打海文三のレビュー一覧
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いまの世の中で、正しく生きることを時代遅れ、または不器用と呼ぶのだとこの作品は言う。「人生さっさと降りちまった方が勝ち」だと姫子の父は言うが、その「勝ち」に、いったいどんな価値があるというのか。……すいませんダジャレでした。
終盤の阪本と犯人の激しい駆け引きの場面に、事実の羅列しか書けない下手な小説につけられるお世辞とは違うホンモノの「疾走感」「スピード感」「緊迫感」を感じた。(ここに詳しく感想を書きたいけど、ネタバレになるので伏せます)謎解きを楽しむミステリではなくて、人間の闇の部分を描くための枠組としてのミステリ。それでいて温かい作品。トリックに驚きたい人には向かないかもしれないが、ニセモノの「疾走感」を覚えてしまっている人に、是非読んでいただきたい作品。傑作。 -
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打海文三さん著「時には懺悔を」
1994年に刊行された作品。自分が高校生の時の物語となる。
観てはいないが最近映画化されてこの作品を知り、古本屋でたまたま見つけたので購読。
物語は探偵が真相を追っていくミステリー。
知人の探偵の不審死をきっかけに過去の未解決の誘拐身代金事件が絡まってくる。
それを暗く重たい描写を用いながら描かれていた。
ミステリーもさることながらこの作品は重たい障害のある子供を産んだ親とその覚悟とその生活が同時に描かれている。
著者自身もお子さんが障害児だったとの事で、テーマの一筋の柱として組み込まれたのであろう。
考えさせられるテーマだった。
自分には子供がいないのであまり考えてきた事がないが、例え我が子だろうが障害児の親としてその子の人生に対して一生の決意を持っていけるだろうか?
親として時に罪悪感や後悔に似た感情をその子に寄せてしまうのではないだろうか?と感じる。
障害のない子に産んであげられなくて…
きっと何度も感じる感情だろう。
逆を言えば障害を抱えている方々のその各々の親達の強さを改めて感じさせられる。
とんでもない覚悟と重圧が生活の中にあるであろう。想像するだけでその親達の人としての強さ、それは自分にとって尊敬に値する。
凄い…
偉い…
尊い…
言葉だと軽く感じてしまうが、どの言葉もその通りでそれらが強さだと感じられる。
だいぶ重たいテーマだった。
この感じ、この作品と出会わなければ感じなかった感情かもしれない、そういう意味では貴重な読後感を得られた。
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1994年の打海文三『時には懺悔を』。
文庫化は2001年。
そして2025年、映画化が決定し、当初は6月公開予定だったが、トラブルにより2026年公開となりました。
映画は観ていませんが、
この物語がとてもセンシティブで、覚悟のいる作品だったということ。
30年前、この小説を“書く”という決意。
そしていま、“映画化する”と決めた関係者たちの覚悟。
主人公は探偵たち。
物語は、彼らが早々に死体と遭遇するところから始まり、ミステリーの様相を帯びていきます。
ベースはあくまでミステリーですが そこに障害児誘拐事件を絡め、
家族の罪、贖罪、そして懺悔を――小説として、文学として描こうとしたのだと思う。
障害を表現する時のリアリティ。
障害児を育てる時のリスク。
その経験で得られる絆のリアリズム。
作者が最後に描くのは、懺悔ではなく、生の継続でしょうか。 -
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障害児の前では、どれだけの悪人でも心を許すというか、ただの人になる。
その姿を神様と称し、その存在に救われている人がいる。
人は誰しも、後ろめたいことや罪を心の中に持っているものだ。
1人の障害児の周りの人間たちが、自分の後ろめたさを、心の何処かで彼に救いを求めている。
ありのままの自分として、(神のような)その子に対してひっそりと懺悔をしているのかも。
目も当てられないくらい無様だと憐れんでいるこどもに対して頭を垂れるような姿は滑稽である。
みないろいろと吹っ切れたり精算したりして、最後はポップな終わり方でよかった。
普段本を読んでも言語化しないので稚拙な文章。他の方の感想を読んで味わい直そうと思う。 -
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以下は、完全私の「妄想」です。
映画「時には懺悔を」。どちらが最初に脚本を書いたかと言えば、共同脚本の門間宣裕だった。おそらく文庫本発行の2001年。それでも25年前だ。映画化には幾つもハードルがあった。ハードボイルドの形をした身体障害者告発映画。インディーズか、それでなければ有名俳優が何人も出てくる大作でないと成立しない。長いこと御蔵入りした。
俳優とのトラブルで半分謹慎期間中だった中島哲也監督と門間は飲んでいる最中、この話で盛り上がる。身体障害者を正面から撮ろう。そこから始めよう。登場人物の入れ替え、エピソードの切り落とし、膨らまし、中島監督だから持ってこれる俳優たちの存在感。脚本を鍛え直すということが、ここまで楽しい作業は久しぶりだった。
映画制作は、中島監督とトラブル中のA子と「完全和解」をすることを条件にゴーサインが出た。そのせいかもしれないが、結果的に「人のダーク面」をひたすら描いてきた中島監督の珍しくも「ダークの中の光」を描いた作品になった。
⸺⸺と、まぁ、このままだと完全映画レビューになるので、原作についても二言ばかし。
映画観て、2つ疑問を持った。①あんな本格的な探偵調査、いったい金の出どころはリアルなのか?②佐竹の家庭環境はリアルなのか?①は、原作も寺西の一言、つまりは探偵社のポケットマネーで始まった。探偵殺しだったので、特別だったのだろう。寺西のの懐の深さは、役所広司の存在感だけで説得力を持たせた。②は、原作の複雑さを佐竹の家庭に置き換えたようだ。私は成功したとは言えないと思う。しかし、一方で原作の持つ、複雑な皺は伸ばされわかりやすくなった。どちらが悪いとも言えない。
民恵が決意するに至った、明野の妻のノートは映画オリジナル。その他、ラストの改変含めて、映画の方が良い面が幾つかあった。しかし、改変は有るものの、驚くほどに映画は原作の「良いところ」を掬い出していた。
「新を引き取って療育施設から帰る時に、タクシーに乗って運転手と新のことをいろいろしゃべってたら、その運転手がいうのさ」
「なんてー」
「その子は神様かもしれないから、大事にした方がいいですよ、って」
「ああー」佐竹は思わず声をもらした。
「障害の子を尊ぶという信仰があるのよ」
「信仰なんてカケラもない感じの若い運転手だったぜ」
「いいな」佐竹はちょっとした高揚感に衝き動かされていった。「そういうのがいい。宗教心など鼻で笑っている人間が、新の前では何か人間を超えた存在を感じるー」(307p)
←これは映画から削られた場面。おそらく泣く泣く削ったのだろう。
幼児を抱いた初老の女が、コンニチハと寄ってきた。ひどく顔色の悪い幼児だった。明野はそっと車椅子を止めた。
「新くん、頑張ってね」初老の女が新に声をかけた。
明野は軽く会釈して、また車椅子を押した。
「みんなが新を励ましてるようですね」佐竹がいった。
「逆だよ」明野がぶっきらぼうにいった。「みんなが、新に励まされてるんだ。声をかけてる本人にも、そのことはよくわかってるさ」(325p)
←これはある意味、映画のクライマックス。ハードボイルド犯罪映画のはずが、人情感動映画になった瞬間である。
結局は、20年をかけて、いく人かの無骨な男たちが、「何もしなかった」ことの後悔、懺悔を呼び起こしたのだ。門間宣裕から中島哲也へ。そして我々へ。そんな力を持った原作だったのである。 -
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ミステリーとして読むと、誘拐事件のほうはかなり丁寧な描写ですが、探偵殺しの真相はかなりあっけなくて、えぇっ…!?となります。
障害児と生きるということをテーマとして考えると、かなり重たい作品でした。
私の従兄弟はかなり重い身体障害があり、脳性麻痺でした。新くんと変わらないぐらいの障害だったかと思います。
おばさんがずっと介護をしており、食事シーンと重なって、思わず泣いてしまいました。
でも、従兄弟は時々すごく良い顔で笑っていたので、親戚からはアイドルみたいな存在でしたね。
「逆だよ。みんなが新に励まされているんだ。」という明野の台詞に大きく頷きました。