平井正穂のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
1665年のペストについて書かれたデフォーの本。
デフォーといえば、ロビンソン・クローソーだが、コロナ体験をした今の我々にはこっちの方が名作に映るかもしれない。
ペストが蔓延したロンドンのドキュメンタリーで、1660年生まれのデフォーは彼の叔父の日記や当時の記録をもとに書いたそうだ。
驚くべきことに、私たちがコロナで体験したことと瓜二つのことが書かれている。
例えば、「変な呪いが流行った」とかはアマビエを想起するし、「コロナに効く薬がある」とかはイベルメクチンの騒動を思い出すであろう。
疾病者の隔離政策も我々に馴染みのある話だし、その効果に疑問が投げられかけているところも我々と同じで -
Posted by ブクログ
ネタバレピューリタンについてのデフォーの思想がロビンソンの生き様に投影して描かれた本。
無人島では日夜衣食住の整備に勤しんだり、ブラジルの農園の利益配分を細かに計算するところは、勤勉で利益追求を善とするピューリタンの主義が背景の一つとして垣間見られる。
そうした類の描写は他多数。
荒波に揉まれに揉まれまくった半生から、ロビンソンは神への厚い信仰心を培うことになる。神への感謝はロビンソンの中に高尚な慈悲心を生み出し、野蛮な土人を教化して従僕にしたり、無人島生活の途中で出会ったスペイン人やイギリス人を手厚く迎え入れて無人島を豊かにし、やがてロビンソンは「一国の王」に上り詰める。
ロビンソンの逞しくて -
Posted by ブクログ
孤島での28年の生活を通じて、一人の人間が文明を再構築していく物語——。『ロビンソン・クルーソー』は、単なる冒険譚を超えて、近代的個人の誕生と文明の本質を問う寓話として読むことができます。
主人公クルーソーは、難破によって文明から切り離された状態から、道具を作り、農耕を始め、住居を建て、そして時間を刻むことで、徐々に「文明」を再構築していきます。注目すべきは、彼が常に細部にこだわった記録をつけ続けることです。これは単なる日記ではなく、むしろ近代的な観察眼と合理的精神の表れとして読むことができます。
物語の転換点となるのは、フライデーとの出会いです。彼との関係は、支配と教育という形を取りなが -
Posted by ブクログ
ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』は、一見すると奇想天外な冒険譚に過ぎない。しかし本書の真価は、啓蒙主義が称揚する「理性」の限界を、その内側から暴き出した点にある。本書は旅行記の形式を借りた哲学的寓話であり、同時に、近代的主体の解体の書でもある。
著者は「異世界」との邂逅を通じて、人間理性の相対性を暴露していく。これは単なる風刺ではない。むしろ、フーコーが『狂気の歴史』で描き出した「理性による狂気の排除」の過程を、逆説的に照射する試みとして読むことができる。
本書の批判的構造は、以下の三層において展開される:
1.スケールの相対化による理性批判
・小人国における「巨人の理性」の無力
-
Posted by ブクログ
すでに人口に膾炙した作品なので、内容自体に驚くことはありませんでした。
しかし本作が500年以上もまえに書かれたと思うと、そして500年以上が経っても読むに十分値する作品を書いたかと思うと、改めてシェイクスピアの才気に驚嘆させられます。
そして昭和に書かれた訳者あとがきには、別の意味で驚かされました。とにかく訳者の自意識が作品の解釈や意義を述べる際にも強くあらわれ、ご本人の強い信念に基づく文体と内容が読んでいてつらかったです。
ですので、作品の読後は良かったのですが、上記あとがきの読後は悪かったです。したがって、どこか気まずさを感じてしまったことによる作品評価です。 -
Posted by ブクログ
アニメPSYCHO-PASSで、槙島聖護の台詞に引用されていたので、興味を持ち、読んでみた。また、絵本のガリヴァー旅行記とどのように違うのかも気になり、この本を手に取ってみた。
最初、とても分厚かったので、萎えたが、折角だから読んでみようと思い、挑戦した。文体がダラダラといちいち長い印象を受けたが、言いたいこと(皮肉など)ははっきりと述べるところが面白かった。また、ガリヴァー旅行記といえば、小人の国という印象だったが、それは第1篇だけで、その後に、小人の国とは反対の、巨人の国や、「『天空の城ラピュタ』は、ここから来ているのか」という発見があったラピュータや、PSYCHO-PASSで出てきたバル -
Posted by ブクログ
小さい頃に読んだ絵本だが、覚えているのは小人に縛られて解放された後に、嵐の中で難破しそうな船を助けて感謝されるというもの。大きくなったらガリバーみたいになりたいと思っていたが、原作を読むと結末は全く異なる。ガリバーは小人の国だけでなく、巨人の国、科学者(宇宙人?)の国、馬の国にも流れ着いていて、その国の王や神官、政治家のような人たちと交わす会話には、人間の国に対する鋭い批判や自己嫌悪に満ちている。別の国の彼らから見て、人間はなぜ戦争を起こし、飽食と飢餓、嫉妬、差別、詐欺、殺人、浮気、子殺しなどを行うのかという指摘に答えに窮するところは、単なる絵本の原作にとどまらない書と感じた。