入江真佐子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
勧められて!久しぶりにカズオ・イシグロ(といって他にたくさん読んでいるわけではないのだけれど)
以前『わたしを離さないで』を読んだ時にも受けた、どこか紗がかかっているような世界、全てが語られない物語感、少し邂逅してすれ違っていく個々人の人生(サラ~~)というものに、カズオ・イシグロ…ってなっていた笑。それからどうしてもクリストファー/アキラが著者本人が投影されるように感じてしまう~
どうして・何をクリストファーは解決しに上海に戻ったのかや、アキラが本当にアキラだったのか、そういったことは語られない。漠然としているだけ。
アガサ・クリスティーの小説をどこか読んでいるような、探偵ものなのは趣向が面白かった。
ぼくたち子どもは、あの木製の羽根板を留めつけている撚り糸のようなものなんだ、とアキラは言った。日本人の僧侶からかついてこう聞いたことがある、とアキラは言った。ぼくたちは気づかないことが多いけれど、家族だけではなく、全世界をしっかりとつなぎとめているのは、ぼくたち子どもなんだ、と。もしぼくたちが自分の役割をきちんと果たさなかったら、羽根板ははずれて床の上に散らばってしまう、と。(p.127-8)
到着したときからわたしが大きな衝撃を受けていたのは、ここにいる誰もが、自分たちがどれほどの非難に値する存在かを認めることを拒否しているということだった。…文明世界全体を巻き込もうとしている大混乱の中心であるここには、否認というお粗末な共同謀議が渦巻いているのだ。責任の否認、それはどんどん内向し、ひどくなっていっているのに、一種思い上がった自己保身の中で自らを誇示している人々にわたしは何度も遭遇した。(p.273)
孤児であり、探偵であるクリストファーが語ることは、単純に上からのお説教ではないように作られている。ものの、もう少し力強い感情として伝わってくるような文章・内容でもよかったのではないか、と思ってしまう。
「…あたくしにわかっているのは、あたくしが何かを探しながらここ何年も無駄にしてしまったってことだけ。もしあたくしがほんとうに、ほんとうにそれに値するだけのことをやった場合にもらえる、一種のトロフィーのようなものを探しているうちにね。でも、そんなものはもういらない。今は他のものが欲しいの。温かくてあたくしを包みこんでくれるようなもの、あたくしが何をやるとか、どんな人間になるとかに関係なく、戻っていけるものが。ただそこにあるもの、いつでもあるもの。ちょうど明日の空みたいに。そういうものが今は欲しいの。…」(p.358)
昔日に、「あたくしの愛情、エネルギー、知性ーといっても大したものじゃありませんけどーのすべてを、ゴルフかシティで再建を売ることに夢中になっているようなつまらない男性のために無駄に使いたくないの。結婚するとしたら、ほんとうに何かに貢献するような人でなくっちゃ。つまり、人類に、というか、よりよい世界に貢献するという意味でよ。すごい夢でしょ?」(p.84)と言っていたサラ…自分自身ではないのは時代設定が故か。
そうして最後に、「…今はお仕事をすべて終えられ、最近、わたくしが当たり前のことのように受け取っている幸せな生活や伴侶に、あなたも恵まれていらっしゃることを願うばかりです」(p.529)という手紙が最後になる感じは、たまらなく、好きだった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトルの通り、様々なうそをつく少女ジェシー九歳の物語。
ジェシーはグループホームで暮らしている。両親はジェシーが放火事件を起こしたことで、「一緒に暮らしたくない」と訴えジェシーは家庭から離される事になった。
そのグループホームへトリイはボランティアとしてセッションをしながらジェシーに関わる。
大筋はこんな感じ。
トリイは今までの作品と違って、ボランティアとして関わるので細部が若干、『わからないまま』物語が進んでいく。特にジェシーの両親は後半を過ぎてからチラリと出てくるだけで、前半はジェシーやスタッフであるメレリの言葉や記録を見てという情報しかない。
そして、繰り返されるジェシーの嘘の数々。それだけではなくて、場を支配しようとするパワーゲームがトリイとのセッションで毎回行われる。
正直、読んでいるだけで疲れる。九歳の子供がこんなだったら……と思ったが、うちの九歳児もここまで酷くないだけで似た点は多々ある。
嘘をついて、自分が上位に立ちたいと思うのは、別に子供に限らず誰にでもある。
ただ、ジェシーの嘘はとことん人を追い詰める悪質なものもある。前半はとにかくジェシーの嘘が繰り返され『ジェシーは嘘をつくが、それこそが問題の本質である』と書かれている。
そして、本の中間地点で大事件が起こる。
『男性スタッフが私の大切なところを触ってきた』とジェシーが告白したのだ。
子供の話を受け流す時代は終わっていた。正確な年代は書いてないが、恐らく1990年代ごろではないかと後書きに書かれていた。
ジェシーの告白で男性スタッフも、ジェシーもそのグループホームにいる事は出来なくなった。
日本が子供の性被害にどれだけ敏感なのかは知らないが、アメリカやイギリスでは子供の告白に対処するための仕組みがあるらしい。
ジェシーがホームからいなくなってしまった事で、一旦、トリイとのセッションも中断される。
その後、色々あって、ジェシーとのセッションが再開され、ジェシーも里親の元で上手くやれずにホームに戻る事になる。
すでにお腹いっぱい。
物語の造りがうますぎて、うさん臭さすら感じてしまう。以前はここまで劇的な物語の造りにはなっていなかったような。と思い始めてしまった。このケースはたまたまこのように『上手くいった』というものなのだろうか? それとも、上手くいかなかった部分を端折って物語として魅力的な部分だけをピックアップしすぎているのだろうか。
とにかく物語としては面白いのだが、面白いだけに『結末』を期待しすぎてしまう。大丈夫なのだろうか……という気にさせられた。今までの作品は『問題だけが残り、結局何も解決できなかった』というようなものもある。結局、そっちに向かうのだろうか?とも、考えてしまった。
物語に戻る。
ホームに戻って再開したセッションもジェシーの嘘やめちゃくちゃな行動が、毎度毎度おきる。その中で少しずつ、見え隠れする事実が混ざっていく。
最終的にはジェシーに性的加害を加えたのは姉だったと発覚する。その姉もまた両親のネグレクトとさらに上の姉たちからの虐待に苦しんでいた子供だったという事実が明らかになる。男性スタッフが触ってきたというのは嘘というのも発覚。
姉妹間の虐待の連鎖が根底に転がっていたと分かり、物事は急速に収束していく。
最終的には十年後のジェシーから『世界中を飛び回っている』と手紙が来たところで終わる。
この最後の手紙には「日本にも行った」というような事まで書かれているのだが……さすがにこれは翻訳される国ごとにその国の名前を入れているのでは?と思ってしまった。
そんな感じで、所々がちょっとなと思う点はある。
でもそれを抜いても、『面白い』と思えた。
『昔はこんな風に子供に接していた。今はこんな風にしなくてはならなくなった』という話も興味深い。最初の作品『シーラという子』の時代は本当に手探りで、何も確立してなかったのだなと思った。
物語が上手くいきすぎている点は気になったし、男性スタッフは人生をめちゃくちゃにされているし、ジェシーを虐待したお姉さんもその後どうなったのかは分からない。
「お姉さんは大人なのだから」というトリイの言葉一つだけなので、それなりの罰則があるのかそれとも福祉に繋がるのか謎である。
発覚時は大人でも虐待を行っていたのは子供時代の場合はどうなるのだろうか。
いろんな事が複雑すぎるのに、最後が『いい感じ』で終わってるのは、物語に寄りすぎな気がする。
うーん。何だろうか。
以前までの物語の印象では『家族丸ごと』な話が多かったような気がしたので、今回の「うそをつく子」はジェシー一人だけに光を当てすぎているような気がしてしまう。特にお姉さんなんて問題が起きるまでは、「面倒見がいい子だった」という両親の言葉やジェシーの「あんな人嫌い」という極端な話でしか出てこなかったのに、最後にいきなり光が当たっている。
家族の問題の物語としては、家族が薄くて……ちょっとイマイチな感じ。
ただ、タイトル通り『うそをつく子』として考えると、「なぜうそをつくか」にずっとライトが当たっていたと思う。
ジェシーが主人公なわけでもなく、『うそ』が主役だった。
そういう点では少し不満。 -
Posted by ブクログ
主人公は探偵。飛ぶ鳥を落とす勢いで難事件を解決していく若い探偵。
なのだが、この小説は探偵小説ではない。
ハードボイルドではある。でも、探偵小説ではない。
主人公が、探偵になったきっかけになった事件を解決しに上海へ向かう。
でもそこで繰り広げられる彼の探偵然とした行動はすべて、読者からすると「え・・・この人本当に探偵?」という行動でしかなく、すごく不安な気持ちにさせてくる。この読者の感情の導き方は、すごい。
ただ一応、すべての謎は明らかになる。
明らかになった内容も、まあ、わりとすごい。
このあたりは、読んで「ああ」って思って欲しい。
物語自体には賛否あると思う。
私もこの本のストーリーが面白かったか?と聞かれると、「んー、つまらなくはないけども」という曖昧な回答になる。
ただ、すべてを読み終えて頭の中でいろいろと整理していると、この小説のテーマは「記憶」なんだろうなと。
タイトルも、そう。この小説は、主人公が過去を思い出しながら記述する形で書かれている。そしてその中の登場人物の多くも、自身を回顧しながら語るシーンが多い。
それぞれに、それぞれの記憶があり、その上でそれを語る今がある。
そういう構図になっている。
その構図から導かれる結論は・・・・みたいなのは、今はよくわからない。
でも相変わらず、カズオ・イシグロは、一筋縄ではいかないものを書くなあと。 -
Posted by ブクログ
カズオ・イシグロの本を読むのは、これで7冊目になる。流石に少し、信頼できない語手にも飽きてきた。文庫本末尾の解説を読むに、おそらく初読の方であれば、この本に没入することもできたのだろうが、読み慣れてしまった人間にはそれができない。カズオ・イシグロという、書き手そのものの存在がノイズとなってしまっているのだ。
だが、それだけが彼の作品の魅力ではない。たとえ、初読者の感動を得ることができなくとも、彼の作品の中には等身大の人間がいる。それは、主人を亡くした執事や、敗戦国の画家という形で現れるが、彼らに共通している無常感こそが、私が真に求めるものなのだ。
信頼できない語手というのは、客観的現実を受け入れられずにいる彼らの内面を、主観的に描写したテクニックに過ぎない。このテクニックにより、読者は語り手の目線で世界を眺め、その歪さに時折気付かされながらもページを捲り続けることができるのだ。それは、語り手本人の世界への対し方と類似している。読者は、まるで役者のように、語り手の立場になって想像上の劇に参加することができるのだ。そこから得られる没入感は、中々他の小説からは得られない。
先ほど述べたように、カズオ・イシグロの作品の特徴は、この信頼できない語り手と、その無常感である。まるで、イギリス国民が大英帝国の栄光を懐かしむように、彼らはノスタルジックに浸るのだ。その様子は、客観的に見れば無様で見苦しいものだろうが、信頼できない語り手は読者を自分の味方にしてしまう。その瞬間、読者は当事者の目線から、盛者必衰の理を眺めることができるようになるのだ。そこに現れる物悲しさや、客観的現実を受け入れた後の清々しさからくる、一種のマゾスティックな快感は、ほろ苦い後味を読後に残してくれる。 -
Posted by ブクログ
信頼できる大人にいうのが正しいのよ。
ものごとは決してよくならないという気になるときがあることは分かってるわ。でもね、たった一つでも本当のことから始めれば、そこから取り組んでいけるのよ。
本当のことをいうことが、あなたにとって安全な選択とは感じられないのは気の毒だわ。
本当のことをいう努力をしていきましょう。
誰もが幸せになりたい。誰もが愛とつながりにあふれた充実した人生を送りたいと思っている。不幸になることを選ぶ人などどこにもいない。もし自分がやっていることのせいで誰かが不幸せだとしても、それは最初から意図した結果ではない。どんな理由があるにせよ、自分がやっていることが気分をよくすることに役立つと思っていたのだ。
自分を不幸にするためにわざとそんなことをしたわけではない。ただそのときにそれ以上のことができなかっただけなのだ。
状況を変えるためには、非難するのではなく支援するほうに焦点を変えなければならないのだ。 -
Posted by ブクログ
「テーマ:ひまわり#7」です
初の海外作品で、そしてなんとトリイ・ヘイデンです!
トリイ・ヘイデン知ってます?
知らない?ふーん
さて本編です(トリイ・ヘイデンの説明しないんかーい!)
主人公は十七歳の娘レスリー、父母と九歳の妹ミーガンとカンザスで暮しています
このレスリーの視点で物語は進むのですが、母のマーラは大戦中アーリア人種の外国人であったために、ナチスに子どもを産ませるために監禁されレイプされ続けられるという少女時代の体験によって「壊れて」しまっています
そんな母の存在によりレスリーは常に家族のために犠牲を強いられた生活を余儀なくされています
そんな中さらに母は悲劇的な事件を起こし…というストーリー
あらすじ紹介もちゃんと出来る
やれば出来る子です( ̄^ ̄)
いや、これがさぁ、さすがヘイデン子どもたちの心理描写が巧みなのよ
巧みすぎてリアリティ半端ないんで、ツラい
母のことは大好きなんだけど、その母のせいでまともな生活ができなくて、恨みもする
そしてこの葛藤のような心の不完全さがラストに繋がっていくんよね
ヘイデンの想いって不完全さを認めることだったのかな?って思ったりしました
【ひまわり】ひまわりをテーマに選書しようと決めていろいろ検索したんですね
そしたら日本の作品に比べて海外作品がめちゃくちゃ少なかったんです(調べ方が悪いのかもしれんけど)
うーん、海外では「ひまわり」って日本ほどシンボリックな存在じゃないなのかな?って思ったり
これはまたどこかで深掘りしたいテーマですね
単に題名の付け方が日本と違うのかもしれないけど
はい、そんで作中の「ひまわり」についてです
「ひまわり」は母マーラの大好きな花なんですが、レスリーは小さい頃にひまわりの群生地(背の高いひまわりが密集してレスリーは「ひまわりの森」と感じた)で迷子になってしまう恐怖体験があります
またそこを母に見つけられ救い出される体験も同時にしていて、好きなのに嫌いという複雑な対象で、まさに母親を象徴してるんです
そして、普段の母は明るくて美しく聡明なまさに「ひまわり」のような人なんですね
うーん、なにやら「ひまわり」ってすごく極端な二面性を与えらる存在に据えている作品が多いような気がしてきたぞ
さぁ、次で最後だ!
長いレビューも次で最後だw