フィツジェラルドのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
青春時代の情熱の恋愛模様。5組のカップルが登場する。あの青春時代の疑うことを知らない情熱はどこから来るのか、どこへ消えてしまうのか。お祭り騒ぎが終わったあとの余韻と驚き。愛の反対が無関心であるのと同様に、貧乏でも多忙でもなく、世の中からの無関心ーー必要とされないことを、人は一番おそれているのではないか。
編者の意図もすばらしい。バランスのとれた短編集。
1. 氷の宮殿
アメリカの北と南。出身地と男女の相性。
2. 冬の夢
主人公がよい。暗い。女性の虚勢とそれに気付きながらも受け入れる男性。
3. 金持の御曹子
すばらしい。幸せとは何か、問いかけてくる。青春と家庭とその先に待っている老いをも匂わせる。金ピカの中に哀愁ただよう作品。
4. 乗り継ぎのための三時間
まるで星新一のような。おもしろい掛け違い短編。短い中に人生のおかしみが詰まっている。あるある、と思わず膝をうってしまうユーモアのある作品。
5. 泳ぐ人たち
水の中の静けさと心地よさ。それが伝わってくる。伏線や展開がおもしろい。短編だからかもしれないが、この著者は道中がうまく、終わりが若干尻込む。会話もベタベタと男女の会話を書くのではなく、まるですべて見てきたあとのようにさらっと、少しだけ書き出してあとは抽象的な心理描写で終わらせてしまう思いきりの良さがよい。
6. バビロン再訪
この作品のなかで、唯一恋愛ではない作品。みうらじゅんさんが書かれていた「親は子のファン」という言葉通り。うまくいかない人生のいたずら、周りからはそれもすべてうまくいっているように見られてしまうジレンマ、人生の試練が分かりやすく凝縮されている作品。 -
Posted by ブクログ
フィッツジェラルドの儚い願いを託された一作。書くということで彼は浄化を求め、慰めを受けたかったに違いない。ディック博士のようなあっけない幕引きを望んで夢みて、物語に託した。
失われていってしまったものへの哀惜。だけど、それはどこまでも自分だけのもので、誰に知らせることもできない。ただ、笑って波風立てぬよう過ごしていくより他ない。またしてもギャッツビーが現れる。優雅や気品さというものは、そうやって作り上げていくものだ。
彼の文体がどこか断片的でとりとめのないように感じられるのは、思い出を壊したくなくて、バラバラに壊してしまった、そんな彼のやさしさゆえなのだと思う。子どもの大切にしまっておいた花や草・虫が、大切にするあまり色褪せて萎びてしまったのに似ている。そして、そんな残り滓なんていらないと、すべて粉々に砕いてしまいたくなる。
彼にとっての慰めは、酒による酩酊と、書くということによってしか見いだせなかった。そんな彼を受け入れてくれるのは夜の闇のやわらかさだけだった。存在をくっきり浮き立たせる眩しい光より、存在が溶けて広がる闇を愛した、孤独な輝き。だが人生は虚構のようにはできていなかった。 -
Posted by ブクログ
フィッツジェラルドの中でも、ミステリーとかそういった類のものをコンセプトに集めたらしい。
発想の書き留めと言ったらいいだろうか。一瞬目の前に現れた景色をすぐさまペン一本で書き上げたラフなスケッチみたい。自己完結せずにこれから新しい拡がりをみせてくれそうな、そんな物語の数々。
ベンジャミン・バトンは、時間という概念を疑いつくしたものだと感じた。この宇宙、存在というものは、時間とは独立して在るもの。だが、時間とは独立しているにもかかわらず、肉体をもって時間の中で生きているのがこの人間。そして、時間は流れるものとして過ぎては消えていく。そこに、もし、その流れが逆になって生まれてきてしまった存在がいたら…生まれながらに死んでいる状態で、死にながら生まれていく状態なら…
これを数奇と呼ばずになんて呼んだらいいのか。それでも、彼はベンジャミン・バトンなのである。生死とは誰にとっても数奇なものだ。存在そのものが、数奇なものだ。
レイモンドの謎やダンスパーティの悲劇、異邦人はフィッツジェラルド自身の試行錯誤の道の途中にあるものだと感じる。ひとが死ぬ、そのことをへたな理由をつけて掘り下げずに、それを見る観察者を通じて移りゆく。
最後の美女は、消えてゆく名残りを求めて立ち尽くす感覚を呼び起こしてくれる。さびしさと言ってしまえば失われてしまう。懐かしさと言っては美しすぎる。文学はいつもそういう限界を求めてやまない。
モコモコの朝に家具工房の外では、絵本を開いているようなまなざしを感じる。想像の不思議は、絵本のような物語でなければ、伝えることが出来ない。
人気の絶頂であろうと、転落した時であろうと、いつだって気取らず、等身大であろうとするフィッツジェラルドの物語は、ことばと共にあろうとする彼の生き様を強く映し出してくれる。 -
Posted by ブクログ
「カットグラスの鉢」
「冬の夢」
「罪の赦し」
「金持ちの青年(リッチ・ボーイ)」
「雨の朝 パリに死す(バビロンに帰る)」
の5篇を収録した短編集。
全体を通して、どこか寂しさが漂う物語。
個人的には「冬の夢」「金持ちの青年」が感慨深い。
どちらも金持ちと恋人の関係が焦点の物語だが、どちらも時の過ぎた悲しみといざとなった時の金の無力さをよく表しているように思えた。
以下「金持ちの青年」より引用。
『晩餐までブリッジをやり、それから誰かの部屋で生のカクテルを四、五杯やって、愉快にでたらめな一晩をすごす。』(中略)『女をそばにひきつけておく手、邪魔になれば追っ払う手を心得ていたし、おれたちの利口な快楽主義からすれば、どの女にはどの程度の考慮を払ってやればいいかぐらいは心得たものだ。パーティーなんてものはほどほどにしておくものだ――しかじかの女をしかじかの場所へ連つれていき、楽しい思いをしただけの金を使えばいいのだ。酒も、たくさんはいけないが、まあころあいだと思う量よりちょっとよけいにやって、午前をまわった適当な時刻を見計らって立ち上がり、もう家へ帰ると言えばいい。学生、大酒飲み、将来の約束、喧嘩、一時の感傷、無分別などは避けること。そういうのが上手なやり方というものだ。それ以外はすべて浪費というものだ。』
禁酒法などがあった当時の時代背景を意識しながらのこういう金持ちの日常の一瞬というのは、今とは確かに大きく異なるところもあるだろうが、最後の上手なやり方、それ以外は浪費、という流れには、巧い言葉が見つからないが、身につまされた様な、そういう風に思わされたことに、とても驚いた。
本書は解説部分もとても面白い記述があり、いい読書だった。村上春樹も幾つかの翻訳本を出しているみたいなので、いつか比較して読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
ギャツビーという人間に対して、驕りと虚栄心の塊(もしくはただのストーカー)として軽蔑するか、それとも不当な手段で名声を得ても一人の女性に愛を注ぎ続けた純真無垢な男として同情するのかは、人によって持つ印象がかなり違うのではないかと思う。
前半ははっきり言って何を言いたい小説なのか理解ができなかった。文体も読みづらく、入り込めない。
後半の劇的な展開を経て、初めてこの男の持つ感性に共感を抱くことができたね。狂気に歪んだ愛を心に刻んでしまった人間として。
解説を読んでみると、この小説がアメリカ社会が持っている(あるいはかつて持っていた)断絶と矛盾を見事に悲劇的に描いた小説だと分かった。
そういう文脈で読むこともできるし、僕がそうしたように純粋すぎた愛の物語として読むこともできるだろう。
いずれにせよ、複雑な小説だった。