これまで本書を読まなかったのは、完全に自分のバイアスだったと思います。
映画好きとして映画版が気になり、ようやく重い腰を上げて読んでみたところ、又吉さんの文章力に素直に感動しました。以前からYouTubeなどで、彼の独特な視点や言語化力には感心していましたが、小説としても非常に面白かったです。読まずにいた時間が、少しもったいなかったと思える一冊でした。
映画では、あのラストも忠実に再現されているのだろうか。
日本のお笑いは大好きです。ただ、世界中の情報に容易にアクセスできる現在において、日本のお笑いを見ていると、どこかガラパゴス化した閉鎖性を感じることがあります。
本書のラストは、狭すぎるお笑いの世界で生きる芸人の危うさを、見事に表現していてとても印象に残りました。一方で、無自覚に女性やジェンダーを笑いの対象として消費する価値観、ミソジニー、差別意識も露わになっており、「これで笑う人も実際にいるのだろうな」と複雑な気持ちにもなります。
ただ、それもまた神谷という人物像のリアリティだし、現実にも、いまだにああいう笑いを取る芸人はいる。だからこそ、あのラストには妙な生々しさがありました。
ああいうトピックを笑いにできるのは、それを客観視できている人だけだと思います。つまり、又吉のような書き手です。神谷のように、状況を主観でしか見られない芸人には、それは笑いにならない。
だからこそ、ラストは可笑しくも切ない読後感となっている。
私は、デザイン学校の先生から言われた「何でも好き勝手に作るのは、ただの型無し。型を知っているからこそ型破りなのだ。勘違いするな。」という言葉を、今でも指針にしています。
映画鑑賞も同じで、ただ好き勝手に映画を見るだけでは、映画を観る力は養われない。やはりそこには文法や法則があり、それを理解した上で観るからこそ、良し悪しを判断できるのだと思います。
笑いは、その時代を映す鏡です。だからこそ、その時代の空気を読み取る力がなければ、本当の意味では笑いは生み出せないのではないでしょうか。これは笑いに限らず、あらゆる分野に通じることだと思います。
神谷のように「失礼だと知りませんでした」と謝るような、無自覚に差別をしてしまう芸人に、本当の意味で笑いは作れない。たけしの師匠が言っていたように、笑われることはあっても、笑わせることはできないのだと思います。
ただの芸人青春物語ではなく、日本のお笑いの限界までも示した、非常に秀逸な作品でした。