石井光太のレビュー一覧
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ただただ許せない3つの虐待事件の報告書だ。どの事件も子供が亡くなっていて彼らの両親には憤りを感じた。だが、そのような事件を知っていくと彼ら両親の幼少期からの複雑な家庭環境がそのような事件を引き起こしたといっても過言ではないことが分かった。だから、私たちがこのような本を読んだり、ニュースを見て「虐待事件」を知り両親をただただ批判するだけでは、今後のこのような事件を防ぐことができないのではないかとわかった。彼ら自身は彼ら自身の方法で子供を愛していて、ただその正しい方法を子供の時に教えてもらえなかったということだ。私はもっと本を読み「虐待事件」について深く考えたいと思った本だった。
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Posted by ブクログ
現代では、子どもの国語力低下が著しい。単なる読解力の低下ではなく、語彙力、想像力、思考力の全てが低下していると言える。
これら全ての力は全ての学力の基礎となるだけではなく、生き抜く力にも直結する。
よって、今の子どもたちは生き抜く力が低下しているとも言える。いじめに不登校に、引きこもり。生きづらさを抱えている子どもたちは年々増加傾向にある。
中でも深刻なのは語彙力の低下だ。語彙力が増えないことには知っている言語が増えないため、それにともない思考力も鍛えられない。
人は言葉で思考し、アウトプットする。
ヘレン・ケラーが、「ウオーター」を理解してから、瞬く間に言語を習得し、癇癪がなおり、人として規律ある行動がとれるようになったのは、まさに言語が人間を人間たらしめていると言える。
語彙力には家庭環境が大きく影響する。親が子に積極的に話しかけているか、日常的に絵本の読み聞かせをしているかが語彙力、ひいては子どもの成長に大きな差が出る。
語彙力が低いと、言語による思考力が低いため、癇癪を起こしやすく、落ち着きがなく、また、なんでそのような行動をとったのかの説明が子ども自身もできない。
共働き家庭が増え、また教員も、文科省や親からあれこれと負担を押し付けられ、子どもを取り巻く大人たちは昔に比べて圧倒的に忙しくなってしまった。
大人に余裕がないと、子どもに丁寧に接すること(話しかけることもそうだが、子どもの話をよく聞くことも大事)が難しくなる。
私たち大人は一度立ち止まって、このままの社会で本当に良いのか真剣に考える必要がある。 -
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興味があったところ(4章まで)だけを読みました。
この本を読もうと思った理由は、富の格差が生じ貧困がうまれた社会的背景・経緯を知りたいと思ったからです。
その答えがわかりやすく書かれていて、非常に勉強になりました。
1970年代の日本では、一億総中流と呼ばれるように、多くの個人商店があった影響で、富裕層と貧困層の差は大きくなかったようです。
しかしながら、1990年代に入るとすぐさまバブル崩壊、さらに2000年代にはグローバル化と情報化により拍車がかかり、結果、富裕層と貧困層の格差が大幅に広がったようです。
なんだか、社会科の授業の復習をしているようで、読んでいてとても楽しかったです。
この本には、他にも依存性や児童虐待の問題についても書かれており、とてもためになりました。 -
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日本は貧困大国である。ただ、周りにその人たちが見えないだけだ。
社会に埋もれている人たちは数多くいる。貧困に苦しみ、誰にも助けてもらえず、誰からも相手にされず、ただ死を待つような人生を送っている人たちが、この日本にはたくさんいるのだ。
「相対的貧困」という尺度で見れば、途上国のスラムのような絶対的貧困は日本には存在しない。しかし、路上生活者、ホームレス、シングル家庭といった人々がどれだけ困窮しているのかは、普通に生活している者には想像もできない。
貧困に陥る原因として、もちろん生育環境もあるが、障害も大きな要因となっている。そうした人間の弱みにつけ込んで金を巻き上げる暴力団のビジネスや、犯罪者の手口には強い憤りを感じる。
自分がそうならなければ良いと思うのは、当然の心理だろう。しかし、全員が手を取り合い、みんなが幸せに生きられる社会を築くこと、そしてそのために自分ができることを考えることも、また一つの道ではないだろうか。NPO法人などの活動も、こうした課題に取り組んでいると考えられる。
我々にできることは何かを考えること。社会全体を一気に変えるのではなく、まず自分の家族、自分の子供や孫に何を残せるのかを考えることも大切だと感じる。 -
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自分もかなり危機感を感じている“国語力”。
その実態を知りたくて、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を読んでみました。
想像通りだった部分もあれば、完全に想像を超えてきた部分もあり……。
国語力が足りないとどんなことが起きるのか?
子育て世代として、危機感のアンテナがバシバシ立ちました。
ちなみに、著者の言う国語力とはこのように表現されています。
”私が思うに国語力とは、社会という荒波に向かって漕ぎ出すのに必要な「心の船」だ。
語彙という名の燃料によって、情緒力、想像力、論理的思考力をフル回転させ、適切な方向にコントロールするからこそ大海を渡ることができる。”
本書に登場する事例(不登校、いじめ、ゲーム依存、非行)は、国語力不足によって引き起こされてしまった“極端な末路”のひとつだと思うのですが、まったく他人事とは思えません。
何がしたいのかわからない“人生迷子”の人、会話が噛み合わない人、言葉で説明できないから暴力で片づけようとする人、空気が読めず場を凍らせてしまう人……。
これって、日常生活で大きな支障がない、あるいは他人の目に触れないだけで、実は悩んでいる人って多いんじゃないでしょうか。
(私もそのひとりです)
そんな私ですが、心に刺さったフレーズがあったのでご紹介します。(少し長めです)
”じゃあ、感情をコントロールするってどういうことなんだろう。
一言で表せば、君たちの中の感情を細かくわけて考え、それに適した行動をとればいいんだ。 君たちが悲しいという感情を『切ない』くらいのものだと理解できれば自殺することはないよね。 『むくれる』くらいなら、人に対して怒声を上げたり、殴ったりしないと思う。 感情を細かくわけるというのは、それに合った行動をとれるようになるってことなんだ。 これが感情をコントロールすることだと覚えてほしい。”
これ、AIがどんなに進化しても人間にしかできないことだと思うんですよね。
自分の感情を細かく言語化するのは、感じている本人にしかできない作業だから。
自分だけなら“感じるだけ”でもいい。
でも、社会は自分ひとりでは成り立たない。
他人と関わる以上、何か問題が起きたときに頼りになるのは“言葉”です。
自分がどういう状況で、何が起きて、どう感じたのか。
子どものうちは、それを言えれば大人が汲み取ってくれる。
でも、大人になったらそうはいかない。
状況も立場も絡む中で、相手に伝わる言葉を選び取る力が必要になります。
それができる人にとって、国語力は大きな武器になる。
著者が極端な事例を出したのは、この主張を強調したかったからかもしれません。
日々、会社と家庭が中心の生活ですが、言葉の力は本当に大きいと感じます。
たった一言で人を喜ばせることもできるし、不快にさせることもできる。
伝え方や言葉のチョイス次第で、白にも黒にも転んでしまうのです。
(そのためには、まず“言葉を知る”ところから始めないといけない…)
悲しいかな、国語力は一朝一夕には身につきません。
だからこそ、日々の生活習慣が大事になってきます。
「今からでも国語力をつけたい!」と思う方には、この本にヒントがたくさん詰まっています。
ぜひ読んでみてほしい一冊です! -
Posted by ブクログ
『子供は生まれてくる親を選べない。』
これはよく言われる言葉ではあるが、いま一度痛烈に思ったなあ。
この本は14人の『ヤクザの子』…親が暴力団の家庭に生まれた子供たちの半生が綴られている…
DV、ドラッグ、差別、貧困、ネグレクト、暴力による支配…『普通の暮らし』を望むことはおろか、ひきこもることも許されない。
ドラマや小説では任侠に生きる人たちの潔さや不器用さが時には『いい人』として描かれているが、この本に登場する14人は誰一人幸せな人生ではない。(中には『自分の人生は幸せだ』とインタビューを受けて答えてる人もいたが、そうは思えない)
どんなにひどい環境でも、最後は本人の気持ちと生き方が人生を左右するものだが、最初のスタート(生まれた環境)が負の世界というのは、いささか気の毒なことだろう。ヤクザな親を持ち、後ろめたさを感じ、夢をあきらめ、その事実をひた隠しに慎ましく生きることをよしとする現実…ノンフィクションだと思うと、ほんとに悲しすぎる。
自分は普通の真面目なサラリーマン家庭に生まれた。そして息子が2人いるが、2人とも大学までの学費は何とか捻出し社会人となった。嫌な言葉ではあるが、僕も息子たちも『親ガチャ』は当たりなのかな。
いま『半グレ』という組織に属さないだけで暴力をアイデンティティにする輩もいるようだが、どんな事情であれ軽蔑するし、社会から無くしていきたいものだと思う。