久坂部羊のレビュー一覧
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ネタバレいわゆるクオリティ・オブ・ライフがテーマでしょうか。同作者の「神の手」「廃用身」も似たようなテーマだったように記憶していますが、病気との向き合い方を他人に決められてしまうことの嫌悪感を「希望の御旗」にて同じように感じました。
対して「ミンナ死ヌノダ」の覚馬は、検査も治療もしないことを自ら選んで死んでいったわけですが、その様子はとても満足そうに映ります。
本書はこうした終末期医療に対する問題定義がメインかと思いますが、ラスト直前に出てきた誤診と医師の労働環境に関する問題についても作者は訴えたかったのかな、という気がしました。どちらの点についても、いろいろ考えさせられたり興味を持って調べたりするきっかけになったことは、良かったと思っています。 -
Posted by ブクログ
芥川の小説を再構成した医療エンターテイメントに続く、名作のパロディー医療エンタメ(解説者によると正確にはパスティーシュというそうだ)。
名作をちょっとひねった題名にシニカルさを、その内容にブラックさを味わうことができる。原作をしっかり読み込んで理解したうえでないと、このような作品は書けないのでは。
その一編『アルジャーノンにギロチンを』は、日記形式で構成されている。高慢な医者すぁる主人公は、認知症を恐れ、日記をつけているが、その進行と共に徐々に文章が乱れてくる。
既視感があると思ったら、著者の『老乱』でも、主人公にあたる老人の日記で、認知症の進行具合が迫力満点に描かれていた。
いずれも、現役の医師である著者にしか書きえない、力作だろう。 -
Posted by ブクログ
センセーショナルなタイトルからすると、大学病院は無理な人体実験を繰り返したり、研修医や医学部の学生の練習の場であり、それを告発する内容かと思いきや、全く逆で、大学病院は信頼に足り、また事件や事故のたびに、マスコミの批判や理想論に対応したこれまでの改革が、旧制度の医局を喪失したりして、それらが日本の医療の崩壊に向かっているという憂国(憂医療?)の書である。
医局の件については特に力点を置いている。
(注)医局とは医師・歯科医師の執務室、控室のことを指す。ここから転じて、大学医学部・歯学部の附属病院での診療科ごとの、教授を頂点とした人事組織のことを医局と呼ぶ。
「旧弊な医局制度が破綻し、医師は自由を得た代わりに、安定と将来の保障を失った。世間は不透明な寄付や名義借りをしなくてすむようになった代わりに、地域医療と産科医・小児科医を失った・・・(略)・・・訴訟のリスクの高い科の医師を失いつつある」と。
具体的には、従来は医局の教授が、一般病院はおろか過疎地域の病院まで目くばせして医師を配置してきたが、それが無くなった現在は、若手医師は激務の大学病院を逃げ出し、また地方や過疎地を避け、都会の開業医を目指している。
一方、時間の予定が立たない産科医や、子供相手の面倒な小児科、そして訴訟リスクの高い外科医を失いつつあると言う。
そして著者は言う。「そもそも大学病院とは人体実験を行ったり、新人の教育をするところなのだ。それを認めない事には、話が前に進まない」
大学病院は医師の数も多く、その分監視の目が多いということであり、間違った治療はチェックされ、また情報も多く集まるので、大学病院の医療は信頼に足ると。
著者は、現場の医師の声を代表して、現在の過酷な医師の実態と、将来の医療制度を理想論ではなく、現実的な目から見てくれと叫んでいる。
少し別な観点からみると、大学病院は研究・治療・教育と幾重もの役割を負わされているのがよく分かった。
そして良き研究者は良き治療医ではないと言うことも。 -
Posted by ブクログ
芥川龍之介が、いかに優れた小説家であったとはいえ
残されたのは基本的に小粒な作品ばかりだった
だから、そのスキャンダラスな死への憧憬を抜きにしては
こうも長年読み継がれる存在となりえたものか
少々疑わしいと思われる向きも、けっこう多いと思う
半ばは真だ
しかし、芥川の凄まじさは
その死に至る準備段階からの副産物として
「歯車」などの壮絶な晩作を次々と生み出してきたところにあるのだ
自らの意志により死を捉えた人の明晰さ、というある種のロマンを
芥川は、いちはやく体現してみせたのだ
…とはいえ、むしろ本人としては
「阿呆」と呼ばれて笑われることを望んだのかもしれないけれど
久坂部羊の「芥川症」は、作者の専門である医療をテーマとしつつ
芥川龍之介の代表作をオマージュした短編集
死におびえる人々、それに死を相対化して安心する人々の
罪のない(こともない)平凡さから
生きることのありがたみを抽出しようとする一方
死への抗いを不自然なこととしても描いている