村田喜代子のレビュー一覧
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某所読書会課題図書:里とワラビ野の世界、重の森の墓所が設定されている中で、通常の生活をしている里の住民. 年齢を重ねることで、ワラビ野へ移住する老人たち.貧しい生活の中で集落全体が生き延びるための方策として、ワラビ野が設定されているが、そこで暮らす老人たちの何故か吹っ切れた生活態度が妙に親しみを覚えた.それに比較して、里の暮らしでは嫁に来た幼い娘が過酷な労働に耐えかねて自殺する件が何度も出てくるのは、読んでいて虚しさを感じた.老人たちは里へ支援に出かけることもあり、それなりの糧を得ているが、不作の年では自分たちが工夫して食糧を得ている逞しさが何故か微笑ましい.国が住民の生活をある程度支援する制度がない時代の話だが、自分たちの知恵を最大限に活用して生き延びていく時代が少し前までは普通のことだったことを再認識した.
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ネタバレ介護施設に入所できた場合、認知症患者自身は、外から見るよりも幸せに生きているのかもしれないと思った。見たい光景を見ているなら、良い事なのかもしれない。やりたいようにやらせてあげる、その余裕が家族にあるかは考えるだけで苦しい。
初音さんのように夢心地でなく現実を生きている満州美さんのことが気になった。読んでいる限り内面はいたって穏やかに見える満州美さんだが、若くして後遺症を持つ身体になった苦しみが顔に表れているという。そして妹には心配かけまいとしている姉の心が涙ぐましい。
陽気とされる千里も、そんな性格なら結婚して子どもの1人や2人いそうなものだがそうではないところに、作中には書かれていない千里の思いがあるのかなと想像させる。一言では表せない人生という厚みを感じるのだ。
病気によってある日突然自由が効かなくなるというのは誰にでも起こりうる。そんな時どうやって生きていくか。生き方も死に方も正解がない上に、思い通りにならない事もある。そんないくつもある不安を、ありのままに受け入れるような本だった。
戦争経験者の記憶も死と共に葬られていくのが恐ろしく思った。 -
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不思議な味わいの作品だった。
認知症となったお年寄りたちの内面世界を浮かび上がらせたかと思えば、見守る子供たちの気持ちにもよりそう。
お年寄りが思いがけず反応を示す昔のことに、驚いたりする若い介護士たちの姿も描かれる。
現代と、お年寄りが過ごした過去とを自由に行き来しつつゆったりと話が進んでいく。
お年寄りたちの帰っていく過去は、多くの場合戦時中だったりする。
自分の人生の最盛期に戦争を経験した世代の、半世紀以上経っても消えない傷がそこにある。
主人公の初音さんは大正生まれで、戦時中は天津の日本租界で暮らした経験がある人だ。
租界での優雅な暮らしは、終戦とともに終わり、現地で生まれた幼い娘、満州美さんとともに、命からがら帰国する。
引き上げ船での過酷な体験が「エイ」の幻影となって現在の彼女を苦しめる。
けれど、彼女が帰っていくのは、それより先の天津時代。
内地と違って、女性も「お前」などと呼ばれたり、男性の従属物扱いされなかった、特別な場所。
贅沢な西洋文化に触れられる場所。
溥儀の妻、婉容が「エリザベス」として束の間、限られた自由を手にした街。
婉容のその後は、知っての通り。
次第に認知症が重くなっていく初音さんの心が、実際には会うこともなかったエリザベスにだけ、つながりを残していたことに、何とも言えない気持ちになる。 -
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ふたりの女性が、離島にいる。
92歳と88歳で
ゆらゆら漂うように生きていた。
このオビ文句に触れ、自然と手が伸びた。
日本海のはずれ、養生島で暮らす二人の老人。
その一人、92歳の母イオさんを本土に迎えるため、娘のウミ子が訪ねていく。
読んでいると、イオさんもソメ子さんも、しっかりと老いているはずなのに、なぜか艶々と描かれるときがある。
海に潜り、踊りを舞う。
その姿に、時々ドキッとさせられる。
養生島の暮らしは、よくあるバカンスのように居心地良いものとして描かれているわけではない。
安全な暮らしは、本土にある。
けれど、イオさんが今更、海を離れたくない、ソメ子さんと別れるつもりもない、と願う気持ちが伝わってくる。
そして、人がいることで島は存在しているとも言える。
でも。どちらかが先に死を迎えた時、寂しくないんだろうか?
二人には大きすぎる島に、一人残されること。
でも、その寂しさは、他人事ではない。
一人では狭い本土の生活にだって、それはある。
それなら、死んだ人たちの墓を守りながら、彼らが鳥に姿を変え、渡りの中で会いに来てくれることを〝実感〟しながら生きることの方が……なんというか、優しい気がする。
自分もいつか鳥になる。
死して「飛族」となること(とあるゲーム風に言えばライフストリームの一部になること)を願う姿に光を見る。
コンクリートの都会では、還っていくことの想像だって、しにくいのだな。 -
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明治中期、硫黄島で生まれ育ち、当時全国有数の花街だったという熊本のなかでも最上格の廓に親によって売られたイチの1年ばかりの日々。明治の空気か女紅場のような一応の教育施設もあり、そこでイチはお師匠さんの指導のもと自分の気持ちを文章にすることに没頭する。そこここにその文章がはさまれるんだけど、硫黄島のことばそのままに文字になったようなその文章にイチの素直な喜怒哀楽がほとばしっているようで、昔が舞台の物語に生き生きとした勢いをつけている。
ことさらに遊女の不幸を語りたてることなく、おそらくそうであったように、当時その場にいれば誰もが生きていた毎日として描かれているのも好感。イチ自身は最上格の遊郭で最上位の花魁・東雲さんに面倒をみてもらうというなかでも恵まれた状況にあり、その一方で挿話的に転売されたり、病んでいつの間にかいなくなったり、妊娠する女たちの模様も描かれる。こんなんで遊女としてやっていけるのかなと思うようなイチの直情さが、それぞれの出来事に対して反応する様子をとおして深々と遊女たちの過酷な生き方が伝わってくる。
最後は遊郭を出たイチだけど、この後どうやって生きていけるだろうか。父親によって二重に借金を背負わされたこと以外は、これといって過酷な目に遭っていないようだし、周りについていくかのように遊郭を出たイチの先行きが不安。 -
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表紙絵はマルク・シャガールの『街の上の恋人たち』。その絵からイメージを膨らませたような不思議な話だった。
家の屋根を修理しに来た屋根屋に明晰夢の見方を指南してもらい、私は屋根屋と一緒に夢の中の旅をする。
2人の旅は夢の中とはいえ、なんとも甘美。シャガールの空を飛ぶ恋人たちのように。黒鳥になる場面は「レダと白鳥」を彷彿させる。
2人が訪ねるのは、福岡市の東経寺大屋根、奈良の瑞花院吉楽寺、法隆寺の五重塔、フランスのノートルダム寺院、シャルトル大聖堂、アミアン大聖堂など。国宝建造物の屋根の上からの景色。フランス料理や極上ワインを楽しみ、水の中を泳ぎ、ヒマラヤの峰々の上を飛ぶ。夢のような旅(夢なんだけど)。夢が素晴らしすぎて、現実の世界が薄れる。夢に囚われていく。
「屋根瓦の上は、なんと静かな、清浄な空間でありますか。この何にもない所に二人で一緒に棲み着かんですか」屋根屋の言葉は哀しい。
屋根の美に魅せられ、妻亡き後は夢行きを楽しみながら独り静かに暮らしていた男の寂しさを感じる。
屋根上で仕事をしている男に対し、地に足つく生活感溢れる主婦の私はあくまで現実的。
読んでいる「私」が主人公の「私」になっていくような、夢の中に入り込んで迷子になりそうな不安を感じながらも、現実から逃避したい気持にもなる。
現実と夢の境界が曖昧になり、どちらが夢か、どこから夢か分からなくなる。やはり怖い気がする。 -
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ネタバレ『八幡炎炎記』が「第一部」となっていたので、少なくとも三部はあるに違いないと楽しみにしていたのだが、これで「完結編」!?
村田さんの体調が悪いのだろうか、それとも第一部が売れなかったからなのか・・・。
しかし、これも十分面白かった。
村田さんは「ヒナ子」だと思うが、中学を出た後、働きながらシナリオライターを目指して家を出ようとするところまでなので、せめてシナリオライターの夢は破れ、小説を書こうとするところくらいまでは書いてほしいなあ。八幡製鉄所がまだ活気に満ちていたころ(朝鮮戦争特需、神武景気、岩戸景気があり、日本がどんどん豊かになっていったころ)の話なので、寂れてしまった北九州の様子も書いてほしい。
映画を見ながらシナリオを書いてみるシーンがあり、こういう経験が小説を書くとき大いに役立ったに違いないとか、「小説家」以前のところも興味深い。
当時の庶民がどんなに映画を楽しみにしていたのかが、リアルに(特に「ゴジラ」を見るシーン)わかって胸が熱くなった。みんな、ゴジラを応援していたんだね。
また、新藤兼人の「裸の島」の浅さを祖母が看破するところも面白かった。
実際に経験した人が見ればありえないっていう名作たくさんあるよね。
ヒナ子だけでなく、親戚の子どもたちも、皆養子だったり、本当は姪や孫だったり、血の繋がりの薄いところも、ヒナ子が作家になる下地となったような気がする。
第一部の主人公は克美っぽかったが、この本では老いてきて、だんだんヒナ子たちに比重が移ってきている。
面白いところで終わっているので、ヒナ子の青春真っ盛りとなる三冊目もやっぱり書いてほしい。