あらすじ
豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビーの胸の中には、一途に愛情を捧げ、そして失った恋人デイズィを取りもどそうとする異常な執念が育まれていた……。第一次大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描いて、滅びゆくものの美しさと、青春の光と影がただよう憂愁の世界をはなやかに謳いあげる。
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レオナルド・ディカプリオ主演の映画公開をきっかけに初めて本作を手に取るという人もおられるでしょう。いくつも翻訳が重ねられている本作ですが、個人的には『ライ麦畑でつかまえて』の邦訳でも知られる、この野崎孝訳をおすすめします。語り手の一人称が「ぼく」であること、そして適度にしゃちほこばった文体が、いかにもお金持ちの青春小説らしくて魅力的。
目も眩むような大富豪たちの栄華の裏にある、それぞれの虚栄と慢心。それらが交錯し、最後はギャツビーもろとも、多くの人間が破滅の一途を辿ります。それでも最後、物語の語り手であり、自らも大切な知り合いを数人失ったニック・キャラウェイがこれまでの出来事を振り返り、改めて世界と向き直そうとする姿勢には、普遍的な青春のきらめきが見られることでしょう。ラスト二文が特に秀逸。
「こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。」
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Posted by ブクログ
20年くらい前に、「グレート・ギャツビー」と「老人と海」はどっちがより沁みるか、友人と議論したことがある
結論は「老人と海(以下RU)」となった
「グレート・ギャツビー(以下GG)」は、まずフィッツジェラルドっていう名前がカッコ良いし、社交界が舞台で華やかだし、若い女がたくさん出てくるし、主人公は何だか影あるし、過去に引きずられがちな文章は含みを持たせるし、文庫本持ってるだけで様になるから、ハンチング被った学生がベンチで横になって読んだりしてた
一方のRUは、まず題名がダサいし、舞台は海だから誰もいないし、ヘミングウェイも無骨な佇まいだし、教科書にも載っちゃってるから真面目な印象だし、そんくらいしか言うことないし、文庫本持ってベンチで読んでたらたぶん「家で読みなさい」って言われるし
でも、どちらも素晴らしいんだ。若い頃、本当に憧れていたのはどんな生活だったか。本当に嫌っていたのはどんな奴らだったか。ギャツビーだって、海に出て1人でお魚さんと格闘したかったはずだぜ
そんな凄みを全く感じさせないRUの勝ちってことにした。それと、俺たち親が大学行ってないからよく知らないことを良いことに勝手に生きて金のかかるコストジェネレーションだね、ってことにもした
Posted by ブクログ
ロストジェネレーションを代表する作家のひとりであるフィッツジェラルドの代表作。派手な社交界で孤独に悩む大金持ちの苦悩。作家本人の悩み多き人生を映したような小説の気もする。映画が美しい映像で再現されておりこれもいい。
Posted by ブクログ
喧騒と狂乱の20年代のアメリカを等身大に描いた作品。
ギャツビーの一途な愛の夢は幻想に包まれ、空虚な人の心に溶けてしまう。
20世紀最高の小説と称される理由が分かります。
Posted by ブクログ
98/100点
著者フィッツジェラルドのミネソタで培われた「冬の夢」、狂騒的な生への渇望と、去ってしまった夢、あるいは近すぎて手から溢れてしまったかりそめの夢。
遍くが28歳のフィッツジェラルドの骨髄から出る珠玉の文言で完成させられています。
これを傑作と呼ばずして何が傑作でしょうか。
歴史に残る名著。
Posted by ブクログ
大学時代、米文学史の授業で習ったのがきっかけ。その後じわじわと再読する度好きになっていく。授業中に観た映画の(ディカプリオ主演ではない)目の看板がとても印象的で、再読の度に映像が蘇る。
パーティーに来ていた人達は享楽的に集まっていただけとはいえ、誰一人として葬儀に出席しなかったのは恨みでも買っていたのかと勘繰りたくなるほど切ない。ニックと出逢えたことだけがギャツビーにとって救われたのだろうか。
映像でかなり補完されたところがあるので、そろそろ新訳が出ても良い頃かと思う。
Posted by ブクログ
わたしの大好きな書籍の一つです。
ギャツビーは失った愛を、好きな女性を取り戻すために人生の全てを賭けました。そしてその夢を、彼の命が消えるまで追い続けていました。
その女性が本当はそこまで彼に追わせる価値のある女性でなかったとしても…彼は追い続けていました、
幸せだったのかどうかは、彼にしかわかりません。
でも、彼の中には打算ばかりのわたしたちが無くしてしまったなにががあります。
今でもこの小説の一節一節を読むたびに胸が痛くなります。
本当の傑作です。
Posted by ブクログ
以下ネタバレ。
この作品を理解するカギは最後の数段落にある。ここで作品の要点が作者自身の手でまとめられている。
この作品の主要登場人物たちは西部(田舎)から東部(都会)に出てきた者たちである。作品のラストでは、語り手ニックは、アメリカ建国の父祖たちに思いを馳せる。アメリカ建国はヨーロッパという過去から離れて新しい社会アメリカを作る試みだった。つまり東部-都会-未来/西部-田舎-過去という対照が明らかに見てとれる。
アメリカの夢は都会の夢・資本主義の夢だと言える。作者フィッツジェラルド本人も一時期そういう雰囲気の中で生きた。「つねに過去に押し戻されながら、未来の夢をつかもうとして、前へ前へと進んでいく」のはアメリカン・ドリームに象徴されるアメリカ人の典型的イメージである。新大陸に新国家を創設しようとした建国の父祖たちもおそらくそういう思いだっただろう。
しかしこの作品の本当の主役である、ギャッツビーという奇人の場合は、これが屈折しているのだ。彼は過去の恋愛を成就させるために巨万の富を築いた。彼にとっては、富はロマンチシズム(いわば西部の夢)のための手段にすぎない。彼が盛大なパーティを開くのも、富をひけらかすためではなく、ひとりの女性を誘い出すため。彼にとっては未来は過去の夢を実現するための手段なのである。多くの人が彼を誤解する。彼は誰にも(東部の人間にも西部の人間にも)理解されずに死んでいく。偉大で滑稽なギャッツビーだが、彼を唯一理解したのはこの物語の語り手ニックだけだった。
最後の幕引きも、単純にアメリカン・ドリームを肯定したものというよりは、作者のアンビヴァレントな思いが表れているとみるべきだろう。
Posted by ブクログ
当時みんなが憧れていた理想を掴み、生まれた環境関係なく上流階級へ成り上がる、希望溢れるアメリカンドリームが題材となっている。お金持ちの煌びやかで視覚聴覚共に刺激を受ける豪華な生活などの描写が多く散りばめられている反面、呆気なく淡々と展開される現実や登場人物の強欲さ、汚い人間らしさ含めたギャップが面白いと思う。私は各々が都合よく相手を解釈していないか、相手の「本質」を捉えられているのかどうか、という著者の問いを見出した。人間って怖い
Posted by ブクログ
世田谷の駒澤にある「snow shoveling」のblind book「美しき、光と影」というキャッチコピーに惹かれ、手に取った。
ギャッツビーの夢、見かけ上の栄光と、それと対局にある彼自身の精神の闇、不安定さを感じさせられ、まさに「美しき、光と影」を感じた。
生前は、多くの人を家に招き盛大なパーティをしていたギャッツビー、しかし彼の死後、葬式には、彼の父と語り手のキャラウェイ、そして書斎にいた男しか来なかった。
愛するデイジーすら訪れなかったのである。
見かけ上の煌びやかさ、華やかさにはなんの意味もない。周りに人がいることが、必ずしも、人望があるということではないのだと気付かされた。
良い時に寄ってくる人ではなく、自分自身が困難な時、辛い時にもそばに居てくれる人を大切にしたいと思ったし、思いもよらぬ人が自分を大切に思ってくれていることもあるんだなと思った。
彼は、彼の夢であるデイジーを手に入れることができないまま、悲劇的に人生の終わりを遂げた。それでも彼は、もしもう一度機会があったとしたら、この結末をわかっていたとしても
同じ道を歩むような気がする。
そんな彼の情熱は少しばかり羨ましい気持ちにもなる。
Posted by ブクログ
始:ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。
終:こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。
Posted by ブクログ
言葉の扱いが魅力的だと思った人の愛読書だと知り購入
今まで海外文学はシェイクスピアしか読み切れたことがなく、他の小説は読む度に挫折していたが、時間をかけてでも読み切れた。モチベーションが違ったのだろう。
読む前は翻訳独特な言葉選びを期待していたが、読み始めるとドンドンその世界に魅せられて、言葉選びの面白さに注目できなかった。次に読むときはしっかり注目して読みたい。
読んでいるだけでまるでその場にいるように思えた。季節の空気感、雨の冷たさ、現代よりは優しいけれどやはり暑い夏、それが終わるのに妙に寂しく思える秋の始まり。
そこで生きて、近くに生きる他人のような気持ちで読むことができました。
この本による感情の起伏は激しくなかったけれど、確かに心が揺れる、寂しさを強く感じる本でした。
Posted by ブクログ
100ページくらいまではよくわからず苦痛。役者が揃って物語が動き始めてからは引き込まれたが、終盤の人物の動きがピンと来なかった。
30歳で「歳を取りすぎた」というのはつらい
Posted by ブクログ
英語読めないからダメだけど
きっと流れるように美しい文書で
書かれてるんじゃないかなと思った
当時のアメリカの世相の知識とか
そういうものがあれば
もっとイメージしやすかったかもしれない
海外の作品はそういう意味でも難しい
主人公の立ち位置や雰囲気が
村上春樹の小説に出てくるタイプに
似てる気がする
村上春樹の翻訳バージョンの
グレートギャツビーもいつか読んでみたい
2022年新潮文庫の100冊のうちの1冊
Posted by ブクログ
【感想】
いわゆる男性チックな考え方の方であると、登場するニックとギャッツビーに深く共感でき彼らの中に自分を見出すことができる点に、作品の素晴らしさがあるように思った。そのうえで、特に本編の最後の締めくくり方が美しく、名作たる所以であるように思われた。私は野崎孝訳で読んだのだが、解説の洞察に非常に読み応えがあり、本書の半分ぐらいの価値はそこにあるように思えた。
【おすすめの鑑賞の仕方】
個人的なおすすめの楽しみ方は、この小説を読んだ後にレオナルドディカプリオ主演の映画、『華麗なるギャッツビー』を鑑賞することである。この本を読んでいると、自分が集中して読めているのかどうか不安に思う事があると思う。(少なくとも私にはよくあった。)これには、フィッツジェラルドの表現もあるが1920年代のアメリカで書かれたということ、あまりにも非日常な状況が描かれていることが由来していると思う。そのために、文字に書いてあることを信頼し、ストレートにそれらを受け入れ、頭の中で映像化することが難しいように思われる。
ただ、全て読み終えたあとに映画を観てみることで、本当にその文字に書いてあったような異常な世界感が映像として登場するために、『グレート・ギャッツビー』という作品がこの世に存在しているということを、噛みしめることができると思う。
【本編】:フィッツジェラルド
〇以下好きなシーン
108p
ギャッツビーという人間が、その無意味な栄華の雲につつまれた神秘から急に抜け出して、一個の生きた人間としてぼくの眼に映ってきた。
(主人公ニックの、謎に包まれた紳士ギャッツビーに対する印象が変わった描写。)
→身近な人であるかそうでないかを問わず、ある特定の人に抱いていた神秘性が消える時は、往々にしてその人の行動原理に超合理性が存在するという事に自分自身が気づいた時のように感じる。
212p
町を去る彼の胸には、もっと熱心に探したら彼女がみつかったかもしれぬような感じが去来し、なんだか彼女をあとに残して去って行くような気がしてならなかった。
→ただただ表現が気に入り、かつ共感もできる箇所。
253p
こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。
→私の感じていることが、割りと普遍的なことであるということを、この分を持って理解できた。勿論人によるが、人間の頑張る原動力には多かれ少なかれ、この側面があると思う。
【解説】:野崎孝(訳者)
〇以下心に残っている解説文
258p
こうして作者が、分裂しながら互いに牽引し競合し反応し合う内面の二要素を、それぞれ二人の分身に仮託し、一方を語り手として設定したところにこの小説の成功の要因があることは、多くの評者が一様に言っている通りである。これによって作者は、ギャッツビーの生涯を一つ屈折した視点から描く自由を獲得できたばかりでなく、ギャッツビーのドラマに参加するニック自身の行動や、そのときどきの感じ方や考え方、要するにニックという存在全体を通して、この作品に複雑で微妙な陰影を与え、重層的な意味を盛り込むことに成功した。
259p
ニックが、東部社会での経験を重ねるにつれて、ビュキャナン夫妻の生活やギャッツビーのパーティーに典型的に表れているような、絢爛豪奢に見える外面の、その裏にひそむ空虚なソフィスティケーションや腐敗に気づくようになり、同時にそれらと対照的な西部の社会が反射的に思い浮かんで、その価値を次第に確認してゆくわけだ。
260p
都会的ソフィスティケーションと文化と腐敗を代表する東部、それに素朴な道徳を代表する中西部、この二つを対比した一種の悲劇的パストラル
【所信表明】
私が今まさに田舎から都会の煌びやかな世界に漕ぎ出し、一旗揚げてやろうと思っている中で、仮に揚げたところで、ニック・キャラウェイとギャッツビー、そして著者フィッツジェラルドが経験したことと似た感情を抱くかもしれないことは、本書を読む中で理解できるが。ただ、分かっていても、確かめてみたい気持ちは尚強い。
Posted by ブクログ
ギャツビーという人間に対して、驕りと虚栄心の塊(もしくはただのストーカー)として軽蔑するか、それとも不当な手段で名声を得ても一人の女性に愛を注ぎ続けた純真無垢な男として同情するのかは、人によって持つ印象がかなり違うのではないかと思う。
前半ははっきり言って何を言いたい小説なのか理解ができなかった。文体も読みづらく、入り込めない。
後半の劇的な展開を経て、初めてこの男の持つ感性に共感を抱くことができたね。狂気に歪んだ愛を心に刻んでしまった人間として。
解説を読んでみると、この小説がアメリカ社会が持っている(あるいはかつて持っていた)断絶と矛盾を見事に悲劇的に描いた小説だと分かった。
そういう文脈で読むこともできるし、僕がそうしたように純粋すぎた愛の物語として読むこともできるだろう。
いずれにせよ、複雑な小説だった。
Posted by ブクログ
底辺から成り上がったギャツビー。ある目的のために毎晩のようにパーティを開く。1920年代のアメリカが舞台。アメリカが、かつて懐かしいような西部と華やかな成功者達の東部が対比で描かれている気がする(正直歴史は全く詳しくない)。書かれた当時はわからないが、現代の今読むと、当時の時代背景も勉強して読みたいなとも思う。
Posted by ブクログ
成り上がったピュアな田舎者が見た夢。1920年代のアメリカの時代背景や東部、西部の関係への理解があればもっと面白く読めたんだろうなあ
。
ところで2章の最後はどういうことなんだろうか
Posted by ブクログ
幻想に生き続けたギャッツビー。
1920年代のバブルじみた狂乱と空虚に包まれるアメリカ。
幻想に生きた彼の悲運な運命こそがアメリカンドリームの終着する先に比喩されるのだろうけれど、
アメリカという国が与える可能性は、今もきっと変わっていない、というところにこの作品の意味を感じる。
Posted by ブクログ
文体むずいっす、、
忠実に訳したからなのか、翻訳文章特有の回りくどい表現とかが多くていまいち情景や心情を掴みきれなかった。言葉遣いも古かったのでそれも要因で。
文章を心地よく感じるよりも、内容を頑張って理解する作業の気持ちが先行しちゃった
内容としては、華やかに見える世界の軽薄さがしっかりと伝わる的確な描写が多く、きらびやかな社交界の生活を覗いている気分でした。
Posted by ブクログ
近所の成金が毎晩パーティーをしてるバブリーな世界観。
その成金が実は一途な人物で、一人の女性のために金と名誉を手に入れる。
村上春樹一押しの作品で世界的な評価が高い作品なのかも知れないが、個人的にはあまり好みじゃなかったかな。
アメリカ東海岸特有の上から目線の高飛車な雰囲気がそもそも肌に合わない感じがした。
自意識過剰なエリートの好みには合うかも知れないが、一般庶民の私が共感するのは少し難しいと感じた。
Posted by ブクログ
「グレート」ギャッツビーと題されたその意味を考えさせられる。当時のアメリカの文化的背景をちゃんと理解して読めばもっと楽しめたんだろうなと思う…
Posted by ブクログ
作品の最初と最後は名文だった。
なぜギャッツビーがグレートなのか(あるいはグレートであったのか)は分からなかったし、作品の主題に大きく関わるだろう。
イースト・エッグとウェスト・エッグ、東部と西部のように東と西の対立が意識されていたように感じた、都会と地方という対立に言い換えることもできるかもしれない。
Posted by ブクログ
アメリカ文学の金字塔として度々その名を目にしてきた作品。詩的過ぎる比喩表現や終始口調の定まらない登場人物たちに苦戦しつつも、狂乱の1920年代を舞台に描き出される生々しい人間模様に圧倒された。享楽的なパーティー三昧の前半戦と対を成す終盤の圧倒的な物悲しさやギャツビーとの交流を通してニックが徐々に自分自身を取り戻す様子も非常に劇的。思惑や欲望が渦巻く現世において、良かれ悪しかれ誰よりも純粋だったギャツビーの刹那的生涯は確かに<偉大>だったのかもしれない。巻末の解説があってこそ本書をより深く理解出来たと思う。
Posted by ブクログ
ニックはニューヨークの証券会社に就職してイーストエッグに家を借りた。隣には豪邸があり、夜な夜な派手なパーティーを開いていた。ある日ニックは館の主、ギャッツビーからパーティーへの招待を受ける。ギャッツビーはニックの従姉妹ディズィのかつての恋人で、既に結婚している彼女を取り戻そうとパーティーを開いていた。
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学生の頃読んでいるはずなのに…全然覚えていなくて…先日レオ様の映画を見たので原作に再度挑戦してみました。
これは『ライ麦畑でつかまえて』と並んでアメリカの青春小説の金字塔らしいのですが…ライ麦畑には夢中になれたけど、こちらには同調出来なかった。たぶん若い時に読めば共感出来る所もあったのでしょうが…でも忘れちゃってる位だから私とは相性が合わなかったのでしょう。
ギャッツビー個人に関しては
「お前はアホか!」
とハリセンチョップで頭を叩いてあげたいけど、ストーリーは意外と面白かった。
ディズィの夫のトムには愛人がいる。愛人にも夫がいる。そしてディズィはギャッツビーに再会してときめいている。とは言ってもトムもディズィも離婚する気などない。だけどギャッツビーにはそれがわからない。
失ったものは取り戻せない、ニックが諭しても解せない。夫婦は愛情だけで繋がってわけじゃない。ギャッツビーのディズィへの思いも愛情というよりも執着のようで共感は出来ない。
この話は表向きは恋愛がテーマのようだけど、それ以上にギャッツビーの経済的コンプレックスが大きくフューチャーされている。金持ちになれば彼女が戻ってくる…なんて考えること自体…あまいな
Posted by ブクログ
映画、宝塚、共に視聴済み。
前知識があったからなんとなくわかったが、何が起こったのか分かりずらい箇所があった。
一途な想いから、ラストは悲しきギャツビー。
パーティにはどこからともなくたくさんの人達が来るのに、葬式には1人しか来ない。父も来てくれたのは幸い。
改めて映画等をまた見直したくなった。
また、村上春樹訳をいずれ読んでみたい。
Posted by ブクログ
村上春樹が激推ししている一冊ということで手に取った。
英語の小説を日本語に訳したものなので、世界観がそのまま伝わってきたわけではないが…
前半は正直誰が誰?どういう展開?
とついていけない部分が多くて読むことを放棄しそうになったけれど、後半は怒涛の展開で面白かった。
Posted by ブクログ
1922年第一次世界大戦後 狂騒の20年代アメリカ
絢爛豪華な邸宅で夜ごと盛大なパーティを開く謎めいた男、それがギャッツビー。彼の資金力の影には
黒い噂が流れていた。
若かりし頃、全くストーリーに入れきれず挫折。
たぶん、グレートの意味を間違えていた事と、翻訳の流れが掴めなかった事が敗因。
村上春樹氏が人生で巡り合った重要な一冊とし
宝塚月組で、この夏上演決定してるし
オリラジのperfect human のMVはオマージュらしいし 何回か映画化もされてるし
英語で書かれた20世紀最高の小説 第二位らしい
やっぱり 読めないとちょっと悔しい。
幼児期から自身の成功を夢見ていたギャッツビー。
家出、戦争、失恋。資金調達の為這い上がる。
過去の恋を手に入れる為だけの、虚栄だらけの邸宅、パーティ。元恋人さえも彼の虚構の一部。
過去を取り戻せない現実を受け入れない。
華やかなパーティの片隅に佇む哀愁。元恋人の家を見つめる寂寥感。それらと狂乱めいたパーティとの対比。そして全ての喪失。
アメリカは世界恐慌の時代となり ギャッツビーの栄華と共に狂騒は終焉する。
おーっ、なんか掴めた気がしてきた。
映画見ちゃお。