乗代雄介のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ常に日本ならではの趣深いものに対する胸の締め付けられるような感動と隣り合わせになりながら読み進めていた。綴られている文章から温かみと自然の美しさ、目の前に広がる風景の細やかな描写に読み手である私もその場にいるような気持ちになる。
読みながら何度か胸がグッと詰まるような、感動では収まらないような思いを抱きながら、涙ぐんでしまう場面もあった。
途中で(恐らくこの物語は叔父が旅を終えたあとに書いているものなのだろう)と気づいた。そして、ラストの数ページにかけて(そんな書き方をされるとまるで亜美ちゃんが死んでしまったみたいじゃないか)と思ってしまったが、まさか本当にそうだとは思わず。こんな終わり方だなんて思っておらず、しかし、どこか温かみの中に感じる切なさはそれゆえなのだろうかとも思う。どこか淡い、しかしながらに鮮やかで美しい記憶なのだろうと。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの作者の作品の中で最も好き。
叔父は描写の、姪はドリブルの練習をしながら目的地に向けて旅をする様子が描かれる。語り手の位置が絶妙で、物語時現在において語っているのかと思いきや、実は語り手は過去の出来事の回想として書いていた、という反転がある。(この辺は解説で松家仁之が指摘している。)だから、物語上いきなり姪が死んだのではなく、姪が死んだがゆえにこの物語が書かれたと捉えるべきなのだろうと感じる。
この物語全体を回想・描写する「私」は、海辺で姪と鳥を重ね合わせつつ「この歓びを何と言えばいいのか」とノートに書きつける「私」と、同じ位置にある(それはこの物語自体を「終わりのない練習」と語ることからもわかる)。だから、物語を語り描写する「私」にもまた、同じ「歓び」があると思う。他にも、「ればよかった」式の後悔や、描写の対象が描写の中でしか現れてこないという悲しみ、姪が唱える真言を写しとることで行われる祈りなど、この旅の描写には「私」の思いがあふれている。描写って、客観的で無機質な営みでは決してないんだなぁ。 -
Posted by ブクログ
やっと読み終わりましたー!
手に取ってから読むまでかなり時間がかかってしまいました。
GOATという雑誌はわたしが読書楽しい!ってなり始めの頃に創刊して、まだ色んな作家さんに出会えてない、出会いの場を作って貰えた雑誌でもありましたし、読書の楽しみも改めて教えてもらえました。
そんな姉妹雑誌が出ると聞き、即買いました。
meetsと名前にもある通り、作家さんたちが出会って色んな事が生まれたり、
とても興味深かったです。
韓国文学や、歴史、そして色んな世界に行ったかのような物語たち。異世界… 満足感たっぷりでした。
わたしは、旅とはつまり未知なるアリを見ることであるがとても、面白かったです。
文字の書き方がとても面白く、その背景まで見えた気がしました。
あとは異世界をのぞくとの2作も好きでした。
読むのも時間かかったんですが充実感たっぷりの時間を過ごせました。 -
Posted by ブクログ
高校2年生の修学旅行。班決めの日に仮病を使って休んだ佐田には、修学旅行の自由行動の時間に訪れたい場所があった。どう決まったのかはわからないが、班員はなぜか好きな者同士、とは程遠いメンバー7人。佐田以外の6人は佐田が日野を訪れたい、と言い出したことに呆れたり、困惑したり。
雑多なメンバー7人の織りなす会話が面白い。それぞれのキャラクターが立っているからだろうか、飽きずに読める。ト書きは佐田が後日談としてパソコンで入力して振り返っている構成。これも面白い。
でもなによりも、読んでいて、あ〜、こういうのもう一度味わいたいなぁと思う高校生のリアルと甘酸っぱさがノスタルジックである。きっとこの冒険は、修学旅行の後、この7人によって表立って語られることはないだろう。でも、この7人の中で、不思議な繋がりや仲間意識は永遠に続いていくんだろう。そんなことを勝手に想像しながら本を閉じた。名作。少なくとも私にとっては。
-
Posted by ブクログ
コロナ禍の春休み。中学入学を控えるサッカー少女の亜美とその叔父で小説家の私は、利根川沿いを歩き、千葉の我孫子から鹿島アントラーズの本拠地へ向かう。私は風景を言葉へ変換し、亜美はボールを蹴り続ける。歩く、書く、蹴る。オムライスを食べて、歩く、書く、蹴る———
日本でのコロナウイルス感染拡大による政策の影響で、外に出る人はほとんどいない。そんな中外の世界を旅する二人の様子は、比較的現実味のある夢を見ている気分になる。旅の中で遭遇するのは、常々動きを見せる自然や動物と、歴史を感じさせる人工物。語り手がペンを走らせて文字に変換された世界と、亜美と語り手が織りなす微笑ましい会話には大きな差異が見られるが、それもまた互いの良さを引き立たせ合っている。
語り手による情景描写は、ひたすらに自然を描く。そこに確かに在るものを表現していく様子は語り手の文章に対する拘りが感じられ、とても好み。人工的な自然(餌を用いて鳥を誘き寄せる)は描写せず、生きているものたちを巧みな表現で摘み取る。生命を感じさせる文体は、私の目の前にないものを、あたかもあるように錯覚させられる。
p124から始まる、サッカー大好き少女の亜美による「おジャ魔女カーニバル‼︎」の歌詞の解釈についての話の後、実際に聴いてみたら少し涙が出てきた。元の曲、歌詞がいいのは前々から知っているし、好きだった。だけど、私は魔法が使えたらいいのにな、驚きだけどそれって最高じゃん、といった空想の状況を謳ったものだと思っていた。しかし、亜美の解釈は違う。実際には魔法は使えないという事実を念頭に置いた上で、魔法みたいにサッカーがうまくなるためには、やっぱり練習しかない。教科書見たって書いていないし、子猫に聴いたってわからないけど、その事実は揺るがない。だけど、亜美はサッカーができればそれでいいし、それがいい。テストは三点で、パパママに怒られようとも、笑顔で居続けられる。年中無休で! なんとも前向きな捉え方で、自分にはできないと思う一方で、出来ならいいのになとも思う。魔法みたいに自分の考え方を変えることなんてできないけど、好きなことを目一杯し続けられたらそれだけで最高だな。だから今、読書をし続けている現実が魔法みたいだと思うし、年中無休でスマイルやってます。
馬乗り馬頭観音、排水門の側のカワモ。この旅の中で語り手は、いくつもの生と死について思案する。死はありふれたものだと知りながら、何か失われたように感じる。それは生きることが何事かをもたらすという思い上がりなのか。本来死の後には何も残らない。そこにあったはずのものは姿を消し、あたかもはじめから何もなかったかのように振る舞う。しかし、それを文字に残していたら? 石碑として形あるものを残していたら?
今あるものを保存し続けるためには、それ相応の行動が必要で、言葉を紡ぎ続けなけらばならない。私たちがこの物語を受け止めた後、すべき行動は何なのか。ひたすら悲しみに体を任せることではない。再び旅の記録を読み返し、そこにあった世界を実感し、私たちが住む今を何かに変換し、先々へと今をつなぐことなのではないか。
本書はただのお涙頂戴話なんかではない。私たちの未来を守るため、未来の後悔をなくすため、本当に重要なことを訴えかけてくれる。私たちへの優しさが溢れてやまない一冊。
-
Posted by ブクログ
吉田棒一「インフルエンズ」
吉田棒一、何となく知っていたけどえぐいっすね。こんなヘンテコな小節が許されるかよ!と怒鳴りながらめちゃくちゃ推してしまう、舞城王太郎、佐川恭一に続く奇人現るーーーーー
小田雅久仁「魑魅虫」
独特な語りと雰囲気はものすごく好きなのだけど、悪が集まり結局何が起こったのか、ニュアンスしか分からず……
冒頭、女性作家陣の全てのエッセイ、小説、ラフ画、対談、全て素晴らしかった。韓国に興味なくてもあっても、国を超えるとはどういうことは、戦争をするとはどういうことか、読み応えしかない。
全体的に、詩や短歌が挟まっていたり(どれも良い)、目を見張るような絵がページいっぱいに広がっていたり、捨てページのない文芸誌、堪能させて頂きました。
後ろ書きにも書いてあったように、電子書籍での配信などにもしっかり力を入れているようで、とても頼もしい。途中で滝口悠生がデータをどこに保存するか問題をしっかりとレポートしていてくれたのも、出版業界の現状が見れ、有益でした。出版したら是非皆さん献本しましょう