平井正穂のレビュー一覧
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イングランドのトマス・モアによる1516年の著作。本書は,エラスムスの『痴愚神礼讃』やアメリゴ・ヴェスプッチの旅行記『新世界』に触発され書かれたものとされる。「utopia」の後世への影響は計り知れないものだ。
「ガリヴァー旅行記」から知った本で,「ユートピア」は文学と哲学の橋渡しに良い本だと思う。
p175「思うにこの国は,単に世界中で最善の国家であるばかりでなく,真に共和国(コモン・ウェルス)もしくは共栄国(パブリック・ウイール)の名に値する唯一の国家であろう。〜何ものも私有でないこの国では,公共の利益が熱心に追求されるのである。」
例えば「何ものも私有でない」という表現に,ユートピアの理想性と不可能性が出ているように思う。私有権を濫用した社会に対するカウンターとしては十分なのだが。
学問のジャンルとしては公共哲学が近いか。主にプラトン「国家」からのインスパイアを受けたリバイバル的な感じがする。
海の向こう側でのルター始めとした宗教改革(福音主義など)により血みどろの争いが予感される時代で,それはモアの望むようなものではなかっただろう。
なお,著者はヘンリー8世に斬首刑に処されることとなる。この処刑は「法の名のもとに行われたイギリス史上最も暗黒な犯罪」と言われている。 -
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(01)
筆者は,感染と蔓延とその結果としてもたらされる市民の死を克明に(*02)綴っていく.デフォーは幼児にこの1665年のロンドンでのペストの流行と惨事を経験しているが,彼が本書を上梓したのは1722年頃とされ,半世紀以上前の出来事を叔父の遺した記録を通じて生々しく再現しており,その文筆家としての手腕には驚くべきものがある.
(02)
政治的な情況としては,ロンドン市の救恤策も示されるものの,感染者が確認された家屋に,感染の有無にかかわらず家族や同居する使用人などの接触者をまるごと閉鎖する対策が凄まじい.筆者はこの施策を批判しているが,監視人のもとで閉鎖状態が管理されるものの,その家屋を脱出しようと試みる市民たちの描写まで行き届き,また,その閉鎖家屋から街路に漏れ出る死の咆哮までが伝えられる.経済的には,貧困層と富裕層との感染対策の格差をレポートしており,疎開する上層と市内に留まらざるを得ない下層(*03)をそれぞれに報告している.風俗面でも,治療や防疫として行われていたこと,あるいは予言や薬効などの民間のデマのような俗信(*04)から怪しいビジネスの流行まで,都市的なすったもんだにも事欠かない.
(03)
愉快な挿話として後半には市内の職人たちの郊外への避難が戯曲のような文体で報告されている.そのキャンプや機転には,ロビンソン・クルーソーのサバイバルに通じる実用性を持つハウツーの要素も混ざっているようで,一編の書物が綴られ,後世に伝世されることの意味を考えさせられる.tテムズ川での船上生活によって感染から自らを逆に隔離しようという行動があったことも痛快に感じられる.
(04)
新旧の宗派の対立がペスト蔓延の混乱の中で一時的に調停された様子も面白い.また,この渦中にあって神や信仰の問題を取沙汰する筆者の態度には,中世的な時代錯誤よりも,普遍的な神の存在が示されているように感じられる. -
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17世紀、350年前のペスト・パンデミックのドキュメンタリー風の小説。しかもあの『ロビンソン・クルーソーの冒険』を書いたディフォーという作家の作品ですよ。ディフォーが生まれたのがその頃、新親や親戚の話を聞いたり、調べたりして、書いたはそれから50年後(初版発行は18世紀初め)と。それにしても古い、なにしろペスト菌の発見も1894年まで待たなければならない(北里柴三郎さん!)時代、果たして現代に通じるものがあるのか?と思って読みましたが、、、。
時は1664年9月初め、場所はロンドン。ペストという悪疫はそれまでに時々発生しては恐れられていたのだが、オランダでまた流行りだしたという噂を耳にしたロンドン市民、H・Fさんが物語の語り手。そうこうしているうちにロンドンのある街に1~2の感染者が出てくる。そして翌年の1665年(日本では寛文5年)を大変な年にしたのでした。
田舎に逃げた人も多かったけれど、商売が心配でロンドンに残って、生き延びて長生きしたH・Fさんが、見聞きした真実の記録を残そうとしたわけは、当時の当局も秘密主義であったし、口から口のセンセーショナルなデマ的伝承はあったけど、印刷物もなかったからいつの間にか忘れれ去られていく、そのことを憂えてでした。
まあね、17世紀ですから、迷妄な盲信の行動、健康者も感染者も一緒に家屋ごと閉鎖してしまう施策だとか、大穴を掘ってたくさんの犠牲者の酸鼻な埋葬風景や、おどろおどろしいところがいっぱいあります。
でも、細菌もウイルスも科学的にわかっていないにもかかわらず、この現代になんと似ていることか。「死亡週報」なる感染死者数の発表に一喜一憂する人々、狂乱のような行動をする人がでる、社会的弱者の不利益というか一番被害を受ける、当局の施策の不備、経済を回さなくては困ること、などまったく、今を読み解いているようです。
ひとつ面白かったのは、3人組の庶民がだんだんひどくなる状況に怖じ気てロンドンから脱出するサバイバルのところ。周りの村だっておいそれと感染しているかもしれない市民を受け入れませんから、人里離れた森に野営するのがロビンソン・クルーソーの生活創意工夫を彷彿させて、筆運びの勢いありましたね。
カミュの『ペスト』とはまた違った感ずるところがあります。人間は繰り返してきたのだなあと。 -
購入済み
リアリティーはカミュよりある
同名の小説ではカミュの方が有名で新しいのであるが,カミュの作は,フィクションの印象と彼一流の哲学的思考の反映が強い.これに対し本作は17世紀ロンドンを舞台にしているがカミュに比べて極めて現実感が大きい.デフォーの体験記ではないらしいが,まるでルポのような迫力ある描写が印象的でいかにもと感じられる.この時代らしい挿絵も訴える力がある.ここに描かれている家屋閉鎖は,現代なら都市封鎖に対応するものであり,人々の感情は現代も17世紀もあまり大差ない事が分かる.話者がキリスト教に頼って災難を乗り越えようとする姿も印象的である.昨今のコロナ禍に対する世の反応を反省するには絶好の書ではないか.
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若きシェイクスピアが描いた不朽の名作。
ヴェローナ市を舞台にモンタギュー家とキャピュレット家という啀み合う両家に生まれたロミオとジュリーエット。
二人は運命に翻弄され、悲劇的な結末を迎える。
非情な運命とは言え、純情な二人が最終的に一つとなり死んでいく流れは、悲劇ではあるが美しさをも感じた。
ロミオとジュリーエットの恋愛は一週間弱と短いものだが、舞踏会での接吻、その夜のバルコニー・シーン、翌日のキャピュレット家庭園での別れという二人の詩的な掛け合いの場面はリズミカルで、ほろ甘く、汚れを知らぬ美しさに満ちたものである。
シェイクスピア作品は初めてであるが、読み始めたらすぐに惹き込まれた。 -
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ネタバレガリバーが最初に到達した「小人国」は誰でも知っているだろうし、その後迷い込んだ「巨人国」までなら知っている人もいるかもしれない。
しかしその後「日本」や「ラピュタ」、そして「馬人国」まで行っている事を知っている人は少なかろう。
そして岩波文庫版では巻末にドッと注釈が載っているのだが、これほどまで風刺に満ちていると知っている人はほとんどいないのではないか。
その風刺は「小人国」あたりではまだ当時英国に実在したウォルポール内閣を皮肉る程度(この事により書かれた年代が実際の世界史と符合する)なのだが、「巨人国」ではとにかく女性の体臭や風貌を批判するような論調になる。
要約すると「どんな美人も巨大化すれば粗が目立ってとても直視できない」ということになる。
第三章に登場する「ラピュタ」は宮崎アニメのファンなら最も興味を引かれる所だろうが、その描写は案外淡白でがっかりさせられるかもしれない。
技術立国の人間は頭でっかちで日常の事が何もできないという風刺になっているのだろうが、本作で誰が見ても強烈な風刺を見て取れるのは最終章の「馬人国」だろう。
見た目は馬そのものなのだが理性的な思考と穏やかな性質で全てが賢者と言ってもよい馬人=フウイヌム族。
対して彼らが家畜として飼っているヤプーは派生作品に登場するおかげで有名かもしれないが、人類のパロディである。
「結局人類が一番野蛮であると言いたい」という解釈もあるが馬人を白人、ヤプーを有色人種として人種差別的考えを忍ばせている可能性もある。(逆かもしれんけど)
大人になってから読んでみると色々気付く事があるかもしれない。 -
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理想郷的な意味合いで使われる「ユートピア」の語源となったのが1516年(!)に出版された同著。本書で示されるその世界観は、奴隷制や相互監視を基本とする社会というのもあり、決して今の時代からは理想的なものと言えるわけではない。
ただ、そういったポイントはもはや5世紀以上も過去に書かれたこの本に対する指摘としては十分ではないかも。何よりも、文芸復興と宗教改革の時代の狭間で、司法官と宗教者としての葛藤に苦しみながら、遂には王に死罪にされた著者、トマス・モアがこの時代に何を思い、限界を感じつつも懸命に理想を託そうとしたその意思に、自分は何よりも興味がある。誰もが希望を持てずに打ちひしがれて、理想を描けなくなってしまった今日だからこそ。