西研のレビュー一覧

  • 哲学の練習問題

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    物理学とは、世界が合理的な法則によって貫かれているという(それ自体としては証明できない)前提のもとに、私たちの経験するさまざまな事実から法則を解読し取り出そうとする一種の「ゲーム」なのである。

    しかしそのさい、その過去が「いまでも嫌なこと」だとなつかしくはなれない。とても辛かった経験であっても、それをいまの時点から「ゆるしている」場合にだけ、人はそれをなつかしむことができる。多くの人がなつかしさには「安らぎ」の感覚があると指摘するが、安らぎとは、ゆるして受け入れるということを意味しているのだろう。

    自分のこれまで生きてきた過程やそこでのいくつかの経験の核心を確かめ、そうすることで、自分が生

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    2013年01月28日
  • 超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』

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    ようやく、『精神現象学』のあらましが分かりました。人類の「精神」の成長の歴史を俯瞰し、人類思想史の流れを追う、というような壮大なプロットを(猛烈に難解な言葉で。。)語っている、ということのようです。ようやく『精神現象学』が読み進められそうだ。。

    気に入ったのは「行動する良心」。ちょっと引用。
    「「良心の人」は、生活のなかのさまざまな場面で、そのつどどういう態度や行為を取るのがもっとも「良心的」だろうか、と考える。彼は、もはや宗教的権威も、習俗のルールの権威も善の基準足りえないことをよく知っている。・・・しかし、にもかかわらず、結局正しいことの基準などないのだとは考えず、いかに判断し、行動する

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    2011年09月03日
  • 超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』

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    これは、意識が絶対知に至るまでの物語。
    人類の歴史が、個人の精神的成長過程に重なって見える。
    だからだろうか、私には成長記録あるいは観察日記に近い印象を受けた。
    意識が辿る道を追体験できる感覚が面白い。
    ただ、「どうすべきか」という問いへの「応え」を示してくれているようには感じなかった。

    以下、印象に残った文章を抜粋

    人間の欲望の本質は、「自己価値欲望」という点にある。したがって、「自己の欲望」はまた、本質的に他社による「承認の欲望」を含む。さらに、人間は社会生活を営んでいるため、どんなことであれ、「他社の承認」なしに実現する欲望は存在しない。このため、人間社会は、まずは「承認をめぐる闘争

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    2011年08月13日
  • 「考える」ための小論文

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    自分で言うのもあれですが、大学受験の小論は結構得意な方だった。その時は何かの本で読んだ「型」(起承転結みたいな)ばかりに意識を集中させて、内容よりも「型」にこだわって書いていたのを覚えている(それでも高得点は取れていた)。論文の意味は相手にわかりやすく書くのは勿論だが、何より、中身が無ければ全く意味はない。
    つまり、「考える」ことが前提にあって、まさしくそれが最も論文を書く意味である・・・当たり前だけど。でもね、変に慣れると、意外とその本質を理解してなかったり、忘れてたりするんだよね。
    この本は小論文を書くための技術や知識ではなく、自ら考えて書くということへ意識の重点を置いているように思う。そ

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    2011年07月11日
  • 集中講義 これが哲学! いまを生き抜く思考のレッスン

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    哲学は「世界像の作り直し」

    なるべく、根っこから考える。



    ’正義’とは、どこから起きたのだろうか?

    昔、他のコミュニテイー同士、交流がなかった時は、’正義’は必要がなかった。

    しかし、いろんなコミュニテイーが交流しだすと、お互いのグループを守るために

    そのグループを守るためのルール’正義’が生まれる。

    普遍の’正義’はほんとうはないのかもしれない。

    お互いの違いを理解して、なにかの合意を得ていくことが、これからの世界に

    もっと必要になる。



    哲学は、根っこからいろんな問題を考える、ひとつのツールかもしれない。

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    2011年04月24日
  • 考えあう技術 ――教育と社会を哲学する

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    考え合う技術、根拠とは追体験のこと。レイブ、ウェンガー正統的周辺参加 状況に埋め込まれた学習 何かを学んでいくプロセスを個人による獲得とみなすのではなく、共同体への参加とみなす。集団との関係の変化 職業集団のように周辺から中心に行くにしたがって、他者からの承認によって生まれる学習

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    2010年02月20日
  • 不美人論

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    確かに笑った。でも、ほとんど泣き笑いだっ!「ブス」の本音それ自体が「痛い」ものとして現れざるを得ないというのが、猛烈に痛い。「ブス」を自称する藤野が、なぜか最後の方、突如(疲労のあまりか?)救われてしまうテンポに、今ひとつついて行けなかった。もう少し「ブス」に拘泥してから救われて欲しかった(いや、読者である私自身の問題なのか…とほほ)。まあ、「ブスであること」に拘泥しても、そこから自らを救う回路があるのかもね…と(可能性として)思える点は、救いといえば救いなんだろうなあ。うん。

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    2009年10月04日
  • 考えあう技術 ――教育と社会を哲学する

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    教育の目的がぼやけている。目的を再構築しようとする本。リベラリズムに立脚しすぎていて、リベラリズムを受け入れない人には無意味な議論な気がする。

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    2009年10月04日
  • 考えあう技術 ――教育と社会を哲学する

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    どうして弁証法ってつまらない結論しか生まないのだろう、と深刻に考えさせられてしまう本。真剣なのは分かるし、手堅いアプローチで問題を解決しようとしている誠実さも伝わってくる。
    でも、「良い子」すぎないか?話者は「良い子」がいかに現実社会で役に立たたないのか、という現状があまり理解できてないような気がする。

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    2009年10月04日
  • 不美人論

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    美人が人に美人と言われて「はいそうです」とはあまり言わない「そんな私なんか」というような美人返しのワザで応じる

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    2009年10月04日