宮下遼のレビュー一覧
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決して小難しい小説ではない。むしろ平易で、ほんの少しだけでも時代背景やイスラム教の知識があれば読むのに苦労はないはず。さらに言えばミステリーあり恋愛ありの堂々たるエンタメ小説である。それでも、まだ何か掴みきれていないように感じさせる奥行きがある。イスタンブールの丘と路地を思い起こす
偶像崇拝が禁じられている文化での絵師の立ち位置
あくまでも物語の挿絵として
細密画に絵師のサインを残すべきか否か
神の恩恵として盲目を渇望する老絵師
西洋文化への警戒と憧憬
多民族国家オスマン帝国
他視点での語り。くわえて死者が語る、物が語る、絵が語る
第4の壁をうちこわして読者へ語りかける -
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オスマン帝国における細密画絵師たちの世界。名人絵師は対象を実際に目撃することなしに描くことを良しとし、いずれは盲目になることをむしろ望んだ等々のくだりは我々の理解の範疇を超えているが、自身の個性などは超越し神の目線で描くことに徹するという絶対的な価値観には瞠目させられる。宗教の待つ矛盾や理不尽と本来誰もが持つヒューマニティの葛藤。
上巻から不穏なまま続く殺人事件の犯人探しは最後の最後に判明するが、エンディングはやはりほろ苦く悲劇的だ。歴史の理不尽さに唸らされる。
我々の常識とは全く異なる異世界と価値観世界観。読書の醍醐味を存分に楽しめる長編。
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架空の歴史物。うっかり本当の話かと思って読み始めたものの、文中で「作者は女性」といいつつ、著者近影は明らかにおじさんだったので、なるほど架空歴史ね!と気づきました。笑
とはいえ、地中海の穏やかな海と温暖な気候、豊かな自然とバラの香りに包まれたミンゲル島の景色が目に浮かぶようです。
その綺麗な景色が、感染症に侵食されてじわりじわりと変貌していく。特にその人間の心理…感染症への対策をする政府、見て見ぬ振りをする一般の人、周りの人々がなぜそんな行動をするのか理解できずに嘆く知識人……コロナ禍で散々見た光景でありながら、それを一つ俯瞰したところから見れるのが面白いです。この災厄がどう収束するのか楽しみ -
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イスタンブール旅行に行くことになったため、歴史や風習を知りたいと思い手に取った
まず気付かされたのが、ローマ帝国の東西分裂以降、イスタンブールが1600年もの間、世界帝都として存在していたこと。ヨーロッパとアジアを結び、黒海と地中海に囲まれ、貿易や政治・統治の要衝地として、誇り高い歴史を持った街であることが分かった。同時に、マスタファ・ケマルによるトルコ共和国成立以降の、西洋と融合した複雑な文化・アイデンティティーについて学ぶことができた。
本著では有名なモスクからマニアックなカトリック教会まで、建設当時の歴史を深い洞察で説明されていてとても勉強になり、興味深かった。実際にイスタンブールに言っ -
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ネタバレトルコで初のノーベル文学賞受賞者となった小説家による2016年の小説。ギリシャの古典『オイディプス王』と、ペルシャの古典『王書』で共通して描かれるテーマが描かれる作品。読む前に悲劇、というのは知っていたけど、思ってたのとは違う形で悲劇が用意されていた。
これも雑誌「英語教育」のアジア文学特集で紹介されていて読んでみたいと思ったが(「井戸掘り職人」なんて職業の小説、なんか東大の小説問題で出てきそう、とか思ったり)、この前のタイの小説、『パンダ』の時よりもインパクトが強く、この小説家の作品をもっと読んでみたいと思った。あとこの翻訳した人が本当に違和感ない日本語にしているところも読みやすい。
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ー 「絵や挿絵、美麗な書物に耽溺するあらゆるハーンや王、皇帝たちの関心には三つの季節があるのだよ。はじめの季節には、物おじせず夢中になって、心惹かれる。そして、他人に見せるためや、名声のために絵を求める。
最初の季節で絵についての見識を深めたなら、第二の季節には自分好みの絵を描かせるようになる。 絵を眺めるという真摯な喜びを学び、名声もおのずと高まり、死してのちも語り継がれるような事績をこの世に残そうと、それに見合った書物を集めはじめるのだ。
しかし人生の秋が訪れる。もはや、いかなる皇帝もこの世における不死には興味を示さなくなる。この場合の不死とは、続く世代や子孫たちの記憶に留まるという意 -
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心と時間にゆとりがないと読み続けられないのは 確か。
ノーベル賞プライズ☆彡と噛みしめ読むに値するか否かは、読み手の想いに添うと。
他者が「この素晴らしさ」を解いたところで圧になるのは笑止。
ラストの盛り上がり?が一番納得した展開だった。
「神の思し召しが一番最後となりますように」とまで言われて取り組んだ 来し方の総決算とは。。。
ケマルが「自らの物語を綴れる」と確信した相手 オルハン氏が登場する所が愉しい~もっとも 会って話したかったのはフェスン(100%の人がそう思うだろう)ネスィベの語りに、新たな発見は皆無~当然
上下巻通じて重奏低音のイスタンブールの空気感は素晴らしい。上下2 -
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ネタバレp11
ところで話は変わるが、そもそも私たちがよく口にする「考える」という行為はいったい何なのだろう?
p15
辺りにはまだ甘い火薬の匂いが漂っている。
p150
イラン人は、西欧化するあまりに過去の詩人たちや物語を忘れてしまったトルコ人とは違うんですよ、と彼女は言いたかったのかもしれない。確かに彼らイラン人は詩人のことを決して忘れないから。
p163
つまるところ私は、頼りがいのある父親から、人は何をすべきで、何をすべきではないのかを教えて欲しかったのだ。
p167
私たちはいまさら勇者とかロスタムとかが出てくる古い物語を読んで喜ぶような世界で暮らしていないもの。
p264
どち -
Posted by ブクログ
ネタバレ『藪の中』in イスタンブール。
そこに芸術論と文明論が差し込まれている。モザイク画を見ているような印象を受けるのは、語り手が章ごとに異なるから。
もしかしたら登場人物全員、実は挿絵の中に描かれた絵で、写本の読み手に話しかけている、という趣向の小説なのかも。
この作品が成功しているのは、作中で語られる「一人称視点」の問題が構成とストーリーの両方に深く関係しているからだと思う。
小説において「三人称」は「神の視点」、「一人称」は「個人の視点」というのは論を待たないだろう。この小説では一つの出来事が「一人称」で語られるために、いつまで経っても真実が明らかにならない。それぞれの人物に、それぞれの真