三橋貴明のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
とても勉強になりました。
もう何だか日本政府が、全く逆のことをやっていることに驚いてしまい、大変なショックを受けました。
ずっと国債は国の「借金」かと思っていましたが、全く違うことを知りました。数字(情報)が増えるだけ。
2025年現在の日本においては、消費税(付加価値税)は諸悪の根源としか思えません。
消費税が無くなるだけでも、日本経済は回復するのではないかと感じました。
日本を建て直すためには、本当に何とかしないといけない。
税金は財源として必要なのではなく、国債が相殺されるだけ。
税金増収→国債減少→国民の預金減少。
本当に何をやっているのか、、、 -
ネタバレ 購入済み
・「財政健全化」=「政府の負債÷名目GDP」の割合を下げること。
「プライマリーバランスの黒字化」を目指さなくても、国債金利が低く、名目GDP成長率を引き上げれば、プライマリーバランスが赤字でも財政健全化は達成できる。
名目GDP成長率を引き上げるためには、短期的なプライマリーバランスの赤字には目をつぶり、デフレ脱却を果たす必要があるのだ。
地方創生のために、交通インフラ整備を進めれば、デフレから脱却し、名目GDPが成長していくため、財政健全化が達成される。その時には、プライマリーバランスの黒字化も達成される。
・多くの国との交易が、経済成長をもたらした。発展途上国は、投資の対象でもある。
これまで利用されなかった人的資源を、教育によって労働力に変え、捨てておかれた土地に設備を作って生産基地に変える。資本と技術の移転。
・発展途上国に対して、大した投資もせず、搾取ばかり続けるのは馬鹿げている。
そうした政策を採用した国は、結果的に「植民地経営」に失敗し、国際社会の表舞台から消えることとなる。ポルトガル然り。スペイン然り。オランダ然りである。
・デフレの時に、国民に課税することは有害だ。
・政府は財政支出によって、民間に通貨を供給する。(国家だけが通貨を発行できるため)
政府は財政支出より前に税を徴収したり、国債を発行したりすることはできない。
もし国家が通貨をすべて租税によって回収してしまった場合、国民は通貨を取引や貯蓄といった手段として使えなくなる。
したがって、民間において通貨が納税以外の手段として使用されるためには、国家は税収以上の支出(自国通貨建て赤字財政)を行う必要がある。
「正常な」ケースは、政府が「赤字財政」を運営していること、すなわち税によって徴収する以上の通貨を供給していることである。
それでも、財政健全化(黒字財政)を目指そうとすれば、国民に貧困生活を強いるか、
輸出相手国の市場と雇用を奪い取るしかなくなる。
真に目指すべきは、完全雇用と物価の安定である。
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Posted by ブクログ
プライマリーバランス黒字化はあくまでも手段の一つと考えるべき。それが目標になってしまっている以上、歳出削減や増税に走らざるを得ない。結果、デフレ脱却と言いながら、真逆の政策を打ち続ける。
都市への人口集中は高リスク状態。地方に分散させるべく鉄道インフラ整備に積極的になるべき。莫大な整備費の負担は地方自治体には荷が重い。国の予算を注ぐ価値は十分にあるはず。新幹線の新規路線整備計画はいくつも存在するが、投入が許された予算の額を考えると、多くは竣工まで数十年コース。景気回復&災害リスク低減に向けて惜しまず予算割り当てて然るべきなのに、それができないのはプライマリーバランス黒字化目標が足枷になっているから。
そもそも現状の日本で財政破綻の可能性はゼロ。自国通貨建の借金だけでデフォルトはあり得ない。財務省も国外に向けてはそのように主張する。「国の借金、国民の負担」は言葉のマジック。正しくは政府の借金。日銀は政府の子会社。貨幣発行、国債の貨幣化で借金チャラ。ハイパーインフレの心配はない。
特落ちが怖い新聞社は記者クラブの会員でいたい。政府に都合の悪いことは書けない。新聞社や国際機関の一部には財務省からの天下りや出向枠があり、動きがコントロールされている。財務省に目をつけられると伝家の宝刀「国税庁」を飛ばされて大きなダメージを負うことも。財務省の権力は強大。
ハイパーインフレ大丈夫の説明もうちょっとしてほしい。
緊縮財政路線が政府(財務省)にどう都合がいいのかが理解できず、もやもやが残った。 -
購入済み
このままでは本当に危い国になる
日本への移民をこれ以上増やしてはいけない。
この人はさまざまなテーマで本を書きまくっていて、玉石混交なところがあるけれど、この件については著者に完全に同意。技能実習生とかなんたら留学生という名目で、安くこき使うための労働力として事実上の移民受け入れが激増している。この国が、ずっと世界でもまれな安全・安心でかつ自由な国でいられたのは、単一民族国家であったことが本当に大きい。これはいくら強調しても強調しすぎることはない。
安易に安い労働力を外国人に求め続けた欧米の国々が、国内に抱え込んだ不満をかかえる少数民族のために、いまどれだけ大きなつけを払っているか、それを横目で見ながら同じことを後追いでやるのは本当に愚かなことだ。
経済界は姑息なたくらみをやめて、真面目に遅れた産業分野の生産性向上に取り組むべき。 -
ネタバレ
現代の全体主義国
一部ご紹介します。
・全体主義国の帝国主義は、自分たち(党)以外の「人間」の存在を否定する。独裁党が「生存圏」を拡大していくことは、そのほかの国民や外国人(各国の住民)が「邪魔だ」という話になる。
・チャイナの『国防動員法』とは、「中国国内(どこが中国国内かは中国共産党が規定する)」で「有事(それを判断するのは中国共産党)」が発生した場合、18歳から60歳までのチャイナ人男性と、18歳から55歳までのチャイナ人女性は、「国防(それを決めるのは中国共産党)」に貢献することを義務付ける法律のことである。事実上の対日戦争法なのだ。
・チャイナの『一帯一路』構想とは、チャイナの過剰な供給能力を使って、世界征服を行うことなのだ。それには、世界島(ユーラシア大陸全域)にチャイナが交通インフラを整備することである。資金はAIIBか対象国に出させる。金は高金利で貸し付ける。払えなければインフラ没収(領土の割譲)する。労働者(チャイナ人)を大量に送り込み、現地に居つかせる。『洗国』の始まりだ。
・チャイナの『洗国』では、まず政治力を持つ人民解放軍駐留中国共産党官僚が送り込まれる。支配者として。次に、現地男性は中国本土に強制移住させられる。そして、現地女性は「チャイナ人」との結婚を強制される。やがて民族消滅に至る。民族浄化である。そうして中国共産党の帝国の一部と化すのだ。
・『中国製造2025』とは、チャイナが世界最強の国家に至るまでのプランである。「2025年までにすべてを中国(チャイナ)で生産できるようにする」というもの。
・チャイナには、言論の自由も、民主制もない。そのため、党は「短期的な選挙結果」を気にすることなく、超長期の国家戦略を推進できるのである。
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Posted by ブクログ
エネルギー問題について今まで考えたことがなかったため改めて日本のエネルギー問題が危うい状況であるか考えさせられました。当たり前だと思っていた、電気という生活インフラがどのように作られ、自分たちのもとに届けられるのか考えたこともありませんでした。この本を読み、いかに今のエネルギー供給問題が深刻化しているか。今年の冬は寒さが厳しく、需要が逼迫しているかニュースで見ましたが、安定的に電力が供給されなくなっているのだと他人事には出来ない問題で、国民一人一人が考えなければいけないと思いました。
また再生エネルギー促進賦課金等という謎の多い負担金が増えている背景にはレントシーカーたちのビジネスが公共性の高いサービスに入り込んできていることを知りました。しかも、この賦課金は年々増加していると調べて分かりました。そうやって国民の所得からしれっと盗んでいることにはもちろん、電力会社が設備投資を減らされている今の状況に憤りを感じます。他の公共性の高いサービスにもこういった国際金融資本のグローバリストの魔の手が拡大していると考えると、悔しくて悔しくてたまらないです。国民一人一人が賢くならなければいけないと思いました。 -
購入済み
理解不能な財務省
財務省は賢い方ばかりだと思っていましたが、最低のお馬鹿集団ということですか。おそらく多くの財務官僚は本書の内容は十分承知していても、組織の中では何もできないというのが実態なのではないでしょうか。やはり政治の力で方向性を変える必要があると思います。
今後も愚かな日本国民への啓蒙活動(三橋TV等)を続けていただき、いつの日か報われる日が来ることを祈っております。 -
Posted by ブクログ
ネタバレわりと難しい経済の本であり、わかりやすい経済の本である。お金はどう発生するのか学べる。そして歪んだ未来の価値がわかる。
タイトル詐欺だけど、生産性向上の未来の提言は210~255の45ページ分しかないけれど、読み応えのある経済の本だった。
そもそも日本経済の何が悪いのか、どうして政府が国債を発行するのが悪いことにされているのか、日頃の著者の論旨をまとめている。しかし、ほかの本よりうまく提言できている気がする。著作を重ねて論点が精錬されてきたかな。
なぜお金が発生するのか。これを解説することで、日本は国債借金地獄でも何でもないことを証明している。すっごくわかりづらいけれど。
難しいことだからしょうがないんだけれど、この本の趣旨とは違うことだからしょうがないことなんだけれど、わかりづらい。
でも、他の経済本では言っていないようなことだから、とても価値のあること言っている。もっとわかりやすい解説を工夫・改善してほしい。
お金は貸し借りの証明書。そして政府が国債で発行するから始まる交換手段。そして、インフレし続けることが正しい経済のあり方。だとわかった。実際日本は銭や厘という通貨単位を捨ててインフレしてきて、経済がうまくいってるんだから、これからも公債発行を続けて生産性向上による物価が高騰で経済発展を目指していくべきなんだよなぁ。国民がそれをわかっていないから、やばい。
第五次産業革命(蒸気機械、電気機械、IT機械、ロボットときて)のAIによる労働と資本の集約で、人が働く必要のない社会が来る。それは免れない。だってそれが一番効率が良いのだから。
その中でどうすればいいのか。可処分時間をいかに過ごすかがポイントだと言う。
江戸時代の武士家庭ような「道」を極めるという日本人ならではの生き方が成功のカギなんじゃあないかなぁと思う。
そういった意味で「道」という考え方のある国の人は有利だろうなぁ。シンギュラリティでは「道」つまり生き方を極める人間が豊かな人生を送ると見た。 -
Posted by ブクログ
本書を読むことによって、お金の正体について知ることができる。それは経済学を学ぶ前に知っておかなければならない類のものだと強く感じた。なぜならお金の本質を理解した時点で、現実の経済についての理解が私の中で大きく深まったからだ。本書で得られる知識は、今後、経済学に触れる際、現実に無関係の机上の空論がどれなのかを判別する大きな力になるはずである。
<お金とは何か>
経済力とは「国民の需要を満たす供給能力」のことである。発展途上国であろうと大量のお金を発行することは論理的に可能なのだが、大量のお金を発行しても経済大国にはなれない。なぜなら、発展途上国では国民の需要を満たす供給能力がなく、欲しい物やサービスをすぐに手に入れられないからである。
お金の量イコール富ではない。2015年末時点での日本の対外純資産(日本が外国に持つ金融資産と外国に負う金融負債との差額)は、世界最大の340兆円である(資産949兆、負債609兆)。ではアメリカの場合はどうか。2014年末時点での対外純債務は834・3兆円である(現在はそれ以上)。お金の量が富と定義すると、アメリカは世界で最も富んでいない国になってしまう。
アリストテレスやアダム・スミスはお金の誕生について、やや誤った認識を持っていた。まずアリストテレスの認識はこうだ。人類は共同体(家族や部族)が小さいうちは、財を共同で保有していた。共同体が分離していくにつれ、物々交換を始めた。やがて国というものが誕生すると、国家単位で輸出入が行われるようになり、物の代わりに貨幣を利用するようになった。貿易の都度、生活必需品を運ぶのは面倒であるから、特定の金属にどれだけの価値をおくのかを取り決めた。はじめは金属の大きさと重さをいちいち秤っていたが、面倒を省くために刻印を押すようになり、硬貨が誕生するに至った。
一方アダム・スミスの考え方はこうだ。我々の住む社会は、ひとりで様々なサービスを生み出すことは不可能であることから、分業で労働を行うことによって成り立っている。スミスは、物々交換では、需要と供給が一致しない場合があり、問題が生じる(例えば水の独占的な生産者Aがおり、他の生産物を担当する人々がAに交換を持ちかけても、Aが彼らの生産物を欲していなければ交換は成立せず、彼らは水を得ることができない)ため、分業社会が成り立たない。このことから、まず、塩や砂糖のような保存が利き、量を量れるような物が交換に利用されるようになったとし、やがて、腐敗せず、分割や溶解、再結合の可能な金属が交換に使用されるようになった。量をいちいち量るのは面倒であったため、公的な機関が刻印を入れるようになり、硬貨が誕生した、というものである。
アリストテレスの言うように、異なる部族や社会、国家間において物々交換が主流(物やサービスの主な手段)のときはあったが、社会の内部において物々交換が主流であった事実は確認されていない。つまり、アリストテレスもスミスも、過去の社会において物々交換が主流であったと認識しているが、それは必ずしも正しくないのである。
お金とは「債務と債権の記録」である。我々は借用証書(債務と債権の記録)によって売買を行っている。日本銀行券(お札)は日本銀行の借用証書である。借用証書を発行した日本銀行が債務者であり、それを手にした我々が債権者となる。我々は物やサービス購入の際に負う債務を、日本銀行に持つ債権によって弁済しているのである。また銀行預金について、字義通りに「預けている」と認識するより、銀行に貸していると言うのがより正確な認識である。銀行側からすれば我々の預金は債務なのである。そして、我々が銀行振り込みによって何かを購入する際には、銀行に保有する債権によって弁済するという形になる。
お金の起源はメソポタミア文明の「クレイ・トークン」にある。クレイ・トークンとは、生活必需品に対応するように粘土でさまざまな形で作られたトークン(しるし)のことで、数を勘定するために作られたとされる。メソポタミア文明に生きたシュメール人は、クレイ・トークンの形を粘土板に刻み、利用するようになった。単純にトークンの形を記述する段階から、物と数を分けて記述するよう進化、「楔形文字」が誕生した。粘土板からは「この板の所有者には○○ブッシェルの小麦を渡す」のような「債務と債権の記録」の記述が発見されている。これらのブッシェルの記述はあくまで物量を示しているのであり、不完全な形でのお金に過ぎなかった。なお、楔形文字はシュメール人が滅びたのちもバビロニア、ヒッタイト、アッシリア人などに受け継がれ、何千年も使われ続けた。また、当該文明においては、銀が主な代金支払いに使用されていた。銀の重さを量り、決済をしていたのである。「硬貨」は誕生しなかった。
「硬貨」は紀元前610年頃にアナトリア(現在のトルコ)のリディア王国で誕生したと考えられている。ヘロドトスが著作にそう記述しているのと、リディア王国の首都であったサルディスの遺跡から金貨や装飾品を発掘されていることが根拠となっている。ヘロドトスはリディア王国について、砂金の産出を記述しており、豊富な砂金が硬貨の誕生に繋がったと考えられる。リディア王国の硬貨はエレクトラムといい、ギリシャ語のエレクトロン(琥珀の意)が起源である。当初は砂金の重さを計測し、お金として使っていたが、やがて金と銀の合金で鋳造し、硬貨を作るにいたった。メソポタミアの粘土板と違い、エレクトラムには通貨の単位があった。通貨の単位は、取引するものやサービスの価格の形成を行ううえでも、借用証書の額を明確にするためにも不可欠で、お金の要件としては不可欠なのである。
代金の支払いや借金返済など、債務の弁済に利用でき、なおかつそれが他人の手に渡っていくことが成立する「譲渡性」もお金としての必須要件である。さまざまなサービスで提供されている「ポイント」は、各サービスの代金支払いに使用できることから、「債務と債権の記録」というお金の条件は満たす。しかし、そのポイントは特定のサービスのみでしか利用できず、譲渡性に欠ける。一方で、日本銀行券はあらゆる支払いや弁済に無制限で利用できるため、譲渡性があるといえる。
これまでに挙げたお金の条件は「債務と債権の記録」「通貨単位が明確」「譲渡性がある」を満たすことであるが、個人もこの要素を満たす「お金」を発行できる。それは小切手と約束手形である。小切手は、保有している預金残高を超えない金額で、支払証書を振り出せるものである。小切手で支払いを受けた者は、それを銀行に持ち込み、換金か自らの口座に入金することができる。小切手は他人に譲渡することもできるが、記名式や指図式小切手の場合、譲渡する際、裏に自らの名前を記す(裏書)必要がある。振り出し人の当座預金残高が不足しているなど、不渡りになってしまった場合、裏書した者が責任を負うことになる。約束手形は、企業が預金残高の範囲内で発行できる支払証書である。約束手形の場合は支払期日が定められており、期日が来るまで換金することはできないが、期日前に銀行に持ち込むことで、額面から何割か引かれる(割り引くと言う)が、換金できる。また小切手と違い、裏書は必須である。銀行で換金する際にも裏書をする。
<誤った貨幣論が蔓延する世界>
最後のお金の条件は「債務不履行に陥る可能性が低い」である。国民がある特定のお金について、支払いや返済に使用できなくなるであろうと譲渡性に疑問を抱いた場合には、そのお金は社会で通用しなくなる。銀行の場合、資産・負債の規模が大きいために、我々は不安を抱かず預金を行っている。預金準備制度により定められている、最も小さな預金規模の区分は「500億円以上、5000億円以下」と非常に大きなものだ。銀行は預金という負債を増やし、金利を稼ぐ商売である。通常、預金(負債)の規模が大きければ、資産もほぼ同規模になる。巨大なバランスシートが銀行預金の担保なのである。
日本銀行が発行する紙幣の担保は国債と法律である。一般的に日銀は、地中銀行から国債などの債権を買い取る代金として、日本銀行券と日銀当座預金という日本円を発行している。この場合、市中銀行から日本銀行の債権へ国債が移動し、発行した日銀預け金は債務となる。また、法律によって日本銀行券は法貨であると定められ、日本銀行は日本銀行券を発行できる権利を持つことから、日本銀行券の発行によって日本銀行券の負債を返済することができることから、債務不履行の可能性はない。
紙幣の起源は銀行の預り証であった。硬貨は通常、価値ある金属で作られてきた。硬貨の保管に不安を抱く者の需要を満たす形で、硬貨の保管を行う「銀行」が生まれた。銀行は利用者に預り証を発行し、出金のための証とした。これが紙幣の起源である。預り証は次第に交易の決済などに利用されるようになる。銀行にある債権によって負債を弁済する形は現代の銀行振込と同様の形を取っている。中央銀行の発行したお金が負債になるのは当然なのである。
お金の発行利益のことをシニョリッジ(通貨発行益)という。政府の発行する貨幣(硬貨)の流通額は一般会計においてほぼ歳入に組み入れられており、政府の負債ではないのである。封建時代のヨーロッパでは領主が貨幣(主に銀貨)を発行し、庶民に利用させていた。貨幣に金額は刻印されておらず、領主の命令によって価値が変動するものであった。領主が貨幣を改鋳し、更なるシニョリッジを稼ぐこともあった。なお、十円玉のシニョリッジは-32円である。硬貨の製造コストのうち金属の費用がほとんどであることから、違法に十円玉を溶かし、銅として売るようなことがあると利益が出てしまう。中世イギリスでは銀貨を溶かし、売るということが起こり、硬貨の鋳造が困難になってしまったことがあった。
「貨幣の額面と実質の価値に乖離が起こると、より価値の高い貨幣が市場から駆逐され、価値の低い貨幣が流通する」これをグラシャムの法則という。価値の高い貨幣、例えば金貨は金として鋳造しなおされ、売り払われるか、手元に保管される。「債権と債務の記録」でしかなかったお金は、金属を利用した貨幣の歴史から、お金の裏づけに「金属価値」というものが必要かのように誤解されるようになってしまった。1944年には、ブレトンウッズ会議において、金1オンスの価値が35ドルと固定されることになる。ドルを世界の金の産出量で賄えるはずはなく、71年8月15日にニクソンが金とドルとの兌換を停止し、金本位制は終わりを告げた。
お金の裏づけに金属が必要との誤解が広まると、国力を高めるためには金を多く集めなければならないとの考え方が生まれ、これを「重商主義」と呼ぶ。重商主義をとっていた政治哲学者のジョン・ロックも、お金の本質を金属価値と誤解し、銀の価値と毀損した銀貨の価値とに乖離があるとし、改鋳を行った。結果として、銀貨の数は半減。また、他国の基準では銀貨の銀の額面価値が上回ってしまったことから、銀が外国へと流出し、重商主義が前提のイギリス経済は長く低迷することとなった。
<その他>
日銀の量的緩和の狙いとプロセス。市中銀行から国債買い上げ→日銀当座預金残高を増やす(日銀のとっての負債、銀行にとっての資産)→日銀当座預金残高の増えた銀行は、預金と貸し出しの出来る金額が増える。準備預金制度により、銀行は「預金総額×預金準備率」分の日銀当座預金残高を保有しなければならない。日銀当座預金が増えるということは、保有できる預金総額が拡大するということである。そして、銀行の貸し出し限度額は「日銀の当座預金残高÷預金準備率」であり、貸し出しできる金額も増える。民間への貸し出しの拡大をひとつの狙いとして量的緩和行ったのである。
国富とは「物」「人」「技術」である。金ではなく「物」「人」「技術」が国内の需要を満たすのに必要なのだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレデータから読み取れる内容を元に経済政策を論じる三橋氏と勝間和代のブレーンとして知られる上念氏が対談形式で話を進めていく一冊。
もはや歯止めなく、実名でガンガン批判していくさまは人によっては小気味良く映るが、人によってはやり過ぎと映るだろう。しかし、それすらも計算の上で本書は構築されている。
それにしても、この二人が説いていたようなことが実際に「アベノミクス」として実行に移され始めるとたちまち円安・株高に振れ、この3ヶ月ほどは過熱気味な装いを呈している。つまりは、「金融緩和する」といった一言が大いなる期待を持って市場に迎えられ、支持されているということで、「列島強靱化」とあわせてデフレ克服に向けて大きな一歩を踏み出し始めたところはまさにこの本ならびに他の著作で彼らが訴えていたことをなぞっているようにも見える。
彼らの主張の通り、今後の経済が上向いていくのか、注視していきたい。 -
Posted by ブクログ
国内成長の限界や、少子高齢化の酷さ等に基づく不安論を一蹴する。
国債の発行+日銀の直接引き受け(もしくは買いオペ)によって脱デフレは容易であり、それによって成長は可能、という論調。
全体的に同意できて、逆に反論できるところを探すのが難しいレベルだった。
僕の知識レベルが足りてないので、読む本によって意見が修正されてしまうのが情けないが、グレートリセットの批判にも納得してしまった。
マネー供給の少なさ、ハイパーインフレとデフォルトの定義の問題、外需依存と人口減のデフレ論のウソも興味深かった。
強いていうなら、経済の観点からだけではTPP不要論はなっとくできない。
農業や医療において、TPP導入はポジティブな影響を受けるんじゃないだろうか。 -
Posted by ブクログ
財務相を筆頭とする官僚組織のポチと化したメディア・マスゴミの実態、また、アメリカに魂を売ってしまった霞が関官僚の実態が良く理解できる著作。
第1章は、民主主義の破壊者 で、本来、国民主権である民主主義を官僚、メディアがグルになって破壊する構図が述べられている。
第2章は、「平成の開国」のウソ 自国の利益しか考えないわがままな国アメリカの黒船の恫喝により開国させられた江戸幕府の対応と同様なTPP。しかし、現在の日本は、しっかりと世界に開かれた貿易を行う国となっている。経済官僚が管に言わしめたセンス、また、マスゴミのインチキプロパガンダが述べられている。
第3章 印象操作と世論誘導 事実を伝えないばかりか、ウソまでついての報道の実態が明らかに。
第4章 増税と「ショック・ドクトリン」 人々の不幸を儲けの好機と捉え非人道的な商売をする多国籍資本。カトリーナ、スマトラ地震のドサクサに紛れ、銭儲けした事実が明らかに。
最後に、尋常な情報はインターネットインフラで流通している時代、しっかりと国民自身が見る目を養い、対応することしかまっとうな民主主義社会は生まれないだろうと締めくくられている。