入江真佐子のレビュー一覧
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ネタバレ虐待された女の子と、教育心理学者の著者(シーラにとっては先生)とのノンフィクションです。
僕が持っているのはおぞましい表紙のハードブック版で、昔父の本棚にあったのを見て以来ずっと気になっていたんです。その頃は絵が怖くて読んではいけない本かと思っていました。今はこういう絵、すごく好きです。
抱きしめたいとかキスしたいとか歌詞とかでよく見る言葉ですけど、実際盛ってるよな~と今まで思っていました。あるいは性欲とか。でもこの本を読んで、人は言葉で相手を癒せないと知った時、抱きしめたくなるものだなあと思いました。
著者と一緒にシーラを抱きしめたくなるシーンが沢山出てきます。「そんなことない」って言ってあげたいけど、シーラにとっては無駄な言葉だとわかるから、せめて側にいることを体温と鼓動とで知らせてあげたくなります。
しかも傷ついた心を癒すだけではなくて、癒してくれた存在と「さよなら」するところまでシーラが成長しているのが感動です。
続編の「タイガーと呼ばれた少女」はまだ読めていないので是非読みたいですね。 -
Posted by ブクログ
虐待されて育ったシーラという子どもと、シーラを指導することとなったトリイという教師の出会いから別れまでの話。
シーラが辛い環境下で育てられ傷ついていることに胸が苦しくなり、とても重い内容だったが、私はトリイへの尊敬がとても強く心に残った。
自分が関わった子ども達との記憶を重ねながら、トリイならこのような冷静で温かい対応ができるのだと反省と感心が混ざった。
トリイはとにかく忍耐強い。またシーラの態度がどんな背景からくるものなのかを察する力を持ち、丁寧に愛情たっぷりに接した。
自分が話をする時も、シーラの話を聴く時も、言葉で伝えることの大切さを自ら示して心の距離を少しずつ縮めていく様子に、学びがたくさんあった。
「畏敬の念を感じた」と何度も出てくるように、「抱いてあげようか」ではなく「抱きしめてもいいかしら?」というトリイの、子どもへの見方が伝わってくる。
大人だからと決して上から目線ではなく、子どもに対しても人間として対等だという意味での深い敬意が見えた。
このほかにトリイの人間性がよく表れていたのが、シーラに謝ったり、降参したりする場面だ。
どんなことでも自分が間違っていたと認めることはなかなかできないものだ。
ましてや子どもへの指導に対して非を認めることはプライドも邪魔をして、私は素直に謝れたことがないかもしれない。
でもトリイは違った。シーラに対して、自分の指導が間違っていたのではないかと悩み抜き、間違っていたと認めたり、時にシーラに譲ったりと、誠実に彼女と向き合い続けた。
きっとそんなトリイの信念、情熱、愛情がシーラの心を少しずつ溶かして、良い方向に導いたのだと思う。
また私は、シーラから発せられる質問の一つ一つにとてもドキドキした。
「悪いことをしたらあなたもぶつんでしょ?」と聞くシーラに、父親から浴びせられる辛辣な言葉や、服も買ってもらえずぞんざいに扱われ殴られる日常がどれだけ彼女の成長に影響を及ぼしているのかを思った。
お母さんに置き去りにされた過去から、トリイが二日間出張でいないだけで、またすぐに帰ってくるということがどうしても理解できないというシーラ。これはひどく胸に刺さるものがあった。
人は経験したことからしか学ぶことができず、シーラの過去があまりにも酷いものなので頭で分かろうと思ってもできないとはこういうことなのかと胸が痛んだ。
そんなシーラにとって、トリイとの出会いによって得た温かい経験はこれからのシーラにどんな影響をもたらすのだろうかと、シーラのその後がとても気になった。
続編が出ているので時間を見つけてそちらも読んでみようと思う。
トリイ・ヘイデンさんの魅力にどっぷりとハマった読後感は、時代も国も違う場所で同じように悩み傷つき、成長する人々がいることを身近に感じられる素晴らしいものだったとともに、私の心の支えの一つになった。
【メモ】
p.32
私はいつも自分が担当するこどもたちに何を期待しているかをはっきりさせようと意識していた。
p.77帰りの会に「コーボルトの箱」
朝夕互いの親切を教え合う子供たち
すぐれた洞察力を示しているもの
p.96
私は子供がなにをしたかなんて気にしないの。ただ子供が好きなのよ。それだけよ。
p.106
生まれてから六年間、彼女はずっと疎んじられ、無視され、拒否されてきた。
シーラは私が示す親愛の情を一つ残らず吸収した。
自分がほしいものを手に入れるためには戦わなければならないということを身につけていた。動物のような攻撃性。
自分の価値を自分が受け取ったメモの数で量る必要があるなどとは感じていなかった。
p.116
私は筆記問題に降参した。
どうしても人は細かいことにこだわり、もし物事が自分の思っているようにならないと世界が壊れてしまうと考えてしまうのだろうか。一度この苦闘から逃れてしまえば、そのことがどうしてあれほど大事だったのか私にはわからなかった。
p.186
シーラのいうとおりだ。あの子は一度も自分を信用していいなんていわなかった。
自分の行動の仕方は確かに適切ではなかった。たが私だって人間なのだ。
〜悟った。私たちが自分以外の人間がどんなふうであるかをほんとうに理解することは決してないのだ。
人間はそれぞれちがうのに、浅はかにも自分は何でも知っていると思いこみ、その真実を受け入れることかできないということも。
p.
シーラはいまでも訂正されるということに過度に敏感で、まちがいをおかすと、むだつりとふくれてしまったり、悲痛な溜め息をもらしたりした。
ちょっと抱いてあげたり励ましてあげれば、またやる気を出した。
ドラマの一コマ一コマを、〜儀式のように繰り返し語ることでシーラの心は安定していくようだった。
おそらく、最悪の状態を見たことで、シーラは安心したのかもしれない。
シーラは自分の問題を言葉で解決することを学んだのだった。
だからもう身体的な接触を必要としないのだ。
p.298
私が急に無関心になったのは、彼女から離れたいという気持ちの表れだと思ってほしくなかったので、私は微笑んでみせた。そしてもっと時間のあるときにゆっくり話し合おうといった。
p.310
情緒障害の子供たちと一緒の仕事をしてきて強く印象づけられたことは、彼らの回復力の強さだ。
一般に広く思われていることに反して、彼らは決してもろくはない。
私たちの多くがあまりにも当然の道具を与えられれば、自分が持っているときにはそのことに気づかないことが多い愛と支持と信頼と自信が与えられれば、彼らはうまく生き抜いていく。
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ネタバレ『シーラという子』をだいぶ前に読んだ時の衝撃を思い出した。それからあの頃は、続けざまにこの著者のシリーズを読んで大人のひとりとして子どもに関わる仕事の大切さと困難な家庭のあるとこなどをあくまで客観的に知ってきた。
今回のジェシーという女の子もその延長線上で、という感じで読み始めた。違うところがまず、トリイ自身の立場の違い。違う国に来て正式な職務として取り組めなかったのは何と歯がゆい事だったでしょう。まして、今回のジェシーはこれまでの以上の強者で。
「うそをつく子」の本当の姿はすつかりはさらけ出せずに終わってしまったけれど教育現場と家庭の実態など辛い結末が尾を引く。
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ネタバレ最初は「何て胸糞悪い子なんだろう」と嫌な気分で読み進めていった。
トリイとのやりとりで時折涙を流すのを読んで、マウントを取ろうと嘘をついてるのか、それとも本当に苦しんでるのか、どっちなんだろうと一緒に悩んだ。
後半、トリイがジェシーのことを大好きと書いてあるところにちょっとグッと来た。
トリイの振り回されないところ、この子の愛すべきところをちゃんと見つけてるところがすごい。
ジェシーが自己破壊してしまうところもせつなかった。わからないことが怖かったんだ。
読んでいくにしたがってせつない気持ちがわいてきた。ジェシーは幼い頃から寂しい、悲しい思いを嫌というほど味わってきた。何てかわいそうな子なんだろう。
最後、トリイに届いたジェシーからの手紙に思わずウルッと来た。
プロのダンサーになってたなんて!ジェシー素敵!親戚のおばさん気分だった。ジェシーがずっとずっと素晴らしい人生を送れますように。 -
購入済み
なんとも言えない
中学生だった時から数十年ぶりに読みました。
当時も衝撃を受けたことを覚えています。今改めて再読するとあの頃の私に理解出来ていたのか…?と疑問が出ましたが、きっとその時なりの感情があったのだと思います。
色んな意味で涙が出るシーンがあります。
ネタバレをせずだと、とにかく読んでください、としか言えない作品です。 -
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ネタバレトリイがウェールズで暮らしていて(今も暮らしてる?),ボランティアとして接したジェシーという10歳の女の子(11歳かも)の物語.
ジェシーは高齢出産で生まれた4人目の娘.上の二人の娘(双子)は既に成人して家を出て,3人目の姉はジェシーの8歳上で同居してるのかな.母親は産後鬱からしばらく子育てに参加できず,3人目の姉ジェンナがジェシーの面倒を見ていた.ジェンナはストレスからジェシーに性的いたずらをするようになり,これがジェシーの問題行動の根幹.この件については,物語の最後の方でトリイに心を開いたタイミングでジェシーが語った.
ジェシーは他者や場を支配するために嘘をついたり攻撃的になったりする.両親が育てることを拒否して里親制度を利用するも,問題行動から受け入れ拒否をされグループホームみたいな所で暮らすことになった.
ウェールズではビザの関係で作家として働くことしかできないトリイは,ボランティアとして何かしらの問題を抱える子どもたちと接するようになる.そこで出会ったのがジェシー.週に1回ジェシーと会うわけだが,トリイが大活躍していた70年代,80年代のアメリカとは異なるジレンマを抱えながらジェシーと接するトリイ.
ジェシーの嘘がきっかけでホームの産業医?みたいな人が性的虐待の疑惑をかけられる.最終的に疑惑は晴れるものの,該当の男性は引っ越すことになる.
ジェシーはリバプールにある寮タイプのグループホームみたいな所に移ることになり,そこで連絡が途絶えてしまう.それから数年後,ジェシーから元気にやっていると手紙が届いて物語は終わり. -
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自閉症、言葉そのままなんだな。
自らが(肉体に)閉じ込められた症状って書いてるもんな。
表に見えることだけが真実じゃないってことについて、
星の王子さまもさんざん教えてくれているのに、
もっとこのことについて
考えた方がいい、
考えなくちゃならないんだ。
体は重くて、
思い通りにならない物質で、(痩せたり太ったり、病気になったり損傷したり)
でもこの世界に生きるには必要不可欠なんだもんな。
その体と脳がつながって、
思った通りに動かせるってことは、
すごく複雑なことで、
できるから考えないけど、
ひとたびできなくなったら。
もしくは生まれてからこのかたずっとそうだったなら。
イドさん以降・以前で世界は変わったのでは。 -
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ネタバレ再読。著者本人もそう思っていたようだし編集者も書かない方が良いと結論を出していた『シーラという子』(1980)の後日譚で、7年後思春期の13歳になっていたシーラとの再会を描いたのが本書『タイガーと呼ばれた子』(1995)だ。時期的には『シーラという子』の出版から15年後ノンフィクションシリーズ8作中の6作目にあたる。
この作品の中で出版準備中の『シーラという子』をシーラ本人に読ませていることから1980年より少し前の出来事であったことが推察される。さらにこの時シーラが14歳の誕生日を迎えていることから、今現在40代後半もしかすると自分とさほど歳が違わないかも知れないということに気づいて、なんだか嬉しくなってしまった。果して今ごろ彼女はどうしているのだろうか。とは言えそれは本書を最後まで読めば大体予想はできるのだが。
後日譚を書かない方が良いという判断は、たぶん他の作品のように情緒障害児たちが主役になるのではなく、すでに情緒障害から立ち直りごく普通の思春期の13歳になっていた少女と著者本人とのとても私的な関係性を描くという意味でシリーズのテーマに則していなかったからではないかと思われる。またこの本の内容はむしろ『シーラという子』のドラマティックさに比べて極めてリアルに地味な思い出話にならざるをえず、読者にとって期待はずれになるという危惧があったためのようである。
にもかかわらず完成したこの本を最後まで読むと『シーラという子』とは切っても切り離せない絶対に必要な完結編だと思える。これがあってこそシーラの幼少期を描いた『シーラという子』の本当の魅力が伝わってくると言える。そしてまたこの再会の後、またしてもシーラに関する数々な問題に東奔西走させられてしまうトリイ・ヘイデンだったが、彼女はすでにシーラの教師ではなく、シーラもまた彼女の生徒ではなかった。
その答えが本書の最後の会話によって明らかになる。まあたぶん、著者はこの極めて地味で温かな結末を読者が気に入るだろうと予想したから当初の考えを置いて本にすることを決めたのだろうと思う。
『シーラという子』で学年が変わり別れて行った後もシーラや他の生徒たちの動向を気にかけていた著者は、突然シーラの行方だけ見失ってしまった。再び収監された父親の影響だったということまでは分かったが、その後数年に渡ってシーラの所在がつかめず、ようやく再会できた時はすでに7年が経過していた。トリイとの思い出や教室での日々をほとんど思い出せないというシーラの言葉にとまどいつつ、再び彼女との関係を修復しようと躍起になる著者だったが、またしてもシーラによって引き起こされた事件の後、シーラと父親は住んでいた家からこつ然と姿を消してしまった…… -
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ネタバレ先日から漫画『こどものじかん』を読んでいてヒロイン・九重りんにどうしても重なって見えたのが、現実世界に存在する本書の主役シーラだった。そして、少し前からどうしても再読したくなって続編の『タイガーと呼ばれた子』とセットで安い古本を買って積んであったので『こどものじかん』のラストを読み終えてすぐに読み始めた。
この二人のキャラクターの共通点は年齢の近さと髪の長い美しい少女(金髪)であるという外見のイメージだけでなく、大人が怖じ気づくほど大人びた問題児であるところ。野木田先生(ヒロイン九重りんが1年生の時の担任)と九重りんの関係は年齢的にも『シーラという子』そのままのイメージになるので、ずっと教育問題に興味を持っていたという私屋カヲルがこの本を読んでいた可能性は高い。なんにせよどちらか一方の作品を好きになった人には是非もう一方も読んで欲しいというのが個人的な願い。(ただし、シーラの本にエッチなサービスなどは求めないように…)
『シーラという子』は人気ノンフィクションシリーズとなったトリイ・ヘイデンの第一作目で世界的ベストセラーである。特殊学級などの教師をしていた著者が在職期間中に出会った特別な子供たちと過ごした忘れ得ない時間を卓越した文章力で再現した記録。中でもこの最初の本はもともと出版予定があったわけではなく、著者がシーラとの思い出を残したいという個人的な気持ちから書き始めたものであり、数年後の彼女との再会を描いた『タイガーと呼ばれた子』とともに他のシリーズ作品より一歩抜きん出たインパクトと感動がある。
先にも書いた通りこのノンフィクションシリーズの最大の魅力はトリイ・ヘイデンの卓越した文章力だと思う。もちろんそれぞれの本に取上げられている子供たちと過ごしたドラマティックな時間こそ本の命だが、その体験をした著者自らが読み始めた者を心をつかんで離さないまるで良く出来たエンターテイメント小説を思わせるような力強い筆致で描いているのが特徴。またこのシリーズは全て同一の翻訳者であり、作品の面白さは彼女の実力によるところも大きいと言える。
本書では、著者が普通の学校の一室で主に情緒障害を持つ子供たちを預かる特殊学級を教えていた時期を描いている。その時期すでにサポート人員とともに教えられる限界いっぱいの人数を預かっていたところに、少し前新聞記事になるほどの傷害事件を起こし精神病院送りになる予定だった6歳の少女シーラが期間限定でやってくるところから物語は始まる。
シーラの生活環境は絵に描いたような貧困の父子家庭であり、さらに母親が彼女を乱暴に置いて弟を連れて出て行ったことがトラウマになっていた。また父親が刑務所に入っていた時期に親戚をたらい回しにされた経験も情緒不安定な性質を作る要因になっていたことも想像された。様々な試行錯誤の末ようやくシーラの心の壁を打ち破って著者が知り得た予想をはるかに上回る真実。傷害事件を起こした問題児童として精神病院に送られようとしていたシーラはIQ180を超える超のつく天才児だった…
自分に大きく依存させてしまうような方法で教育をすることは教師と生徒の信頼を高める反面、別離を辛くする。だからもっと教育者として割り切った姿勢が一般的な中で一匹狼的に自己流の母性愛で治らない子供を治すことを可能にして来たことがトリイ・ヘイデンという教師の個性であり、多くの問題児を預けられる信頼に繋がっていったのだということがこの本を読むと良く分かる。ようするに自分の私生活や感情まで犠牲にして生徒を愛するという大変なことを普通の教師はやらない。それを一体誰が責められるだろうか。
終盤近くまで読んでようやくなぜ『こどものじかん』を読んでこの本を思い出したのかが良く分かった。ヒロインのキャラクターイメージが酷似していることも確かだが、それ以上に彼らを担当する教師の苦悩(教師と言う立場の乗り越えられない壁)がだぶって見えたのだ。もちろん『こどものじかん』の青木先生は新米の男性教師でヒロインの恋愛対象であり、トリイ・ヘイデンは中堅所の女性教師でシーラにとっては母性の象徴という全く異なる関係には違いないが、どちらも自分の教師としての立ち位置を見据えつつも、結果的に他の子供たちに対する以上の愛情をヒロインに与えてしまう。
ただし、本書のシーラの物語は現実の出来事であり、もしもトリイ・ヘイデンが彼女の担当になって本来の役割以上の行動に出なかったら、あるいは弁護士の彼氏がいなかったら、様々な偶然が噛み合っていなければシーラはもうすでにこの世にいなかったかも知れないという恐ろしい現実に、まさしく“事実は小説より奇なり”という言葉が自然に出てくる。
トリイ・ヘイデンのノンフィクションシリーズの中で唯一後日談として続編『タイガーと呼ばれた子』が書かれたのもシーラだけであり、そこにも彼女との教師と生徒という以上の深いつながりが垣間見える。そして『シーラという子』から7年後の再会を描いた『タイガーと呼ばれた子』の虚しいほどリアルな時の流れに誰もが再び涙する。 -
Posted by ブクログ
これは著者自らの体験したことを書いたノンフィクションなのだけれど。
だけれど、ノンフィクションだからと言って真実ではなく、書き記された時点で一つの物語なのだな、と思った。
とても強い少女と、優しく見守る先生が出てくる。
が、少女は先生に「あなたは本に書かれてるみたいに優しい人じゃない。いつもイライラしている」という。
どきりとした。
自分のことは(意図的ではなくとも)その時強く感じたことを書き記すし、信じたくないことは書かないだろう。ましてや相手のことなどわかる筈もない。
物語として強いなぁと思った。
面白いといっていいのかわからないけど、面白かった。
前作ともども一読して損は無し、と思う。