北康利のレビュー一覧
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ネタバレ岸信介の誕生から岸政権の終わりまでを書いた本。
当時の政治家とのやり取りや密約などの記載も多く、彼がどのように政治的に事を進めて行ったを垣間見ることができた。
また、各所に岸信介の実際の言葉や関係者の証言などが挟まれており、彼の人柄に触れることができる気がした。
彼が生きた時代の歴史的背景を知らないと流れを理解しづらいため、岸信介について最初に読む本としては少し難しい内容かもしれない。
また、本全体の構成として、
・特に後半にかけて岸信介を賛美する記載が多くなり、内容をそのまま受け取って良いのか判断がつきづらい
・歴史的事象やそれに対する評価が単純化されすぎている傾向がある(様々な背景や -
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稲盛和夫氏の主な歩みは、次の通り。
・昭和 7年 鹿児島市薬やく師し 町において出生。
・昭和26年 鹿児島県立大学工学部入学。
・昭和30年 松風工業入社。
・昭和33年 上司と技術開発の方針で衝突。新会社設立を決意。松風工業を退社。
・昭和34年 京都セラミック株式会社(宮木男也社長)設立。取締役技術部長に就任。
・昭和40年 時間当り採算制度、懇親会(コンパ)制度導入。
・昭和41年 本社機能を滋賀工場へ移転。京セラ社長就任。
・昭和42年 経営理念制定。「京セラフィロソフィ」第1集発行。
・昭和58年 盛和塾の前身となる京都盛友塾発足。
・昭和59年 第二電電企画株式会社を設立し、代表 -
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豪快で才能と自信に溢れている印象が強い、現代史に名を残す白洲次郎についての本。
戦前から戦後の憲法についてGHQと当時の日本政府がやりあっていた頃までが上巻に書かれています。
背が高くて、先進的。
英国名門校で学び、大金持ち。
いやはや、ドラマか映画の中に出てくる王子様のようですが、実在の人物です。
欧米的思想に影響され、少々偏った所もあったり、坊ちゃん特有の鼻持ちならないところがあった事などもあるので、次郎カッコイイ!と一言で簡単に褒める気はありません。
でも、やはり占領期を背負って人の一人で、華やかな上流階級出身ならではの良さも持ち合わせた人物である事も事実。
下巻も読もうと思い -
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京都の芦屋で生まれ、10代で英国留学、小学校教員の初任給が45円だった戦前のこの時代に1万円の仕送りを受けていたという、正真正銘のお坊ちゃま。しかし、白洲次郎は、太平洋戦争後にアメリカの占領下でGHQと渡り合い、国家の計100年を見据えた厳しい交渉の矢面に立った人物である。特に、前巻のハイライトは、占領政策の中心となったGHQ民政局と新憲法案を巡って不眠不休の交渉をする場面である。白洲の名は、米側からも、唯一云うことを聞かない日本人として公式記録に残されている。実際のところ、奮闘むなしく新憲法は、一週間足らずで素人同然のプロジェクトチームによって原案が作成されたGHQ案を押し付けられる形で公布
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前巻でGHQ案の新憲法の受け入れを強要され、煮汁を飲まされた白洲は、自国の憲法すら自ら決められないという敗戦国である事実がいかに厳しいものであるかを肌身を以って思い知らされた。その後、白洲は。吉田茂の側近として復興を支えることとなる。そして、占領からの開放に向けて再び、米側との交渉が始まる。日米安保、在日米軍、沖縄などの現在様々な議論が交わされる日本の外交を取り巻く秩序はこの時期に形成される。当時の、米国本国におけるソ連、中国の脅威に端を発する長期占領論や、一刻も早い主権回復の必要性などを考えると当時の決断は必然とも言える。ここでも、白洲は吉田茂の快刀として米側との水面下の交渉を行う。
表紙 -
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小林一三は、いわずと知れた、明治時代の、経営者、阪急電鉄の沿線を開発し、鉄道の需要をはかるという
私鉄のビジネスモデルを生み出した人です。本の内容は、皆様が、ご存知のとおりです。
私が、一番印象に残ったのは、小林家の家計図です。元テニスプレーヤーの松岡修造さんが、小林一三のひ孫であることは、有名な話ですが、なぜ姓が、松岡なのか。それは、小林一三が、次男 辰郎を松岡家に養子に出したから。今は、ビジネスがうまくいっているが、今後どうなるか、わからない、ということで、家系存続のため、養子に出したそうです。ちなみに、長女は、サントリーの創業者の長男のもとに、嫁にいっています。まるで、戦国時代の武将のよ -
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前半と違って白州次郎さん以外の主要登場人物のドラマが盛り込んであったためフィクションみたいな部分が感じられた。後半のサンフランシスコ講和条約のあたりは臨場感たっぷり、激闘ぶりが次郎さんの活躍を、物語っていた。沖縄の占領をみとめたあたりは 早く自立して独立国家体制に持っていきたい意向から 吉田茂首相の早期決断によって不条理なまま今も続いてる。 この点では私が知る吉田首相の評価はぐっとさがった。 沖縄問題は吉田さんの判断ミスではないが戦後ずっとひっぱている問題。 次郎さんの悔しさ がわかる気がする。 白洲さんが今の時代生きていたらすぐに東電も解体し、また、集団的自衛権を反対しているであろうと思
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前半(上)
日本国憲法が出来るまでのマッカーサー率いるGHQとの攻防。マッカーサーの考えた日本を独立国家として自由民主主義を盛り込んだ革新的憲法草案は日本を二度と戦争させない、戦闘威力のない骨抜きにするためのものだったとか。戦争に負けたことを認めたくない内閣府の軍人議員たちの保守的な考え、どちらも譲らないその両方の心理的作戦は緊迫感があります。
その間を取り持ち白州さんの心理的負担や憲法草案に関わる人達との繋がりから 日本国憲法が出来るまでの過程がいかに険しかったか。
憲法改正するにはどれたけの人が関わり、命を投げ出してできたか、第九条がどれだけ重みがあるか、白州次郎さんだけでなく当時の人 -
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吉田茂については名前くらいしか知らなかった。「震災以降、吉田茂がいま人気だ」というのを人からきいて、読んでみることにした。
吉田茂は吉田家の養子で、実父は黒船にのった竹内綱、実兄はダットサンの「T」、竹内明太郎。
誰もが経験したことない出来事を、独自の態度で判断し行動していく。人は大事な局面では開き直りが必要であるが、それには大きな不安とリスクが伴うはずだ。吉田茂は、その開き直りの連続だったことだろう。
私も、大事な局面ではいい開き直りができるようでありたい。
吉田茂が愛した娘、和子は麻生太郎の母である。二・二六事件のころ、茂の岳父、牧野伸顕を体をはって守る度胸のある女性、そして賢い女性