宮下遼のレビュー一覧
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イスラム教では偶像崇拝が禁止されている。そしてそれが徹底しているが故に絵画芸術の発展が非常に限定的になってしまった。
神を現した像も、絵もその制作は許されない。絵に描けるものは神の眼で見られたものだけに限られる。このため、描かれるものは、先人が描いたものの範囲を超えることはなく、絵を描く者はひたすら模倣し続けるしかない…
そうした中でも細密画というものは発展し、名人と呼ばれる芸術家を輩出もする。
しかし、西洋絵画の発展が、細密画を追い詰めていく。
作品を芸術家そのもののものとすること、すなわち署名。そして、遠近法。
細密画は神の眼を通したものであり、細密画師個々人の手によるものの、無名(アノニマス)なものにしかなりえない。
この小説は16世紀のイスタンブールの王室の細密画工房を舞台としたもの。
一人の細密画師が殺され、やがて、第2の殺人が、その背景には、描かれてはいけない絵が絡んでいるという…
章ごとに語り手が変わり、登場人物以外にも時に死者が、絵に描かれた者や物が話を進めていくという手法は結構斬新。この時代のイスタンブールが彷彿される情景描写も素晴らしい。何といっても小説としてかなり面白く、読ませる本。
日本ではほとんど知ることの無い細密画の歴史にも触れることができるという点も興味深かった。お勧めできる本。
作者のオルハン・パムクはノーベル文学賞を受賞した人。訳者の宮下遼氏は仏文学者宮下志朗氏のご子息。宮下司朗氏は「本の都市リヨン」を書いた人で、この本も面白かった。 -
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トルコのノーベル賞作家、オルハン・パムクの作品。トルコ!トルコの小説は初めてなので、ワクワクして本を開いた。
物語の始まりは1975年、主人公は輸出会社サトサトの社長の息子、ケマル、30歳。同じように上流階級の女性スィベルとの婚約式(結婚式の前に盛大な婚約式も行う)を控え、幸せ絶頂期のはずだった。
ある日、ショーウィンドウに飾られたバッグをスィベルが「素敵ね」といったので、後日こっそり買いに行ったところ、そこにいた店員は何年も会っていない遠縁の女の子フェスン。ものすごい美人になっていた。婚約者にプレゼントするからと言ってバッグを購入してそれで終わるはずだった。
なのにスィベルにプレゼントしたところ、「あら、これ贋物よ。本物は縫い目が見えないんだから。返してきてよ」で、返しに行ったところ、またフェスンと出逢ってしまった。「傷つけてしまった」と落ち込んでいるかと思いきや、ケマルの母の所有している使っていないアパートの一室にフェスンを呼び出し受験勉強を教えてあげることを口実に、予想通りの情事。
とても長くてしつこい情事の場面。窓から聞こえてくる子供たちの声や外のキラキラしてカラッとしたイスタンブールの空気と秘密の古い部屋でのフェスンの美しさ…。子供の頃の思い出を共有する従兄妹同士の心の通い合い…。
まあ、綺麗なんですけどね。長い…
ケマルは苦悩する。目の前に広がるスィベルとの幸せな結婚生活は手放したくない!だけど、フェスンとも永遠に愛し合いたい!
失うことを知らなかったおぼっちゃんは、両方とも手に入れようとし、スィベルには何も言わず、盛大な「婚約式」を行い、そこに家族で出席していたフェスンにあろうことか「明日もあの部屋で逢おう」と約束する。
この本の表紙の絵は、標題通りの「無垢の博物館」というのが、本当にイスタンブールに実在するらしく、そこの展示品を描いたもの。この小説の中で主人公ケマルがフェスンとの思い出の品を展示するために作った博物館である。
初めから「この時の〇〇を博物館に展示している」のような記述があるので、ケマルの思惑は失敗し、幸せは破れたということは分かっている。
当たり前…だいたい「無垢の」っていうところが図々しい!と思う。
が、この上巻の最後のほうにくると単に二股かけていたことの罪の大きさに気づかなかったことだけを「無垢」と言っているのではないとだんだん分かってくる。
トルコ人の誇りとコンプレックス…。ヨーロッパとアジアの境にあり、発展した街だけれど、ヨーロッパ人ではない。「本当のヨーロッパなら」というセリフが何度も出てくる。道徳的にはイスラム側の国なので、1970年代はまだ、男女の交渉など一応ノーとされるころ。ケマルの行動はスィベル、フェスン両方の将来を傷つけることだった。そんな古い道徳観と新しい生き方の中で揺れる世代。また、ケマルの家は最初から大金持ちではなく、まだケマルが小さい頃は比較的中産階級的暮らしをしていたので、その頃を思い出させてくれるフェスンに惹かれたというのもあった。
ヨーロッパとアジアの間、伝統と進歩の間で揺れるトルコの1970年代の若者の苦悩(というにはちょっと厚かましい)、近代的な街並みと古くて混沌とした歴史的魅力のある裏通りの対比を描いた芸術的作品です。
情事長いな…というのは文学的素人の私の素朴な感想ですが、トルコの奥深い美しさを背景に「縫い目の分からない本物のブランド品」のような高級な文学なのだと思います。たぶん。
下巻へ続く。 -
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主人公の過去語りで物語は進行する。大学進学費用を稼ぐために、親方について井戸掘りに従事していた頃の話だ。日が暮れると親方と語り合い、その中に父親の息子殺し、息子の父親殺しの古典寓話で、オイディプスやロスタム(ロスタムは知らなかった)が出てくる物語だ。ほかに娯楽は街に出てお茶を飲むことぐらいだ。その街で見かけた赤い髪の女に恋をしてしまう。
親方を井戸の底に置き去りにしたことを罪に感じたまま、長じて成功した主人公がたどった物語は石川達三「青春の蹉跌」を思い起こさせるが、危篤としか言いようがない方向へ展開する。やがて語り手は転じるが、その事情は父親殺しの寓話に通じたものとなり、物語は終わる。
アジアの西端に位置するトルコ・イスタンブルの古典の物語世界と現代が通じ合い、アジアの東端に暮らす僕にとって、夢を見ているような世界だった。若者が美しい女性に憧れる感覚はアジアの西端と東端で違いはなかったけどね。 -
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オルハン・パムクの本は以前にも読んでいて、静かで美しい文章と、没入できる世界を感じていて
好みだった。
本作は代表作と謳われており、期待も高かったが、あまり面白く感じれなかった。
というよりも、本作の舞台であるオスマン帝国の時代背景や細密画の知識が私にあまりにも
欠けていたためかもしれない。
オスマン帝国を舞台に、冒頭で殺された細密画師の犯人を捜すストーリーが軸となり、
登場人物が入れ替わりで語り手となってストーリーが展開していく手法は面白い。
また、東洋で花開いた細密画の文化の衰退と西洋の絵画の手法(遠近法)がもたらしたインパクト
など、東西の文明がどのように相対立し、融合していったのかに思いを馳せることもできる。
ただ、やはり、殺人の犯人探しと12年ぶりに再会した男女のラブストーリー(とまでも言えない)
といったわかりやすい話よりも、細密画とは何か、細密画師の真の名人とは、
イスラムの世界観をどのように反映しているのか、
はたまた、細密画の伝統と美に対する西洋絵画の侵食、といった話に比重がおかれていて、
それらを面白く感じることもあれば、興味に欠けて集中力が続かないこともしばしば。
犯人は彼が描いた絵の特徴から見つけ出されるが、それもまたなんだかややこしい。
あまりに背景知識に欠けると、すっきりと頭に入ってこないなーと感じて残念。
ただ、これまで全く興味のなかった細密画の深い世界を知るきっかけになった。
ほかの本や映像で知識を深めてから、あらためて読み直すと、
傑作と呼ばれている本作の価値が分かるだろうと期待して、
今回は一旦本を閉じる。 -
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オスマン帝国末期の架空の島を舞台に、ペストの惨禍と島の独立が描かれる。語り手は女性の歴史家という想定なんだけれど、下巻を読む頃には、私の中では語り手がオルハン・パムクになっていた。
疫病をめぐる諸々については、20世紀初頭の物語ではあるけれど、コロナ禍を経験した21世紀の読者にはとても身近に感じられるかもしれない。消毒と隔離、外出禁止という政策はまったく同じ。イスラム教とギリシャ正教の対立という宗教的な要素や、クレタ難民、欧州諸国の海上封鎖、帝国からの独立という筋書きがトルコらしいところ。
個人的にトルコの歴史には疎いので、どのあたりが史実とフィクションの境目なのかよくわからないまま読み進んだけれど、大まかに、帝国末期の様子が反映されているのだろうと思いつつ楽しんだ。 -
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ネタバレ数ヶ月前に読んだ同じ著者の『赤い髪の女』がとても面白くて、ぜひ同じ著者の本を読んでみたいと思って読んだ本。歴史と美術が関係していてミステリーらしい、ということがあらすじで分かり、なんかダヴィンチ・コードみたい、ぜひ読んでみたい、と思って読んだ。「訳者あとがき」に書いてあるあらすじがとても分かりやすいので、少し引用する。
「舞台はイスラム暦一千年紀の終わりがおし迫る十六世紀末のイスタンブル。半世紀前には栄華を極めたオスマン帝国も、隣国であるサファヴィー朝ペルシアとの長い戦に疲弊し、巷には雁金が横行、人々は音曲や絵画、葡萄酒や珈琲に耽溺し、そうした不品行を過激に糺そうとするエルズルム出身の説教師とその一党が帝都には跋扈している。そんなある日、皇帝の細密画工房に属する絵師が何者かの手によって謀殺された。その背後には、愚像崇拝を固く戒めるイスラムの教義とは相いれない、秘密の装飾写本の存在が見え隠れするのだが、犯人の正体は杳として知れない。ときを同じくして十二年ぶりに帰京した主人公の一人カラは、否応なしにその事件の解決を迫れていくー」(p.427-8)という話。それぞれの章で、「わたしは○○」と言ってそれぞれの立場でストーリが語られていき、死人や動物、悪魔までが話し出し、タイトルにもなっている「赤」色が自分のストーリーを語るという、何とも独特な形式。「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」という章がいくつか挟まったりして、ドキドキしながらページをめくることになる。
(ここからはネタバレになります。)正直言って、結構読むのにエネルギーを使った。中東の歴史におれが馴染みがないことも大きな理由だし、結構ストーリーの展開がゆっくりで、なかなか見えてこない。あと、拷問とかグロテスクな描写とか、生々しい筆致はすごいと思うけど、別にそんなに読みたい内容ではないし。さらに、カラの相手で、物語の半分くらいに出てくるシェキュレという女が気に入らない。なんて自分勝手なヤツなんだ、という不快感で、読んでいて疲れていた。ただこのシェキュレの台詞で、「神様、どうかお力をお貸しください。愛とは無為に苦しむためのものではなくて、あなた様の御許へ至る道のはずでしょう?」(p.34)ってなんか遠藤周作みたいだなあとか思ったけど。そして、ここからは本当にネタバレになってしまうが、『赤い髪の女』で感動したどんでん返しが、なかった。最後の最後の方、4人のうち犯人が誰なのか、というところまで来るが、実は4人のうち誰かと思わせつつ全然違う人物が犯人であることを期待していたが、遂にその中の1人だった。そしてその1人が犯人だからと言って、別に何の驚きもなく、終わってしまった。なので、文庫本2冊読んだけど、スイスイ読んだというよりは、義務感に駆られて読んだみたいになってしまった。でも確かにドキドキしたところはあるのは確かだし、いくら展開は遅くても結末を知りたいという気になりつつ結局最後まで読んだのだから、すごい本といえばすごい本なのは確か。(24/04/05) -
Posted by ブクログ
一人称で、人が入れ替わり立ち替わり語るという形式で、オスマン帝国の歴史に疎いこともあり、最初はなかなか頭に入ってこない。語り手は死人だったり、金貨だったりもする。
絵師を殺したのは誰なのか?という謎解きもあり、カラとシェキュレの恋物語もある。
上の真ん中くらいまで読むと、キリスト教世界の写実画とオスマンの細密画の対比が浮かび上がってくる。昔の名人の画を忠実に写すこと、人物の個性を出さずに描く細密画の理念はイスラム教の反偶像主義に裏書されており、個人の人生を一枚の絵に描き出そうとするキリスト教の画とは相容れない考え方であることがわかってくる。
細密画に描かれた人物やモノに順番に焦点を当て、それぞれが語ることに耳を傾けている、そんな印象を受けた。 -
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ネタバレ文学作品で、作風になれるまでに時間がかかり、言葉の選び方や描写の仕方、比喩なども理解は2割もできていないくらいだが、翻訳自体は読みやすかったのでパムクの世界観に触れることができた。
タイトル通り、「わたしの名は〇〇」「わたしは〇〇」という題で章が分けられていて、ミステリーではあるものの推理するのは難しかった。
それよりも、イスラム美術のなかの細密画や、オスマン帝国期の職人たちの神に対する考え方、西洋美術の遠近法の流入などの芸術と宗教の関係性であったり、主人公?の男女の恋愛模様の描写が印象に残った。
殺したのは誰なのか、下巻ではもう少し話がすすんでくるのか楽しみ。
ルネサンスについての前提知識が少なく、もう少し西洋の美術に対しても理解があれば、絵師たちの恐怖や反感などに思いを馳せれたので、そこは自分に残念。
難しい分読み応えはある。 -
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トルコ・イスタンブルに暮らす少年ジェムの父は、ある日、失踪する。
ハンサムな父は小さな薬局を経営していた。父はかつて、政治活動をしていて拘束されたこともあり、今回もそれ絡みかと思われた。しかし、母の怒りはすさまじく、失踪にはどうやら政治以外の理由があるようだった。
家計は火の車となり、ジェムは大学進学の資金を稼ぐため、危険な井戸掘りの仕事に志願する。
親方は厳しくも温かく、ジェムはその姿に、どことなく父の姿を重ねるようになる。父と似ているわけではなかったが、「父性」の象徴であるように思われたのだ。
井戸を掘る現場は、イスタンブルから遠く離れたオンギョレンという田舎の地だった。
仕事が終わって、親方やもう1人の助手と街に繰り出したある日、ジェムは赤い髪の美しい女とすれ違う。女はジェムを親しげに見つめる。街で興行する移動劇団の団員だった。
ジェムは年上の彼女に魅かれていく。
実は彼女は人妻だったのだが、ジェムの初めての女性となる。
水はなかなか出ず、施主からはあきらめるよう仄めかされた。けれども親方は頑として掘り続けた。もう1人の助手は引き払ってしまい、ジェムと親方は2人で作業にあたった。
厳しい仕事、高まる緊張。
そんな中、事故が起こる。ジェムは街に駆け下りた。赤い髪の彼女に助けを求めるつもりだったのだ。だが、彼らの劇団はすでにその地を去っていた。
動転したジェムは、そのまま、故郷へ逃げ帰ってしまう。
親方への負い目を心に抱えながら。
長じて、ひとかどの人物になったジェムは、長く封印していたオンギョレンの思い出と向き合うことになる。それが悲劇の始まりだった。
この物語の根底には、2つの古典的物語がある。
1つはギリシャ悲劇の「オイディプス王」。父を殺し、母と寝ると予言された悲劇の英雄の物語である。予言を恐れた父王は赤ん坊のオイディプスを殺そうとするが、不憫に思った従者が羊飼いに赤子を託し、彼は異国で成長する。その後、予言の通りのことが起こる。
もう1つはペルシャの詩人、フェルドースィーによる「王書」の中の勇者ロスタムの物語。ロスタムはかつて旅先でその地の王女と交わり、子をなしていた。あるものの奸計により、父と子は互いの正体を知らずに戦場で刃を交えることになる。一度は息子が優勢となるが、結果的には父が息子を討つ。そして若者が我が子であったと知るのだが、もう息子は虫の息だった。
トルコを挟み、西と東で生まれた2つの物語。一方では息子が父を殺し、一方では父が息子を殺す。そこには運命的な力が働いており、人は逃れることができないのだ。
過去を抱えるジェムはこの2つの物語の虜となる。
さて、ジェム自身の物語は父殺しの物語なのだろうか。それとも息子殺しの物語なのだろうか。
本作でもう1つ重要なのは、もちろん、タイトルの「赤い髪の女」である。
彼女はジェムにとってのファム・ファタールなのだが、読み進めていくにつれて、それだけではない大きな役割を彼女が果たしていることが明らかになってくる。
ロセッティの絵のような髪を持つ女は、父と息子、さらにその息子を結ぶ、1本の太い赤い糸でもあったのだ。
西と東が交錯するトルコ。その地を舞台とする、神話的な味わいもある物語である。
地の底に向かい、ぱっくりと開いた暗い穴。井戸を掘り進めるがごとく、深く、深く、張り巡らされた父と子の悲劇へと絡めとられる。