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Posted by ブクログ
物理学とは、世界が合理的な法則によって貫かれているという(それ自体としては証明できない)前提のもとに、私たちの経験するさまざまな事実から法則を解読し取り出そうとする一種の「ゲーム」なのである。
しかしそのさい、その過去が「いまでも嫌なこと」だとなつかしくはなれない。とても辛かった経験であっても、それをいまの時点から「ゆるしている」場合にだけ、人はそれをなつかしむことができる。多くの人がなつかしさには「安らぎ」の感覚があると指摘するが、安らぎとは、ゆるして受け入れるということを意味しているのだろう。
自分のこれまで生きてきた過程やそこでのいくつかの経験の核心を確かめ、そうすることで、自分が生きるうえで「大切にしてきたもの」は何だったのか、をふたたび確かめなおす。そして、それを握りしめながら、ふたたび生きることへ向かおうとする。たとえばそのようにして、私たちは生のストーリーを再構築するのである。
何が価値あることなのかが自分のなかではっきりしていて、自分がそこをめざして進んでいると思えるとき、人は他人の視線にあまり脅えないですむ。だれがなんといおうと我が道を行く、というふうな「気概」をもつこともある。しかしいまの大衆化した大学の学生には、大義も人生の目標も与えられない。そして進むべき方向がはっきりしないとき、人は自分自身の存在を肯定することができない(俺ってカッコいいとなかなか思えない)。だから「他人から嫌われない」ということが自分を支える最後の手段になってくるのかもしれない。
この「ほんとうに意味あること」をなしたいという思いは、その意味を自分のなかで、また他者とのあいだで確かめあうことによって生き生きと保たれる。
「社会について語ること」が全体を見晴らす特権的位置に立つことでなく、同じ社会に生きている人々の存在を信じ、そこに生じることを「われわれの」問題としてとりあげ改善しようとする努力であるなら、それがなくていいはずがない。
すなわち社会は、私たち各人がそこに向かって働きかけ、何かよい影響を与えたい、と願うようなものでもある。
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