『あなたは、「あの時、こうしたら良かったのに」と選択に後悔したことはありませんか?』
私たちの毎日は、選択の連続です。それは、朝起きた瞬間からスタートします。着る服は何にしよう?朝ごはんは何を食べよう?…そんなところから始まった先にも電車はどの号車のどの扉から乗ろう?私たちはあらゆる瞬間に知らず知らずの間に選択を求められています。
それは、他人との関係性にも言えるでしょう。話しかける言葉の一つひとつが予想外に大きな結果として返ってくる場合もあります。まあ、あまり考え過ぎると会話をすること自体が怖くなってもしまいかねませんが、それが現実です。
そんな中では、『あの時、こうしたら良かったのに』という感情に苛まれることは誰にだってあると思います。今更思い返しても仕方ないことにも関わらず、いつまでもそんな思いから抜け出せない瞬間。人生を生きていくということも改めて大変なことなのだと思います。
さてここに、『あの時、こうしたら良かったのに』という思いに苛まれる人物が主人公となる物語があります。読み始めて、これって『満月珈琲店』シリーズだよね?と確認してもしまうこの作品。やっぱりファンタジーって良いよねという読後感が待つこの作品。そしてそれは、”この作品は夢中になって最後まで書き、書き終えた後に、『この話を書けて良かった』と涙が出ました”と語る望月麻衣さんの物語世界に酔う他ない物語です。
『お久しぶりですね、海王星(ネプトゥヌス)さん』と『「満月珈琲店」のマスター』である『大きな三毛猫』に声をかけられたのは『ネプトゥヌス(サラ)』。『満月珈琲店の新作ドリンクを飲んで行かれませんか?』と声をかけられた『ネプトゥヌス』は出されたソーダを飲む中に、『誰かに気付きのキッカケを与えてあげることができたら』という思いを抱きます。『マスター、獅子の扉が開いている次の特別な新月もこの浜に満月珈琲店を出店してもらえるかな。わたしもお手伝いをしたいんだ』と話す『ネプトゥヌス』。
場面は変わり、『獅子座の期間は、地球にとって特別だ。毎年、八月八日前後に、「獅子の扉」が開く』、『地球・オリオンベルト・シリウスという三天体が一直線に並ぶことで、普段は入って来ないような星のエネルギーが地球に降り注ぐ』という『ライオンズゲート』。『あまりに強いエネルギーが押し寄せる』という今年の新月に『四国に集うことになった』面々。『やぁ、ヴィー、久しぶり』、『ネ、ネプトゥヌス様っ!』、『ネプトゥヌスさん。お久しぶりですね』、『やあ、サーたん。相変わらず、気難しそうな顔をしているね』と挨拶するそれぞれの天体の遣いたち。『水星、金星、火星、木星、土星、海王星、冥王星 ー と、地球に影響を及ぼす星々』の中でも『天王星、海王星、冥王星の三星は、トランスサタニアンと呼ばれ、個人よりも社会に影響を及ぼすと言われて』います。そんな『海王星の遣いであるネプトゥヌスが』『現れるのは珍しい』ことです。一同に会した面々が会話する中、『満月珈琲店で働くって、もしかして人を助けようと思っていたり?』と訊く『ヴィーナス』に『たまにはそういうこともやってみようかなって』と語る『ネプトゥヌス』。しかし、面々は『ネプトゥヌス』の力が『段違い』なため、『その力を人に託したら、常識を外れたようなことになる』と心配します。
再度場面は変わり、『仕事が忙しいことを言い訳に、帰省しないこと三年』という中、『助手席で窓の外を眺める』のは鮎川沙月。そんな沙月が『運転席に目を向け』ると、『彼の横顔が強張ってい』ます。『そんな顔をしなくても大丈夫だよ』と『小さく笑』う沙月に『沙月さんのお母さんに初めて会うんだから緊張するよ。ドラマみたく「お嬢さんをください」って言う方がいいのかな』と言う『彼のこうした部分を好きになった』と思う沙月は『うちは父親がいない家庭だったから、車で遠くへ旅行ってしたことがなくて憧れだった』と、『車で帰省する』新鮮さを思います。『…沙月さんのご両親は離婚して、四国から京都へ…』と切りだした彼に『父親は生まれた時からいなかったんだ。京都に住んでたのは中学まで。四国は、母の実家があってね…』と自らの生い立ちを語る沙月は、高校で『太っているのがコンプレックスで積極的に人と関われな』い中、たまたま観た映画をきっかけに『女優になろうって思った』と話します。『そういえば、鮎川っていうのは芸名で、本名は川田さんなんだよね?』という彼に、『事務所の一つ先輩に同じ苗字の人がいて』『苗字を変えようと思』ったものの、『川の字だけは取っておきたいと思い、母に』相談したところ、『鮎川とか?』と言われたことでそれを採用しました。『高校三年生の夏休み』に『オーディションを受け東京に向かった沙月。結局、『合格を勝ち取』ることはできなかったものの、『小さな役をもらえて、事務所にも所属でき』ました。そして、『出演シーンが映画PRのためのCMにも流れたこと』がきっかけで『仕事が舞い込むようになった』という沙月。『実は母に会うの、ちょっと怖かったりして。あの事件から初めての帰省だし』と話す沙月は、『あれは三年前のこと』、『父親ほど年の離れた人気俳優と不倫関係になり、それが露見して大変な騒ぎとなった』ことを思い出します。『ほとんどの仕事は降板になり、世間は連日私を叩き続けた』という過去を思い出し『ため息をつく』沙月に『僕も怖いよ。僕はあの時、沙月さんをしっかり守れなかったから』と、マネージャーの『彼 ー 高田聡志』は言います。そんな『不倫騒動から二年くらい経った頃』、『もう恋愛はしないんですか?』と問われた会話の先に、『ずっと好きでした』と『ひたむきな想い』を届けくれた彼。『私の表も裏も過去の過ちもすべて知ってくれている』という彼に『自分のすべてを肯定してもらった気持ちになった』沙月は、『彼との距離が縮まり、交際に至』りました。そして、『三年の月日が経過』する中に、『今、心に引っかかっているのは、世間でもなんでもない。母がどう思っているか、だった』という沙月。そんな時、車内で流していた『ラジオの音声が、急に大きく感じられ』ます。『作家の二季草渉さんが交通事故に遭い、今も意識不明の重体…』という語りに『思わず前のめりにな』る沙月は、『二季草先生が?』と、驚きます。『私のデビューのキッカケとなった作品は、二季草渉が描いたものだった』という沙月は、『無名の私にも親切に接してくれた』二季草のことを思います。そんな中、自宅の一軒家に着いた沙月は『実家の前に救急車が停まってい』ることに絶句します。『お、お母さん』と、『担架で運ばれてきた母の姿に、血の気が引く』沙月は、『ご家族の方ですか?』と訊く隊員に『はい』と答えると『救急車に同乗し、病院へと向か』います。実家へと帰省した途端、突然の緊迫した状況に追い込まれた女優の鮎川沙月。そんな沙月に隠された過去の物語の先に、まさかの奇跡が姿を現す、いつもとはちょっと違う『満月珈琲店』の物語が始まりました。
“八月の新月、三毛猫のマスターのもとに、美しい海王星の遣い・サラが訪れた。特別に満月珈琲店を手伝うという。人に夢を与えるサラが動いたことで、気後れして母に会えずにいた沙月、自分の気持ちを蔑ろにしてきた藤子、才能の限界を感じた作家の二季草、彼らの心の扉が開かれる”と内容紹介にうたわれるこの作品。望月麻衣さんの代表作であり、このレビュー執筆時点で第6作まで刊行されているシリーズ作品の第3作になります。
そんなこの作品は、私が”起点・きっかけもの”と分類するタイプの作品です。何かしらの悩みの中にいる主人公が、ある”起点・きっかけ”によって再び顔を上げ前を向いて歩き出す…という物語は青山美智子さんの作品群でも有名です。また、このパターンを”食”と結びつけた作品も多々あります。古内一絵さん「マカン・マラン」、標野凪さん「今夜も喫茶ドードーのキッチンで」、そして内山純さん「レトロ喫茶おおどけい」などです。”食”を取り上げた作品はこの方面の需要の高さもあっていずれもシリーズ化されている人気作です。しかし、この形態の作品はそれなりに巷に溢れていることもあって、もうお腹いっぱいです!という方もいらっしゃるかもしれません。それもあって作家の皆さんもそこにさらなる工夫を加えていらっしゃいます。特に望月麻衣さんがこのシリーズで展開するのは次のような要素が特徴的な物語です。
“起点、きっかけもの” × “食” × “占星術” × “猫” × “ファンタジー”
幾つもの要素を組み合わせられて唯一無二の世界観を作り上げられている望月麻衣さん。第1作、第2作と読んできた私はその物語世界にすっかり魅了される中にこの第3作を手にしました。いつもの物語世界がそこにあることを思いつつ…。しかし、そこには、あれれれれれ?、間違って他の作品を手にしてしまった?と思う内容が展開しています。そして、その違和感は最後まで読み終わりページを閉じるところまで続きます。そうなのです。この第3作をいつもの『満月珈琲店』だと思って読むとびっくり仰天!する他ない物語世界がそこに展開しているのです。
それこそが、サブタイトルに含まれる『ライオンズゲート』という言葉です。上記の要素にも記した通り、この作品は”占星術”が物語に密接に関わっていくことが特徴です。第1作、第2作では、”西暦二〇〇〇年頃までの約二千年間は、「魚座の時代」でした。そして今は「水瓶座の時代」になったわけですが…”といった如何にもな記述が多数登場します。一方でこの作品は『お久しぶりですね、海王星(ネプトゥヌス)さん』と『「満月珈琲店」のマスター』である『大きな三毛猫』が登場するところから物語は動き始めます。『大きな三毛猫』のマスターはこのシリーズお馴染みの存在ですが、ポイントはマスターが声をかけた相手です。それこそが『海王星』=『ネプトゥヌス(サラ)』といういきなりの超ファンタジーな世界の出現です。冒頭の抜き出しでは省略していますが、あることでマスターにきっかけを与えてもらった『ネプトゥヌス』は、こんな思いに囚われます。
『自分も誰かに気付きのキッカケを与えてあげることができたら』
物語ではそんな思いをきっかけに『ネプトゥヌス』が『次の特別な新月』に『満月珈琲店』を手伝うことが決まります。そして、ここからさらに”占星術”が色濃くなっていきます。それこそが『ライオンズゲート』です。
● 『ライオンズゲート』って何?
・『獅子座の期間は、地球にとって特別だ。毎年、八月八日前後に、「獅子の扉」が開く』
・『地球・オリオンベルト・シリウスという三天体が一直線に並ぶことで、普段は入って来ないような星のエネルギーが地球に降り注ぐ』
・『獅子の扉と呼ばれるのは、太陽が獅子座に入っている時に起こるため』
・『扉が開いている期間は十八日間で、その間に起こる新月はさらに特別』
・『あまりに強いエネルギーが押し寄せるので、敏感な人は体調不良になってしまうこともある』
なるほど『ライオンズゲート』とは、そういう意味なのですね。物語では、まさしくその『特別』な期間に物語が展開します。さらに上記した通り、”占星術”的に『段違い』の『エネルギー』を持つとされる『海王星』=『ネプトゥヌス』が、『満月珈琲店』を手伝うという展開がそこに描かれます。もうこれは、何かが起こる!何かが起こるしかない!という十分なお膳立てができていることになります。上記でいつもの『満月珈琲店』とは違うということを記しましたが、その一つがこれです。作品冒頭からこの前提設定の話がそれなりの分量をもって語られていくために、”ちんぷんかんぷん”な思いに囚われる方も出るかもしれませんが、ここは我慢のしどころです。上記したことも参考にその前提を頭に入れていきましょう。この作品では、この設定が頭に入っていないと、作品の結末が全くもって意味不明になります。そう、ここ大切です(笑)。
一方で、この作品はシリーズ共通というより、シリーズの代名詞とも言える『満月珈琲店』が登場することに変わりはありません。
『満月珈琲店には、決まった場所はございません。時に馴染みの商店街の中、終着点の駅、静かな河原や海辺と場所を変えて、気まぐれに現われます。そして当店は、お客様にご注文をうかがうことはございません』。
はい、定番とも言える『満月珈琲店』の説明と『大きな三毛猫』のマスターが登場することで、”猫”要素も満たされますが、この第3作では、さらに『シロミ』という猫が登場します。
『名前の通りの白猫の雌で、この子は、一人娘の沙月がまだ小学校五年生の時に連れてきた』。
第1章で視点の主ともなる沙月が飼い主となる猫の『シロミ』の登場は、いかにもファンタジーな『大きな三毛猫』のマスターよりも猫好きな人にはより興味を持たれる存在だと思います。また、『満月珈琲店』と言えば美味しそうな”食”の数々です。そんな”食”のイラストは、このシリーズではお馴染みの桜田千尋さんが担当されていらっしゃいます。ここでは、『シリウスのレアチーズケーキ』をご紹介しましょう。
『真っ白なレアチーズケーキの上に、まるで宝石のような大きなブルーベリーが載っている。たらりと掛かっているブルーベリーのソースが、ケーキの白さを際立たせていた』。
そんな風に紹介される『チーズケーキ』は、『シリウスの強いエネルギーが、地球にダイレクトに届いている特別な時』である『ライオンズゲート』にちなみ印象深く描かれていきます。桜田さんのカラーのイラストでイメージがより伝わると思いますのでそちらも是非お楽しみにしていただければと思います。
ということで、このシリーズに期待される要素はこの第3作にもきちんと盛り込まれていることがわかります。しかし、上記した通り、この作品は前作までのイメージとは大きく異なります。作者の望月麻衣さんもこの点を強く意識されていらっしゃいます。作品の巻末に用意された〈あとがき〉でこんなことをおっしゃられています。
“海王星を主役にすることで、これまでとは違ったものになるだろうし、何より常識など大きく飛び越した展開になるだろうと…書いた結果、やはり思った通りで、戸惑われた方もいらっしゃったかもしれません”。
はい、すごく戸惑いました(笑)。上記した通り、”占星術”上の存在である天体の遣いが実体をもって物語に登場するところがまずもって引っかかりますが、それ以上にその先の展開が今までの作品とは受ける印象を大きく異ならせます。それは、第1作、第2作が複数の主人公視点で個々に展開する連作短編の形式を取っていたものに対して、この第3作では複数の主人公視点ではあるものの、全体としてのまとまり感が非常に強く、まるで大長編を読むような印象を残すからだと思います。そんなこの作品の構成を簡単に見ておきましょう。
・〈Introduction〉
※ 『満月珈琲店』を訪れた『海王星』とマスターの物語。
・〈プロローグ〉
※ 『ライオンズゲート』に、四国に集う天体の遣いたち
・〈鮎川沙月とアフォガードの記憶〉
※ 女優の鮎川沙月が主人公。マネージャーの彼と四国の実家へと向かいます。
・〈薄明ラムネと川田藤子の想い〉
※ 鮎川沙月の母親である川田藤子の若かりし時代が描かれます。
・〈鮎沢渉のノートと雨のプレッツェル〉
※鮎沢渉の若き日々が描かれます。
・〈あの日のスクリーン〉
※今の川田藤子が描かれます。
・〈エピローグ〉
※まさかの奇跡を見る物語。
第1作、第2作のレビュー同様に各章を簡単にまとめてみました。物語では、鮎川沙月に関係する面々が視点の主となって登場しますが、そこには冒頭の〈鮎川沙月とアフォガードの記憶〉から予想外に展開していくまさかの物語が描かれていきます。ネタバレを避けるためにこれ以上の詳細を記すことはやめますが、もう一つの要素である”起点・きっかけもの”がこの作品をしっかりと味付けしてくれます。そこに描かれる詳細をここに記すことはしませんが、ドラマティックなまでに感動的な物語がそこに描かれていきます。
“いつか私も五次元の世界を表現したものを書いてみたい、と朧気ながら思ったものです”。
そんな望月さんの想いの先に描かれる物語。それは”占星術”を演出道具として用いながらも、その芯の部分には登場人物たちそれぞれの”起点・きっかけ”の大切さが描かれていきます。そして、そこにはこんな言葉が綴られてもいきます。
・『自分を幸せにできるのは、自分だけ』
・『誰かを幸せにしたい、幸せにできる自分でいたい。そういう想いは尊いだろう。
しかしそれ以前に、人は自分を幸せにしなければならないのだ』。
そうです。他人を思いやることの大切さの一方で、自分自身をまずは見つめること、自分自身を大切にすることの必要性が語られていきます。そんな物語では、人がこの世に生きることの意味を読者に問いかけるように、生きていくためのヒントをもらえる物語が描かれてもいきます。あまりにシリアスに展開する物語は、『大きな三毛猫』のマスターさえも正装をして登場しているように感じるほどです。この作品は、『満月珈琲店』シリーズとしては間違いなく異色です。しかし、物語の強い説得力がそんな違和感を遥かに上回って読者に語りかけてもきます。そして、そんな物語が至る結末、そこには、この作品を丁寧に読んだ読者だけが見ることのできるまさかの奇跡が描かれていました。
『人はずっと決まったレールを歩いていくのではなく、選択次第で変えられるということだ』。
そんな言葉の先に、相手のことをどこまでも大切に想う主人公たちの深い心持ちが、切々と描かれていくこの作品。そこには、ある意味パターン化されたシリーズものの有り様を壊してまで、この作品世界を描かれた望月さんの熱い想いに触れる物語が描かれていました。『大きな三毛猫』のマスターの出番がちょっと少ないこの作品。いつもの雰囲気感とのあまりの違いに途中までが我慢のしどころなこの作品。
『満月珈琲店』シリーズの土台の上にこんな物語を描くことができるんだ!と、その物語世界の可能性にも驚かされた、そんな作品でした。