赤坂真理のレビュー一覧
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評価が低いのは、わかる。たしかに読みづらい。パラレルワールド的な展開で進むから追いにくい。高校で読んだ時は離脱してしまった。
ただ、内容は本当に面白いです。
もしダメそうだったら後半三分の一だけ読むっていう御法度を犯してもいいのではないでしょうか。核になることが書かれてます。そこだけでも読む価値あると思います。
輔弼というのがどこまでの責任を負う行為なのか。宗教とはなんなのか。私が学習した歴史と削ぎ落とされた歴史はどう混在しながら存在するのか。完全に思想に依存する話ではありますが、自分自身でこれら説明できる範疇になかったので、再考する良い機会になりました。
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偉そうだが「東京プリズン」という小説はそもそも小説技術において稚拙だった。個人的感情を含めての近代史論を展開するには小説は本来もってこいの手法だったはずだが、技術が惜しくも追いつかず作者の思惑が十分に表現できなかったように思う。翻って本作は、エッセイとしていわば「東京プリズン」のサブテキスト的に読んだが、むしろ感情的にも伝わって小説的な感動も受けたのだ。エーリッヒ・フロムや岸田秀あたりをおそらく経ずにほぼ同じような知見に達していることが驚かされる。英語原文からの日本国憲法の条文解説は、非常に面白い。これだけで一冊さらに掘り下げてほしいくらいだ。
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ネタバレ著者の曖昧なことをそのままにしておくのが、耐えられない感じがすごくいい。「戦争放棄をしていながら朝鮮戦争やベトナム戦争の特需で経済発展」「自民党は保守といいながらアグレッシブに改革する」「学生運動での共産主義が流行ったのは他に反体制の受け皿がなかったから」などなどこれまでモヤモヤしながらもそんなものかなと受け流してきたものが明確になる指摘が多数あった。とても面白く、とても勉強になった。
これまでに触れた、憲法改正への反対意見で最も腑に落ちて、改正してもいいんじゃないかと思っていたけど、反対したほうがいいような気になった。
先に結論ありきで、理屈を後付するのとは全く違う感じがよかった。 -
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アメリカ的近代民主主義に対する戦後日本のラカン的受容(「他者の欲望」の欲望)を指摘し、これを外来の概念を内実の理解を伴わないまま「外来語」としてそのまま受容してしまえる日本語の特質に帰するあたりの言語感覚はさすが。論旨の流れにとっ散らかった印象を受けないではないが、高度成長期から東日本大震災に至るクロニクルを経て、受容したものを結局理解できずに放り出して明治憲法以前に回帰しようとする現代日本のレジームに対する視線は、温かみのある文章に彩られてはいるが痛みを伴うほどに穎敏だ。
個人的には、偶然にも少し前に読んだ中公新書「昭和天皇(古川隆久)」と同様、「決断させてもらえない天皇」に触れている点が -
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同い年の人が書いた文章は歩みが違っても共感性が高くなる。これが同時代性というものか。ただ同時代を生きながら、その中心にいるのではなく、辺縁を歩いているからこそ共感できるのかもしれない。この本のテーマは「物語」か思う。著者の問題意識は、「私たちの現在は、明治維新と第二次世界対戦後と、少なくとも二度、大きな断絶を経験していて、それ以前と以後をつなぐことがむずかしい」そのため「自分たちが、自分たち自身と切れている」ことを出発点に戦後の歩みについて著者が探していく「物語」である。最後にたどり着く結論は、「物語」はマジョリティを作り出す、そしてマイノリティを区別し、暴力性を持つ。だから「物語は弱者(マイ
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凄まじい。
プロローグ、第一章「母と沈黙と私」と読んですでに「確かにあったのに、誰も語らなかったこと」が横溢している。
第三章「消えた空き地とガキ大将」は、単独で優れたドラえもん批評。マンガと社会と歴史、現実と願望の関わりに迫った奇跡みたいな評論だ。
第四章「安保闘争とは何だったのか」 こちらもまたハッとする。日米安保の原文は、日本がアメリカに保護をお願いし、アメリカがそれを受け入れる、という書き方である、という指摘。
安保闘争は自国民による戦争裁判だった、参加者は一つ前の戦争と同じく特攻と玉砕で消えた、という指摘。
第五章「一九八〇年の断絶」はちょっと残念。1980年頃のテレビドラマなどから -
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第1章の前に、「私の家には、何か隠されたことがある。そう思っていた。」との文が置かれています。
「私の家」と同じように、日本にも、何か隠されたことがあります。
これは私の予想ですが、日本には何か隠されたことがある、と肌で感じることができたのは、筆者の世代が最後なのではないかと思います。
この小説は最終的には、主人公が留学(させられた)先のアメリカの田舎の学校で、「アメリカンガヴァメント」という授業の担当教員から命じられて、東京裁判のやり直しをディベートとして演じ(させられ)る、という場面で終わります。
主人公が母によって留学させられる理由は結局はっきりしないのですが、母は自分ができなかった、