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「KADOKAWA『あの子もトランスジェンダーになった』」
あの“焚書”ついに発刊
「今年最高の1冊」エコノミスト誌
「今年最高の1冊」タイムズ紙(ロンドン)
「今年最高の1冊」サンデー・タイムズ紙
ヘイトではありません
ジェンダー思想と性自認による現実です
世界9か国翻訳
日本語版緊急発売
思春期に突然「性別違和」を訴える少女が西欧諸国で急増しているのはなぜか。
かつては性同一性障害と呼ばれていた「性別違和」は幼少期に発現し、およそ全人口の0.01パーセントに見られ、そのほとんどが男児だった。
「性別違和」の急増や男女比の突然の逆転——何が起こっているのか。
・SNSとインフルエンサーたち
・幼稚園からジェンダー思想を教える学校教育
・精神科医の新標準「ジェンダー肯定ケア」
・思春期ブロッカー・ホルモン補充療法・乳房切除手術
・権威すらもキャンセルされる活動家の激しい抗議
……約200人、50家族を取材した著者が少女たちの流行の実態を明らかにする。
「それまで違和感を覚えたことはなかったのに、学校やインターネットで過激なジェンダー思想に触れて傾倒した十代の少女たちがもてはやされている。そうした少女たちの後押しをしているのは、同世代の仲間たちのみならず、セラピスト、教師、インターネット上の著名人たちだ。だが、そんな若さゆえの暴走の代償はピアスの穴やタトゥーではない。肉体のおよそ四五〇グラムもの切除だ。(中略)いわばフォロワーになっただけの思春期の少女たちに、そのような高い代償を払わせるわけにはいかない」(「はじめに」より)
米国ベストセラー『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters』の邦訳版
【目次】
本書への賛辞
はじめに 伝染
1 少女たち
2 謎
3 インフルエンサー
4 学校
5 ママとパパ
6 精神科医
7 反対派
8 格上げされたもの、格下げされたもの
9 身体の改造
10 後悔
11 あと戻り
おわりに その後
謝辞
解説 岩波明
原注・参考文献
アビゲイル・シュライアー(Abigail Shrier)
独立系ジャーナリスト。コロンビア大学で文学士号(Euretta J. Kellett Fellowship)、オックスフォード大学で哲学士号、イェール大学法科大学院で法務博士の学位を取得。2021年にバーバラ・オルソン賞(ジャーナリズムの優秀性と独立性に贈られる)を受賞。また本書はエコノミスト誌とタイムズ紙(ロンドン)の年間ベストブックに選ばれた。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
KADOKAWAを脅して一度は焚書に!
次に産経新聞出版や全国の書店にテロ予告までして葬り去ろうとされた話題の本
この本が出版されてそんなに都合が悪い人は誰なの?って考えてしまう
全く差別本ではありません
当事者への非難はありません
社会を揺るがす悲劇を克明に綴り、社会の歪みに警鐘を鳴らすルポルタージュです
米欧の少女達の中での"流行"がトンデモナイ事態に
アメリカではジェンダーイデオロギーの浸透に「いじめ防止」というレトリックが使われたらしい
しかもそれは(活動家にとって)上手く行き、学校が治外法権の洗脳場となったらしい(怖い)
日本も対岸の火事ではない
この本はトランスジェンダー当事者を1ミリも差別してないどころか、そのことについてよく理解できる内容です
あわせて"'活動家"の手口とレトリックを一つ一つ明瞭に説明されています
このことから"焚書"事件が起こったのだと納得しました
活動家にとってはチューチューモデルの手口がバレてやりにくくなるから死活問題です
そのためテロ予告をしてまで出版を止めたかったのでしょう
そして一番忘れてはならないことは、こうした活動家が騒ぐことで一番迷惑しているのが本当の当事者達であるということです
Posted by ブクログ
本書の刊行に関する政治的なゴタゴタはともかく、帯にあるとおりヘイト本ではなかった。むしろ、都市化による個人の孤独化やSNSによる子供への精神的な影響、実体を無視して暴走する観念、ネット上でカルト化する人権運動、資本主義経済が倫理を踏み潰して暴れている様などが読み取れるアメリカ現代社会の病理を描いたルポとして非常に興味深い内容だった。トランスジェンダリズムの流行とは現代社会の問題点が集約された社会現象だったのだなと改めて思わされた。
現在アメリカで「トランスジェンダー」を自認する人の多くが、かつて性同一性障害と診断されてきた人々とは違って、思春期に突然性別違和を感じはじめた少女たちだと言う。本書は彼女たちがそこに至った経緯を多数の専門家や証言、データにより分析している。読んでいるとこれは一部の子供だけの問題でないのがよく分かる。
現代の子供達は思う以上に孤独だ。だからこそSNSやインターネットで見聞きしただけの「望めば異性になれる」などというファンタジーにも容易にかぶれてしまう。
大人の自分なども、デバイスのモニターを見つめていると体も周囲の世界も消えてなくなるような感じがある。存在するのは観念ばかりだ。だから誰でもその気になれば犬にも猫にもなれるし、バーチャル・アイドルや老婆にだってなれる。そんな環境にどっぷり浸かれば、自我の危うい子供たちが現実と仮想現実を混同するのも仕方ない気はする。
しかもモニターの向こうにあるSNSとは終わりなきバーチャル戦争の最前線でもある。少しのスキも見せられない。どこかのグループに属して安心を得たくなるのも分かる。共通の「敵」を攻撃することで絆(オキシトシン)は強まるし、快感(ドーパミン)も得られる。
これが現代の子供たちが置かれている生存環境だと考えるとかなり過酷だ。観念ばかりの世界は現実から遊離しているから、確固たる自分は永遠に掴めない。自分が何ものなのかも分からない神経症的不安を生き続けねばならない。
大人にしても状況は似たようなものである。子供時代に泥まみれになって走り回ったり、青年期に他者と肉体を通じて交流した経験がある分だけましとはいえ、カルト的なものにハマる孤独な中高年も多い。インフルエンサーや活動家が唱える教義に熱狂し、大金を吸い取られ、手術の傷跡を誇る「トランスジェンダーになりたい少女」は過酷な社会状況を生きる大人たちの縮図でもある。
本書にある、娘が突然「トランスジェンダー」になってしまった親たちの苦悩は、どう見てもカルト教団に娘を取られた人と全く同じだった。敵と味方しかいないカルト的世界観に洗脳されると人は家族や友達を毛嫌いするようになり、グループにとじこもる。子供たちに家族と縁を切らせるなども完全にカルトのやり方だ。人権運動とは異質な力学を感じる。
だいたい、思春期の少女たちが自分の体を否定したくなるのは特別な証拠でもなんでもない、ごく普通の成長過程だった。ただでさえ肉体の変化が激しい年代であり、性暴力の被害者になりやすい年代でもある。「女でなくなれば安全かもしれない」「女になりたくない」と多くの少女たちが願っても不思議ではない。
その上、自我が成長する時期というのは、人と違った自分というものに価値を見出しがちな物でもあるから、自分という人間は他の平凡な女の子たちとは違う進歩的な「トランスジェンダー」「LGBTQ」なのだ、と言いたくなるのも、正直ありふれた発想としか言いようがない。
昔から、「私」ではなく「僕」と自称しはじめる思春期の少女は一定数いたものだ。だからといって差別されるわけでもなく、それぞれ社会となんとか折り合いをつける過程でいつのまにか消えている一過性のものだった。いい年こいたおばさんになってまで「僕」で押し通している人なんて見た事も聞いた事もない。
そうしたありふれた揺らぎの中で悩む子供たちを、周囲の大人や、ちょっと年上の子たちが軌道修正してやれないというのはコミュニティの弱体化の現れではないかと思った。
共同体が個人にもたらす情報は言葉だけではない。他人の背中からも人は学べる。そうした言語化不可能な学習によって子供たちは自分を知り、他人を知り、社会に居場所を見出してゆく。その機会を現代の子供たちは失っているのではないか。
子供だけでなく、大人もそうだ。今や孤独な都市生活者が見つめるのはデジタル情報だけ。だから赤の他人にすぎないインフルエンサーを本物の友達や家族のように感じてしまう。これではカルトがはびこらない訳がない。
しかも現代は一過性の「僕っ子」や「黒歴史」ではすまされないから事は深刻だ。
本書が書かれた当時のアメリカでは、少女が「僕は男だ」と言って男服に身を包んだら、「トランスジェンダー」とか「ノンバイナリー」などという輝かしい名札を速攻でつけられ、医師やセラピストや教師といった現実の権威からお墨付きをもらえるという。
そのまま「ジェンダー肯定治療」という名の、一生終わらない医療ルートに乗せられてしまえば身体の永続的な損傷と高額な支払いという代償が待っている。後悔しても泣き叫んでも、誰も責任は取ってくれない。切り取られた乳房も子宮も永遠に戻らない。健康な体も女性らしい声も戻ってこない。
そうした囲い込みとルートがすでに教育、医療、経済、政治システム上に出来上がっているというのだから恐ろしい。現代アメリカで思春期を過ごすのは大変なことだなと思った。とんでもないなと。
もちろん当事者にとっては一種のコーピングとして一定期間は機能するのだろうが、払う代償があまりにも高すぎる。ボディーピアスやタトゥーどころの話ではない。たかが思春期のゆらぎで不妊手術をするなどあってはならないことだ。
本書では何度も「ヒポクラテスの誓い」という言葉がでてくるけれど、これは医療倫理の問題でもあるだろう。
幼少期から続く強い性別違和に苛まれ、ホルモン剤や整形手術によってしか緩和できない苦痛を感じている人たちと、思春期に突如「性別違和に目覚める」少女たちは別の苦境にいる。同じ治療法で良いわけがない。人権問題についてもまた然りである。
そこをしっかり判断するのが専門家の仕事なのに、本来責任を取るべき専門家が集団でほっかむりしている。得をするのは誰なのか。少女たちの体を金儲けのベルトコンベアーに乗せたいのは誰なのか。これは一般に言われるような人権問題ではなくて、都市化がもたらす孤独と行きすぎた資本主義が生み出した悲劇ではなかろうか。
「トランスジェンダリズム思想」の活動家たちが本書を激しく攻撃したのもむべなるかなという内容だった。
Posted by ブクログ
アメリカのジャーナリスト、アビゲイル・シュライアーが、アメリカの十代の少女を取り巻くトランスジェンダー関連の状況についてレポートした本。ここでいうトランスジェンダー状況とは、ホルモン注射や外科手術も含む。トランスジェンダーとしてホルモン注射や外科手術を受けた少女や家庭へのインタビュー、インフルエンサー、医療業界、学校関連、トランスジェンダーとして生活している人々、それぞれにしっかりとインタビューしており、それだけでも、著者の並々ならぬ苦労がしのばれる。
以下、箇条書きとなるが、感じたことなど。
・本書は十代の少女にどう向き合うかの方が主題だと思う。原題は「不可逆的なダメージ」であり、キャッチ―なタイトルとして「トランスジェンダー」の言葉が先行しているが、「十代の少女はなぜトランスジェンダーに向かうのか」と「少女」を主語の方が正しいと思う。
・昔からある思春期の少女の揺らぐ気持ちや不安感、それと苦しみながら向き合うことで成長するところを、安易にトランスジェンダーという解法を用意してしまう風潮。トランスジェンダー仲間を増やす手段としているように見える。
・トランスジェンダー「活動家」が学校、医療の現場に対して影響を持ってしまい、漠然とした不安感の原因として提示されたトランスジェンダーではないか、という考えを煽り立て認めてしまう状況。これは昨今の個人の感情を優先する風潮や、子供を叱らない状況が加速させているのではないか。
・医療業界もホイホイホルモン注射や外科手術をやってしまう状況。ポリコレ棒で殴られて最悪職を失うことを恐れているのではないか。
・個人的にはダイバーシティの「みんな違ってみんないい」は正しいと考えている。他者との違いを否定せず認めるのが知だと思う。それなのに、なぜトランスジェンダー「活動家」は僅かでも考えが異なるとトランスフォビアのレッテルを張り排除しようとするのか。好意的に考えれば、今まで迫害されてきたため、攻撃的になることで自分のアイデンティティを保たねばならない(黒人のラップのような)というのがあるのかもしれないが、錦の御旗のもとに他者を屈服させたい人々が集まっているのではないか。
・後半の章に登場するトランスジェンダーの人達は、手術を受けるまで十分に考え、かつ少女たちに対して、安易にホルモン注射や手術を行わず、慎重に考えるようにと述べており、とても好感が持てる。
・大人世代は子供(十代は子供だ)の悩みを受け止めて、ともに苦しみながら悩みに向かい合うのをサポートするのが責務ではないのか。それを全面肯定して不可逆的な道に安易に導くのは責務の放棄としか考えられない。子供が本当にトランスジェンダーで、ホルモン注射や手術が最良の手段だったとしても、安易に結論に飛びつく/飛びつかせるべきではないだろう。「悩みに向かい合う」その過程こそが人間の成長させ、それを手伝うのが大人の責務であろう。
Posted by ブクログ
至極真っ当なことが書いてある。
この界隈は既にカルト化され、アイデンティティの揺らぐ思春期の子供を餌食にして金を産んでるのだということ。
不可逆な手術をして取り返しのつかないようなことになってもここに挙げられてる活動家やインフルエンサーは誰も責任は取ってはくれない。
日本でも某アイドルが女性という自覚がないといって乳房を取った例が出来てしまったが(しかも勲章と言わんばかりに今時ありえないくらいワザとらしく大きな傷まで作って)、これが日本の若者にまで広まっていってしまったらと思うと吐き気がする。
また、数年前に亡くなったタレント兼インフルエンサーもこの界隈の誰かしらに嗾けられたのでは?と邪推してしまう。
前々から胡散臭いと思っていたこの界隈については、害悪しかないと考えていたので余計にこの本には共感するところは多い。
古い人間だと思われても構わない。
人間の性は男と女、オスとメスしかない。
例え体を作り替えたとしても遺伝子的にはXYとXXで分けられる。
今度は何だ、遺伝子レベルで性を変える術式でも開発して幼い子供あるいは母体にいる胎児の時からデザインジェンダーみたいに造語を作って稼ぐつもりか。
なぜこの本に対して出版中止の脅迫がされたのか。
手口がバレたらヤバいからの一言に尽きる。
どこかの国が仕掛けた計画的な去勢では?と疑ってしまうくらい酷いムーヴメントである。
善人ヅラして金儲けするエゲつない奴らは後を経たないが、この界隈のグロテクスさは群を抜いている。それが克明に記された著書である。
Posted by ブクログ
思春期に性自認が揺らぐなんてめちゃくちゃあるあるで、大人になれば自然と落ち着くもの
落ち着いた先がトランスジェンダーならそこから考えていけばいい、というかそれより前に、揺らいでる段階で何かを決定するなんてあまりにも危険
ましてや本人以外の、大人たちがそれを煽るなんて最悪の所業
SNSは功罪あるけど、ちょっと毒がでかすぎて怖い
辞めさせるのは難しいかもしれないけど、時間をかけて規制してくのは必要じゃないかな…
お酒やタバコみたいに。
なんか焚書騒ぎがあった本らしいけど、それはちょっと敏感すぎるような
内容は、正直アメリカの話だし、自分の周りにはもう思春期の子っていないので、ちょっと対岸の火事感…
だけどちゃんと大人として考えていかなければならない問題だなと思う
読んで良かった。出してくれてありがとう!
Posted by ブクログ
これほどのポテンシャルを持った本が、2020年の米での発刊から、2024年にならないと我が国で出ない現実。これがまず大問題。
「幸いなことに、日本の学校関係者も、医療関係者も、トランスジェンダーの扱いについては比較的慎重である。臨床的にも、トランスジェンダーを訴える人が病院の外来を受診することは多いとは言えない。〜略〜大部分は男性であり、米国のような状況には至っていない。」(P332「解説」より)
勿論、日本では比較にならないくらい少ないのであろうが、ホルモン摂取のハードルは格段に下がりつつある(私は限界精神界隈のウォッチが趣味)。専門家に対し野暮は百も承知だが、そんな危機感で大丈夫なのか心配になる。
本書で衝撃だったのは3点。
DSM-5で、性別違和の定義の執筆を監督したほどの専門家が、トランスジェンダー活動家の攻撃により職を解任させられていたこと(勿論、その筋では有名な事件だったみたいだが)。
もう一つは、「ジョンズ•ホプキンス大学の著名な精神医学及び行動科学の教授ポール•マクヒューには答えがあった。性別違和は"過大評価された考え"または心を支配するほどの情熱なのだ。それは「世の中の多くの人々がいだいている考えではあるが、患者や一部の人々にとっては、それが人生のすべてだと激しく思いこんでいる考え」なのだとマクヒュー博士は語った。」(P206)
性別違和とはなにか?に対するこれほど分かり易い答えがあることを私は知らなかった。果たしてこの答えが正解なのか?人の心とは、なんなのか?答えが出る日は来るのであろうか。
最後に、オートガイネフィリア(レイ•ブランチャードによる造語)の存在をトランスジェンダー活動家が否定しているってのは、何かのギャグなのだろうか?(笑)これが最も衝撃的でした。
Posted by ブクログ
不公正、抑圧への、抵抗。
それ自身は、尊重されるべき。
しかし、そうした行動は、社会的な生き物である人間が行う場合、複数名で行うことで、力と正統性を主張する場合が多い。
その場合、正当な抵抗は、いずれ「運動」「活動」「政治」というものに、自然に変化する。
最初は、損なわれたものを取り返すだけの正当な動き、主張であったものが、個としてはでなく、集団としての動きになり、「政治性」を帯びることで、行き過ぎた動きとなる。
その動きには、どんどんと、自らの自己顕示欲を満たすことに重きを置く活動家が入り込み、correctness を求めための動きは、political なものに変質していく。
よく目を凝らしてみると、その動き、活動の中には、既に不公正、抑圧の被害者はあまり見当たらないことも。
本当の被害について、声を上げようにも、その政治性に合致しないものはむしろ疎まれることもあり、あるいは、被害者が阻害されることもあるようだ。
あまりに身勝手で醜悪な、政治性。
少し前の世界の、権力に対するカンターパワーであった、「リベラル」「メディア」たち。
今では、批判を許さない姿勢を貫き、政治性を身に付け、人々を阻害する。
醜悪。あまりに醜悪な姿を、そのままに描き出した良著。
読み進めているうちに、ある日本語を思い出した。
「腫れもの」
特定の団体、メディアが、タブーを作り出し、世の中がタブーとして忌避する「腫れもの」になれば、大人になることを拒否しても、誰も、ついには親も何も働きかけることができない、「腫れもの」になりおおせる。
その先死ぬまで幸せに過ごせるか。
どんなに辛い通過儀礼や修行に臨もうが、幸せなんか確定的に得られるものであるとは思わないけど、「腫れもの」として扱われて、幸せを感じられる人に、自分の子供になって欲しいとは思えない。
著者は、この構造を顕にするという素晴らしい仕事をしたのではないか、と思う。
「腫れもの」を作る人たち。
一体どんな世界に生きているのだろうか。
なんとかそういう人と関わらずに生きていきたいもの、と思う。
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小説・文芸
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