あらすじ
無人島にたったひとりで漂着したロビンソン・クルーソー。イギリス小説の父といわれるデフォーの傑作。
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フライデー:「世界は広い。」
フライデー父:「でもどこも同じだ。大事なことは自分を見失わないことだ。」
幼少期(私の場合はバブル後期)に読む「児童書」と、大人になったはずの今(崩壊期)に読む「児童書」、まるで違う本じゃないかと思うほど、感じ方が異なる。良書とは、はしゃいだ時代でも、落ち込んだ時代でも、人に感動や真実を与えてくれるものだと思う。そして、そういうものこそ、実はいつだってシンプルでストレートなものだ。
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これが18世紀に書かれた作品とは…。とってもおもしろかった。
いろんな縁があって読み始めたこの本だが、僕のメインの意識としては「18世紀、産業革命前のイギリスの人間像を投影した作品」って捉えその人間の行動における合理性だとかキリスト教に注目しようとしたんですが、それ以外の些細な出来事なんかすっごくおもろーい。孤島での生活と後半のヨーロッパでの生活の対比から後者がいかに貨幣、手形、その他もろもろに縛られているのかがより浮き彫りになる。最近買った世界地図帳も役立ったし(つまりクルーソーが漂流した島と思われる場所を発見したりフランスの地理を軽ーくのぞいてみたりと内容理解により役立った)とってもいい読後感に襲われている。下巻も近いうちに読みたい。
小説もたまにはいいもんですな。
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分かりやすい聖書という印象を受けた。
物語の形をとった、キリスト教布教書。
無人島の生活に四苦八苦してるあたりが特に面白かった。
人類もこんな風に工夫を重ねていったのだろうと。
しかしこれを読んでいだいたのは、
やっぱり神はいなさそうだなあといった感想。
いても救ってはくれないんだろうな。
神に救われるには、積極的に自分から
ポジティブになる必要があるようで。
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デフォー著の中でも特に好きなのが、このロビンソン・クルーソー。
子どものころ初めて読んだとき、なにが起こるかわからないハラハラ、わくわく感が大きかった。
しかし今読んでみると、宗教的な記述がよく目に付く。
また当時の時代背景がよくわかる。
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上下巻
「人生の不幸をしょっているのは社会の上層と仮想のものに限られている。中くらいの者はほとんど災難らしい災難はうけることはないし、上下の者たちのように、人生の浮沈にそうめったに苦しめられることもないのだ。」
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ピューリタンについてのデフォーの思想がロビンソンの生き様に投影して描かれた本。
無人島では日夜衣食住の整備に勤しんだり、ブラジルの農園の利益配分を細かに計算するところは、勤勉で利益追求を善とするピューリタンの主義が背景の一つとして垣間見られる。
そうした類の描写は他多数。
荒波に揉まれに揉まれまくった半生から、ロビンソンは神への厚い信仰心を培うことになる。神への感謝はロビンソンの中に高尚な慈悲心を生み出し、野蛮な土人を教化して従僕にしたり、無人島生活の途中で出会ったスペイン人やイギリス人を手厚く迎え入れて無人島を豊かにし、やがてロビンソンは「一国の王」に上り詰める。
ロビンソンの逞しくてしなやかな生き様は、時代を超えた普遍的な人間像であり、現代社会に生きる自分にも力強いエネルギーを与えてくれる。
そのエネルギーとは何か。下巻の解説で無神の孤独と有神の孤独に関する論考が参考になるかも。
現代人はよりすがるものがなくて漫然とした孤独感を抱えている。ロビンソンが頼もしく見えるのは、彼が信仰に基づく有神の生活を送っているからだろう。
解説を読めばロビンソンの物語ぐっと豊穣になる。
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孤島での28年の生活を通じて、一人の人間が文明を再構築していく物語——。『ロビンソン・クルーソー』は、単なる冒険譚を超えて、近代的個人の誕生と文明の本質を問う寓話として読むことができます。
主人公クルーソーは、難破によって文明から切り離された状態から、道具を作り、農耕を始め、住居を建て、そして時間を刻むことで、徐々に「文明」を再構築していきます。注目すべきは、彼が常に細部にこだわった記録をつけ続けることです。これは単なる日記ではなく、むしろ近代的な観察眼と合理的精神の表れとして読むことができます。
物語の転換点となるのは、フライデーとの出会いです。彼との関係は、支配と教育という形を取りながらも、徐々に相互理解へと発展していきます。この展開には、18世紀イギリスの植民地主義的な世界観が如実に表れていますが、同時に、他者との出会いを通じた自己認識という普遍的なテーマも含まれています。
デフォーの文体の特徴は、その徹底的な具体性にあります。道具の製作過程や日々の労働が、まるで実用的なマニュアルのように詳細に描写されます。この「リアリズム」は、後の小説技法に大きな影響を与えることになります。
現代において本作を読む意義は、「個人」と「文明」の関係を根本から問い直せる点にあります。デジタル技術が発達し、人々が相互接続される現代だからこそ、孤立した個人が文明を再構築していく過程には、新たな示唆が含まれているように思えます。
また、近年の環境問題や持続可能性への関心から、本作を「自給自足」や「ミニマルな生活」の物語として読み直す動きもあります。しかし重要なのは、クルーソーが決して「自然に帰る」のではなく、あくまでも文明の再構築を目指したという点でしょう。
本書は「漂流譚」というジャンルの原型を作り出しただけでなく、近代小説の基礎を築いた作品としても評価されています。
Posted by ブクログ
今年度の東京経済大学の「人文地理学」後期では,ヨーロッパにおける旅行記とユートピア文学の歴史を辿る講義をしている。本作も当然その講義に含めるべき作品であるが,岩波文庫版で上下巻800ページにわたるのでなかなか読み始める勇気がなかった。でも,今年度は思い切ってレポートの課題図書に選定したので,読まざるを得なくなって読んだ次第。
結局,上下巻読むのに3週間ほどかかってしまった。しかも,岩波文庫版では上下巻となっているが,実は上巻と下巻は別の作品であることが判明。上巻を読み終えたところで,あまりにも結末がしっかりしているので,これ以上同じ分量で何を続けるのかと思いきや,続編でしたね。上巻が『ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険』,下巻が『ロビンソン・クルーソーのその後の冒険』として発表されたものらしいが,どちらも1719年に出版され,第3作として,小説の形はとっていないが『ロビンソン・クルーソー反省録』が1720年に出版されたという。
私も当然,ロビンソン・クルーソーの名前は知っていた。無人島に漂着して,自力で生活をするという物語として。しかし,『ガリヴァー旅行記』がそうであったように,実際の作品は非常に長く,学ぶことは大きい。いわゆる無人島での生活を中心にしたのが上巻であり,28年におよぶ無人島生活から英国に帰還したところで終わる。しかし,無人島に漂着する67ページまでにも波乱にとんだ人生が語られている。ロンドンから出向してアフリカはギニアで商人として一儲けし,海賊船に襲われて捕虜になり,脱出して助けられた船に乗ってブラジルに行き,農園を所有しまた一財産作り,再び航海に出たところで船が遭難し,彼一人だけが無人島にたどり着くという物語。
私が知っているいい加減なストーリーでは結末がどうなったかも知らないが,原作ではロビンソンが漂着した島は誰も知らない無人島ではない。野蛮人なる人々が登場するのだ。といっても,その島に住む住人ではなく,近くの大陸(それは後に大陸ではないことが判明するが)から時折島の海岸を利用して食人行為を行うという人々。作品中にコロンブスの名前が出てくるかどうかは忘れてしまったが,とにかく固有名詞は出ていないが,明らかにカリブ海に浮かぶ島々が想定されている。といっても,本作中の野蛮人は日常的に食人行為をするわけではなく,いくつかのいがみ合っている種族があり,小競り合いの結果捕虜になった他種族の人間を食べるのだという設定になっている。捕虜を数人,ロビンソンが住む島の海岸に連れてきて,数人の男たちがお祭り騒ぎで捕虜を食べるという現場が何度も登場する。そんな具合で,上巻の後半はそうした野蛮人からいかに身を守るかという方策にあてられる。しかも,続いてスペイン人の一行が出てきたり,島の近くにイギリス船がやってきたりと上巻の最後の方に急な展開があり,最終的にロビンソンはヨーロッパに帰還する。