あらすじ
「《戦争と戦後》のことを書きたい、すべての日本人の問題として書きたいと、私は、十年以上願ってきた。」――戦争を忘れても、戦後は終らない……16歳のマリが挑んだ現代の「東京裁判」を描き、朝日、毎日、産経各紙で、“文学史的”事件と話題騒然! 著者が沈黙を破って放つ、感動の超大作。
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Posted by ブクログ
小説という武器を使って、天皇と日本、戦争と暴力の出自をむき出しにする、その手腕に脱帽。ある意味著者のバイオロジーを剥き身にして晒す。「愛と暴力の戦後とその後」とパリティにして読むと腹に落ちる。
読者に新たな日本人観、世界観の構築を促す力作。
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第1章の前に、「私の家には、何か隠されたことがある。そう思っていた。」との文が置かれています。
「私の家」と同じように、日本にも、何か隠されたことがあります。
これは私の予想ですが、日本には何か隠されたことがある、と肌で感じることができたのは、筆者の世代が最後なのではないかと思います。
この小説は最終的には、主人公が留学(させられた)先のアメリカの田舎の学校で、「アメリカンガヴァメント」という授業の担当教員から命じられて、東京裁判のやり直しをディベートとして演じ(させられ)る、という場面で終わります。
主人公が母によって留学させられる理由は結局はっきりしないのですが、母は自分ができなかった、あるいはうまくやれなかったことを娘にやり直させたいのだろうと思います。
天皇というのも一つの役割で、異なる個人によって受け継がれ、時の権力者たちによって繰り返し利用されています。
自らが天皇を利用している主体だということを忘れて、自分自身のコントロールを天皇の判断に任せ、自分の責任を放棄したことで破滅したのが大日本帝国軍部でした。
戦後に天皇を利用したのはアメリカでした。アメリカによって天皇を再び祭り上げさせられ、平和憲法を持たされ、同時に新たな軍隊を持たされ、そしてさらにそのことを忘れようとしているのが、今の日本人です。アメリカに対して完全に去勢された存在です。
日本にある「何か隠されたこと」とは敗戦です。
触れないようにして、忘れようとしても、ふとした時に思い出させられて、日本人は苦しみます。あるいは、いつしか本当に忘れてしまって、その欠如のために自らを見失い、日本人は理由のわからない苦しみに襲われます。
ベトナム戦争や東日本大震災も取り上げられます。これらも、日本人にとっての敗戦と同じく、民族の負い目の経験です。
ここまで長く書きましたが、膨大な数のテーマが扱われた小説なので、私には拾い切れません。
ちょっと長すぎ、詰め込みすぎの感もありますが、そのために、多くの人が自分の琴線に触れる文に出会える本だと思います。
Posted by ブクログ
一度書いたレビューが飛んでしまったので長く書く気力はないが
大傑作。ただ、1度読んだだけでは消化しきれない。
わからないのではなく、立ち止って考えるところが多すぎて。
マリ・アカサカは作者と同じ名だが作者自身ではない。
そこが重要。自身の名をあえて作中に用いることで宙づりにしている。
それはテーマにも重なる二重のフィクションとしてあるように感じた。
Posted by ブクログ
妄想のところはわかりづらかったが、少なからず日本人としてのアイデンティティを揺さぶられる。
帯にもあるように、外国語に翻訳して世に問うてもいいのではという作品だった。
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エンターテイメントでは、ない。
複数の時間を往き来し、複数の人物が重なりあう。
人びとの曖昧なアイデンテイを、表現するための文学的な方法としては、それほど珍しいものじゃない。
リアルな小説ではないんだから。
考えることの無かった、まさしく真空地帯に、楔を打ち込んだ。その時に、私たちは、何を知り、何を知らずにいたか。
これまで繰り返されてきた理屈や論理が、あまりに表層的であったことに気付く。
Posted by ブクログ
小説としての切り口で、勝者が報復として敗者を裁いた「東京裁判=A級戦犯」「横浜法廷=B、C級戦犯」を再審査する。20世紀の戦争で一方が侵略国で全面的に悪いと言うことはあり得ない。で、戦後世代の「戦争責任」とは?父祖の行為を否定し無理解になることか?アメリカに留学した語り手はハイスクールでハンティングに参加し獣と人間の絶対的格差を実感する。それはアジア人と白人の格差に似たものだったのか?「日本について」発表することを求められた彼女は「天皇の戦争責任」をタブーとするための生け贄が戦犯でありプリズンであったと…
Posted by ブクログ
小説の力、言葉の力を存分に味わえる傑作。豊潤なイメージに満ち、読者を迷宮へと誘い込む。純粋に小説として読めるならば、この作品の完成度の凄さにひれ伏したくなってしまうほどだ。ただし、天皇制の是非などという政治的な要素に囚われる人にはこの小説はまったく響かないであろう。
東京裁判を模したハイスクールでのディベートを軸に、「私」の意識は過去と現在、母と娘、「I」と「people」、昔住んでいた家と森、鏡のあちらとこちらを縦横無尽に移行する。「大君」とヘラジカの存在も印象深い鍵となる。アメリカの地で日本人である「私」を突き詰めていくうちに、日本とは何か、そこにある天皇とは何か、という根底に行き着く物語、と僕は感じた。
文化的に、そして歴史的に、初めて聞くようなエピソードや新しい物の見方が随所に散りばめられているのも魅力的だ。
Posted by ブクログ
作者マリが米国留学時に経験した天皇の戦争責任の有無のディベートを題材としているが、母と娘、祖母と母、自分と母、肉体と精神、時空を超えた超常的な対話が起こり構造が複雑。
東京裁判について日本人が誤解している2点を米国人から指摘させている。A級戦犯とは平和に対する罪のことで、犯罪の程度による分類ではないこと。真珠湾攻撃はハーグ陸戦法規定の不備もありだまし討ちではなくアクシデントと認定されていること。日本では近代史を教えないことが繰り返し出てくる。戦後の日本をどう解釈するのかを問う大作。
Posted by ブクログ
高校生でアメリカに単身留学し、ホームステイをしながら、メイン州の小さな町で勉強する。冬はとても寒くL.L.Beanの本社があって町に住む人のハンティング・ブーツはみなL.L.Bean。機能的で暖かい。とても素朴な留学生活ですが、進級するためのディベートのシーンがとても苦しかったです。学校で唯一の留学生かつ日本人に「天皇に戦争責任はある」を議題に、リハーサルでは否定/弁護し、本番では肯定/訴える立場に立つという課題がでる。たくさんの内なる声を聞いて、混乱し、私とはかけ離れた存在になっていくようでした。天皇とイエス・キリストを比較したり、わたしという一人称で戦争責任を語ることの困難さが伝わり、息苦しい思いをしました。
Posted by ブクログ
日本には「隠されたこと」が確かにある。
敗戦の空虚を隠さざるを得なかったのは、誰もが信じる空虚を守るためか。
ものすごく読みづらいし文章も苦手、だけど、読まないと気付かなかったことがたくさんある。
日本のアイデンティティーって結局何なんだろうな…
Posted by ブクログ
全部はっきり理解できなくても、
なんだか心に刺さると言う意味で
久しぶりによい読書をしたな、と思えた。
大君が若干もののけ姫な感じあったけど、
心にうけとめる何かが充実していた、
難しいけどあっという間に読めた。
たまにはいいものしっかり噛んで食べんとね‼︎
文庫になったらまたいつか読むように買いたいかも
Posted by ブクログ
太平洋戦争、ベトナム戦争、バブル景気、震災。それぞれの「戦後」に人々はどう向き合ってきたのか。自分はどう向き合うのか。主人公アカサカ・マリが依り代となって、それらを重層的に語る。正直な話、読みにくい。自分を取り巻く大きな歴史と自分のごく個人的な歴史とに同時に向き合わなければ、この問題について真摯に考えたことにはならない、ということか。それにしても入り組んでいる。内容はもちろん違うが、昔読んだ加藤典洋『敗戦後論』の入り組んだ議論を思い出した。娯楽にならないことは覚悟した上で、少し我慢してでも読む価値はあると思う。あと、留学体験というのはやはり強烈なものなのだろうなと思った。
Posted by ブクログ
う、うーん博識…;避けられがちなテーマへの挑み方も清々しければ、随所に散りばめられた雑学(じゃない)もNIKUI。早くも2014年の尊敬・オブ・ザ・イヤー候補。
Posted by ブクログ
こんな幻想的な内容だとは思っていなかったので、
なかなかに衝撃的だった。
そして、ちょっと受け付けない。
それでも、すごい作品だと言うことは分かる。
どうしてこんなものが書けたのだろう。
主人公は2010年に50前、つまり親世代の少し下。
私にとって一番謎な世代。訳が分からない人々。
こんな思いを抱えているからなのだろうか。
戦争の影を隠して生きる親に育てられ、
自分のアイデンティティーを求めずにはいられない。
私には到底理解できない。
初めて知ったことがたくさんあった。
それでも、それを知って、私は主人公ほどの衝撃を受けない。
知ってはいなくても、そうだと知れば納得できてしまう。
知らずにいるよりは、考えることがあるけれど、
知ったからといって私は何も変わらない。
海外へ出れば、主人公のような思いを持たざるにはいられないのかもしれない。
でも、私には縁のない話。
所詮、他人事にしか思えない。
まだ、自分に繋がる人々が関わっている時代の話なのに、
戦争はあまりにも遠い現実にされてしまった。
多分そういうことなのだろう。
Posted by ブクログ
天皇の戦争責任や、日本人にとって天皇の存在とは等、ベトナム戦争やキリスト教をも引き合いに出しながら、タブー視されてきたテーマに真っ向から取り組んだ、意欲的な作品。
前半は、夢かうつつか時間も空間も散り散りのシーンの挿入に、どこでつながるのか方向性が見えず、読みづらさが先行した。が、バラバラだったエピソードの関連性が見えてきてからは、読み応えもありじっくり楽しめた。
ただ、重いテーマの裏で主人公が15才で渡米した理由や、母親の過去、母子関係など、物語の設定に関しては思わせぶりに引っ張った割には未消化のまま終わっていて残念。もっと書き込んでほしかった。
作者と主人公が同じ名前というのは、意味があるのだろうか。
Posted by ブクログ
ひさびさに面白かった。東京裁判、天皇の戦争責任というテーマを小説にできるとは。小説の可能性に瞠目。現実とパラレルワールドの行き来が、なんとなく春樹をほうふつとさせる。
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先の戦争に対するいろんな視点がある中で
もし著者がアメリカにいて苦しんだなら、と
そう言う点で言うと、本当に多数の方がいろんな形で
この戦争に向き合ったのか、と思う
少し純文学的、宗教、思想が強いが
そう思わざるを得ない環境下、昭和天皇を思う気持ちを感じた
Posted by ブクログ
自伝と東京裁判、さらにアメリカと日本各論、戦前戦後の日本人の意識変革分析などを織り交ぜる着眼はとても興味深かったのだが、作風なのだろうか、リアルと幻想がシームレスで織り込まれるために悪い方向に幻惑してしまう。修辞のつもりだろうが多用される指示代名詞、無駄な倒置法、作為的な体言止めを繰り出すものだからどうにも読みづらい。はっきり言って文章がへたくそなのだ。英語での憲法原文や、アメリカ人気質など、興味深い点は多いのだけれど。
度々飛躍する幻想ないし夢描写であっても小説ならばのロジックが入りそうなものだが、ユングやフロイトあたりを持ち出して解釈しても、意味が不明な箇所が多すぎる。他人の夢の話ほど退屈なものはないのだ。
Posted by ブクログ
読んだことのない話でした。
テーマは深い。ただ、空想的というか、曖昧というか、ついていけないところが多々ありました。
よくできた作品だと思います。
いつかしっかり読み解けたらいいな。
Posted by ブクログ
扱おうとするテーマが大きく重いからなのか、そこへ辿り着くまでの物語の流れが迷走するようで、その足取りについていくのが難しかった。
いろいろなことをきちんと考えず、置き去りにして前へ前へと進んできているけれど、そろそろきちんと学び直し、考え直さなければ。
Posted by ブクログ
「小説でしか書けないことを書きたかった」らしいがどちらかと言えば小説とするための体裁に拘り過ぎた挙句にとっ散らかしてしまった感が強い。
赤坂さんが伝えたかったことはよくわかるしそれを効果的に見せるための手法もよく練られていると思う。
だがあまりにも木のディテールに捕らわれ過ぎて本質である森がまるで見えて来ないのでは本末顛倒、取り上げるテーマが壮大すぎるものなのだからメッセージはもっとシンプルで良かったのではないか?
腐すつもりはないが何如せん面白味が見えてくるまでに時間がかかり過ぎるのはあまりにも勿体無い気がしてならない
Posted by ブクログ
扱ったテーマは面白かった。文中の主張も賛同できるかどうかは別にしても興味深いと思う。
一方で、主人公マリの個人的問題と天皇の戦争責任の問題とのリンクが何となくしっくりこない。
あと、個人的には途中のマリの妄想みたいな部分は読むのがつらかった。
Posted by ブクログ
やっとこ読み終わる。
時代は留学していた14歳と現在と交差しながら進む。
ヘラジカ、電話、ディベートがキーワードか。
最終章でやっと東京裁判の話題に触れる。
これは、著者の自伝なのかな…
Posted by ブクログ
レビューを書けずに一年が過ぎた。
重い。東京裁判のこと。天皇の戦争責任をアメリカへ留学した女の子の目を通して語る。こうして文章になると白か黒か、著者の考え方が反映されるものと思うがそれがどっちなのかよくわからない。読みながら自分はどっちかと考えながら読むので頭が痛くなって読めなくなることが多々あった。どっちなの?と考えなくてもいいとは思うのだけどやはりどっちなのかと考えている自分。結局、わからない。頭の隅に触れてはいけない?タブー視する気持ちもある。古い人間なのでしょう。
取り上げることが難しいテーマであるのにさらに時空を飛ぶような書き方なだけにさらに難解だった。
Posted by ブクログ
戦争「責任」
東京裁判、巣鴨プリズン。枯れ葉剤、ベトナム戦争。憲法、天皇、戦争。
天皇に戦争責任はあるか?
タブー扱いになっているようなこの題材。
だからこそ、人は見たいものだけを見る。
憲法は押しつけで、残虐行為はなかった、とか。
天皇は「平和に関する罪」の筆頭で、皇室制度はなくすべき、とか。
現代を教えるにはあまりにも近すぎて主観のみで成り立ってしまうような歴史。
それを高校生が正面から挑む。
視点があちこちに移動するので初めのうちは面白みに欠ける。
ヘラジカ(の霊)とか、リトルピープルとか、不思議な存在に振り回されて読み手は自分の立場を失っていく。
しかし、後半、ディベート(という名のやり直しの東京裁判)になってからは面白くなってくる。
キリストのこととなるととたんに冷静さを失う人々の描写が怖い。
それが各地で起きるイスラムvs「アメリカ」を予感させるからだ。
間違った戦争だったと言われるベトナム戦争、そのごも幾度となくアメリカは戦争を繰り返す。
正義の名の下に。
キリストを引き合いにして天皇の戦争犯罪について述べるのは、異論もあるだろうが、そうだと思わせる。
戦争をやめるために人々、多くは非戦闘員を殺すことが正しかったのか?
キリストを信じていないのならば、それは許されることなのか?
本書は前半は何が言いたいかさっぱりわからない。
人ならざるものと交わることで感じることもあろうが、触れ幅が大きすぎる。
それらの部分を無駄だとは言わないが、ならば、完全に一部二部と分けてしまった方がマリの心の内を理解できたのではなかったか。
頭をぐるぐると駆け巡るもの、その意図はわかるが。
「自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだった」
「異質なものに聴く耳を持っていただきたい」
これが著者の言いたかったことなのであろう。
納得している自分がいる。
それにしても、A級戦犯が未だにランクだと思われているのは認識としてどうなのだろう。
本書でも指摘しているが......。
Posted by ブクログ
『「戦争と戦後」のことを書きたい・・』という帯に書かれた作者の言葉に魅かれて、読んでみました。
1980年アメリカでホームスティしながら暮らす16歳のマリと、2010年の東京にいる現在のマリ。話の展開は二つの時代を行き来し、空想や幻想の世界とも思える内容で、前半はなかなか話の中へ入っていけませんでしたが、後半になってやっと、そのテーマが理解できました。
1981年4月マリのハイスクールで進級をかけた最終弁論が行われました。
論題は『日本の天皇には第二次世界大戦の戦争責任がある』。
マリの役目は、それを肯定する立場を論証することでした。16歳の女子高生が、戦後の東京裁判を始めます・・・。
実際の東京裁判では、A級戦犯28人が起訴され7人が死刑となりました。その中に天皇ヒロヒトは入っていない。本当の戦争責任者は天皇ではないか。というアメリカ人の考えがよくわかりました。
もう逝去された昭和天皇は、はたしてどんな気持ちで第二次世界大戦にのぞみ、ポツダム宣言を受諾されたのでしょう。今となっては真実は誰にもわかりませんが、日本人それぞれが命にかえても守ろうとした天皇陛下を処刑になどすれば、日本の国自体の崩壊を招くと、アメリカ側が考えたような気がします。
アメリカが日本を足がかりとしてアジアへの進出を考えていたのなら、慈愛に満ちたキリスト教的な考えのもとで「天皇ヒトヒトは無罪」としたのでしょう。でも一般のアメリカ人は、そうは思っていなかったのです。
戦争を知らない世代には、重すぎるテーマだと思いました。この本のストーリー展開も少しわかりずらいところもあり、自分自身、すっきりとした回答がだせないところが、なんだかもやもやとした読後感となって残りました。
私の読解力では、少し難しい内容でした。