内村鑑三のレビュー一覧
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ネタバレこんな考え方もあるのか、と思った本。内村鑑三氏は、まずお金を儲けなさい、事業をしなさい、それが無理なら教育か本を書くかして思想を遺しなさい。それらが出来ない人は生き方を真っ当にしなさい、と言った。これらは全て、後世に残すためのものである。ただ、よりよく生きるとは、人の価値観、考え方によって違ってくる。自分の人生を後世に残すというのが自分の頭にはなかったこと。今まで、死ぬ瞬間にいい人生だったといえる人生を過ごそうと思ってたが、この本を読んだり、自己分析したりして、周りの評価も自分の人生に大きく関わるなと思った。自分が結果を出して、周りに評価され、後世に残すものが増える人生が現時点で考えた、いい人生。そして、前々からおもっていたことだが、本も出版したいと改めて思った。教育に携わるかどうか、今の自分はお金を有効に使えてるかどうか、どんな事業をやるか、など色々考えさせられた本だった。
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ネタバレ内村鑑三による英語の著作。西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の生涯が紹介されている。この5人に共通するのは「徳を大切にし、思いやりに満ちていた」こと「人づくりをしたこと」。「生涯を掛けてやってきたことを、次の世代が何かの役に立ててくれればいい」とそんな声が聞こえてきそうだ。
●西郷隆盛
西郷を語る上で欠かせないのが「陽明学」。「陽明学」はがキリスト教と似ている点が多く、崇高な良心、厳しくも慈悲深い天の教えを説く。革新的で可能性に富んだ教えだ。一方江戸時代の正学「朱子学」は保守的であり、支配層は陽明学がキリスト教に近かったために弾圧したとする。
西郷よりも優れた人物はいた。木戸孝允や大久保利通、三条実美や岩倉具視である。しかし、西郷なしには維新革命は起こらなかった。西郷こそが革命運動を始動させた人物だからだ。
東アジアの統合は、列強国に並ぶために必要な道であったと肯定しつつ、征韓論に関しても、朝鮮側が無礼を重ねたためであったとした上で、西郷の言動は天の法に則った行動であると記す。
西郷は勝海舟に向かって「もし戦火を交えたら、我々のせいで罪もない民が苦しむ羽目になるだろう」と。結局江戸の町は救われ、和平がもたらされた。西郷の強さの奥には、女性的な優しさが多く潜んでいた。
西南戦争で西郷は自害。最後の侍もいなくなってしまった。
「正義がきちんと行われていること」。西郷による文明化の定義だった。「どんな形であれ、一国の名誉が傷つけられた場合、政府が行うべきことははっきりしている。(略)正義と大義の道に従うのだ。戦いと聞いただけでびくびくし、安易に平和を金で買う者は商法管理機関とも呼ぶべきもので、断じて政府のやるべきことではない。
・「正しくあれ、恐れるな」(Be Just and Fear Not.)(シェイクスピア「ヘンリー八世」)。自分の心に恥じるところが
ないならば、どんな批判を浴びようとも恐
れずに前へ進もう。
・「敬天愛人」(天を敬い人を愛する)が西郷の生涯の徳目だった。
・「好機(機会)には2種類ある。思いがけずやってくるものと、自ら働きかけた結果やってくるものだ。世の中で好機と呼ばれているものは、おもに予期せずにやってくる者ものを指す。しかし本当の好機とは、時代の求めに応じ、しかるべき理由を見いだし、それを実現しようと行動を起こした結果なのだ。危機に直面した際は、好機を自ら引き起こさなければならない(61)
●上杉鷹山(米沢藩主)
上杉家は120万石の越後国を支配した謙信を家祖とする大大名。関ヶ原の戦いで西軍(反徳川)に付くなどして、15万石に削られる。家臣の数はそのままで、固定費がかかり、しきたりも長年変えることができず、財政破綻状態。
この中で、藩主・家臣・領国民の「心(道徳)の改革」「社会(財政)の改革」に成功した。心の改革については、藩主の地位について2年後、初めて米沢の地に向かう際のエピソードが紹介される。
「目の前の小さな炭火が今にも消えようとしているのに気づいた。大事にしてそれを取り上げ、そっと辛抱強く息を吹きかけると、実に嬉しいことには、よみがえらすことに成功した。”同じ方法で、わが治める土地と民とをよみがえらせるのは不可能だろうか”そう思うと希望が湧きあがってきたのである」(81-82)
・「徳によってきちんと社会が治まれば、統治の仕組みは却って邪魔になる。封建制度の優れた点は、この支配する者と支える者との個人的な人間関係にある」(75)
・どんな社会の仕組みも徳(精神の修養によってその身に得たすぐれた品性)に代わるものはない。徳によって社会が治まれば統治の仕組みは却って邪魔になる(74)。
・本当の忠義(主君や国家に対し真心を尽くして仕えること)とは、主君と家臣とが、直接向き合って初めて成り立つもの(74)。
・賢い者は樹をまず気遣うから果実が得られる。ここに鷹山が一連の産業革命を成し遂げられた理由がある。人々に「徳」を身につけさせることを目指していた(92)。
・全ての学問が目指すものは、徳を修めることに他ならない(103)
・汝の夫は父として領民を導き、汝は母として民を慈しみなさい。その時民は汝らを親として敬うであろう。これに勝る喜びがあるだろうか(104)。
●二宮金次郎(農村改革の指導者)
16歳のころに父親を亡くし、叔父の世話を受けます。叔父に世話にならないよう働き、夜に油を使って本を読むことを叔父に咎められたため、山に行く往復の道で本を読んでいた。休みの日には、菜種を育てるという試みを通じて、真面目に働くことは価値があるのだと学んだ。
それから叔父の家を離れ、荒れ地を整え資産を得、超貧乏だったところから勤勉と倹約で公の仕事に抜擢された。
「仁術(道徳)さえ施せば、この貧しい村の人々に平和で豊かな暮らしを取り戻させることができるはずです。補助金を与えたり、年貢を免除したりしても、苦しんでいる人々を救うのに何の役にも立ちません。それどころか、金銭援助を一切しないことこそ、救済の手立ての一つとなります。(略)荒れ地は、荒れ地そのものが本来もっている力で切り開くものです。貧困も自力で立ち直らせなくてはなりません」。優しくも、厳しいリーダーの弁だ。
●中江藤樹(儒学者)
中江藤樹(1608-48)は、日本における「陽明学」の開祖。
米子藩、大洲藩に赴いた後、郷里である近江国高島郡小川村(現在の滋賀県高島郡安曇川町上小川)近江に戻り、私塾を開く。これが、藤樹書院である。
1642年のある日、不思議な縁で遠方の侍が弟子になる。これが熊沢蕃山(1619-91)で、藤田東湖(1806-55)がその思想に傾倒したのだとか。その藤田東湖の影響を受けたのが西郷隆盛(1818-77)。岡山藩主池田光政も門人として名を連ねる。
王陽明は、孔子の先取りに富む気性を丹念にすくい上げたその上で、自己流の後ろ向きな解釈をしがちな人々に、希望を抱かせた。(略)こうして近江聖人は実践の人となった(p.177)。
「道(心理)は法とは別物(略)「法」は時とともに変わる。これに対して「道」は永遠から生まれ出るものだ。徳と呼ばれるものに先だって、広く行き渡っていたのが「道」である」(pp.177-178)。
教えで重視したのは、一人一人の徳と人格。それは人間一人一人が独立した個性であって、比較できるものではない。生活を正し、日々小さな善行を積むことで人格が形成され、真に人を感化させる影響力を持つようになる。
●日蓮
仏の教えは一つしかないにも関わらず、なぜ複数の宗派が乱立するのか。ただ仏の言葉のみ耳を傾けるべきだという並々ならぬ意志が芽生える。しかしこの動機は既存の仏教を批判するということに他ならない。日蓮は故郷で自分の考えを述べると村を追い出される。さらに辻説法が評判を呼ぶと高僧たちからは睨まれる始末。
さらにまったく後ろ盾がないまま時の権力者・北条時頼に既存仏教に批判的な『立正安国論』を第5代将軍・時頼に提出(1260)。その結果伊豆流罪(1261-63)、佐渡流罪(1271-74年3月)に。
元寇の危機が迫り鎌倉に戻る。鎌倉に戻ってまもなく、日蓮は教義を国中に広げることを許される。篤い信仰心がついに勝利を収めた。
しかし、まもなく文永の役(1274年10月)、弘安の役(1281)、鎌倉大地震(1293)がおきるなど、『立正安国論』に記された不安は続く。この不安は、日連宗信者を増やしたのでしょう。
本質はたった一つでしかない。仏陀が残した最後の経文『法華経』しか信じないという排他性が、本願寺焼討ち(1532)や天文法華の乱(1536)に繋がったことも否めない。「排他的」は「ほどほど」に。多様性を受けいれるというのが、今のご時勢・世情には適っているように思うのだが。 -
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渡米した内村鑑三は、
自身が崇拝してきたキリスト教を根幹としたキリスト教国で絶望する。
これが、キリストの教えを実践する国なのか?と。
「山にとどまる者は、山を知らない」
外へ出ることで始めて自分自身が何者かをよく知ることができると内村鑑三は言う。
がっかりした内村鑑三は、
欧米の宗教であることを根拠にキリスト教を擁護することを止めることを決意。
まさに自身の頭で考え、自身の心で感じることこそが、根拠となりうるのであって、
欧米であるという外的証拠などでは、足元はグラグラだということを痛感したからである。
内村鑑三は、正しい道徳と正しい行為のためには、身体が正しい状態でなければならないということを、つまり胃袋が大事だということを痛感する。
また、どんなに崇高な志がある活動であっても、その活動を通して人々に貢献するには、明瞭な頭脳と鉄の意志が必要だと知る。
内村鑑三は、
信仰を重んじながら、リアルな現実を直視することも忘れなかった。
日本の本質的な敗戦要因の一つとして、
現実を無視した過度な精神主義が見られる。
アメリカとの戦いは物質的な戦いではなく、精神力の戦いだとみなしていた。
それが、例えば兵士の睡眠や胃袋を軽視し、精神力過多の思想によって、無理が募り敗戦につながった。大きな要因の一つだろう。
ひるがえって、
内村鑑三は敗戦前の人間としては、
かなり現実的な視点をもっていた宗教家でなかっただろうか。 -
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強制的に改宗させられたものの、一神教の素晴らしさに心打たれた鑑三。
彼の宗教的ストイックさと、アメリカに渡って無数の宗派のどこにコミットしていいかわからずノイローゼになりながら、自らの信仰を見出していく日記に非常に共感。
どちらかというと橋爪先生の解説の辛辣さに笑ってしまったが、
明治期の新しい真理に触れた鑑三がいかに、西洋の真理と日本の真理を接木しようと格闘しようとしていたかがわかる。
ただ、神道や仏教の真の価値をー江戸、明治を経て形骸化していたとはいえー見いだそうとしない鑑三の態度にはぼくは批判的である。
まだ、日本のキリスト教は始まってすらいないのが現状であると思う。 -
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ネタバレ内村鑑三の講演録であり、ネタバレすると、後世に我々が遺すことができるのは、我々という人間が生きたという物語であるという内容。
前半が少し冗長に感じるが、後段、特にクライマックスはやる気を奮い起こしてくれる一作。定期的に見返したい。
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二宮金次郎は早くに両親を亡くし、叔父に育てられたが、読書のための油が勿体無いと言われれば自分で油を作り、読書などせず働けと言われれば、働いてから読書をした。そのうち、自分の田を得て米を得られるようになると、今度はその知識を人々に還元した。例え辛い境遇でも、またキリスト教の教えがなくとも、人は人のためになることができる。
マウントホリヨークセミナリーという女学校のメリーライオン女史は、「人の行くことを嫌うところへ行け。人の嫌がることをなせ」と語った。
徳川家康は、子どもたちが二手に分かれて喧嘩をしているのを見て、自分の家来に少数派こそ正義であるとして加勢をさせた。少数の正義のために、多数の不義と戦う精神。
人生は邪魔があればあるほど勇ましい生涯と事業を後世に残すことができる。 -
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この本の著書である内村鑑三は明治維新を率いた偉人たちの1つ下の世代の人物であり、西洋化される前の日本を知る最後の世代といえる。
武士の家に生まれた生まれた内村は、武士道の精神を子供時代に教えられて育っている。
そんな内村がキリスト教に入信することになったのは札幌農学校での同期生やクラーク博士の影響だとされている。
彼は武士として育てられた側面とキリスト教に感化された側面という一見対立しそうなこの2つの軸の融合を測った。その試みの1つがこの本だといえる。
日本の武士道は中国発祥の儒教をベースとしているが、儒教の教えの中核となるのは「仁」という人間の徳性である。この仁とはキリスト教の説くところの「愛」と同義とだといえるかもしれない。
また、西郷隆盛が説く「天」とは、キリスト教では「主」に置き換えることができる。
著作の中で紹介される5人(西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮)に共通するのは、天に導かれ仁を持って人々に接したことであり、その結果として社会的な貢献を果たしたということである。
キリスト教、儒教、武士道に共通する軸とは何か、それらはひいては人類が大切にすべきことは何かを示しているのではないかと思う。
それは、イデオロギーや人種、言語の壁を超えた仁であり愛なのではないか。
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ネタバレ前評判通り内村鑑三の文章は面白い。訳者の力もあるのだろうが。クリスチャン的な視点が多く含まれていて、注釈を読んでもよくわからない部分は多いが、五人の偉人の生涯と内村鑑三の彼らに対する評価が初心者向けに書かれている。しばしば賛美しすぎのきらいもなきにしもあらずではあるが。
日蓮上人に関しては他の人々に比べて、そこまでの業を成し遂げたひとだと思わなかったが、解説を読むと、内村鑑三自身と似た境遇にあったことが指摘されている。そう聞くとたしかに内村鑑三が日蓮上人を取り上げたくなる心情が理解できる。
バッシングではなく「教養が深まった気分になれる」一冊だった。 -
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内村鑑三にのよる日本の偉人を海外に発信するために英文で書いたもの。それの日本語訳。新渡戸稲造の武士道とかも同じように英文が原文ということを全然知らなかった。
西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人を紹介。
西郷隆盛は明治維新の立役者でありながら、最後の悲劇的な終わり方、人柄などスター性があるような感じがした。能力だけなら大久保、木戸などが上なのかもしれないが、スターは西郷なのかな
ある一文に「千代に八千代に」いきたい・・・という箇所があり、国歌の一部だと思って調べると、古今和歌集からとっていることを知った。無名の歌人が1000年前に歌ったことが、今の国家に使われている面白さを知る。
天や自然に従い、人に寄り添う敬天愛人という陽明学に添ったスタンスという点で全員が一致している。小さくまとまらないスケールの大きな人の考え方のように感じて良いなと思う -
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内村鑑三の講演を文章にしたものだそうで、わかりやすく、内容がスッと入ってきました。私がこの本を読むのは2度目です。
2回に分割して読んだので、感想を書くのは『デンマルク国の話』だけにします。
ここからネタバレになりますが、『デンマルク国の話』はダルガスというユグノーの男が、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に敗れたデンマークを立て直すために奮闘する話でした。
ダルガスは剣で失ったものを剣で取り返そうとはせず、不毛な国土を田園にして補うという考え方の持ち主でした。具体的に彼がどうやってデンマークを発展させたかは実際に本を読んでもらうとして、ダルガスの思想、彼を取り上げた内村鑑三の考えは今の日本にも多く通ずるところがあると思います。
P82の「戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民であります。」の部分はまさに端的に彼の思想を表していると思います。解説によると、彼がこの講演をしたのは1911年で、日本による朝鮮併合の一年後でした。彼が日本によって併合されて国土を全て持ってかれた朝鮮を思って、書いたということです。よく朝鮮併合後にそんなことできるなと思います。
敗戦したとしても、そこから国家、民族の精神を失わずに国運振興に励めば敗戦による損失を補うことができるということで、奇しくもこれは1945年に敗戦した日本にも当てはまることにもなりました。
終戦後の人々が読んだら大いに勇気づけられると思いましたが、文科省がこの内容を教科書?に1947年に入れてたってことで、そりゃそうかってちょっと恥ずかしいです。
初めて、少しですが長く感想書くので拙く、恥ずかしいですが、頑張りました。ありがとうございます