【感想・ネタバレ】NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラのレビュー

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Posted by ブクログ

今出会うべくして出会ったのかもしれない。日々生きていくのが辛く、毎日死にたいと思う状態でも、少し安心することができた。専門書ではないのであっさり読めて、ニーチェの考え方と著者の解釈に元気づけられた気がする。

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2024年04月29日

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今の時代、「私たちはどうやって生きていけばいいのか?」という問いは誰しもが思うことだろう。

ニーチェの哲学はそういった悩みや不安を抱く人々に対して力強いメッセージをくれる。

ルサンチマン、超人、永劫回帰、運命愛…
キーワードはたくさんあるが、本書の冒頭で述べられているように、ニーチェの答えをあえて一言で言うならこうだ

「固定的な心理や価値はいらない。君自身が価値を想像しなくちゃならない。」

このニヒリズムの時代に創造する生き方を提案したニーチェ。そして、その思想を分かりやすく解説してくれているこの本はこれから何度も読み返していきたい。

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2021年08月09日

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「ツァラトゥストラ」は非常に難解。
しかし、本書は、それをこれでもかと言うほど噛み砕いて分かりやすく書いてくれていると思う。
ニーチェの入門には最良の書では?

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2020年03月22日

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『ツァラトゥストラ』と並行して、感動しつつ読んだ。『ツァラトゥストラ』だけでは無理。
著者なりの解釈で、永遠回帰、運命愛、超人の関係がよく分かった。
超人になるのは大変だ、というのがよく分かった。

これでいい、ではなく、これがいい、と自分(の人生)を肯定しきることができるか?できそうな気持ちになったけど、肯定できない人生もある。

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2020年01月31日

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「ツァラトゥストラ」を読むのに、なかなか書かれていることが理解できなかったため併読。ツァラトゥストラで書かれている内容を、ニーチェが書いた他の本も合わせて解説してくれるため、やっとなんとなくですが読みとることができたので、解説として非常にお勧めです。

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2019年03月27日

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ニーチェの思想を解説する本はたくさん出版されており、そのうちの何冊かを読んできているが、この本はその中でもよくできていると思う。ニーチェの思想の核になる部分を、やさしい言葉で簡潔に解説している。そしてまた、後半では著者の考えを展開することで、ニーチェの思想に足りなかったもの、あるいはその思想史的な位置を浮かびあがらせている。装丁や頁の体裁も見やすく、今、初学者に勧めるならこの本ではないかと思う。「100分de名著ブックス」は玉石混淆。これは大当たりだと思う。

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2016年11月19日

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ツァラトゥストラに再チャレンジする前に読んだ。
わかりやすく、面白かった。

ニーチェは神という絶対的なものを否定し、その代わりに「超人」への道のりを価値観の拠り所とした。
また、彼は永劫回帰という、人生への絶対的な肯定を説いた。さらに、肯定できぬ者の、自己の生への呪いを正当なものとした(チクショー)。

彼は主体性や喜びを奪うルサンチマンを否定し、苦しみながらも、自らの意志で未来に進み続ける人間、さらにはその苦しみも含めて自己の人生を愛せるような、「超人」への道のりを至上のものとしたのだ。

しかし、これはある意味、絶対的な価値観の導入という意味において、神の復活を意味しないだろうか。

私が考えるに、(そして永井均先生の本やカミュから少なくない影響を受けた結果)、もともと人生は肯定される必要などないのだ。
「これが人生か、さらばもう一度。」などという自認はいらない。「これが人生か。そうか。」でよいのだ。そこにあるべきなのは、過去に対する部分的な諦観と部分的な満足感のみである。

人生を愛する必要などないし、そのために努力する必要もないのだ。
なぜならば、人生は一つの長い外部の現象を、内部の別の現象を通じて想起したものに過ぎないのだから。
そこに価値観を設けて、肯定・否定を論ずること自体が恣意的なものであり、十分な客観性・論理性が担保されない以上、いかなる行為もいずれ足元から瓦解してしまうのだ。

その破壊と創造のプロセスを永久に続けるものが「超人」であり(また、「転げ落ちる岩を山頂に押し上げる者」としても良い)、まるで、苦悩しながら一つ一つ積み木を積んでいく幼児のようである。
そこからいじらしい幼児性を引いて考えると、愚かでバカげた人間のように、傍目からは見えないか。
ここで、第三者を考える必要はない。ただ、自己の人生を見つめ直した時に、客観的な価値観を導入したならば、自分の姿がバカらしく見えるだろうというだけである。
この意味において私は、「超人」の価値を否定するのだ。
「超人」のバカバカしさを悟った時点で、合理的な人間であれば、そこで「超人」への歩みを止めるべきである。

神を⚪︎し、「超人」を否定し、人生への肯定を捨てて、無目的に精神の砂漠を歩き続ける人間こそ、真のニヒリストではないかと私は思うのだ。
外部と切り離された場合、そこには一切の慰みも、絶望も、安心も平穏もなく、ただ空間が広がるだけである。その空間に他意なく放たれた孤児こそ、人間の精神の始まりであり、合理的な人間が現実を直視した時に取るべき行動は、無意味な逍遥に他ならない。


ツァラトゥストラ、読みます。

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2024年01月31日

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ネット上で予習したツァラトゥストラの内容に親近感を覚えていたので、読みやすい文体でおおよそのあらすじと考察を記載されている本書を一読。
入門書に適しておりかなりわかりやすく読めた。
ニーチェの人生を追体験した上で、キリスト教世界における神はどういう存在でどんな価値観だったのか、そこからニーチェの考える価値観、神の死から新たな超人という指針、ニヒリズムや永遠回帰と超人への道に行き着いたストーリーが、筆者の易しい説明で解きほぐされていく。あとはニーチェの悲劇の誕生という処女作では、ディオニュソス的なもの(感情や享楽を前提とした世界)とアポロン的なもの(理性や論理で組み立てられた世界)という概念が語られており、ユングやMBTIにおけるFi(内向的直観)、Ti(内向的思考)のような概念だなと思ったのと、ニーチェは前者のディオニュソス的な思想を持っている点が強く惹かれるポイントだと感じた。全体を通してその人間の深淵たる内面性を肯定し、つらく大変な現実に対して能動的に前向きに立ち向かい続けることこそが人のあるべき道であると諭している。そのリアリスティックな視点が僕は好きだなぁと。

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2024年01月25日

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ニーチェのツァラトゥストラを著者の考えも交えながら現代向けに咀嚼し自己承認を得るきっかけになる本
永遠回帰について自分なりに解釈すると、「もう二度と味わいたくないような辛い出来事があったから今の自分がある。それは辛い出来事の経験きっかけの行動だけではなく、その出来事があったから歩まざるを得ない道がありそういう積み重ねが一つでも欠けたら今ある幸せは存在し得ない。」と感じた。
親ガチャの考えやインターネット普及によって他者との比較をしがちなこの世の中だからこそ読むべき本

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2023年10月11日

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わかりやすさで流行った100分de名著シリーズ。ニーチェ哲学のキーワード「超人」と「永遠回帰」が著者の丁寧な補足により誤解なく理解できる。孤独に陥らず「頼ることを学ぶ」「表現ゲームをうまく働かせる」といった修整アドバイスが素晴らしい。自分の人生を自分で作っていく主人公でありたいならこの状況で何が自分を悦ばしくするかを問う以外にはない。自分の今に立ち返ることから自己肯定感を作りあげることが大事。ニーチェの気付きに拍手。自己否定する動物は人間だけ。なんとも厄介な生き物だ!

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2023年07月11日

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ネタバレ

 さて、「永遠回帰」の意味するものについて見てきました。でも、「何度も繰り返しの人生を生きることを欲する」なんてことは、本当にできるのでしょうか? 大学でニーチェを講義するとき、ぼくはよこくの質問を学生に投げかけてみました。よくある答えは、「いまの人生を全否定するわけではないが、楽しいことがあっても厄介なことはもあったわけで、まったく同じ人生をもう一度というのは実際には辛いかな。一度ならいいけど」というものでした。そして「何度も繰り返していい、というところまで自分の生を肯定する必要なんてあるんだろうか?」と疑問を呈する人もいました。でもなぜ、ニーチェは「永遠に繰り返せるほどの生の肯定」を求めたのでしょうか?
 それはルサンチマンの克服という問題と深くかかわっていると思います。
 ニーチェは、「こうあった」--たとえば「両親が離婚してしまった」「身体の障害をもって生きていかなくてはいけなくなった」「好きな人から別れを告げられてしまった」というような、ネガティブな過去のできごとーーに対する意思の歯ぎしり、ということをいっていました(第二部「救済」)。たしかにこのようなことを耐えつつ生きていくのは辛いものです。だからこそ、どうすることもできない「無気力」を感じ、そこから何かに心理的に復讐したいという気持ちが生まれます。失恋のばあいなら、自分をふった人に対して「どうせあんな女なんか」と急に欠点を探し出したりするかもしれません(ほんとうは素敵なのに)。人間の心にはそんな動きがあって、無力な復讐心で紛らわそうとするわけです。これがルサンチマンです。
 このような状態から、ふつう人はどうやって抜け出ていくのでしょうか。多くのばあいは、しばらくは呻いたり呪ったりしながら、時間が経つにつれて「しかたがない」と思いはじめて、だんだんと受け入れていくのでしょう。ところが、ニーチェは「しかたなく」受け入れるのではまだだめで、「それを欲した(意欲した)」にしなくてはいけない、すなわち「失恋してよかった」としなければいけないというのです。「すべての『こうあった』を『私がそう欲した』につくりかえることーーこれこそわたしが救済と呼びたいものだ」(第二部「救済」)と。
「しかたなしの受容」というのは、みんなわかると思うのですが、「これ“が”いい。私はこれを欲する」ということになると、多くの方が「それは無理ではないか」と感じるのではないでしょうか。たとえば身体の障害であれば、「障害をもったことは、“しかたがない”ではなく、障害をもったことを“欲する”」、つまり「何度生まれ変わっても障害者であることを欲する」までいかなくてはいけないわけですから、これはとてつもなく厳しい要求です。ぼくも最初にこれを読んだときは「何もそこまでいわなくても」と思いました。
 けれどもあるとき、ふと友人のKさんの言葉を思い出したのです。Kさんは、一九八〇年代の初頭、ぼくがまだ二十代のときに出会った人で、「骨形成不全症」という病気を抱えた女性でした。発育不全で身体は小さく、骨が弱くて脆いために骨折を起こしやすいので、彼女はいつも車イスにのって移動していました。以前は看護体制の整った施設で暮らしていたのですが、そこではさまざまな人たちとつき合う「関係の悦び」が得られにくい。当時は「障害者よ、街へ出よう」という「自立障害者」運動が盛んな時期でしたから、Kさんも公的扶助などを受けながら、ボランティアの人にお願いしてアパート暮らしをするようになったのです。
 しかしトイレ介護を受けないと一人ではできないので、夜眠るときでも必ず誰かが付き添っていなければなりません。彼女は二百人ほどの名前をリストにしたノートをもち、今日はこの人、明日はあの人というように、自分のおなかの上に電話器を置いて電話しながら、介護のスケジュールを埋めていたのを思い出します。
 Kさんはこの「自立障害者」運動のなかで、たくさんの障害者や健常者と出会って友だちになりました。彼女は大学生ではありませんでしたが、車いすを押してもらって大学のゼミにも顔を出し、そこでぼくもゼミ生の一人として彼女と知り合いになったのです。その彼女が、あるときこんなことを話してくれたことがあります。
「障害者の仲間の間では、こんな話があるんですよ。『もし天使が降りてきて“あなたの障害をすっかり治してきれいにしてあげる”といわれたら、そのときはどうする?』って。私は『このままでいい。障害をもって生まれたこの身体をもう一度選ぶ』と。それを聞いた二十代のぼくは、「ほんとかなあ? それはちょっと無理があるんじゃないかな」と思って、彼女にもそういった記憶があります。
 でもだいぶ後になって、あらためてこの「永遠回帰」の思想――マイナスな生の条件に対しても“われ欲す”といえるとすれば、どんなときだろう」と考えてみたとき、彼女の「このままでいい」といった理由がわかる気がしたのです。
 彼女にとっていちばん大切だったのは「関係の悦び」だったのだと思います。障害をもって生まれてきて、施設にいれば安全だけど悦びは少ない。それに対して「外に出る」ことは大変なリスクを伴うとしても、さまざまな人たちと出会える。新しい出会いを通じて生活を作れるのは、彼女にとってとても大きな悦びだったと思うのです。「障害だけを見ればたしかにマイナスだ。でも、この障害とともに自分の人生はあった。苦しみもあったけれど悦びもあった。障害のおかげで、他の障害者や健常者の友だちに出会えた。素敵な出会いがたくさんあった。この人生全体を私は愛す」と彼女は心から思っていたのかもしれません。
 あらためて「マイナスをどうやって欲するか」について考えてみましょう。「しかたがない」という言い方は、たしかに受け入れてはいますが「外から押しつけられた」感を伴っています。ですから、「もしこれがなかったら」と考えてしまう可能性が残っている。でも「このこと(障害)が私の生を作っている」と思えたならば、それは自分の人生の内側を形作っているものとして受け入れていることになります。それはもう自分から切り離せる「外からの」ものではない。苦しみも悦びもつくり出すきっかけにもなっている。そう考えるならば、マイナスを含めて自分の人生を肯定できる。そしてその人生を何度でも繰り返そうと思えるのかもしれません。

 ふたたびルサンチマンについて考えてみましょう。そもそも、なぜルサンチマンは「よくない」のでしょうか? ルサンチマンとは「無力感から生まれる復讐心」のことですが、ぼくなりの言い方をすれば、前向きな力を損なうところが問題なのです。
 まず第一に、それは「自分が人生の主人公であるという感覚」を失わせる。自分の人生を自分でコントロールしていけると思える「能動的」な感覚、これをだめにする。さらにもう一つ、「みずから悦びを求めて汲み取ろうとする力」を失わせる。たとえば、同じ時間で仕事をするときに、嫌々ながらやることもできるし、悦びを得ようとすることもできますよね。ルサンチマンとは「ブーたれ」ですから、自分から動く能動性を失わせてしまい、「文句をいう」という微弱な快感とひきかえに、積極的に悦びを汲み取ろうとする力を損ねてしまうのです。

 さて、いよいよ本題へと入りますが、ニーチェの思想のうち、私たちが現代を生きるうえで大事だなと思うポイントをいくつか拾ってみましょう。
 最初に強調したいのは、ニーチェの思想は、まさに「いま」という時代を生きるさいの「柱」になるものだ、ということです。高度経済成長期のように、「いまは自分たちは貧乏だけど、いずれ豊かになれる」とか「あそこには素晴らしいものがある」という目標が与えられない時代です。
 そんななかで、「では何ができるのか」と考えたときに、もしあなたが「自分の人生を自分でつくっていく主役でありたい」と願うならば、この状況で「何が自分を悦ばしくするか」を問う以外にありません。--これは一見、とても厳しい思想のように思えます。「こうやって生きるべきというものはない。どのように生きてもいい。そして、どの絵を描くのかもすべて君に委ねられているのだ」というので、恐ろしく感じる人もいるかもしれません。しかしそれは、人を本当の意味で自由にしてくれる思想だとぼくは思います。

 なぜ「この作品はすごい」のか、なぜ「この作品はいまひとつダメなのか」。こうやって互いに語り合われることを通じて、人生に対する態度や、他社に関わる態度、社会に対する姿勢など、自分がいままで無自覚につくってきた「よい・わるい」の感覚が、他者の感覚と照らし合わされ、検証されていく。そのプロセスを経て、「やっぱりこれはいい。これはよくない」という価値観の軸ができあがっていく。こういうことが文化の本質でしょう。一言でいえば、自他の価値観を照らし合わせながら、ほんとうに納得のいく価値観をともにつくりあげていこうとすることです。
 こうした語り合いのないところに、「創造性」や「高まること」はない、とぼくは考えるのです。

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2022年12月28日

Posted by ブクログ

解説者の解釈がたぶんに含まれているというレビューも多いが、だからこそ非常に読み下しやすかったのではないか。
自分のように特に前提知識も持たない一般人にとっては、かなり平易に噛み砕いてもらったおかげで大変読みやすかった。
自分も「超人」として生きたいが...。

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2022年11月12日

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原文で読んでも意味がわかりにくいところを解説してもらえると助かる

現代社会においても当てはまる考え方

100年以上前に書いた本とは思えない

自分の人生を力強く生きていく…アドラー心理学にも通じるものがある気がした

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2022年01月24日

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ニーチェ!実存主義。生きてる間は不遇だった人。
人間が生を肯定するにはどうすればいいか?この自分を取り巻く条件の中で、どうやって自分の喜びを汲み取るかを考えるしかない。「悦び」も自分が決めるしかない。私が求めているのは何だろうかと自分に問いかける。

永遠回帰の思想とは、宇宙の万物は永遠にその経過を繰り返していると言うもの。喜びも苦しみも含んだあなたの人生が何度も繰り返されることをあなたは欲することができるか?それが真に自分の人生を肯定すると言うことだ。そのためにはあなたは苦しかったことに対してもyesと言えるのではなくてはならない。

受け入れがたいことが起こってしまったとき人はそれを恨む。「なぜ私だけがこんな目に」「こんなことさえなかったら」このルサンチマン(恨み)の気持ちはごく自然なもので、まずそれを発散することが必要。「祝福することのできないものは呪うことを学ぶべきだ。」←明るい教え。

しかし恨みルサンチマンの中にずっと埋没していると2つの大切な感覚を失ってしまう。
①主体性の感覚の喪失…自分は何をどのようにやっていこうかと前向きに問いかける気持ちを忘れてしまう。自分は自分の人生の主人公だと思えなくなってしまう。
②喜びの感覚の喪失…今まで生きてきた中で自分のささやかなまた深い喜びを受け取って生きてきたことを忘れてしまう。そして今の状況の中からでも喜びを受け取って生きようと言う姿勢も持てなくなる。

「苦しみをどのようにして受け止めていけるか」の問いと「一旦起こってしまった事は戻せない。大切なのは今、これから'自分が'どうするかだ」と言う思想。

自分の力が自発的に発揮されるときに感じる自己肯定「今日の俺って天才か」「私ってかっこいい」

永遠回帰…人生の中で1度でもほんとに素晴らしいことがあって、心から生きていて良かったと思えるならば、諸々の苦悩を引き連れてこの人生を何度も繰り返すことを欲し得るだろう。

恨みや無力ルサンチマンの状態からどう抜け出すのか。しばらくは呪ったり呻いたりしながら、時間が経つにつれて「仕方がない」と思い始めて状況を受け入れていく。しかし「仕方なく」受け入れるのではまだダメで、「それを欲した(意欲した)」にしなくてはいけない。すなわち「失恋してよかった」としなければいけないということ。

悦びは嘆きよりも、悲しみよりも深い。すべての悦びは永遠を欲してやまない。

人生の中にあった悦びを思い出すこと。これからの人生で素敵なことを汲み取ろうとしないといけない。人を好きになったこと、何かを作り出したときの達成感、人が喜んでくれたことなどなど

語り合う関係の中で自他の意見を確かめ合う事によって初めて、物事の「よし・あし」を確信できるから。語り合い確かめ合う空間が縮小すると、一人一人はますます個別化され不安になる。そしてマニュアルに頼ったり集団の多数意見に合わせたりして生きていくしかなくなる。表現のゲーム。

都市空間が生まれたことによって「人生を選ぶ」と言う意識が生まれた。「私はどうやって生きていけば良いのか」「何が生きる上で大切なことなのか」といった生き方の問いを持つ人間が生まれたと言うことを意味する。それを深めたのが本。

安心できる場を作るには尋ね合いが大切。

人が本当にクリエイティブになる時とは、人との関わりの中でお互いが感情出し合ってそれをきちんと受け取った理解したりする時ではないかと思います。お互いの間で響き合ったり、刺激し合ったりしていく中で高まっていくところに超人がある。

自分の欲望こそ、自分自身に他ならない。自分探しとは自分の欲望を探すこと。自分の欲望あきらめない事は人生の正しい生き方。世間から評価される前に「自分がどれだけワクワクできるか」とプラスの思考から始めなければならない。

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2021年11月07日

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前半はツァラトゥストラをベースに主に超人と永遠回帰に焦点を当て、後半はニーチェの思想を現代にどう活かすかを論じている。噛み砕かれた文体に加え、かなり論点を絞っているため挫折せずすぐに通読でき、ニーチェの中心思想を理解するとっかかりとしてちょうどよい。よく対比させて述べられるヘーゲルに関しても触れられている。ただし、後半になるにつれ、ニーチェのように孤独になるよりも、「語り合い報告し合う営み」を通した方が人生はより創造的になっていく、という筆者の意見が前面に出てくるため好き嫌いは分かれるかもしれない。

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2021年10月03日

Posted by ブクログ

自分の人生、自分が主人公。
苦しい時もあるけど、自分を信じて行動した先に悦びがあるような気がする。
ニーチェの言葉をまた読書から感じ取りたいと思った。

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2021年08月14日

Posted by ブクログ

主張が抽象的なため、解釈の仕方が様々あるが(過去にはナチスの優生思想にも利用された)ルサンチマン(否定することによる自己肯定)に負けずに意思を持って創造的に生きるための思想だと理解できた。

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2021年06月03日

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以前読んだ飲茶さんの本で、ニーチェの思想はざっくりは知ってたけど、ニーチェの生い立ちなどもしれで理解が深まった。
『ルソー エミール』でもそうだったが、この方の本はでは取り上げている人物の思想に共感しながらも、足りない視点などを補ってくれるところが凄く実用的で良い。
ニーチェの思想にどっぷり嵌りそうな人のタイプにも触れていて、ドキッとした。
ルサンチマンに囚われては前に進めないが、創造性を求めて孤独になりすぎないように気をつけよう。

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2021年04月07日

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ニーチェの中心的な概念、神は死んだ、生の快楽の肯定、ルサンチマン、ニヒリズム、超人と末人、永遠回帰をわかりやすく解説。古典を直接読んで理解するにはまだまだ力が足りない段階なので、これくらいの解説がちょうどよく、理解が進んだ。今、自分の人生を自分のものとしてどう考えるか、考えてみたい。

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2021年01月17日

Posted by ブクログ

ニーチェの思想が分かりやすくまとめられており、良書だと思った。
ただ、筆者の考えが必要以上に多く述べられていると、個人的に感じた。

筆者の考えに賛同できることは多々あるものの、わざわざニーチェの考えを否定しつつ自分の考えを主張するというのが一部出てくる。

もちろん筆者の自由に本は書いていいわけだが、「他人の考えを否定しないことが大切である」という主張を自分の考えとして述べている。

そこには自分も深く賛同できるのだが、それを筆者自身が破ってしまっているのは気にならざるを得ない。

ただここから学べることは、つい人は自分の考えが「正しい」と思い、知らず知らずのうちに他人の考えを否定してしまうきらいがあるということだ。

当然このレビューを書いている自分も同様に。

ニーチェの言うように、唯一絶対の正解などないはず。

自分も、自分の考えと他人の考えをそれぞれ尊重するということは常に意識しておきたい。

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2020年07月30日

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ネタバレ

ニーチェの思想が知りたくて読んだ本。ニーチェや「超人」、「永遠回帰」、「ルサンチマン」の思想を知ることできて良かった。この本を読んで、ニーチェの妹のエリーザベトが酷い人だということを初めて知った。自分の生き方は自分で決める、人と高め合って生きる、何が自分にとっての悦びなのか、唯一絶対の真理は無いというところが特に印象に残った。

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2020年02月05日

Posted by ブクログ

ニーチェのことを知りたくて買ってみましたが、著者の主観も多く例えが普通の日常だったりしてがっかりしました。ニーチェについても「私は違うと思う」とか。
説明もいろいろ織り交ぜすぎてわかりにくい。
言葉やポイントになる部分はよかったので、拾い読みして終わりました。

本日2/8、家人から違う意見の人を聞くのも大事だと促されて再読しました。
いやニーチェ崇拝から少し離れて考えてみるとまた色々考えさせられます。とてもいい本でした。
やはり哲学においては互いの意見を聞き合うということが常に重要なのだと再認識しました。
ありがとうございます

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2015年04月07日

Posted by ブクログ

「ツァラトゥストラはかく語りき」にはどんなことが書かれているのだろう。いきなり読むのは難しそうだしと思っていたところ辿り着きました。
ツァラトゥストラ~をわかりやすく解説している部分と、それを現代社会(今の日本)に則して解釈している部分とあって、とてもわかりやすく読みやすかったです。
解説部分は、たんに翻訳と言うことではなく、ニーチェの伝記っぽい感じで、こんな境遇のときにこれを書いたのだ、というのがわかってますますニーチェが好きになりました。
最後に、ニーチェの本のお勧めリストがあって、次に読む本を提案してくれています。

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2014年11月09日

Posted by ブクログ

もっとも、ヘーゲルとニーチェでは、語り方にニュアンスの違いがあります。ニーチェはまず「高揚」や「悦び」を強調するのに対して、ヘーゲルは「普遍性」(自他ともに認める普遍的な価値)を強調するからです。ニーチェならば、「まずは元気になること、悦ばしいことをやれ」というでしょう。他者に承認されるかどうか、価値があるのかどうかなどは放っておいて、まず自分が元気の出てくることをやれ、というセンスです~。
ヘーゲル:社会派
ニーチェ:実存派
ルサンチマン うらみ、ねたみ、無力からする意思の歯ぎしり
ニヒリズム 神は死んだ
固定的な真理や価値はいらない。自ら価値創造する意識。
現状を前向きに受け止め、主体的に創造的に生きて行く

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2013年02月23日

Posted by ブクログ

今、改めてニーチェが見直されていますが
他人からの承認ではなく、自分自身が日々をどのように受け入れて生きているか…。

不遇な生涯ながらも今なお指示されているニーチェ。

ルサンチマンとどう向き合い、受け入れ生きていくか。
自分はまだまだ未熟ですね。

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2012年04月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

おすすめ度:85点

ニーチェ著『ツァラトゥストラ』解説本。西氏が自己の体験談を交えつつ、現代社会に合わせて解釈している点がとても良い。また決して盲目的にはならず、時には足りない点もあると指摘していることもGOOD。
「ルサンチマン(=うらみ・ねたみ・そねみ)」は自分を腐らせてしまう。主体的に生きる力を失わさせてしまう。
神は弱者のルサンチマンから生まれた。「神は死んだ。」
いかにしてニヒリズムを克服するか。
「超人(=高揚感と創造性の化身)」になっていくプロセス。ラクダ(=重い荷物を背負う)→獅子(=「われ欲す」)→幼子(=創造の遊戯)。
「永遠回帰(=徹底したニヒリズム)」→人によっては絶望する?→魂がたった一度でも、幸福のあまりふるえたなら。障害者の方の例。
西研氏の主張「ニーチェのいう創造性は「表現のゲーム」という仕方で引き継がれる。」「語り合い、確かめ合う。」「悦びと創造性の精神をもって生きる。」
斎藤環氏の主張「自分の欲望こそ自分自身にほかならない。」「自分を肯定する。」「自分の欲望を諦めない。」

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2012年04月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

個人的にはツァラトゥストラの内容の解説よりも西研さんの意見、考えの記述が多いように思いました。

しかしながら、ニーチェの人生や彼を取り巻いていた人間関係や環境などはとても分かりやすく解説されていました。ツァラトゥストラを読む前準備にはとてもいい本だと思います。

神様とか天国というのはゴリゴリに辛い現実に耐えられない人間が何とかして前向きに生きていこうとして作ったもの。キリスト教なんかもそう、“汝、真実を語れ”というのなら、その言葉を本当に突き詰めるのなら“本当は神様は存在しない”ということと真正面から向き合わなければいけないのでは?という指摘は、ほとんど信仰心のない私も少し動揺しました。絶対的な善も悪もないとなるとどこに心のよりどころを求めればいいのか、ニーチェからするとそんなものはないのでしょう。しかし、彼自身が発見し世に説いたその“確かなものが何一つない”不安からニーチェ自身も病んでしまったのは気の毒だなと思いました。

また、現実として孤高の超人を目指すのではなくいろんな人と関わり合いを持ちながらいった方がいいという考え方は私もそうだなあと思いました。でも、難しいですよね。他者と渡り合っていくとなるとどうしても自分と相手を比較してしまったり、自分が持っていないものを相手が持っていると羨ましく思ったりと何かと己のルサンチマンが顔を覗かせてしまいます。永劫回帰については、いいことは何回でも繰り返し起こってくれて大いに結構なのですが、辛くて暗いいやなことだけは都合よく記憶から抹消してしまいたい、どうかその部分だけは繰り返さないでほしいと私は思ってしまいます。
その点については、受け入れられないなら呪え!という開き直ってるところがにニーチェの優しい矛盾であり、それと同時にそれが上手にできればニーチェも発狂しなかったのではないかなと思いました。

劇薬的著書ツァラトゥストの解説書でもかなりの副作用?があったので、考えがまとまらないままレビューを書いておりますが、本作を読んだらどうなってしまうのか今からドキドキです…。

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2022年05月03日

Posted by ブクログ

NHKの番組「100分de名著」の第1弾「ツァラトゥストラ」のテキストが単行本化されたもの。

一番の特徴は、解説しているのがヘーゲル研究者であることだと思う。

これによってニーチェから適度な距離感がとられていて、ニーチェの「超人」のイメージに対しても批判的な見方がされる。
それは「孤高の超人」では駄目で、「周囲との協力」という考え方がニーチェには欠けていたのではないか、というものだ。

一方、対談で登場する斎藤環氏はあくまで孤高の「超人」を支持している。

『ツァラトゥストラ』はそれだけ様々な「読み」が可能な作品ということでもあり、先に解説本を読むのではなく、原典から読むことがオススメの本のうちの1冊だと思う。

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2016年06月01日

Posted by ブクログ

ヘーゲル 社会派 ←→ ニーチェ 実存派
○超人
○永遠回帰
○ルサンチマン 
自分の苦しみをどうすることもできない無力感。絶対認めたくないけれども、どうすることもできないという怒り。怒りを何かにぶつけることで紛らわそうとする心の動き。ルサンチマンこそがキリスト教(神)を生んだ。神を用いることで観念の中で強者になろうとした。
○価値変換
○貴族的価値評価法(ニーチェ)
「高貴」で力強い者たちの「自分たちは力をもっている」という自己肯定が「よい」で、そのような力を持たないことが「わるい」
○僧侶的価値評価法
キリスト教にとっての「善」
他人のため、人々のためを思い行動すること、つまり、その行為を受けた人にとって「よい」であり、自分の「快」や「喜び」を求めるのは「悪」である。
自分が気持ちよくなって自己肯定するのではなく、強い他者を否定することで、自己肯定する。
○ニヒリズム
 至高の諸価値がその価値を剥奪されること。目標が欠けている。「何のために」の答えが欠けている。ニヒリズム、ペシミズムの蔓延。末人の登場。
「神との神秘的な合一」安楽譲多いを求める欲望の背後にあるものは<無への意思>である
→能動的な感覚を失わせる。「この条件のもとで、自分はどうやって悦びをくみとっていく道があるか、と自分で考えるしかない。」
○末人
 憧れをもたず、安楽を第一とする人。

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2016年05月29日

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