あらすじ
第34回三島由紀夫賞、第37回坪田譲治文学賞、ダブル受賞!
中学入学を前にしたサッカー少女と、小説家の叔父。
2020年、コロナ禍で予定がなくなった春休み、
ふたりは利根川沿いに、徒歩で千葉の我孫子から鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅に出る。
ロード・ノベルの傑作! 第164回芥川賞候補作。
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淡々と話が進んでいく感じが好きです。
ですが、最後はえっ!となり、号泣でした。
それもそれまでの何気ない出来事があってこそでした。
乗代さん、好きな作家さんになりました。
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ジーコが鹿嶋(鹿島)にもたらした影響は果てしない。
合宿所から持ってきてしまった一冊の本を返しにひたすら、歩いて、周りの歴史的なもの見たりとテレビ東京とかでありそうな。小説でありながら旅の本みたいな
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海岸で亜美の名前の由来を思いながら少女の成長を喜ぶ叔父の温かな眼差しは旅の終わりの寂しさも相まって感動する。旅後の結末は作為を感じなくもないがそれがこの作品の魅力を損ねているとも思わない。
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美しい情景描写と、元気な亜美の描写が想像容易い細かい言葉で表現されてて自分も旅をしているように思った。
緩やかな旅の収穫を抱えてそれぞれ夢へ向かっていく
そんなラストかと思えば、悲しい最後。
一読したもののもう一周読みたくなった。作者は全体を知っていて1から書いたから。僕も同じ気持ちでもう一度読もうと思う。
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仲のよい叔父である「私」と中学入学を目前にした姪の亜美が、「私」は文章で風景を描写する練習をしつつ、亜美はサッカーの練習をしながら鹿島まで歩いて旅をするロードムービー的な物語。途中で同じく徒歩で鹿島スタジアムを目指していたみどりと合流し、彩りが加わる。人間模様でちょっとした波風は立つことはありましたが、基本的に和やかな雰囲気の中、淡々と旅は続けられ、無事に旅を終えることができたかにと思ったのですが、物語の終盤にさりげなく書かれた数行にわが目を疑い、その箇所を数回読み返してしまいました。何ともやるせない。人生は角も儚いものと思うしかないのだろうか。
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こ、これは。今年読んだ中でもかなり印象に残る作品。
元気で前向きな亜美、博識な物書きの叔父、優しいけど内向的なみどりさん。どのキャラも魅力的で、コロナ禍でも希望を感じさせるストーリーに励まされた。ジーコの偉業も初めて知った。
ただ、所々、叔父のモノローグに引っかかるところがあって気になっていたら、まさか…
鳥の話がよく出てきて、印象的だったのもそういう事だったのかと。。。
また再読すると思う作品。
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練習の対義語は本番という言葉になると思うけど、僕たちの毎日、おおさげに云うと人生には、練習と本番なんていう区別はないのだと思う。
もちろん大切な一日、重要な決定をする局面というのはあると思うけど、何をしても時計の針は戻らないしセーブポイントからリスタートできるわけもなく、僕たちが常に1回きりの時間を過ごしている訳で、そういう意味では、人生という尺度においては練習や本番なんていう区別はなくて、あるのは常に「今」ということになると思う。
この本を読んで思ったのは、練習とは決して本番のため、何かの目的を達成するための単なるプロセスではなくて、もっと純粋な、生きる姿勢であるべきなのかもしれないということ。そして練習の背景にあるのは目的ではなくて、願いなのかもしれないということ。
何かを成すことや何者かになることだけが人生の意味ではなくて、むしろ生きるということは要約できない「今」の積み重ねでしかない。ただ、だからこそ今をより良くするためには練習が必要で、そしてそのためには、目的ではなくもっと漠然とした願いが必要なのだと思う。柳田國男が名もなき庶民の歴史を見出したように、この小説は名もなき練習に生を見出しているのかとしれないと思った。
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読み終わって読み返したくなった。
最後を読んだ時は、なんであの結末にする必要があったのか疑問に感じたけれど、解説を読んで腑に落ちた。何気ない日常とちょっとした喜怒哀楽を生む出来事が繰り返されるその人生を描いていた。
正直最後の展開がなければこんなに心動かされなかっただろうし、考えず平和な作品だったなぁくらいの感想になるところだった。
事細かに記録された旅の話、あまりにも細かい描写が多く初めて出会う単語もあり読むのに苦労した。でもこれも全て、あの最後のためにあった。
どんな旅行でもあんなに全てのことを記録することは自分にはできないし、いくら小説家の叔父だからといってあんな事細かに記録するわけじゃないだろう。
思い出しながらでもあんな詳細に書いていたのは、すべて亜美が生きていた、成長したあの旅を、見て感じた風景や亜美の姿を、亜美がこの世界で生きていたことを残すためだった。
途中からまさかな、、と感じ始めたけれど案の定あの結末になり、生と死について考えた国語の授業を思い出した。いつかこの作品が教科書に載る日が来るのかもしれないと思った。
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鬱屈としたコロナ禍の時期に、穏やかな実りある時間があった、という事を満喫しながら読み進めた。最後は、旅で何かを得たであろう亜美と叔父さんの様子が描かれるんだろうな、と思いながら読み進めての、予想しなかった展開の破壊力。こうくるとは思わなかったので、何度も読み返し、作者がなぜこういう終わりにしたのか、考えてしまった。
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最後に待ち受けている一文の、あまりにささやかで、かつなんと破壊力のあることか。読者は微笑ましい気持ちで彼らの旅の行く末を見守っているはずで、登場人物たちに思い思いの感傷を抱いているはずで、そうくるか、と読者の心を破壊しにかかるのは唸らされてしまった。
そこに辿り着く、そのための物語なのだ、と読み終えた今では思う。
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ほのぼのとのんびりと旅は始まる。サッカーボールを蹴りながら、それが練習なんですね。長い距離を歩くなんて、最後はいつだろう。歩くと普段は通り過ぎて気がつかないことにも目が行くことでしょう。練習の旅の行きつく先が悲しい。どこかを歩きたくなった。
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少し遠出をしたいと思いました。
この本はとても悲しい気持ちになりますが、それと同時に旅による、思い出ができる素晴らしさも教えてもらいました。柳田國男の作品を読んでみたいと思いました。
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書き写したくなるような箇所がいくつかあった、それは柳田国男や小島信夫の著書からの引用部分だった。「私」の記述や「亜美」の日記やジーコの評伝などと重層的にからまりあって面白い読書体験だった。この作家を追い続けるかどうかはまだ決められないけれど。読んだ3作の中では『それは誠』が好きだ。ついでに台164回芥川賞の選評も読んでみたが、プロの作家先生たちの受け止め方が様々で、文学賞選ぶのも大変ですね~と思ってしまった。だから一読者がどの作家のどの作品にひかれるかなんて運命の出会いのようなものだと思う。出会えたひとは幸せだ。
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過去の乗代作品の持って回ったような表現は抑えられ比較的読みやすい。風景描写は個人的に得意ではないのでうまくイメージ作りはできないところがいくつか。
ロードムービーのような展開で心地よく読み進めていたが、結末はそうする必要があったのか私にはわからない。
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難しかった。
僕が子供だというのもあるのかもしれないが、それ以上に単純に観念的な難しさを感じた。
忍耐という概念があまり掴めなかった。
ただ十分に面白かったのと、文章がとても綺麗だった。硬い文ではあったけど。
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最近お名前を見かける作家さん。
わたしにとっては、本作が最初の作品。
姪の亜美(「あび」と読む)は、サッカー少女。
中学受験が終わって、さあ、サッカーだと思ったタイミングで緊急事態宣言が発出され、チームが集まっての練習さえできなくなる。
落胆する亜美を見かねて、叔父で小説家でもある語り手が、鹿島まで練習を兼ねて歩いて旅することを提案する。
以前鹿島の合宿所から亜美が無断で持ち出してしまった本を返す名目で。
条件は、語り手が旅の中で人気のない風景を描写する間、邪魔をしないで待つこと。
こうして二人の「練習の旅」が始まっていく。
途中で同じように鹿島に歩いて旅をしている大学生のみどりさんと出会い、3人の旅になる。
まず、亜美ののびやかさがいい。
彼女は率直で、子どもらしい子どもだ。
最初は自分の能力でサッカーの道に進めるのか、子どもながらに迷っている。
旅をする中で、体力もつき、リフティングの記録も伸びていく中で、彼女は自分の夢を確かなものにしていく。
みどりさんは、自分より人を優先するような人だが、自分に自信が持てないでいる。
サッカーそのものには興味がなかったのに、ジーコがごみを自ら片付けていた姿に惹かれ、アントラーズのファンになったという人物だ。
旅の途中で、緊急時代宣言の影響か、内定していた企業から辞退するよう申し伝えられる。
この人も、人生の岐路で悩んでいるのだが、ジーコの足跡が残る鹿島に亜美たちとたどり着き、自分の人生を選び取ることができるようになる。
成長する人を見るのは、いつだって気持ちがいい。
それから、もう一つは語り手が書き留めている「風景」がすばらしい。
「練習の旅」の記憶をたどりながら、その時々に描写した「人気のない風景」がさしはさまれていく構成になっているのだ。
水辺で魚を捕る水鳥の動き、早春の草木、雨露、川の流れ、日差し。
自分には未知の場所である利根川の水辺の、静謐な風景が浸み込んでくる。
近代文学でおなじみの「写生」が、こんな形で現代にも受け継がれているんだ、と新鮮な驚きがあった。
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ジーコの話に惹かれました。スポーツのなかでもサッカーだけはなぜか疎遠だったけれど、ジーコの本でも読んでみたくなった!
誰もが知る日本の名所ではないけれど、地域の特性がよく描かれていて、情景や動物の観察力に長けている著者さんだなと思いました。そして、ちょこちょこ織り交ぜたコロナネタが、「あぁ、あの時そうだったよなぁ」と思い出させてくれて、この本を読んだ2024年のいま、あーわたし生きてるわーって思えました。
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お不動さんがずっと身近に感じました。のうまくさんまんだ 覚えよう。小学生と2人の歩き旅これだけで興味津々リフティングいいね。あとコロナ禍だったか気になる作家さんでしたから、コロナ対策に批判も肯定もないんだなあ、これもまた一考なんかなぁぶっちゃけもっと踏み込んで批判して欲しい。
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コロナ禍で小学校が休校となった亜美と小説家の叔父が、鹿島アントラーズの本拠地を目指して歩く旅に出る。利根川沿いを進みながら、亜美はボールを蹴り、叔父は風景を描写する。我孫子駅から鹿島神宮まで、交通機関を使えば1,2時間で移動できる距離を歩いて行く。叔父が描写していた風景は観光名所って感じでもなく、わざわざ訪れる人もいなさそうな所だけど、ゆっくり歩いて行くからこそ見られる景色という感じだった。そして予想も付かなかったラスト。良い雰囲気で旅を終えたはずだったのに、突然現実を突きつけられたように思った。コロナ禍ということで、身内や周囲の人間との突然の別れが現実的にあった時期。この小説のラストで同じような気持ちを疑似的に体験させられる。叔父の後悔は私たちが大切な人を失ったときに思うであろうことであると思ったし、人生を旅と喩えるなら、絶対にあるであろう人との別れを意識させられる話だった。
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最初は、小説というよりエッセイを読んでいる感覚だったのが、みどりさんが出て来て、一気に現実とかなんかいろんなものが入って来て、ああやっぱり小説だなと思った。それにしてもねー、最後のくだり必要⁈あれのせいで、なんか後味悪い。夢とか希望とかそういうので終わらせたらダメだったのかな?
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スキマ時間に少しずつ読む用の本でした。
コロナ禍ではあるものの、緩やかで平和な情景が目に浮かぶ作品でした。
最後の展開は、サクッと描かれ、その後、すぐに話が終わってしまい…。
それが美しいのかもしれませんが、どうなったのかもう少し知りたいなぁと思いました。
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結末に関しては途中で気付いた。ある程度示唆されてはいると思うものの、芥川龍之介の奉教人の死 に対する志賀直哉の批判を思い出してしまった。
筋自体が、大人に都合の良い子供を演じるような作品になってしまっているように感じてしまい残念だった。
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実話なのかな
と思うストーリーだった。
中盤から待ち受ける結末が哀しいものである事が何度も漂って、ビクビクしながら読み進めた。
情景の描写が美しい。
ある意味贅沢な時間を過ごしていると思った。
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中学入学前の姪と小説家の叔父が徒歩で旅する話。天真爛漫でサッカーの練習をしながら進む姪と物知りで小説を紡ぐ叔父、そして途中で出会う内定を得た大学生、穏やかで温かい関係に、ゆるく進む旅に小休憩させてもらった気がする。なんて思ってた矢先の展開に天を仰いだ。
Posted by ブクログ
なんとも風流なお話。
最後の最後まで、
これは、
のどかな旅の物語だと疑いもしませんでした。
叔父と姪っ子のふたり。
河沿いを歩きながら
数々の花や植物、鳥を眺め、
あっちこっち寄り道。
途中、ちょっとワケありな女性も加わり
数日間の、のんびり歩く旅。
···なんだけども。
最後に思わず声が出てしまう展開。
今までの物語の色が
すべて塗り変わってしまうかのような。
ページのあちこち、
思わず見返しちゃいました。
ため息。
ほぅ·····
Posted by ブクログ
えぇーーーそういう終わり方?!
まぁ、終わりを知ると伏線はたくさんあるけど、伏線にしなくても問題ないし、やっぱり私は結末がなんかなぁって感じ。
小説の中の小説家が景色を描写するという作りで厚みが出ている。独特な空気感も。
装画が良い。すごく良い。
内容そのもの。
読み終わって見ると心がぐっと締め付けられて、じわりと涙が出てくる。
本当に良い絵。
フジモトゴールドさんの絵。
長くないのでさくっと読めます。