岡本亮輔のレビュー一覧
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そもそも観光の対象とは、ほぼ宗教的な場所、動機が発生するところであり、民衆の憂さ晴らしにも支配者側の支配のツールでもあったこと
宗教文化の観光用商品化、経済的な利用、
宗教への意識や向き合い方の変化による巡礼の多様化、
目的地ではなくそのプロセスを重視する信心によらない巡礼行、
サンチャゴ巡礼(コンポステラ、、、私的なタイミングとしてちょうどこの本読んでるときアバンタバンの篠田くん本を模索舎で発見し、コンポステラという音楽グループ始めたとき篠田くんが、コンボステラ星の巡礼の道があるんだよ、いいよねって笑っていたのを思い出した)
サンチャゴ巡礼をカトリック信仰のものとしない例としてのシャーリーマクレーンの本にも言及(篠田くん繋がりでじゃがたらのなべちゃんがシャーリーマクレーンに傾倒してアウトオンアリムを読まされた、けど、カミーノは知らなかった。二人ともその後死んじゃったこと)
という交錯もなんやかんやとありながら、
サンチャゴ巡礼はかなりのボリュームで面白いし、
2000年代に聖人認定されるピオ神父とか、カトリックの数々の秘跡も興味深い。
青森県のキリスト伝承も笑ってしまうけどこんな者でも真剣に利用しようとした権力者有力者もいたわけだし、経済効果とは関係なく地元の人の温かい眼差しも良い。
富士山信仰(衆生救済のため最後は死ぬまで断食した富士講の食行身禄、、)
パワースポットなるパワーワード登場以来、神社などでオリジナリティあふれる経済活動、アニメの聖地など。まあすべからく人のなすこと行き着く先は金勘定なんだけど時代による心のニーズとうまく合わさって面白く、
かたや、チベット仏教徒の、徒歩によるサンチャゴ巡礼よりはるかに過酷なカイラス山やラサへの五体投地巡礼はどうなのかなと思いを馳せる。意外と盛りだくさんで豊かな知識を得た。行きたい聖地もたくさん!! -
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世俗化と私事化が進展した社会における宗教の位置づけを「聖地巡礼」を軸に紐解く一冊。
サンティアゴ巡礼については寡聞にして知らなかったため、第2章は特に面白く読みました。
信仰のない現代の巡礼者にとってはサンティアゴ大聖堂の聖遺物は旅の目標にはならないため、代わりに徒歩巡礼を選び、サンティアゴまでのプロセスに意味を与えているのだといいます。
「インタビューや無数の巡礼記からは、他者との交流体験、つまり巡礼仲間との出会いや別れに高い価値が置かれている様子がうかがえる。」(第2章 3 ゴールより重要なプロセス オスピタレーロとゲスト同士の交流)
そして、「信仰者の巡礼体験が本物で、信仰なき巡礼者の体験が偽物なのではない。」「巡礼から宗教性が失われているわけではない。」(第2章 4 予定調和の巡礼体験 パターン化される交流体験)と明言されています。
私は転勤で京都に住んでいた頃に松尾大社の女神輿を担いだことがありますが、お酒造りの神様らしい、ぐらいの感覚で、松尾大社の御祭神の名前も知らないままでした。
それでも、同じ肩の痛みに耐えた仲間たちとの一体感はかけがえのないものだと感じました。趣味嗜好が多様化する現代において貴重なこの「他者との交流体験」もひとつの宗教的体験だったのだと本書を読んで気づかされました。 -
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<目次>
はじめに~物語都市・江戸東京の魅力
序章 流動する聖地
第1章 アニミズムの聖地~世界的大都市における自然崇拝
第2章 ビルのはざまの聖地
第3章 重なり合う聖地~江戸・帝都・東京の多層性
第4章 慰霊と追悼の聖地
第5章 流行神の聖地
第6章 フィクションが作り出す聖地
第7章 塔と聖地
終章 物語の強度が生み出す聖地
<内容>
気鋭の社会学者による東京論。東京は江戸の時代、明治期(帝都期)、そして戦後の現在のTOKYO、と移り変わりながら重層的に物語が積み重なり、見事な「聖地」となっている。著者は「聖地」を「場所に対する人間の語りや振る舞いに」注目して、如何にその場所が「聖地」となったのかを語る。富士信仰(富士塚)から東京スカイツリーまで。そして場所的には東京の西側(いわゆる下町)が中心となる。それは、そちらが庶民の街であり、「物語」があちこちで語られてきたからだろうか?様々な人々の話を引用しながら、よく知っているはずの「聖地」の新たな側面に気づかされた。 -
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中公新書にしてはジャンキーな…というか、内村鑑三から始まるクリスチャン怪人列伝!って内容でこのタイトルは謎ではある。
戦後のキリスト教ブームは皇室と国民の米国への忖度だったのでは、という話に我々は昔からどうしようもないな、と思った。
ネットでは一神教が日本で受け入れられない理由を賢しげにあれこれ書き立てている人がいるが、本書の「日本の仏教神道と比べてキリスト教は高コストで広がらない」という指摘は妥当。しかし信仰とは、自分の行いを振り返ったり社会の理不尽や世界の不条理に対して何かできないかと日々神と向き合い考えることであり、面倒なのは当然なのではないか。そうした内省なくして個人のモラルは保ちようがないのではないか…などとキリスト教徒なのでモヤモヤした -
Posted by ブクログ
“消費者優位のスピリチュアル・マーケットで主題になるのは、魂の救済ではなく、心身の癒しや気分転換だ。瞑想で集中力が高まり仕事が捗る、宿坊に泊まってリフレッシュする、滝行体験で自己を見つめ直す、週末修験で自然に癒される。様々な寺社とそこで提供される実践は、現代の消費的な宗教需要に応えるための商品なのである。問題のある世界を作り変えるのではなく、そうした世界を少しでも快適に生きるための道具として宗教が利用されるのだ。そして重要なのは、これらの宗教実践と同様の体験が、スポーツ、ゲーム、オンラインサロン、芸術、音楽、観光などでも得られるかもしれないことだ。世俗社会では、宗教が独占できる領域は小さくなり、世俗の営みと宗教が人々の体験をめぐって競合するようになっているのである”
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Posted by ブクログ
授業で使うから読んだ。
各国の宗教と政治の関係性の外観とか、神道の珍しさとか雑学系のお話は面白い。風水によって国が治められていた時代が日本にもあるのかあ、と今更ながら確認した。他国ではそれが普通のところもあるんだよなあ
後半のニューエイジとか宗教の研究手法の話とかは正直興味なくて、たった今読み終えたのに記憶ない、ごめん岡本さん。
神道が、消費者から生まれた時点、パワースポット的立ち位置にあることを許容し、それを活用しているのは面白いなと思った。上手いやり方だなぁ。
キリスト教の教会とかでもやれんことはないけど、あまり開かれてる感じがしないから取り上げられてないのか?
葬式の手法のアンケート、ちょっとサンプル数は少ないけど、神道式の葬儀の割合ってほんとに少ないのか、とびっくりした。2011年以降は2.8%らしい。それに対して仏教は88.2%。びっくり。