小坂恵理のレビュー一覧
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印象に残ったのは、長寿を単に「長く生きること」としてではなく、身体的・認知的・感情的な機能を保ちながら生きることとして捉えている点です。
中でも興味深かったのが「センテナリアン・デカスロン」という考え方です。高齢になったときに自分が何をできていたいかを考え、そこから逆算して今の運動や体力づくりを決めていきます。この発想は、健康診断の数値を改善すること自体を目的にするのではなく、その先にある生活の質を重視しています。
研究の観点から見ても、何を最終的な目標とするかは重要です。体重や筋力、心肺機能などの数値は測定しやすいですが、本当に重要なのは、高齢になっても自立して生活し、自分のやりたいことを続けられるかどうかだと思います。
本書を通して、健康管理とは病気を避けるためだけのものではなく、将来の選択肢を残すための準備なのだと感じました。「何歳まで生きたいか」ではなく、「その年齢で何ができていたいか」と問い直させるところに、この本の大きな価値があると思います。 -
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平均は集団を比較するのには役立つが、個人には役立たない。
平均は数値以上の意味を持たないということを思い直させてくれた。
平均として個人をまとめてとらえるのではなく、より細かい視点から個人を見ることが出来れば、その人の良いところが分かる。人を見る目というのは、どれだけ細かいしてから人を見ることが出来ることなのではないかと思った。
勉強ができない人も、自分にあったペースで一つ一つ進んでいけば、必ずゴールにたどり着くことが出来る。だから、物事はかけた時間に比例する。大切なのは歩みを止めないことなのかもしれない。どんなにゆっくりでも、仙台からさいたまに自転車で帰ってこれたように、歩み続ければ先に進むのだから。
平均することで一言で表す必要などなく、要素要素を見ていくことが必要なんだと教えてくれた。 -
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英語で書かれた著書を日本語に翻訳した作品で、ぜひ原文も読んでみたいと思った。内容は本人の半自伝的なもののようだ。前半は日本での生活、後半は結婚して渡米した後の生活が描かれている。
武士の家の様子は非常に厳格で、きちんとしており、すごいと感じた。特に、お坊さんから勉強を教わる場面では、身動き一つせずに話を聞き、教える側のお坊さんも手と唇以外は動かさないという徹底ぶりである。このような苦しさを伴う修行は、心の成長につながると考えられていたようで、現代ではなかなか受け入れられないだろうが、その中でエツがしっかりと武士の娘としての礼儀を身につけている点は、とても素晴らしいと思った。
また、アメリカに渡ってからは、日本とアメリカの考え方や生活の違いを比較しながら、エツなりに深く思索している様子が印象的だった。その姿から、日本で武士の娘として受けた厳しいしつけが、彼女の思考や行動の土台になっているのではないかと感じた。
翻訳も素晴らしく、文章が、非常に自然で美しい。読後、感情のさわやかさが続く。 -
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筆者は社会学者。アメリカの牛の屠殺現場、屠殺工場と言える場に労働者として入り、克明にその様子を描く。それは想像以上のむごい世界なのだが、筆者の目的は、都合の悪いものを隠蔽することで世界が成り立っていることを示すこと。ゆえに屠殺工場の説明が、ただの残酷描写であるだけでなく、それが意味するものにまで及ぶ。そしてこの工場自体が最初の一番つらい部分、個性を持った命ある動物から均質化された工業製品になる部分は徹底的に隔離・隠蔽されて成り立っている。この世界そのものなのだ。都合の悪いことは隠蔽することが文明化である、人々は暴力のもたらす恩恵を享受しながら文明人でありつづける。筆者はそれらを可視化する『視界の政治』への変化、変革を提唱している・・・のかな?隠蔽されていることは屠殺ばかりでない。それらをすべて可視化することなんて不可能かもしれないが、目指す方向としてあるべきかもしれない、その方がもっと世界は豊かになるような気がする。それにしても、なんかもう、牛を見るのがつらい。何かが行き過ぎているのを感じる。だからって、何ができるのかなぁ
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ネタバレ「計測」という独特なテーマを軸に、それが人間社会に与えてきた影響の歴史を追う本。
本書で私が特に印象に残ったものの1つに「計測は抽象化のツール」であるという記述。それまで「腕の長さ」や「人の声が聞こえる距離」としてある意味、主観的に測っていたものをメートルなどの計測単位を置くことによって、一段高い抽象度であらゆる対象のものを測ることができる。
それゆえに、計測単位は国家を形成する際、「1つの法律制度」を整備することと同様に「1つの計測単位」を浸透させることは極めて重要であると。
そんな感じで、計測が人間社会に与えてきた歴史を解きほぐしていく本書だが、終盤で紡ぎ出されるメッセージは、現在当たり前とされている計測単位も変わる可能性がある、ということ。だからこそ、計測がどんな影響を与えるかを考え続けることに大きな意味がある。
広い意味では、歴史学や科学全般というジャンルに当てはまる本だと思いますが、「計測」というユニークな視点なため分類するのが難しい。ただ、名著と呼ばれるような本は「なんのジャンルか分からない」ということが多々あるので、本書もその1つだと思う。
自分が当たり前と思っていたことがそうではない、とひっくり返されることは本を読む醍醐味だと思うが、本書はそれだった。
あらゆる科学を学ぶ前に読んでおきたい本だと思います。 -
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江戸時代の武家の師弟に対する教えの厳しさを改めて思いました。
家名を汚すこと無く人生をおくるための男子・女子を問わない決め事。
それに理屈無く従うという厳正なルール。会津藩の「什の掟』の最後、「ならぬことはならぬ」を思いました。
越後長岡藩は、徳川の三河以来の家来、牧野家であったということは、司馬遼太郎の「峠」で知っていました。
河井継之助と反駁した筆頭家老の娘さんであったということです。
平時であれば、依然として筆頭家老の家筋であることは、徳川家康からいただい由緒あるもののくだりが出てきていました。
そういう家系の武士の娘に対する教育、とにかく一貫しています。
だから、激動の時代、数奇な運命も堂々と乗り越えられたのでしょう。
読んでいて、爽やか、読み終わって爽やか、司馬遼太郎が激賞したのが理解できました(笑)。 -
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【スターリンにとって軍事化は、マーシャル・プランの副産物だったが、トルーマンにとってNATOは、計画実行に伴う予想外の悔やまれるコストだったのである】(文中より引用)
アメリカ外交の成功譚として語られることも多いマーシャル・プラン。史上空前の「寛大な」外交政策はいかにして生まれ、対抗するソ連にはどう捉えられていたのか。著者は、米外交問題評議会のシニア・フェローを務めるベン・ステイル。訳者は、重量級の作品を数多く翻訳している小坂恵理。原題は、『The Marshall Plan: Dawn of the Cold War』。
圧巻の一言。今日まで続く誤算と誤解の積み重ねを、マーシャル・プランというターニング・ポイントに立ち返ることで丹念に紐解いていく筆が凄まじい。なぜマーシャル・プランという経済支援の外交政策が、ソ連にとって安全保障上の強い意味合いを持つものだったかがとてもよくわかりました。
尋常ではなく分厚いですが☆5つ -
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この本を読もうと思ったきっかけは、ワシントン・インディペンデント・レビュー・ブックスの「もしも環境の現状について誰もが読むべき本を一冊選ぶとすれば、それは本書だ」という推奨文だった。しかも「感情に流されず、ユーモアを交えたわかりやすい文章で、気候変動について説明する偉業」とまで書かれている。こんな風に言われたら、思わず期待してしまうではないか。実際、環境に関する書籍の多くは、数字やデータの満載と専門用語の多用が読書意欲のブレーキになることが多い。ノルウェー科学文学アカデミーのメンバーである筆者ホープ・ヤーレンは、自らの幼少期の思い出と温暖化が進んだ現代の違いを、ワールドワイドなデータを駆使しながら、平易な表現で、しかもちょっぴりシニカルでウイットに富んだ表現で語りかけてくれる。我々が今何をなすべきかを調べるためのヒントも事細かく紹介。原題は「The Story of More」。邦題と装丁もなかなかにキャッチ―だ。
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ネタバレ幕末の長岡藩と言えば河合継之助が有名だけれど、筆頭家老の稲垣家に生まれたお嬢さまが著者、杉本鉞(えつ)子だ。
最も彼女が生まれたのは維新の後だけれど。
しかし、戊辰戦争を捕虜としてではあるけれども武士として生き抜いた父と、万事に控えめで奥ゆかしいが芯の強さを持った母、武家の教示を最後まで持ち続けて祖母などに育てられた少女は、雪深い長岡でのびのびと少女時代を過ごし、武士の娘としてのたしなみと、変わりゆく世界への興味と、神仏や祖先への畏敬の念を持って成長していく。
一度もあったことのない男性と結婚するのは、当時の女性には当たり前のことだったが、当たり前でないのは相手がアメリカ在住の日本人であったこと。
武士の娘として日本の文化を徹底的に躾られてきた彼女は、アメリカの文化に触れ、その違いに驚きつつも柔軟に受け入れる。
”かつて、赤ら顔の異人さんや黒船の話に耳を傾けていたエツ坊は、今度は自ら黒船に乗って、異人さんの暮らす遠い国で新しい家庭を築くことになりました。そして、東も西も人の心は同じだという事実を学んだのです。しかしこれは、ほとんどの東洋人に、いや、西洋人にさえ隠された秘密です。(中略)赤ら顔の異人さんと神国日本の人びとは、いまだに心を通い合わせていません。大切な秘密が明らかにされないまま、船の往来だけがいつまでも、いつまでも続いています。”
劇的な人生を送った人ですが、それを感じさせないくらい人生を楽しんでいるのが素晴らしい。
アメリカの人たちに日本人とその暮らしを紹介した文章ですが、今となっては純粋日本人の私も知らないような日本古来の風習やその意味を教えてくれるのが大変ありがたい。
実に興味深く面白く読みました。 -
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AI(人工知能)の持つ根本的な役割は「予測」を安上がりに実行することであるとして、それが今後の社会に与える影響を解説した一冊。
AIは、膨大な量のデータを様々に組合わせて瞬時に分析し、より精度の高い予測を実現することで、ビジネス上の不確実性を減少させ、様々なトレードオフを解決するため、企業の組織構造やビジネスの境界に変化をもたらすが、AIはデータが少ない領域や例外的な処理は不得意であり、さらには予測以外のタスク(判断や行動)についても、その大半は汎用的なスキルを持った人間が担うので、人間は機械によって駆逐されるのではなく、それぞれの得意分野によって分業することが可能である。
また、AIには規模の経済が働くため、GAFAやアリババ等の一部企業による富の独占を招く恐れがある一方、規制によって規模が縮小すれば性能が低下するので、AIの生産性やイノベーションと、競争や富の公平な分配との間にトレードオフがあるという。カナダ・トロント大学でAI研究の第一線を担う著者の主張は、経済的な視点からAIの本質的な意味を明確化しており、とても興味深い。 -
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ネタバレ軽々しく個性ということなかれ
一つの基準で比較することを奨励したおかげで、一次元的思考に偏るようになってしまった。
人間の才能にはばらつきがあるという事実を受け入れ、子供のそれぞれのプロファイルを評価し、長所を生かすための方法を探してあげる。
行動は、特性、状況のどちらかで決まるわけではない。
特別なコンテクストでどのように行動するのかを理解する。
平均主義に騙された私たちは、正常な進路なるものがあると思い込み、成長の道が一つだけ存在すると信じて疑わない。
みんなと同じ場所でみんなよりも秀でなければならない。こんな窮屈な思考パターンに陥ってしまう。 -
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ネタバレこの本はすごい!!!
目からうろこが落ちるどころが、うろこをひっぱがされる感じ!
データをとって、「これが平均値」となると、それがマジョリティの中のマジョリティ、母集団を代表する存在である、と思うじゃないですか?
でも平均に一致するものが何もなかったり、あるいはその+/-の範囲に入るものがすごく少ないケースは多々あるという話なのです。
1940年代のアメリカ空軍は墜落事故が多発していましたが、その原因がコックピットの使いづらさだと判明。当時「パイロットの平均体形」に基づいて設計されていたものの、1950年に改めて身長、胸回りや腕の長さなど10カ所の平均値を割り、10項目すべてにおいて平均範囲におさまるパイロットがどれだけいるかを調べたところ、4,063人の内10項目全てが平均内の者はただの一人もおらず、3項目だけに絞っても該当する者はたったの3.5%しかいなかったのです。
これは体という物理的な話ですが、能力においても同じ「平均主義の偏見」がはびこっています。
大学出願のための全国統一試験において点数が高ければ「能力が高い」とみなされるわけですが、この点数とは、「平均値とどれだけ乖離しているか?」で測られます。
高いほうに乖離すれば、あらゆる分野で能力が高く、低いほうに乖離すれば、あらゆる分野で能力が低い、とみなされてしまう。
結果、生徒は「同じ分野(試験の対象となる科目)でどれだけ抜きんでるか」を競わせられ、その試験では図られない分野の能力は切り捨てられていき、能力の無駄遣いや自尊心の欠落などの悲劇が生まれるわけです。
人格でもそうです。かの有名なマシュマロテスト(マシュマロを食べずに我慢できた子は人生で成功する確率が高い)には、他の学者による続きのテストがありまして。
それは、マシュマロテストの説明をする大人を二人に分け、一つ目のグループには信頼を置ける大人、二つ目のグループにはそれまでに子供に約束したことを破って信頼感を持てないようにした大人が、マシュマロテストの指示を出します。
すると、当然ながら二つ目のグループのほうが、マシュマロを食べる確率が高くなりました(我慢しても報酬がもらえるとは思えないのでね)。
つまり、人格のようになかなか変わらないものですら「コンテキスト(その場の状況、背景ですね)」に左右されるわけです。
なので、人格テスト(SFでもVIAでもそうですが)も、実はそのコンテキスト次第なんですね。
例えば社交性ひとつとっても、友人たちとの集まりなどカジュアルな場では社交的だが、会社のパーティなど年齢層が幅広く、固い場ではシャイになる人がいるわけです。
でもテスト結果によって、「この人は(世の平均と比べてこの項目の点数が高いから)こうである」と判断されてしまう。
そして同じ点数を取った人が、いつでもどこでも同じようにふるまうとは言えないのですね。
この著者は高校までさんざんな成績(Dばかり)でした。
そのあと、結婚し、子供も生まれ、なんとか凡庸な大学に進学しなおしたのですが、勉強する時間が限られていたため、「自分にあったクラスを集中的にとる」やり方で生き延びようとします。
その結果、Aばかりの成績となり、ハーバード大学院に進学するのですね。
彼自身、平均というものから思い切りかけ離れていた人なのです。
(そうは書いてありませんが、ADHD的な行動パターンを感じさせる人です)
だから、平均のうさん臭さがわかるんでしょうね。
この本に書かれていることは、言われてみればそうだな・・・と納得できることばかりなのですが、逆に「どうして今まで改めて考えてみなかったんだろう?」ということばかりでもあります。
どれだけ世の中が平均主義にやられてしまっているか。
どれだけ、世の常識から離れて思考できるようになるか?
正直、そうできる自信がありません。
常識の呪縛から離れるためにも、めちゃお勧めの本です。