梶井基次郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
作者が結核を患っていて、いつも死を意識していたかと思うと、この作品も本人の心境、様子を反映したものだと思えてきて切迫した気持ちになる。きっともう、病気で苦しみすぎたのだろう。作者の安らかに死にたいという思いが映し出されているようで、いたたまれなくなった。
普通の元気な人なら、夜、海に出ても、自分の影に見とれたりはしない。何度も阿片という単語が出てくるように、精神的に参っていて、早く楽になりたいという思いで一杯だった様子がよく伝わる。
イラストが穏やかで美しく、その透き通るような綺麗さばかりが印象的なこの作品。彼の自殺かもしれない死が美しく見えるけれども、荒々しさも、抵抗する様子も描かれることも -
Posted by ブクログ
二回読む。梶井の作品は二回以上読むべきなのだろう。
初回の感想は「難しい」。
決して、日本語としては難しくない。
何が難しいのか、考えてみた。
日本人は英語で聞き取れない音域が多くあるという。これは言葉を耳から学ばないから。(子供、例えば帰国子女は耳から言葉を覚えるので、この音域を聞き取ることができる)
そして聞き取れないと発音ができない、ということらしい。これが日本人が英語を話すことが苦手な理由の一つ。
このことを思い出した。
つまり、我々が身近に感じることを、梶井は、その想像を超える言葉で表現しているのだ。
だから難しい。
初めて読んだ時に梶井の表現する風景が頭に浮かべることができな -
Posted by ブクログ
〈乙女の本棚シリーズ〉
梶井基次郎+げみ
表紙の絵に釘付け…。
美しい青年と檸檬のバックに浮かぶ色彩のレトロ感に惚れ惚れする。
何に憂いているのか…この青年には孤独が似合う。
身体の辛さか借金なのか、街を浮浪し続けては、見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられた。
檸檬を買った。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も丈の詰った紡錘形の恰好も好きだから。
始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たと見えて、わたしは街の上で非常に幸福であった。
この檸檬の重さが彼にとってちょうど良かったのか。
丸善へ入り本を積み上げ、その頂き -
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乙女の本棚5冊目は梶井基次郎!
いやーなんだか甘やかされてる
おじさんたちが若い頃はなーもっと苦労して苦労して一人前になっていったもんだ
こんなことだから最近の若いヤツは軟弱ですぐ泣きごと言うんだわ!
と飲み会の席で最も嫌われるおじさん代表的な考えもなくはないんよ
梶井基次郎なんてほぼ詩やからね
意味なんてわからんのよ
そもそも本人が易しく伝えようなんてしてないんだから
その棘だらけの難解な文章を苦労して苦労して読み解くのに意味があるんだから
そういった意味では乙女の本棚なんて天津甘栗と一緒ですからね
しかもすでに剝いて袋詰めしてあるタイプの天津甘栗ですからね
いがぐりの状態すっ飛ばして -
Posted by ブクログ
どんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も、辛抱がならなくなるほどの、えたいの知れない不吉な塊。
それを抱えながらとある果物屋で魅入られ手にした檸檬を、京都の丸善で積みあげた画本の頂きにのせる。そしてそのまま店を立ち去る。
くすぐったい悪戯心によって取り残された檸檬は、あと十分後にはきっと大爆発をするのだ──。
ひさしぶりに読み返したけれど、これってメタファーとして現実に置き換えるとけっこう恐ろしいよな、と思う。
駅とかに不審物が置かれていた、なんてニュースを最近よく耳にするからだろうか。
日常に倦んだ誰かの気まぐれ。怖いけれど、でもそれが、檸檬の色彩のように鮮やかで魅惑的な響きを伴っている -
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妄想。
作者の妄想を読んでいます。
全く何にも役に立たない妄想を、まるで気の置けない友人に当てた手紙の様に、止めることなく筆を走らせた…という感じでしょうか。
正直、面白いのか面白くないのかわかりませんが笑
それでも「あぁ、この作者はこういう考えを持ってしまう人なんだな」ということが知れたのは面白いということになるんでしょうか。
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購入済み
一度読んでみるべきと言われ。
空虚な気持ちで毎日が過ぎていく最近の自分と重ねて読んでました。明るい話に慰められる時もありますが、今の自分にはこのような話のほうがあっているようです。
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どこまでも自意識過剰な
いかにも、梶井基次郎らしい小説である。自分が高校生の、文学青年であった頃を思い出させる。自分もあの頃にこういった経験をしていて、もう少し筆力があったなら、こんなものを書いたのではないか、そして十数年後の今頃「あんな恥ずかしいものを自分はよく書いたな」と、懐かしく思い返したのではないかと思わせる、そういう作品である。つまりは、良い感じに青臭い、ということである。