あらすじ
罪のない人になぜ災いがふりかかるのか、なぜ神は黙しているのか――最も深遠な問いを人間に投げかける旧約聖書「ヨブ記」を、内村は「実に個人的なるが故にまた普遍的」な「魂の実験録」ととらえた。神に向かって叫ぶ人ヨブの物語に寄り添い、徹底的に「読む」ことによって蘇らせる、血のかよった講演録。(注・解説=鈴木範久)
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「自己の体験として」ヨブ記を読んだ内村鑑三の、胸が熱くなる講演録です。この本によって、難解なヨブ記をようやく読み通すことが出来ました。
本書では、ヨブの苦難は「贖い主」すなわち「キリストを知らんため」であったとします。そこに至るまでには友との長い論戦と、一進一退するヨブの苦悩があります(本当に遅々とした歩みでありうっすらとした光明が浮かんでは消えを繰り返します。本書ではポイントとなる章節を指摘して注目させます)。そして19章25節の「我れ知る我を贖う者は活く」をクライマックスとします。
さらに、これに続く神との対話において、ヨブは天地万有を神の所作物として見るようになり、それゆえ「大なる謙遜に入りし彼は大なる愛を現わし得た」、そして彼を責め立てた三友を愛をもって赦すことができたとします。ここが肝要で、現代の非キリスト者には理解しがたいところです。「星を見て神を見るの実感が起らざる人にはヨブの心は解らない。神の所作を見て神を知り得ぬはずがない」。この一文がすべてを物語っているように感じます。
Posted by ブクログ
因果応報という固定観念からの脱却。因果応報に落とし込むことで、自分で状況をコントロールできるのではないかという錯覚をごまかせるから、そう思いたくなるのが人情。自分の非力と卑小さを自覚することから始まる。
Posted by ブクログ
カジュアルに評する類の書籍ではなさそうだが、「熱い!」という感想がやはりしっくりくる。「悪人が得をして、善人が不幸になるのはなぜか?」という、宗教・道徳上ある意味で最難関の問いに対して、ヨブ記という大古典を通して真っ向から立ち向かう内村鑑三、すごいなあと。100年前の講演録だけど、語り口も平易で今でも十分読み応えある。
Posted by ブクログ
岩波文庫青
内村鑑三
「ヨブ記講演」ヨブ記の講義録。ヨブ記の内容は 「苦難は罪の結果なのか」をテーマとした ヨブと三人の友人の論戦。
違和感ある宗教的な部分もあるが、全体的に「カラマーゾフの兄弟」を 想起させる論戦が面白い
ヨブ記から感じたのは、科学や経済は 人間の苦悩に関係なく進むが、宗教は 苦難の時に寄り添ってくれるかもしれないということ
ヨブの結論
*苦難は罪の結果ではない
*苦難=神が信仰を試すために与えた愛→来世への希望
*友に幻滅し、神を真の友とすることにより幸福と安心の絶頂に達する
ヨブ記から導き出した著者の結論
*ヨブが自覚した愛の神=キリスト→つまり ヨブ記=キリスト待望論
*三友への批判=神学者への批判〜三友は教義を知っていても愛を知らない。愛ありてこそ教義も知識も生きる
キリスト待望論
ヨブの来世の欲求→キリスト復活により神の約束→来世の希望に転換
ヨブ記をキリスト待望と結びつけてしまうと、ユダヤ教の神概念では信仰が完結しないとした論調にも読める
Posted by ブクログ
ユングの言うには、無意識状態のヤハウェは、ヨブが苦しみの中で至った正しさの高みに明らかに届いてなく、愛の神のイエスの必要さを発見した、と。
内村鑑三の言うには、ヤハウェは、ヨブをさらなる高みへ導くために苦しみを与えており、その苦しみのなかで、ヨブはキリストを見出した、と。
旧約にあって、キリストを予言してる書だというとこは、両者共有で、ただ、ヤハウェを是とする内村鑑三の正統と、ヤハウェの無意識状態を見つめるヨブを是とする異端的なユングと。
内村鑑三のほうが14歳年上
期待以上に綺麗な対比を見つけれたのと、予想外に共有してたキリストの萌芽
次は何読むかなー