宮下遼のレビュー一覧
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ネタバレ『藪の中』in イスタンブール。
そこに芸術論と文明論が差し込まれている。モザイク画を見ているような印象を受けるのは、語り手が章ごとに異なるから。
もしかしたら登場人物全員、実は挿絵の中に描かれた絵で、写本の読み手に話しかけている、という趣向の小説なのかも。
この作品が成功しているのは、作中で語られる「一人称視点」の問題が構成とストーリーの両方に深く関係しているからだと思う。
小説において「三人称」は「神の視点」、「一人称」は「個人の視点」というのは論を待たないだろう。この小説では一つの出来事が「一人称」で語られるために、いつまで経っても真実が明らかにならない。それぞれの人物に、それぞれの真 -
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いや、これきたね。上巻読み終わった時は、音読したら文字が途切れず酸欠になるほどの圧倒的文字量と、のべつまくなし面倒くさすぎる登場人物に心折れそうになるも、ジワジワくるものあり、下巻を時間を空けて読み始めたら、まぁ、これがのっけから、上巻の凪がいっきにぐらんぐらんと大きな渦になって、あれれって間に巻き込まれちゃって、どんどこ先が読みたくなって、あれよあれよと完読してしまった。
誰が殺人を犯したかとか、東西の相克とか、そんなんはどうでもよくなって、坩堝な地相のイスタンブールそのものの物語として、その甘美で残酷な美を堪能しようではないか、なんてな。 -
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芥川賞や直木賞なんて世界の文学賞のうちに入るのだろうか?日本の作家が書いた日本語の小説しか対象になっていないのに。なんてことを思ったけれども、読んでみました。今年も話題になっているのは、もちろんノーベル文学賞。村上春樹さんがとるかどうか、メディアで騒がれました。この本を読むとわかるのですが、その根拠になっているのがカフカ賞。この賞をとった人が二人、ノーベル文学賞をダブル受賞しているんだそうで、まだ受賞してないのが村上春樹なんだそうです。カフカ賞はチェコ語の翻訳が一冊は出ていないと受賞できないそうで、村上春樹がとった2006年は『海辺のカフカ』が翻訳された年。タイトルがよかった?
そのノーベル -
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(承前)対立するのは、イデオロギーだけではない。親友と従兄弟、妻ライハと義妹サミハ、首都イスタンブルと故郷アナトリア、無神論と神秘主義、進学と就業、と数え上げていけばきりがないほど、メヴルトは相反するものの間に立たされる。あちらを立てればこちらが立たないという二律背反状況をどうさばいて見せるか、というのがこの小説の見所だ。どちらかといえば、さばくどころか、あっちへよろよろ、こっちへよろよろと腰の定まらないメヴルトの迷走ぶりを面白がるという方があたっているが。
よくよく考えてみれば、メヴルトが肩に担いでいる担ぎ棒はその両側に盥を吊るしている。荷の重さで片側に傾けばまともに担ぐことはかなわない。 -
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“わたしたちは他人の苦悩であるとか、愛であるとかを理解することが、果たしてできるのだろうか?自分よりもなお深い苦悩を抱え、貧困にあえぎ、虐げられる人々を理解することができるのだろうか?”
作中で問いかけられるこの言葉について考える。
そして舞台である中東の情勢や、宗教などについて自分はまだまだ知らないことが多く、理解するにはほど遠いことを思い知る。それでも、知らないことに気付き、考え、知ろうとするきっかけをこの本に与えてもらえたと思う。
灰色に沈む雪に閉ざされた街の陰鬱さが、何故か美しく思えてしまった。
雪と共にKaに詩想が舞い降りたのだろうなぁ。 -
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上巻の「赤」が恍惚として扇情的で、色鮮やかな原色の「赤」だったとしたら、下巻の「赤」は暗く、深く、いくつもの色が混ざり合った「赤」なのだろう。
幾つもの血が流され、混じり合い、赤は濃さを増していく。トルコという地で東と西が混ざり合い、16世紀という時代に旧い様式と新しい手法が交わり合ったみたいに。
『お前はどうして純粋であろうとする? わたしたちのようにここに留まれ。そして交わり合うんだ』
一つの文化が失われていく瞬間が、一人の絵師の死という形で語られているように思った。その絵師に掛けられるこの言葉は、混じり合う文化の中で失われてしまった「細密画」そのものへの哀惜と追悼の辞に思える。
今度