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武士の家に育った内村は、進学した札幌農学校で半ば強制されるようにキリスト教に入信する。しかしその懐の深さに心を打たれた彼は、仲間たちとともに自分たちの教会を建てるにいたる。やがて真のキリスト教国をその目で見ようとアメリカへと単身旅立つが……明治期の青年が異文化と出会い、自分自身と国について悩み抜いた瑞々しい記録。(解説・橋爪大三郎)
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Posted by ブクログ
渡米した内村鑑三は、 自身が崇拝してきたキリスト教を根幹としたキリスト教国で絶望する。 これが、キリストの教えを実践する国なのか?と。 「山にとどまる者は、山を知らない」 外へ出ることで始めて自分自身が何者かをよく知ることができると内村鑑三は言う。 がっかりした内村鑑三は、 欧米の宗教であること...続きを読むを根拠にキリスト教を擁護することを止めることを決意。 まさに自身の頭で考え、自身の心で感じることこそが、根拠となりうるのであって、 欧米であるという外的証拠などでは、足元はグラグラだということを痛感したからである。 内村鑑三は、正しい道徳と正しい行為のためには、身体が正しい状態でなければならないということを、つまり胃袋が大事だということを痛感する。 また、どんなに崇高な志がある活動であっても、その活動を通して人々に貢献するには、明瞭な頭脳と鉄の意志が必要だと知る。 内村鑑三は、 信仰を重んじながら、リアルな現実を直視することも忘れなかった。 日本の本質的な敗戦要因の一つとして、 現実を無視した過度な精神主義が見られる。 アメリカとの戦いは物質的な戦いではなく、精神力の戦いだとみなしていた。 それが、例えば兵士の睡眠や胃袋を軽視し、精神力過多の思想によって、無理が募り敗戦につながった。大きな要因の一つだろう。 ひるがえって、 内村鑑三は敗戦前の人間としては、 かなり現実的な視点をもっていた宗教家でなかっただろうか。
強制的に改宗させられたものの、一神教の素晴らしさに心打たれた鑑三。 彼の宗教的ストイックさと、アメリカに渡って無数の宗派のどこにコミットしていいかわからずノイローゼになりながら、自らの信仰を見出していく日記に非常に共感。 どちらかというと橋爪先生の解説の辛辣さに笑ってしまったが、 明治期の新しい真理...続きを読むに触れた鑑三がいかに、西洋の真理と日本の真理を接木しようと格闘しようとしていたかがわかる。 ただ、神道や仏教の真の価値をー江戸、明治を経て形骸化していたとはいえー見いだそうとしない鑑三の態度にはぼくは批判的である。 まだ、日本のキリスト教は始まってすらいないのが現状であると思う。
タイトルの通り内村鑑三がいかにして(なぜではなく)キリスト教徒になったかを、自身の日記を追いながら補足的に当時の思考を追記していくというスタイルの文章です。 情熱的で実直で、少し稚拙な感じすらする内村青年の思考の遍歴の話し。 岩波文庫版よりも圧倒的に読みやすく、青春文学を読んでいるかのよう。一人...続きを読む称がぼくなのがイイ。
内村鑑三の札幌農学校〜アメリカ留学時代の内的記録です。特に前半は明治初期の若者の西洋知の受容の様子がユーモアを交じえて綴られています。キリスト教もその一部であり、一時的な熱狂が過ぎ去ると、離れていく者もあり、真実、信仰の道に入る者もあり、という流れがみてとれます。後半は生真面目で誠実な若き内村の、キ...続きを読むリスト教を通じたアイデンティティの模索と葛藤が語られます。個人の記録としてだけでなく、当時の時代感、空気感を感じとることができます。
題名だけ知ってて読んでみたかった本。訳のおかげもあって思ったより平易で読みやすく、面白かった。 強制的な改宗から始まったものではあったが、その清廉な信仰のよろこびと苦悩、熱意には胸を打たれた。武家の息子として八百万の神と儒教思想の中で育ってきた人間が、自分の根本・世界の原理としてキリスト教を受け入れ...続きを読むるために格闘する。ごりごりの儒教思想の御父上も改宗させたというのは本当にすごい。しかし日本では信仰の渇きを満たすことができず、アメリカにわたって様々な宗派と出会い、キリスト教国に対する幻滅も味わい、神学に疲れ、それでも自分なりの真理と呼べるものはつかみ取って帰国した。 終盤にある、真理の話がとてもよかった。キリスト教は真理だ、と言い切りながら、真理を定義することはできない、とも繰り返す。 「生命についての真の知識はそれを生きることによってしか得られない。メスと顕微鏡でわかるのはメカニズムだけだ。──真理もそうだ。ぼくらは真理を守ることによってのみ、真理を理解できるようになるのだ。理屈をこねたり、些細なことにこだわったり、こじつけをしたりしていては、真理から遠ざかるばかりだ。真理はそこにある。まぎれもなく、堂々と。そしてぼくらは自らそこまで行くしかない」 自分で生き抜くことによってしか得られない、とはいかにも東洋的な哲学に感じるが、真理を得るためには自ら近づくしかない、というのはとてもキリスト教的だなと思う。儒教はいまだ自分の中で生きているというようなことを内村は言っていて、日本のこうした思想的土壌の上でキリスト教が豊かに育つことができるはずだという確信もあった。それを見事に示したのがこの真理についての話ではないかと思う。 しかし解説の人が、定義と教義についてきっちり議論することなしに正統派キリスト教徒を気取るなぞおかしい、内村はキリスト教徒になり損ねたのではと書いていてこの本の何を読んだのかとびっくりしたが、あの悪名高い「ふしぎなキリスト教」の人だと気づいてなるほどねと思った。解説だけ取り替えてほしいなあ。
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ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか
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内村鑑三
河野純治
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