松田青子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
僕は一般的におじさんと言われる年齢だけど、自分のことを「〇〇おじさん」とおどけて言う人があまり好きではないし、自分に対して「おじさん」って言うことは絶対にしたくない。それはこの小説に指定されている「おじさん」が心の底から大嫌いだから。
同じ性なだけであって、彼ら「おじさん」は慈愛が全くありません。自己都合しか考えていないウンコだ。おじさんと言われるある程度長い年齢を生きてきたが、「おじさん」に対して理解が全く生まれません。いや、理解したのは前述した通り「おじさん」=うんこ、だと言うこの一点。
だから年齢や性別、見た目だけで、「おじさん」と指定しないでください。そう判断されない様に、見た目だけでも、筋トレしてお肌のケアして頑張るから。(これもれっきとしたルッキズムやで。やだやだ。)
感想ですが、2週間かけて読む私としては、話の繋がり、構成の意図が全ては理解できませんでした。女子高生達と論文(途中XXの研究論文の話がそうなのかな)、途中から出てくる、「わたし」(最後にわかりましたが)。この辺りの場面が全体を通してどうしてこういう構図の関わりになったのか、一回読んだだけではわかりませんでした。
ともあれ、革命の描写が最後の最後の本当に最後に湯気が立って、消えてなくなる様に描かれていた事を考えると、僕の想像としては、それでも日本は「おじさん」の国であって、女性は尊い存在だが儚く、持続可能な魂で繋いでいくしかないという、切なくまだまだ淘汰されてしまうものだという、訴えなのかなと思いました。
僕は「おじさん」にはなりません。誓います。
以上、松田青子さんありがとうございました。楽しかったです。
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Posted by ブクログ
フェミニスト界隈のひとたちにとっては目新しい表現はあまり見当たらない作品かもしれない。ただ、自分が社会の中でいわゆる性的対象と消費されたくないばかりに無意識におじさん側になってしまっていないかというセルフチェックはしていかねば、という思いになった。そしておじさんたちの思惑通りにはならないぞというポジティブな意志がなければずるずるとそこに同調していくことになりかねないのだ、とも。
なぜ日本がハズレくじを引いて国を縮小していくことになったのかというところはちょっと説得力に欠ける気がしたけれど、現実がまるでそうでもないと説明がつかないほど酷いので、皮肉が効いていてよい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ◾️record memo
敬子は、信じられないような気持ちで、彼女たちのことを見た。衝撃、としか形容できないショックを敬子は受けていた。
日本の女の子たちは、とても頼りなく見えた。
それまではそんな風に一度も思ったことがなかったのに、日本とは違う国で一ヶ月間過ごし、外から帰ってきた敬子の目に、それは明らかに異質なものとして映った。
まず、声が小さかった。
日本の女の子たちは、かわいらしい、誰も傷つけることができないような声をしていた。
最弱。
突然、その言葉が降ってきて、敬子は驚いた。
そう、敬子には、日本の女の子たちが最弱に見えた。とても弱々しい生き物に。その事実に、敬子は脅威を覚えた。
一ヶ月間、敬子が目にすることのなかった格好をした女の子。日本の女の子。
日本で生まれ育った敬子は、そのときはじめて「日本の女の子」という生き物に出会った気がした。
面白いのは、ダボダボの厚手の服を着てキャップをかぶったボーイッシュな女の子も、核の部分は同じに見えることだった。つまり、突き詰めると、服装が理由ではない。
これでは負けてしまう。
敬子の頭の中になぜだかそう浮かんだ。
何に?
誰に?
行き交う人たちの、イヤフォン率の高さ。なにしろプレイボタンを押すだけで、好きな歌が聴いている人それぞれの日常を救いにくるのだ。
片っ端からイヤフォンをしている人たちの肩を叩いてまわり、わかるよ、と敬子は声をかけたい気持ちになった。
どんな情報にも容易にアクセスできる今なら、アイドルを搾取し消費する構造などとっくにわかっているのに、それでも、彼女たちに惹きつけられてしまう。社会という搾取と消費の構造の中で生きている敬子たち市民だからこそ、惹きつけられるのかもしれなかった。その構造の中で生き抜くことが、どれだけ大変で、難しいことかわかっているからこそ。
あの瞬間、前に働いていた会社の会議室で、敬子の主張などはなから信じる気もなかった数人の「おじさん」から見下したような目で睨めつけられた瞬間、敬子は覚醒した。この目を知っている、この目が私はずっと大嫌いだった。私のことを物のように見る、人間扱いしないこの「おじさん」の目が。大嫌いだった。大嫌いだ。
魂は減る。
敬子がそう気づいたのはいつの頃だったか。
魂は疲れるし、魂は減る。
魂は永遠にチャージされているものじゃない。理不尽なことや、うまくいかないことがあるたびに、魂は減る。魂は生きていると減る。だから私たちは、魂を持続させて、長持ちさせて生きていかなくてはいけない。そのために趣味や推しをつくるのだ。
身長一四九センチの香川歩は、もともとナメられやすい外見をしていた。この日本社会でナメられやすい外見をしているとどうなるか、歩は身を以て学んだ。学校の制服を着ていなかったとしても、今度は、会社勤めの女性らしい服装という制服を着ることになった歩は、相変わらず混雑した電車に乗ると警戒したし、夜道は彼女の味方ではなかった。それに、どうしたって、女性という制服は脱げない。
一見、御しやすそうに見えるせいか、歩は男たちから勝手な好意を寄せられることも少なくなかったが、寄ってきたと察知するやいなや、彼女はあらゆる言葉と行動で、相手のファンタジーを粉砕することに努めた。どの年齢の彼らも、おしゃべりで、声が大きくて、対等に話そうとしてくる女をなぜか忌み嫌っていたので、ある意味簡単ではあった。寄ってきた男たちが引き潮のように引いていく瞬間は、今、何時何分です、とはっきりデータに取れるほど明白で、歩はそのたびに確かな手応えを感じた。
それでも、歩は非力だった。
私も少なくとも、柔道や合気道を習っておくべきだったのではないか。わりと本気で歩は後悔していた。なぜ幼い頃の私は、近所のピアノ教室にふわふわと通って、バイエルをやっていたのか。学びたかったのは、殺しのバイエルだったのに。あまりにも非力なまま、私は社会に放り込まれてしまった。誰も守ってくれない世界に。
注文後、すぐに届いたピンク色のスタンガンは、それ以来、歩と行動をともにしている。本当に使うときが来るとは、彼女自身も想像していなかった。それはお守りのようなものだった、日常を生きていくための。
「は、おまえ、マジ何言ってんの?」
考えてみれば、敬語とか丁寧語とかって、自分が尊敬している相手に使うものじゃないのか。
歩は、目の前の男を尊敬どころか、心底軽蔑していた。軽蔑しているやつに、歳が上だから、男だからって敬語を使わなければこっちが失礼だなんて、言葉の設計がおかしくないか。
話はずれますが、「男性を立てる」という表現は、とても不思議だとわたしたちは思いました。まるで、男性は一人では立っていられない、自立ができない、骨と筋肉がぐにゃぐにゃの、めずらしい生き物のようです。あまりにも女性のケアを必要としていたようなので、もしかしたら、実際にそうだったのかもしれません。写真が記録に残っていないのが残念です。
こんな常に防衛するのが当たり前の、「毎日がレジスタンス」な日々のために、敬子の元同僚の香川歩は、ピンクのスタンガンを常に持ち歩いている。お気に入りのなにかが、友だちのように寄り添い守ってくれるあの感じは、私もよく知っている。敬子にとってのピンクのスタンガンは、あるときから猛烈に夢中になったアイドルグループの一員である××の存在だ。