あらすじ
押伏村には、六十歳を越えると蕨野という丘へ棄てられる掟がある。だが、死を待つ老人たちは悲惨で滑稽な集団生活を送りながらも、生への意志を逞しくしていく。死してなお魂は生き永らえるのか? 棄てられた姑と嫁の心の対話を通して、人間の「生」の本質に鋭く迫る、平成日本によみがえる衝撃の棄老伝説。
恩地日出夫監督、市原悦子主演で2003年に映画化。
解説・辺見庸
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棄老...姥捨......という一見むごい風習を描きながら、読めば「ヌイよい」「お姑よい」と、遠い二人の心の対話が不思議な浮遊感を生む。そのままするすると物語に惹き込まれていく。
山野には異界への入り口があるみたいだ。順繰りに訪れる死。夢と夢のあわいをまどろみ、生きとし生けるものへの慈しみをよぎって、読み終わる頃にはむごくも哀れでもない充足と祝福が見えてくる。
枯れたものが土に還りまた次の命を結ぶ円環。こんなふうに満ち足りた老い先を迎えられたらと放心してしまう。この方の描く老いはなぜこうも憧れを起こさせるのかな。
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とても良い。世界観に引き摺り込まれた。
文体と形式が独特で、最初は少し読みづらいが、しばらく読み進むと分かってくるし慣れる。
途中、もの悲しく感じる部分もたくさんあったが全体としては悲しい話ではなく、むしろ明るいものなのかもしれない。
この作品を良いと感じるのは、登場人物の女性ならではの繊細な視点から、生活や人生が語られていることが理由かと思う。また、姑と嫁の堅い絆もよい。
最後の伏線回収もすばらしい!
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お姑(ばば)よい
ヌイよい
二人の語らいに
恍惚となりながら
読み進めたる
物語でありつつも
我にとって二人は
確かに存在した人生だと
感じつろう
押伏(おしぶせ)に生きた者らと比べ
我が人生がいかに
恵まれておったことか
であるのにひ弱なものと
なった我の半生を
恥ずかしく思うて今後は
二人のよに強く生きんと
考えたるよい
親兄妹、家族の為に
命燃やしたいと
願うばかりなり
そして
絶望と希望と感動に
満たされながら
読み終えたこの物語を
この神々しい文学を
いつまでも愛しく感じ
生きて行きたいと思うなりよ
(※文体は正確さを保証されていません
素人の書くブログです
ご了承ください)
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口減らしのための姥捨てなどの老人を切り捨てる方法。自然と向き合い、さらにその自然の懐に一生をゆだねると決めた社会の掟は、日本中どこでも見られた光景だったのかもしれない。嫁からお姑よい、と声がけ、姑からは嫁をヌイよい、と呼びかけ語り始める。その語りの中にが、互いを気遣う気持ちが伝わってくる。
60歳、死を覚悟の蕨野入り。垢だらけ、髪は抜け、皮と骨だらけ、そんな最期は本当に仏のよう。末期目は見えなくても、老人が老女たちをイチイやエノキなどの木の実に例えて、思い描くシーンに慈しみを思う。老い支度、まさに死への恐怖を死への覚悟と変えてくれる本だと思う。還暦巡って零歳になるように、新たの命へと姑と嫁がつながる。まさに後に伝える昔話のようだった。
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2009.09.27. 姥捨ての体をしているけれど、昔の知恵が生きた老人たちの暮らしの在り方だと思う。「楢山節」とは、違うと思う。"お姑(ババ)やい"、"ヌイやい"という、若い嫁と蕨野へ行ったリンとの語りかけで成り立っているというのも、慣れるまではちょっと往生したけど、読み進むごとに現実味を増していく。森の匂い、人間の生きてる匂いが立ち上ってくるようでした。読み終えた日に、ちょうど映画化されたものをテレビで見て、市原悦子の「ヌイやい」との語りが、とてもしっくりきてた。また読みたい。
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某所読書会課題図書:里とワラビ野の世界、重の森の墓所が設定されている中で、通常の生活をしている里の住民. 年齢を重ねることで、ワラビ野へ移住する老人たち.貧しい生活の中で集落全体が生き延びるための方策として、ワラビ野が設定されているが、そこで暮らす老人たちの何故か吹っ切れた生活態度が妙に親しみを覚えた.それに比較して、里の暮らしでは嫁に来た幼い娘が過酷な労働に耐えかねて自殺する件が何度も出てくるのは、読んでいて虚しさを感じた.老人たちは里へ支援に出かけることもあり、それなりの糧を得ているが、不作の年では自分たちが工夫して食糧を得ている逞しさが何故か微笑ましい.国が住民の生活をある程度支援する制度がない時代の話だが、自分たちの知恵を最大限に活用して生き延びていく時代が少し前までは普通のことだったことを再認識した.
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独特の表現で初めは驚いたが、お姑よい、ヌイよい、と呼びかけあう会話にだんだんと引き込まれる。
押伏村では60歳になると、村から離れたワラビ野(いわゆる姥捨て山)へ行かなければならない。
ワラビ野衆となったお姑よい達の、死へと向かうはずの生活が凄まじいのだが、滑稽な明るさもあり逆に生命力を感じる。
非常に心に残る作品です。
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六十を過ぎた者は里を離れ野に建つ小屋に寝起きし、毎日里を訪れて仕事を貰い日々の糧を得るという暮らしに身をやつす。そうして老い衰えた者をふるいにかけ、豊かならぬ里は新陳代謝を図っていく。
長雨続きの不作で、生まれた赤子は濡紙を口に当てられ、若い嫁は嫁ぎ先に暇を出され生家にも入れて貰えず行き処を失う。過酷な暮らしで弱り果てていく老身。
憐れで惻々とした物語でありながら、姑レンと年若い嫁ヌイの間で交わされる語りかけに込められた慈愛と思慕の情が作品を優しさと温かみで縁取り、最後には一握りの安らぎと救いとがもたらされてもいる。
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サバイバル姥捨小説。
初めて読むような文体に戸惑った。何しろ物語は最初から最後まで、お姑と嫁・ヌイの方言のような古文の文体の会話で展開されるのだ。始めは読むのが苦痛なのだが、慣れて来ると面白くなる。
押伏村に伝わる六十歳を迎えた老人は蕨野に棄てられるという哀しい掟。蕨野に棄てられた老人たちは、厳しい自然を相手にサバイバルを続ける…
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嫁と姑の関係に希望があるところがいい。
年を取ってもコミュニティから排除されても、生きる意欲や恋をする気力があるところがいい。
何より、厳しい土地厳しい状況の中でそれでも生きようとする人々の姿が美しい。
余談だが、ワラビたちは「寒の夏」でさえなければ、秋になって収穫を迎えたときに再び村に帰ることができたんだろうか。できたんだろうな。できたと信じたい。
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姥捨山に捨てられた老人達のサバイバルの物語!…はちょっと違うけど。(と思ったら、解説の辺見庸さんも「老人たちが余儀なく突入していくサバイバルゲーム」と表現していてびっくり。)
里の若い者達の食いぶちを減らすため、もう里には戻らない覚悟で自ら山にはいるが、それでも山で鳥やウサギを採ったり魚を捕まえたりしながら必死に生き延びようとする年寄りたちの姿が印象的だった。そのうえ里が飢饉にみまわれると、里に残した子や孫に山の肉をやろうと必死に罠を仕掛けるおじいちゃん…。生きるってこういうことだ!というものをどーんと見せつけられた気がする。そこには「姥捨」の伝説から受けるネガティブなイメージは、ない。
みんなが生きるために、社会を継続させていくために、老人たちが後続の若い人たちにすべてを委ねて道を明け渡そうとする姿に、心打たれました。
Posted by ブクログ
しみじみとした情感に包まれる
死に逝くものの話であり
生まれ出でるものの話でもある
私たちが生きている
この地そのものが
蕨野行になっているのかも
知れない