【感想・ネタバレ】グレート・ギャツビーのレビュー

あらすじ

豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビーの胸の中には、一途に愛情を捧げ、そして失った恋人デイズィを取りもどそうとする異常な執念が育まれていた……。第一次大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描いて、滅びゆくものの美しさと、青春の光と影がただよう憂愁の世界をはなやかに謳いあげる。

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レオナルド・ディカプリオ主演の映画公開をきっかけに初めて本作を手に取るという人もおられるでしょう。いくつも翻訳が重ねられている本作ですが、個人的には『ライ麦畑でつかまえて』の邦訳でも知られる、この野崎孝訳をおすすめします。語り手の一人称が「ぼく」であること、そして適度にしゃちほこばった文体が、いかにもお金持ちの青春小説らしくて魅力的。
目も眩むような大富豪たちの栄華の裏にある、それぞれの虚栄と慢心。それらが交錯し、最後はギャツビーもろとも、多くの人間が破滅の一途を辿ります。それでも最後、物語の語り手であり、自らも大切な知り合いを数人失ったニック・キャラウェイがこれまでの出来事を振り返り、改めて世界と向き直そうとする姿勢には、普遍的な青春のきらめきが見られることでしょう。ラスト二文が特に秀逸。
「こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。」

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Posted by ブクログ

ネタバレ

わたしの大好きな書籍の一つです。

ギャツビーは失った愛を、好きな女性を取り戻すために人生の全てを賭けました。そしてその夢を、彼の命が消えるまで追い続けていました。
その女性が本当はそこまで彼に追わせる価値のある女性でなかったとしても…彼は追い続けていました、

幸せだったのかどうかは、彼にしかわかりません。
でも、彼の中には打算ばかりのわたしたちが無くしてしまったなにががあります。
今でもこの小説の一節一節を読むたびに胸が痛くなります。

本当の傑作です。

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2023年02月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

以下ネタバレ。



この作品を理解するカギは最後の数段落にある。ここで作品の要点が作者自身の手でまとめられている。
この作品の主要登場人物たちは西部(田舎)から東部(都会)に出てきた者たちである。作品のラストでは、語り手ニックは、アメリカ建国の父祖たちに思いを馳せる。アメリカ建国はヨーロッパという過去から離れて新しい社会アメリカを作る試みだった。つまり東部-都会-未来/西部-田舎-過去という対照が明らかに見てとれる。
アメリカの夢は都会の夢・資本主義の夢だと言える。作者フィッツジェラルド本人も一時期そういう雰囲気の中で生きた。「つねに過去に押し戻されながら、未来の夢をつかもうとして、前へ前へと進んでいく」のはアメリカン・ドリームに象徴されるアメリカ人の典型的イメージである。新大陸に新国家を創設しようとした建国の父祖たちもおそらくそういう思いだっただろう。
しかしこの作品の本当の主役である、ギャッツビーという奇人の場合は、これが屈折しているのだ。彼は過去の恋愛を成就させるために巨万の富を築いた。彼にとっては、富はロマンチシズム(いわば西部の夢)のための手段にすぎない。彼が盛大なパーティを開くのも、富をひけらかすためではなく、ひとりの女性を誘い出すため。彼にとっては未来は過去の夢を実現するための手段なのである。多くの人が彼を誤解する。彼は誰にも(東部の人間にも西部の人間にも)理解されずに死んでいく。偉大で滑稽なギャッツビーだが、彼を唯一理解したのはこの物語の語り手ニックだけだった。
最後の幕引きも、単純にアメリカン・ドリームを肯定したものというよりは、作者のアンビヴァレントな思いが表れているとみるべきだろう。

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2021年11月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

世田谷の駒澤にある「snow shoveling」のblind book「美しき、光と影」というキャッチコピーに惹かれ、手に取った。
ギャッツビーの夢、見かけ上の栄光と、それと対局にある彼自身の精神の闇、不安定さを感じさせられ、まさに「美しき、光と影」を感じた。
生前は、多くの人を家に招き盛大なパーティをしていたギャッツビー、しかし彼の死後、葬式には、彼の父と語り手のキャラウェイ、そして書斎にいた男しか来なかった。
愛するデイジーすら訪れなかったのである。
見かけ上の煌びやかさ、華やかさにはなんの意味もない。周りに人がいることが、必ずしも、人望があるということではないのだと気付かされた。
良い時に寄ってくる人ではなく、自分自身が困難な時、辛い時にもそばに居てくれる人を大切にしたいと思ったし、思いもよらぬ人が自分を大切に思ってくれていることもあるんだなと思った。
彼は、彼の夢であるデイジーを手に入れることができないまま、悲劇的に人生の終わりを遂げた。それでも彼は、もしもう一度機会があったとしたら、この結末をわかっていたとしても
同じ道を歩むような気がする。
そんな彼の情熱は少しばかり羨ましい気持ちにもなる。

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2024年12月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

【感想】
いわゆる男性チックな考え方の方であると、登場するニックとギャッツビーに深く共感でき彼らの中に自分を見出すことができる点に、作品の素晴らしさがあるように思った。そのうえで、特に本編の最後の締めくくり方が美しく、名作たる所以であるように思われた。私は野崎孝訳で読んだのだが、解説の洞察に非常に読み応えがあり、本書の半分ぐらいの価値はそこにあるように思えた。

【おすすめの鑑賞の仕方】
個人的なおすすめの楽しみ方は、この小説を読んだ後にレオナルドディカプリオ主演の映画、『華麗なるギャッツビー』を鑑賞することである。この本を読んでいると、自分が集中して読めているのかどうか不安に思う事があると思う。(少なくとも私にはよくあった。)これには、フィッツジェラルドの表現もあるが1920年代のアメリカで書かれたということ、あまりにも非日常な状況が描かれていることが由来していると思う。そのために、文字に書いてあることを信頼し、ストレートにそれらを受け入れ、頭の中で映像化することが難しいように思われる。
ただ、全て読み終えたあとに映画を観てみることで、本当にその文字に書いてあったような異常な世界感が映像として登場するために、『グレート・ギャッツビー』という作品がこの世に存在しているということを、噛みしめることができると思う。

【本編】:フィッツジェラルド
〇以下好きなシーン
108p
ギャッツビーという人間が、その無意味な栄華の雲につつまれた神秘から急に抜け出して、一個の生きた人間としてぼくの眼に映ってきた。
(主人公ニックの、謎に包まれた紳士ギャッツビーに対する印象が変わった描写。)
→身近な人であるかそうでないかを問わず、ある特定の人に抱いていた神秘性が消える時は、往々にしてその人の行動原理に超合理性が存在するという事に自分自身が気づいた時のように感じる。
212p
町を去る彼の胸には、もっと熱心に探したら彼女がみつかったかもしれぬような感じが去来し、なんだか彼女をあとに残して去って行くような気がしてならなかった。
→ただただ表現が気に入り、かつ共感もできる箇所。
253p
こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。
→私の感じていることが、割りと普遍的なことであるということを、この分を持って理解できた。勿論人によるが、人間の頑張る原動力には多かれ少なかれ、この側面があると思う。

【解説】:野崎孝(訳者)
〇以下心に残っている解説文
258p
こうして作者が、分裂しながら互いに牽引し競合し反応し合う内面の二要素を、それぞれ二人の分身に仮託し、一方を語り手として設定したところにこの小説の成功の要因があることは、多くの評者が一様に言っている通りである。これによって作者は、ギャッツビーの生涯を一つ屈折した視点から描く自由を獲得できたばかりでなく、ギャッツビーのドラマに参加するニック自身の行動や、そのときどきの感じ方や考え方、要するにニックという存在全体を通して、この作品に複雑で微妙な陰影を与え、重層的な意味を盛り込むことに成功した。
259p
ニックが、東部社会での経験を重ねるにつれて、ビュキャナン夫妻の生活やギャッツビーのパーティーに典型的に表れているような、絢爛豪奢に見える外面の、その裏にひそむ空虚なソフィスティケーションや腐敗に気づくようになり、同時にそれらと対照的な西部の社会が反射的に思い浮かんで、その価値を次第に確認してゆくわけだ。
260p
都会的ソフィスティケーションと文化と腐敗を代表する東部、それに素朴な道徳を代表する中西部、この二つを対比した一種の悲劇的パストラル

【所信表明】
私が今まさに田舎から都会の煌びやかな世界に漕ぎ出し、一旗揚げてやろうと思っている中で、仮に揚げたところで、ニック・キャラウェイとギャッツビー、そして著者フィッツジェラルドが経験したことと似た感情を抱くかもしれないことは、本書を読む中で理解できるが。ただ、分かっていても、確かめてみたい気持ちは尚強い。

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2021年11月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

作品の最初と最後は名文だった。
なぜギャッツビーがグレートなのか(あるいはグレートであったのか)は分からなかったし、作品の主題に大きく関わるだろう。
イースト・エッグとウェスト・エッグ、東部と西部のように東と西の対立が意識されていたように感じた、都会と地方という対立に言い換えることもできるかもしれない。

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2023年05月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

小川高義訳を読んでから読むと、小川訳がアメリカ人にしかわからないであろう例えを省いていたり、会話者の意図を示そうとしていたりなどの工夫をしていることがわかる。野崎訳は言葉使いがいいな、とも思ったけれど、ニックとギャッビーが最後に言葉を交わすシーンの「あいつらはくだらんやつらですよ」「あんたには、あいつらをみんないっしょにしただけの値打ちがある」という部分は、小川訳の方が好き。

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2021年12月07日

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