竹田恒泰のレビュー一覧
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竹田恒泰
昭和50 年(1975)、旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫に当たる。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。専門は憲法学・史学。作家。平成18 年(2006)に著書『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で第15 回山本七平賞を受賞。著書はほかに『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』『日本人 はいつ日本が好きになったのか』『日本人が一生使える勉強法』『アメリカの戦争責任』『天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか』『日本の民主主義はなぜ世界一長く続いているのか』(以上、PHP新書)、『現代語古事記』(学研プラス)など多数ある。
天皇の国史
by 竹田 恒泰
他方、神道的世界観によると、人の先祖は神であり、神は大宇宙あるいは大自然のエネルギーが作り出したのであるから、序列は「自然→神→人」となる。人の根源が大自然であることは、科学的にも正しい。また、この価値観において、日本人は山に山の神、海に海の神を、また一本一本の木に神を見出すように、大自然に神々の姿を見ている。「神」と「人」の垣根が曖昧であるのと同じで、「自然」と「神」の間も曖昧である。このように、日本人にとっての神とは、「大自然」「大宇宙」そのものなのである。
伊耶那岐神と伊耶那美神は高天原の神に相談して占ったところ、女神から声を掛けたことがいけなかったと知り、再び淤能碁呂島に戻って交わった。今度は伊耶那岐神が「あなにやし、えおとめを」と仰り、伊耶那美神が「あなにやし、えおとこを」とお答えになって交わると、次々と立派な島が生まれた。
日本においては「 言霊」というように言葉には霊力が宿ると考えられてきた。女神から声を掛けて交わったところ、未熟児が生まれたという『古事記』の逸話は、結婚は男が申し込み女の承諾を受けて成立すると観念されてきたことと関係があると思われる。
二柱の神のまぐわいによって最初に生まれたのは 淡 道 之 穂 之 狭 別 島(淡路島)、続けて 伊予 之 二 名 島(四国)、 隠 伎 之 三子 島(島根県の 隠岐諸島)、 筑紫 島(九州)、 伊 岐 島(長崎県の 壱岐島)、 津島(長崎県の 対馬)、 佐度島(新潟県の 佐渡島)、 大倭 豊秋津島(本州の畿内を中心とする地域)が生まれた。このように八つの島が先に…
『古事記』は四国と九州は、それぞれ胴体は一つだが顔は四つあり、顔毎に名前があると説明する。中でも四国の一つの 伊予 国 は「 愛 比 売」という名前だという。現在の都道府県の中で、県名に『古事記』の神の名が付…
愛媛県の旧国名は「伊予国」で、幕末には八藩に分かれていたところ、明治時代の廃藩置県で「県」が設置され、明治六年(一八七三)に 石 鉄 県と 神山 県が合併した際に、『古事記』にちなんで「愛媛」を県名として選んだ。現在でも松山市の 伊 豫 豆 比 古 命 神社には、 御 祭神 として伊豫豆比古命と共に 愛 比 売 命 が祀…
伊耶那岐神と伊耶那美神がお生みになった日本列島は、地質学的にいうと、約八〇〇〇年前に現在の形になったが、昔は 支那 大陸(中国大陸)と繋がった半島だった。地球の気候は温暖期と氷河期を行き来している。氷河期には大量の雪が氷となって陸地に残るため海面が低くなる。そのため日本列島は大陸と繋がり、温暖期には逆に海水面が高くなって大陸から切り離されることを繰り返してきた。
しかし、約三万八〇〇〇年前の世界最古の磨製石器が日本列島から出土していることは、その時代の周辺地域には磨製石器がないのであるから、文化を持たなかった現生人類が、日本列島に到達してから文化に才覚したことを意味する。人類の歴史上、文化を持たないただの「ヒト」が「人間」に才覚した場所が日本列島だった。日本は神の国である。「ヒト」が「人間」に成るほどの強烈な 閃きが天から降りてきたと理解しておきたい。
思うに、日本列島は周辺地域と比較して自然の恵みが豊かであるから、日本列島に至った現生人類は、これまでになかったほど自由な時間を得たと見ることができよう。列島に住み始めたことで、食料を確保するために費やす時間は大幅に短くなったはずである。すると、道具を改良することに自由になった時間を費やすことができるようになり、その結果、世界で最初に磨製石器を作ることに繋がったのではないだろうか。
天皇が国民のことを我が子のように愛しその幸せを祈り、国民は自分たちのことを大切に思って下さる天皇を本当の親のように慕い、皆で力を合わせて国を支えてきた。それが我が国の国柄である。天皇の統治とは、天皇自ら政策を立案するのでもなければ、号令を掛けて臣下を奮い立たせることでもない。それは、天皇が国民を知ることに努めその幸せを祈ることにより、自ずと日本国民を統合し国を束ねることだった。
そして、このような天皇の統治は、二〇〇〇年以上続き、現在に至る。日本の国柄を一言で表現するなら「日本は天皇が知らす国」といえる。そしてそれが日本の 国体 なのである。明治二十年(一八八七)に大日本帝国憲法の草案を書いた 井上毅 は、第一条には日本の国柄を簡潔に記さなければならないと考え、熟考の末「日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ 治 ス所ナリ」と書いた。だが、当時「シラス」は古語になっていて馴染みが薄かったため、漢語の「統治」をこれに充て、「治ス」は「統治ス」に変更された。しかし、憲法制定の責任者だった 伊藤博文 は憲法解説書である『憲法 義解』(一八八九)で「統治ス」は「治ス」の意味で用いていると説明している。
また、縄文人の風習の一つに 屈葬 がある。屈葬とは、手足を折り曲げて葬ることで、死霊の活動を防ぐためとも、寒さに耐えるための姿勢ともいわれている。特別大きい住居が見られないこと、共同墓地が営まれたこと、そして、副葬品がないことなどから、縄文時代には人々の間に貧富の差はなかったと考えられる。
ところで、現代日本語と現代中国語では、文法が全く異なり、特に語順が全く異なる他、人称代名詞や指示代名詞も被らず、規則的音声対応もないことから、完全に別系統の言語である。当時の弥生語と支那語も同様に別系統である。民族の歴史は言語の歴史ともいえる。言語は民族と共にあり、また民族と共に衰えるものなのである。
強権を発動した義教だったが、幼い後花園天皇を後見する姿勢は謙虚だった。義教は幼帝に勉強するように指導し、後花園天皇はそれに応えるように熱心に勉強し、英明な天皇に育っていった。天皇の勉強熱は、あるいは義教の要求を凌駕していったと思われる。記録に残るだけでも御花園天皇の読書量は、歴代天皇の中でも抜きん出ている。しかし、後花園天皇が勉強熱心になったのは、義教の影響だけでなく、持明院統の正嫡とはいえ後光厳流とは別系統から即位したことと関係があるのかも知れない。自身の負い目から、強い皇統意識を持つに至ったと思われる。 -
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日本は権力者はNo.2、権威者がNo.1という伝統がある。藤原氏、平清盛、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府、ずっと天皇を利用しても天皇そのものにはなろうともしない。
日本の強さは政治が揺れても、もっと言えば政変が起きてもNo.2が変わるだけで、No.1は変わらないからびくともしないこと。ずっと日本という国は変わっていない。
これは世界に類を見ない事。
これは何度も断絶の危機に見舞われながら守られてきた万世一系の皇統のおかげ。
万世一系が正文化されたのは天武天皇の記紀編纂。これがなかったら今の皇室、日本という国体はなかったかも知らないと言えるほどの功績。
天皇とは何か。教科書的には日本国の象徴であるが、筆者は祈る存在だという。深い言葉だと思う。 -
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日本は天皇の知らす国。
いい言葉かも。(もちろんそれだけとは言い切らないけども)
天皇が”象徴”になったのは戦後からだと思い込んでたけど、天皇はずっと象徴であって日本の心だったんだと思えた(愛国者ではない。)。
天皇家を話の中心に据えた歴史書。
途中からは歴史のテキストのつもりで読んだけど、その時々の天皇の在り方を柱に進んでいく構成は初めてで面白かった。
日本史の復習にもなりました勿論。
買ってから読み始めるまで時間かかったけど、読めて良かった。
神史・先史時代は単語も難しくて(神々の名前とか)やっぱり入ってこないな…
中世以降は一気読み。 -
Posted by ブクログ
戦争責任と言うと、戦争を起こした側、第二次大戦で言えば枢軸国側の責任と捉えられる。しかし本当にそれだけなのだろうか?人類の歴史の中では、往々にして戦争に勝利した側の歴史が優先される。敗者側の歴史は排除されるのだ。
第二次世界大戦で連合国が勝利した段階で、日本の目指していた理想は瓦解し、過去は全て悪とされた。戦後マスコミも学校教育もWGIPの下、連合国側の歴史を是としてきた。その中で敢えてアメリカの戦争責任という、戦後最大のタブーに挑戦したのがこの書籍である。
事実を丹念に掘り起こし、第二次世界大戦前後の連合国とアメリカ、日本、首脳同士のつばぜり合いを追うことで、原子爆弾を落とす事が終戦の手段ではなく、目的化していたことを暴き出している。
たとえ戦争と言えど、民間人を無差別に虐殺していいわけがない。この原則に立てば、日本への原子爆弾投下は、アメリカの戦争犯罪と結論付けている。
これが歴史の真実ではないだろうか。是非日本人に読んでほしい。それはアメリカを非難し刃を向けるのではなく、過去を肯定的にとらえなおす事で、日本の芯を取り戻しより良い未来を紡ぎ出すことが出来るように思うからだ。 -
Posted by ブクログ
内容はとてもよかった。憲法からその国の人々が思い描く幸せのかたちを読み取ることができるというのは勉強になりました。
日本国にとって1番大切な存在が天皇陛下であるということがはっきりと分かった。和こそが日本の建国精神。
一人一人が自由に振る舞っても統率が取れる国、日本。それこそが和の精神
仁徳天皇の民の竈の話は感動しました。
明治天皇のエピソードや仁徳天皇のエピソードを歴史で習っていたらもっと違った日本の見方ができたし、自分の保身だけを考えている政治家にはそういうところを学んで、国民のために何ができるかを考えてほしい。
また、日本人として生まれてよかったと本当に思った。日本人という誇りを胸に生きていきたいと思いました。 -
Posted by ブクログ
1度読んで終わりではなく、何度も読み返したい本。こんな歴史書があっても良いと思う。 長らく積読していたが、覚悟を決めて読み始めた。
「日本は天皇の知らす(治す)国」から始まり、653ページにも及ぶ書である。神話から始まると思いきや、意外にも第1章は分子生物学や文化的繋がり、言語的繋がりなど、科学的に探求されている。
そこに書いていることが正しいのかどうか浅学な私には判断しかねるところだが、筆者の主観のみで書かれた歴史書ではないのはわかった。日本列島の磨製石器は世界的にみて圧倒的に古いということは驚きだったし、現代日本人のDNAは縄文人に近いというのもよくわかった。そこをベースに天皇という軸で日本の歴史が語られていく。
初期の頃の天皇の多くは、100歳以上の寿命で、それを直ちに信じるのは難しいから、初期の天皇は創作だろうと判断するのは間違っていると筆者は言う。大陸や半島では1ヶ月を30日とする太陰暦が使用されていたが、従来の日本では1ヶ月を15日とする独自の暦を使用していたというのだ。これは筆者が主張していることではなく、貝田禎造氏の「古代天皇長寿の謎」(1985)に書かれているという。つまり、1年は180日ばかりである。このことは明治13年にウィリアム・ブランゼンという人が冬至と夏至、もしくは春分と秋分で1年と数える暦があったのではないかと述べていたというのだ。
第3章の日本の中世からは聞いたり読んだりしたことのある内容になるが、興味のある人は、第2章まででもよいので読んでほしい。
1度読んで終わりではない。これから何度も読むことになると思う本だ。