あらすじ
日本では信仰を持たない人が大半を占めるが、他方で仏教や神道、キリスト教の行事とは縁が深い。日本人と宗教の不可思議な関わりはどこへ向かうのか。新宗教の退潮とスピリチュアル文化の台頭、変わる葬式や神社の位置づけ、ケルトや縄文など古代宗教のブーム……。宗教を信仰の面だけでなく、実践や所属の観点も踏まえ、その理解を刷新。人々の規範から消費される対象へと変化しつつある宗教の現在地を示す。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「日本人は信仰心が薄い」逆に「日本では八百万の神が浸透していて特別に礼拝したりしないから信仰心がないように見える」などと、日本人の宗教観を語る上ではよく言われる。
この本では、まず宗教を「信仰」と「実践」と「所属」に要素分解し、それによって日本人の宗教との向き合い方を分析しようとしている。
葬式仏教では「信仰」なき「実践」、神社では「信仰」なき「所属」、スピリチュアル文化は「信仰」と「実践」が消費される。また、結婚式のキリスト教も「信仰」なき「実践」の一つで、学校のキリスト教がブランドとして存在しているのも日本の特徴である。
また、かつて「病貧争」からの救済を謳って発達した新宗教も、豊かになった1980年代以降は、「健富和」の人々の心にできた倦怠と虚しさの隙間を埋めることができなかった。そのニーズをうまくとらえたのがオウム真理教などである。
このように論を進められるとやはり納得させられてしまう。また、その上で今後の日本の宗教は人々から必要とされるにはどうあるべきなのかということを考えるヒントにもなるだろう。
Posted by ブクログ
岡本亮輔著『宗教と日本人』のレビューです。
「日本人は無宗教」に代表される日本独特の宗教観を理解するために、「信仰」「所属」「実践」の三つの要素から実態を解釈する立場で書かれています。
ある種の思考実験のようで、このような理論のある本は面白くて好きです。
ちなみに、新宗教は形式的にキリスト教と類似する、とされ、本書の主な対象からは外れています。
キリスト教では信仰中心(信仰していることを前提)に教会への所属の有無が語られてきたようですが、日本では信仰の有無とは別に、実践や所属が存在すると考えられます。
実際、海外向けには神道は"religion"ではなく"Japanese faith"だと説明されるとのこと。確かに自分もそう説明してもらったほうがしっくり来る気がします。
具体的には、葬式仏教は信仰なき実践、地域の神社やパワースポットのような場所に漠然とした魅力を感じるのは信仰なき所属と考えられます。
スピリチュアル文化にも触れられており、これまで宗教団体が独占していた「聖なるもの」が、個人レベルで信仰・実践されるようになったものだと捉えられます。
最後の方の、エリアーデの宗教シンボル論あたりは、大事なことが書いてあるとは思うのですが、まったく分かりませんでした。
Posted by ブクログ
宗教的なものの流行に興味があり、読み始めた。大きな活力にもなるし、極端にいえば人を殺す動機にもなるもの。「これさえ信じておけば私は生きていける」という思考の危うさを、説明できるようになるかもしれないと思った。
この本のオリジナルな点は、宗教を信仰・実践・所属の三要素に分解し、個人を中心とする現象として注目するところ。
印象的なフレーズ
「消費者優位のスピリチュアル・マーケットで主題になるのは、魂の救済ではなく、心身の癒しや気分転換だ。」
「問題のある世界を作り変えるのではなく、そうした世界を少しでも快適に生きるための道具として宗教が利用されるのだ。」
人は変えられないから自分が変わるしかないと自己啓発本では言うけど、人を変えなければいけない立場もある。特に出世すればするほどそうなるはず。捨てればいい、任せればいいと簡単に言うけど、実際捨てたら困るもの、任せられない状況もある。
そんな時に、自己啓発本やスピリチュアル・マーケットの商品を消費することで、自分を高めたり、一時的に逃げ道で癒されて、気分転換にはなるかもしれない。が、根本的な解決にはならない。チームで解決するのが1番だと思うけど、今は個人主義の時代だし、難しいのかな。
Posted by ブクログ
面白かった。信仰が中心の宗教という見方では捉えきれない部分を、信仰、所属、実践という3つの要素に分解して仏教、神道、スピリチュアルを分析している。
Posted by ブクログ
実に面白く読んだ。
著者は宗教という言葉をスポーツと同じく、大まかなカテゴリーを指すものという。そして野球とサッカーを比べてどちらが本物のスポーツかと問うのが無意味であるように、各地域、各時代の宗教を比較してどれが本物の宗教かと決めるのも不毛であると。
信仰を軸とする宗教組織という、欧米のキリスト教をモデルにするから、日本人は無宗教だと思い込んでしまう。だが、信仰を中心とせず、実践と所属という要素に注目することで、日本人と宗教の関係がよく見えてくる。日本人は決して無宗教ではない。
本書の結論は、「世俗社会に合わせて、宗教は、人間集団を規範的に統制するものから、個々人の働きかけによって消費される商品へと変わりつつある」というもの。
人によっては、日本人の宗教への関わりは実に不真面目で、腹の立つものと映るかもしれない。だが個人的には、宗教との付き合い方としてはとても成熟しており、社会に平和をもたらすあり方だと思う。時折りそれに満足できず、カルトや新宗教にハマる人もいるけれど。
また、改めて信仰や宗教という現象は、人間の営みの一つであることを認識した。超越者や超自然的な何かを感じたり信じたりすることも含めて、全て人間の心がもたらすもの。言い換えると、神も宗教も広い意味で「自然現象」だということ。ガチの信仰者には受け入れられないかもしれないけれど。
Posted by ブクログ
自分は無宗教だ、と漠然としていた考え方を見直させられた。
キリスト教を始めとする古来からある宗教がどのような立ち位置をしていて、振る舞いを行っているのか。
明治以降に現れる新宗教はどのような性質を持っているのか。古来から存在する宗教との違い、在り方とは何なのか。
歴史としての宗教に対する考え方と、身近に存在する宗教の考え方にアプローチしてくれる本。
Posted by ブクログ
日本人の宗教を、信仰、実践、所属の観点から分析されたもの。とくに、スピリチュアルや、パワースポット、縄文時代ブームなどまで言及されているのが面白い。宗教組織離れから、個人が宗教的なものを選び取り、消費していく傾向が広がっているようです。
Posted by ブクログ
“消費者優位のスピリチュアル・マーケットで主題になるのは、魂の救済ではなく、心身の癒しや気分転換だ。瞑想で集中力が高まり仕事が捗る、宿坊に泊まってリフレッシュする、滝行体験で自己を見つめ直す、週末修験で自然に癒される。様々な寺社とそこで提供される実践は、現代の消費的な宗教需要に応えるための商品なのである。問題のある世界を作り変えるのではなく、そうした世界を少しでも快適に生きるための道具として宗教が利用されるのだ。そして重要なのは、これらの宗教実践と同様の体験が、スポーツ、ゲーム、オンラインサロン、芸術、音楽、観光などでも得られるかもしれないことだ。世俗社会では、宗教が独占できる領域は小さくなり、世俗の営みと宗教が人々の体験をめぐって競合するようになっているのである”
Posted by ブクログ
授業で使うから読んだ。
各国の宗教と政治の関係性の外観とか、神道の珍しさとか雑学系のお話は面白い。風水によって国が治められていた時代が日本にもあるのかあ、と今更ながら確認した。他国ではそれが普通のところもあるんだよなあ
後半のニューエイジとか宗教の研究手法の話とかは正直興味なくて、たった今読み終えたのに記憶ない、ごめん岡本さん。
神道が、消費者から生まれた時点、パワースポット的立ち位置にあることを許容し、それを活用しているのは面白いなと思った。上手いやり方だなぁ。
キリスト教の教会とかでもやれんことはないけど、あまり開かれてる感じがしないから取り上げられてないのか?
葬式の手法のアンケート、ちょっとサンプル数は少ないけど、神道式の葬儀の割合ってほんとに少ないのか、とびっくりした。2011年以降は2.8%らしい。それに対して仏教は88.2%。びっくり。