指一つ動かさぬうちに」(p.198)というのは、3人称つまり通常の評伝だったら、別の観点での指摘も入れることができたであろう。一条帝が譲位に当たって長子の敦康の立坊を「意外なほどあっけなく折れてしまわれた。」(p.276)というのも(本書では、古日記・古記録(どころか栄花物語まで)の記述でも、内容が紫式部が属す世間が知りうるものであれば使っているが、天皇と藤原行成のさしの交渉のようなことは、紫式部は知らないこととして記述されていると思われる)。
・リアルにはライバルになりようもなかった清少納言を紫式部日記でああも口汚く罵ったのは、枕草子による定子後宮の残影が彰子後宮にとって不都合だったから、ということを論じており、あの悪口につながるように、枕草子記述についても、「空虚な嘘」「定子様をことさらに美化するための欺瞞」(p.213)と強い言葉で非難している。1人称小説だったら自然でも、評伝として考えるとドン引き。他の著書では、これゆえにこそ枕草子を評価しているわけで、あくまで紫式部として書いているわけだが、学術書です、と言われると、反発を感ぜずにいられない…。
・紫式部日記に記された左京の君事件(いじめ)に、「汚点」として1章を割いて、娘への告白と教訓としているが、同じ事件を紫式部集では取り繕って記し(正に欺瞞!)、しかも、「それを恥ずかしいと思うだけの分別が、今の私にはある。」(p.255)などと、悦に入るは、日記の後年の段で別の女房仲間への悪口に乗らなかった(といっても、こっちの悪口は衣裳の色合わせがダサい、程度のもの)ことを記し、「自律した自分の姿を記すことができた」(p.256)とこれまた悦に入るはで、いじめた側あるあるとは言え、胸糞悪い。これも、3人称で論述すれば、普通に興味深い分析だと思ったと思うのだが。
・一条帝の辞世の「君」については、紫式部であっても、(『源氏物語の時代』同様)両論併記している。本書でのキモは、源氏中の自歌が本歌になっているのかも!というところなので、それには、君=定子とした場合の歌の解釈が1クッション入るほうが、わかりやすいからかもしれない。ところで、現実問題、このとき一条にとって最も懸案だったのは敦康の処遇だったと思うので、この子を濁世において逝くのが心配だよ、というのが一番しっくりくると思うのだが、そういう解釈はないのは、「君」は女君しかありえないから、なんだろうか。
それにしても、一条の急逝ぶりは、陰謀論者だったら、道長による謀殺を疑うところだよね。ただ、それだったら、三条もとっととヤられてないとおかしいから、そんなことないんでしょうけど。一体何の病だったのだろう。
父の赴任先での弟の客死と、それを嘆く父への思いなどは、1人称ならではの魅力が出ていた。
まあ、第三者的な記述はさんざんしてきた著者が、それでは飽き足らず、敢えてこの冒険に挑んだのだから、読者のモヤモヤは想定内で、それを超えた思いを受け取ってくれ! ってことなのかな。