村田喜代子のレビュー一覧
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購入済み
最初は、著者の名前に、書名に興味を持って購入。
読み始めるとアメリカの原爆開発の研究所に集まった科学者達の一人を彼(夫)とする日系3世の女性を主人公とする小説。
原爆開発を行いながら、科学者達とその夫人達の生活がリンクしない。「新」古事記とは、夫人達の出産ラッシュ(生の始まり)と、明確には出ないが原爆(=死)との対比が、歴史の始まりとみるのか。 -
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ロス・アラモスはアメリカの原爆開発の舞台となった地である。マンハッタン計画に基づき、高台のこの地に研究所が築かれた。それだけでなく、ここには科学者らの家族も住むこととなり、街が作られた。
研究の性質からして、機密は守られなけらばならず、人の出入りも厳しく管理された。
一風変わった、閉ざされたこの街で、科学者たちは研究に励みつつ、一方で家庭生活も楽しんだ。若い研究者らが多かったから、彼らの多くは子供をもうけた。
夫たちが作ろうとしているものが何なのか、妻たちは詳しくは知らなかった。それよりも日々の生活を回すだけで精いっぱいだった。
子供が生まれ、犬が駆け回り、普通の営みが行われている中心で、行わ -
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某所読書会課題図書:里とワラビ野の世界、重の森の墓所が設定されている中で、通常の生活をしている里の住民. 年齢を重ねることで、ワラビ野へ移住する老人たち.貧しい生活の中で集落全体が生き延びるための方策として、ワラビ野が設定されているが、そこで暮らす老人たちの何故か吹っ切れた生活態度が妙に親しみを覚えた.それに比較して、里の暮らしでは嫁に来た幼い娘が過酷な労働に耐えかねて自殺する件が何度も出てくるのは、読んでいて虚しさを感じた.老人たちは里へ支援に出かけることもあり、それなりの糧を得ているが、不作の年では自分たちが工夫して食糧を得ている逞しさが何故か微笑ましい.国が住民の生活をある程度支援する制
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あるアメリカ人女性(フィリス・K・フィッシャー)の『ロスアラモスからヒロシマへ 米原爆開発科学者の妻の手記』を村田喜代子氏が小説にされた作品。
読み始めから「文明の行く末」に嫌な気持ちの不安を感じながら進みます。
語り手若い女性の語り口が明るい(作者の手腕)のがちょっと救いだが、日系であることを秘めていることにされたのが、またぞろ不安を増しながらの読書...。
場所はニューメキシコ、アルバカーキやサンタ・フェ近郊のロス・アラモス。ちゃんと地図にありました。それがまた恐ろしい。いえ、もう起こったことです。
科学者の若い妻も知らされていなかったでしょうが、わたしたち幼児だった日本人も知らなか -
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ネタバレ介護施設に入所できた場合、認知症患者自身は、外から見るよりも幸せに生きているのかもしれないと思った。見たい光景を見ているなら、良い事なのかもしれない。やりたいようにやらせてあげる、その余裕が家族にあるかは考えるだけで苦しい。
初音さんのように夢心地でなく現実を生きている満州美さんのことが気になった。読んでいる限り内面はいたって穏やかに見える満州美さんだが、若くして後遺症を持つ身体になった苦しみが顔に表れているという。そして妹には心配かけまいとしている姉の心が涙ぐましい。
陽気とされる千里も、そんな性格なら結婚して子どもの1人や2人いそうなものだがそうではないところに、作中には書かれていない千里 -
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不思議な味わいの作品だった。
認知症となったお年寄りたちの内面世界を浮かび上がらせたかと思えば、見守る子供たちの気持ちにもよりそう。
お年寄りが思いがけず反応を示す昔のことに、驚いたりする若い介護士たちの姿も描かれる。
現代と、お年寄りが過ごした過去とを自由に行き来しつつゆったりと話が進んでいく。
お年寄りたちの帰っていく過去は、多くの場合戦時中だったりする。
自分の人生の最盛期に戦争を経験した世代の、半世紀以上経っても消えない傷がそこにある。
主人公の初音さんは大正生まれで、戦時中は天津の日本租界で暮らした経験がある人だ。
租界での優雅な暮らしは、終戦とともに終わり、現地で生まれた幼い娘 -
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明治中期、硫黄島で生まれ育ち、当時全国有数の花街だったという熊本のなかでも最上格の廓に親によって売られたイチの1年ばかりの日々。明治の空気か女紅場のような一応の教育施設もあり、そこでイチはお師匠さんの指導のもと自分の気持ちを文章にすることに没頭する。そこここにその文章がはさまれるんだけど、硫黄島のことばそのままに文字になったようなその文章にイチの素直な喜怒哀楽がほとばしっているようで、昔が舞台の物語に生き生きとした勢いをつけている。
ことさらに遊女の不幸を語りたてることなく、おそらくそうであったように、当時その場にいれば誰もが生きていた毎日として描かれているのも好感。イチ自身は最上格の遊郭で最